オーレフ ーALL LEFTー

花咲たいざ

プロローグ 左に進む物語

 ――その朝、世界が裏返った。


 目の前にそびえる扉の素材は、ただの木材ではない。

 分厚い鉄板のような重みを纏い、まるで「ここから先は戻れない」と僕を試す門番そのものだ。

 正直、引き返す口実はいくらでもあった。けれど――胸の奥で別の声が囁く。


 ここに答えがある。踏み込め、と。


「ええい、ままよ!」


 自分を奮い立たせるための独り言。僕は扉を押し開けた。


 ――次の瞬間、昼の都心にいることを忘れさせるような薄暗いホールが広がる。

 

 二階まで吹き抜ける天井。色褪せたステンドグラス。埃に沈む書棚。呼吸ひとつが反響して「帰れ」と囁かれるような空気。勝手に呼吸が早まる。


「ようこそこちらの世界へ、迷子ストレイさん」


 奥から声が響いた。低く、艶やかで、すべてを見透かすような声。

 机に腰を掛け、脚を組んだ少女がそこにいた。


 僕と同じ年頃にしか見えないのに、彼女の眼差しは人を跪かせる圧を帯びていた。

 これは夢だ、と自分に言い聞かせる。現実にこんな存在があるわけない。


 ――そうだろ?


「夢だと思い込もうとしているなら、無駄よ」


 彼女は冷たく微笑んだ。


「残念だけど現実だから、これ」


 喉が凍りついたように張り付き、声が出せない。希望はあっさり叩き折られ、足元の地面が崩れ落ちる感覚に襲われる。


 ――どうして僕は、こんな場所に来てしまったんだ?

 答えはひとつ。今日という異常な日――“その朝”にすべての始まりがあった。


 ここから先は左(レフト)に進む話だ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る