第五.五章
陽菜がステージで歌う。その姿を遠くの席から眺めている。初のワンマンライブとは思えないほどに堂々とした姿は、先程まで緊張していたとは思えないほどだった。
陽菜の歌を、歌詞を聞いてると、ところどころで心に響くものがある。音楽で心が揺さぶられるとはこのことなのだろう。
俺は一度グラスに目を向ける。ライブ前から結構飲んでいた俺は、再度顔を上げて・・・
姿が重なる。アイツの姿が。陽菜と。
思考が止まる。
幻覚に違いないと、わずかな理性がそう叫ぶ。疲れた体に酒を入れたからだろう。けれども、今目の前にあるのは、あの日以降に見るはずだった光景。
小さいけれどステージで歌う姿。あの日の見たかった光景が、あるはずのない光景が目の前に広がっている。この店にいたオーディエンス達は消え、俺とアイツだけの世界になる。
「古賀さん、どうです?いい歌でしょ?」
あの日と変わらない言葉でアイツが話す。
本当はいないのは分かってる。でも、心の底ではどこかで飄々といるのではないかと思ってた。あの日の事故は夢で、俺は夢の中をずっと生きていたと。
「違います」
だが、目の前のアイツはそれを拒否する。
「私はあの日に死んだんです。トラックに轢かれて。あの光景は本当なんです。もう私はいないんです」
死んだ本人からそう言われる。不思議な現象。夢か現か分からなくなってくるのに、その言葉だけは本当のものに聞こえる。
「私のことで、自分を縛らないで」
彼女からの願いが頭に響く。
そうか、俺はずっと過去に囚われていたのか。
「古賀さんは古賀さんの人生を歩んで」
そうだよな。いつまでもあの日に囚われてはいけないよな。今いる人たちに、過去の仲間達やマスター、そして陽菜ちゃんに失礼だ。
体から鎖が取れていく。アイツの顔はずっとモヤがかかっているのに、何故か表情が分かる、そんな気がする。
「もう行かなきゃ」
まるで時間と言わんばかりに、アイツは手を振る。俺は動けないで、その後ろ姿を見送る。けれど去る彼女に未練はない。
もう、大丈夫だ。俺は強く生きていく。
「ありがとう」
あの日に流せなかった涙が、止まっていた時の流れとともに溢れてくる。彼女への未練と後悔が、涙とともに流れ去ってゆく。
アイツに。そして、陽菜ちゃんに。俺の心を救ってくれて、ありがとう。
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