第四章


 いつものバー。いつも通りの空席。そして


「はああああああぁぁぁぁ」


 いつも以上に突っ伏している私。昨日のライブから手入れをしてない髪が乱雑に散らばっている。だけど髪以上に心が乱れている。


「どしたの?おじさんが悩みをあててあげようか?」

「結構ですー」

「前回のライブ、お客がゼロだったから落ち込んでる」

「違いますー。友達が来てたからゼロじゃなかったですー」

「それは来てたと言うのか?」


 ジロリとマスターを見ると、慌てて目線を逸らして洗い物をし始める。人脈で読んだ人が来るのも才能の一つなんだから。


「それじゃあお酒で失敗したとか」

「先月ここでしてからは気をつけてますー」


 う〜、思い出したくないことを思い出してしまった。古賀さんに大迷惑をかけたのを思い出し・・・

 古賀さんを・・・

 古賀さん・・・


「はあああああああああぁぁぁぁぁぁぁ」

「ため息が伸びた」


 あの光景を思い出して負の吐息が漏れ出してしまう。

 ライブが終わって朝までどんちゃん騒ぎした日。いつもと違う人が多い駅で帰りの電車を待っていた時、ふと奥のホームを見ると


「え?古賀さん?」


 サンドキャッスルで見た顔とスーツ姿に、先ほどまで寝落ちしそうな頭が覚醒した。酔っていたから距離があるのを忘れて声をかけようとして


 隣の女性と話しながら歩く姿に気づいた。それも笑顔で。私しか知らないと思ってた笑顔で話す彼が目に入ってしまった。


「え?」


 冷や水を浴びせられた感覚。実際に浴びたことはないけれど、一瞬で高揚とした酔いが醒める冷たさが全身を襲う。遠くで固まる私に気づくそぶりもなく、健一さんは隣の女性と人混みの中に消えてしまった。

 あの時の光景が頭から離れない。ライブの成功失敗が気にならないほどに脳を掻き回されている感覚。何も手につかない。歌詞も書けない。


「あああぁぁぁあああ」

「こりゃ重症だな」


 お酒も進まずに突っ伏す中でただただ呻き声を上げることしかできない。遠くでドアが開いた音が聞こえた気がするけど、そんなことに意識を向けられない。


「ほら陽菜ちゃん、ワクチンが来るから元気出して」

「ワクチンってなんですか」

「そうですよ。私はいつ薬になったんですか」


 隣から聞こえた声が私の脳を揺らす。古いブリキのように動かなかった首が壊れる勢いで声のする方に駆動した。


「古賀さん!」

「よく来てくれた。暇なのかい?」

「二重人格なんです?前後の文脈狂ってますよ」


 あの日見た姿と同じ姿の古賀さんがいる。いつもは嬉しいはずなのに、どこかあの女性の姿がちらついてしまう。


「どうしたのさ。いつもの元気がないようだけど」

「えと、あの、その・・・」


 聞きたい。あの人とどんな関係なのか。付き合っているのか。ただの仕事仲間なのか。

 私のことをどう思っているのか。


「古賀さんって、あの……」

「うん?」

「古賀さんは、どんな人が好みなんですか?」

「いきなりな質問が来た」


 直球な質問はできず、だけど違う話題にできなかった私は、中途半端な質問で古賀さんの想いを聞こうとする。そんな情けない私に古賀さんは真面目に返してくれた。


「夢を追いかけるような人、かな」

「それはあの女の人も追いかけてるんですか?」

「あの女の人?」


 しまった、心に思ってたはずの言葉が出てしまった。


「女性と歩いたこと、最近ないはずだけどな?」

「非モテだ非モテ」

「うるせえ」

「で、でも朝たまたま見たと言いますか、古賀さんが出社する時に見たと言いますか」


 あああ、口が勝手に本音を出してしまう……どうしてもあの女を知りたいという私が口の主導権を握ってしまう。

 すると古賀さんはああ、と思い当たる節があるようなリアクションをする。


「会社の上司かな?朝の駅で見たのなら」


 会社の上司。それなら通勤で同じ電車に乗っていたこともわかる。でも、まだ心にある黒い霧が晴れない。


「朝は毎日会ってるんですか?」

「いや、その日が初めてだった。珍しいですねって話したくらいに」


 それでも気になってしまう。古賀さんはあの女の人をどう思っているのか。どうやって聞こうか・・・


「古賀さんはその人のこと好きなんですか?」


 あ


「え?」


 ああああああ!い、言ってしまった!!思った言葉がポロッと口から出てしまった!!私のバカ!バカバカバカ!!まだ心の準備が出来ていないのに!

これで古賀さんが好意を抱いてたら、片思いをしていたら……想像もしなくない未来が頭の中を駆け巡る。

 ああもういいや!だったらとことん聞いてしまおう!うん、そうしよう!心臓の鼓動が激しくなってきたけれど、覚悟を決めろ、私!

 そう決意した時、古賀さんは、ふへっ、と笑ってこう答えた。


「先輩を好き?俺が?ないないないない!絶対ない!」


 いささかオーバーリアクションに答える。だけど、本心を隠すような照れ隠しではなく、おどけるような感じで答えた。

視界がはっきりとしてきた。心臓の音も落ち着いてくる。ああ、良かった


「確かに顔整ってるだろうし、いいとこの出身らしいけど、俺はそんなに興味ないし!なにより」


 次の言葉で、私の心臓は止まりかける。


「君みたいな夢追いかける人が好きだし」


 一瞬思考が止まる。なんとか相槌だけは返そうと声帯をなんとかして開かせる。


「ほ、ほへ〜」


 こんなふうに返しはしたけど、内心はというと


(ほわあああああ!!ホント!?ホントに!?夢追いかける人!?私追いかけてるよ!ここで古賀さんに何度も言ってるし!!

もしかしてある!?ワンチャンある!?私とかありえちゃう!?ていうか、私以外ありえなくない!!?)


 こんな感じに舞い上がっていた。

 でもそうでしょ!?心配が杞憂だったどころか大大チャンスが巡ってきたんだから!!


「陽菜ちゃん、そんなに嬉しいのかい?」

「な、なあにがですか、マスター」

「もろ表情に出てるよ。表情筋ゆるゆるになってる」


 あああああ、こ、こんなに表情に出るなんて・・・

 で、でも!古賀さんも私のことを好きなら問題ないわけだし!もしかしなくても、そうかもしれないし!!

そんな私に古賀さんは優しい目で、どこか遠い目でぽつりとつぶやく。


「本当に、そっくりだ・・・アイツにそっくりだ」

「・・・あいつ?」


 思ってもない単語にスッと浮き足が地につき、今度は私が首を傾げる番となる。すると古賀さんはふぅーっと一息ついてから言葉を発した。


「居たんだよね。陽菜ちゃんとおんなじ、音楽で売れたいと頑張ってた娘が。ウチの常連で」

「ほえ〜」


 私と同じような人がいたのか。言い方からして女性っぽい。ちょっと興味が湧くのだけど、それを健一さんが言ってるのが少しモヤモヤする。


「健一と一番仲良かったよな」

「・・・ええ」

「その子は今どうしてるんです?」


 ぐっと体を傾けて距離感を縮める。それでも浮ついていたこともあり、何気なく聞いてみることに。

 そんな私に古賀さんは一言。



「死んだ」



「え」



 一瞬にして空気が凍る。私の頭も思考を停止させる。空間が固定されたかのような重さだけが辺りを包み込む。


「や、やだなぁ〜、古賀さん何を言ってるんで・・す・・・」


 なんとかして意見を述べようと口を開いたのだけど、最後まで言葉を発せられなかった。古賀さんの表情が嘘ではないことを嫌というほどに伝わってしまう。

 しかも、その表情は、友人を亡くしたというよりも・・・


「昔の話さ、ラッパーになりたいってここで夢見る娘がいてさ。この店に来ては俺に夢を語った。俺もそんな彼女を応援してたんだ。」

「・・・」

「でも彼女は死んだ。事故だった。MCバトルに向かう途中の交差点でトラックに轢かれて・・・俺が第一発見者だった」

「・・・」

「もし、あの日に戻れるのなら、彼女に言いたい・・・交差点には気をつけろよ、って」


 懺悔と取れるような言葉じりで古賀さんは俯いてしまう。


「古賀さんは」


 その中で、私の中の拭いきれない思いが質問になる。背中に一筋の汗がつたってくる。古賀さんはその人のことを・・・


「その子のことが、好きだったんですか?」

「・・・わからない」


 帰ってきたのは肯定でも否定でもない言葉。余計に混乱する私を他所に、古賀さんは言葉を絞り出す。


「彼女の歌が好きだった。それは事実だ。夢を応援していたことも。ただ、あの時の感情が恋愛だったのか、もう覚えていないんだ」

「古賀さん・・・」

「そんなことを思うのが辛くて・・・彼女の死を受け入れられなくて、俺は音楽から離れた。あんな思いはしたくないと。関係をリセットするように逃げたのさ」

「・・・」

「でも、願わくば・・・彼女の夢を、叶えたかった・・・」


 消え入りそうな声で古賀さんはこぶしを白くするほどに力を込める。もう叶えることができないことに、やるせなさが嫌というほど感じてしまう。

 私自身、今の感情が整理できないけど、重い沈黙を無くすために、止まっている頭をなんとか動かして今の考えを言葉にする。


「古賀さんは、彼女に何を夢みたんですか?」


 彼女に何を夢見たのか。CDの売り上げ何枚とか、レーベルを作るとか、もしくは武道館とか。


「……ワンマン」


 ぽつりとそうつぶやく。


「ワンマンライブを、ここでワンマンをやりたいってのが、彼女の夢だった。彼女だけのステージを見たかった。もう叶わない夢なのだけど」


 ワンマンライブ。ラッパーの夢の一つではあるけれど、やるにはある程度の知名度がないと大赤字になるライブ。この場所はそれほど広くないから場代は安く済みそうだけど、それでも集客は必要だ。

 その子の夢は、多分だけど道半ばの目標でもあったのだろう。古賀さんも本気で応援していたのだろう。

 今までにないほどに落ち込む姿。まるで生きていることに絶望しているかのような姿に思わず私は、


「その夢、私に預けてもらえませんか?」


 そんな言葉を口に出していた。今度は古賀さんが驚いた表情を見せる。そのまま思いの丈を口にする。


「私がその人の代わりにワンマンやります。いや、やらせてください」

「陽菜ちゃんが・・・?」

「ほ、ほら!私だって、私だけのワンマンやってみたいですし!アーティストなら夢の一つでもありますし!」


 本当は分かってる。古賀さんは彼女を忘れられないでいる。きっと、今でも彼女のことを想っている。

 そして、その姿を私に重ねていることも。私を通して彼女のことを見ていたことも。

 古賀さんは私を見てくれていないことも。全部分かってる。


「それに」


 それでも


「古賀さんのためになりたいです」


 不思議と悲しい気持ちは生まれてない。むしろ、好きになった人が落ち込む姿は見たくない。過去に囚われた古賀さんの時計の針を進めたい。代理でもいい。せめて彼女の代わりに、古賀さんのためにやりたいと思ったのは私の本心だ。


 こうして、私の初のワンマンライブが決まったのだった。


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