魔王の仔
ちょむくま
魔王の仔
空は静かだった。
音も、風も、光さえも、まるで時間が止まったように、全てが遠ざかっていた。
僕の目の前で、君は倒れていた。
血まみれの地面に、刀だけがまだ力を宿していた。
でも、それももう限界だった。
君の命と共に、その力も消えようとしていた。
僕は、ただ理由もなく立っていた。
ほとんど何もできなかった。
止められなかった。
「やっぱり、来ちゃだめだった……」
呟いた声は届かない。
君は、もう聞こえていない。
けど、きっと分かってたんだよね。
これが、自分の役割だってこと。
君は最後まで、戦った。
僕を守るために。
世界を守るために。
そして、誰よりも……自分自身と戦ってた。
君が落としたその刀に、僕は手を伸ばす。
重い。冷たい。
けど、あの日触れた君の手と、同じぬくもりがあった。
でも、もう君はいない。
それでもきっとどこかで、また会えると信じてる。
それが希望でも、呪いでも、なんでもいい。
君がいた、この世界を。
僕は、忘れない。
「んっ⋯⋯」
ゆっくりと目を開けた。
眩しさに思わずまた目を閉じた。木漏れ日が揺れていた。
見知らぬ森。見知らぬ空。
そして、見知らぬ痛み。
「……っ、どこだ……ここ……」
身体は重かった。
起き上がるだけで背中に鋭い痛みが走る。
服は土にまみれて腕には大きな切り傷。そして乾いた大量の血がこびりついていた。
まるで誰かに殺されかけた後のような倦怠感。
思考が、上手くまとまらない。
頭の奥が靄のように霞んでいて、自分が誰なのかも一瞬だけ曖昧になった。
不思議と恐怖はなかった。
それよりも先に出てきたのは、疑問だった。
(なんで……こんなところに?)
記憶を探ろうとする。だがそこには、穴が開いていた。
最後に何をしていたのか?どこから来たのか?最後に見た自分の顔さえも……。
そのとき、近くで地面を踏むがした。
反射的に素早く身を構えた。それは何故なのか自分でもわからない。
しかし、現れたのは1人の中年の男だった。
「おっ、生きとったか。よかったよかった」
男は穏やかな笑みを浮かべ、手にした籠を地面に置いた。
中には薬草のようなものが詰まっている。
どうやら村の人のようだった。服装は粗末。だけれど、丁寧に整えられていた。
「お前さん、道の真ん中に倒れててな。まるで空から落ちてきたみたいだったぜ。今朝、村の若ぇのが見つけてな。俺が連れてきたんだ」
言葉の意味がすぐには入ってこない。
だが、自分が倒れていたという部分には引っかかった。
やはり、何かがあった。
「村……?」
「おう、ここはラシェルの村ってとこだ。大陸の外れの小さな島だよ。ま、今じゃすっかり忘れ去られたような場所だがな。お前さん、もしかして記憶がないのかい?」
少しの沈黙の後、俺はゆっくりと頷いた。
男は深く息をつきながら、立ち上がった。
「まずはうちに来な。村長がいる。いろいろ話せると思うぜ。お前みたいなのが突然現れること、まあ、そうないからな」
ふらつく足を支えながら、男の後をついていった。
森を抜けると、木の家々が並ぶ小さな村が見えてきた。
子供たちが遊び、大人たちが家の修繕をしている。
時間の流れが、どこか緩やかだった。
まるで、世界の裏側に置き去りにされたような場所。
やがて一軒の大きな家の前に着いた。
男は扉を叩きながら、中に声をかける。
「村長、連れてきましたよ。例の子です」
中から出てきたのは、白髪に深い皺を刻んだ老人だった。
だがその目には鋭さが残っていた。
ただの老いではない。多くを見てきた者の目だった。
「……目を覚ましたか。何よりだ。よく生きていたものだな」
「……あんたが、村長?」
「ああ。名はエルバ。今はこの村の世話役をしておる。お前の名前は?」
少し間を置く。
喉まで何かが出かかった気がしたが、それが何なのか分からない。
結局、何も言えなかった。
「……覚えていない。全部が、霧の中みたいだ」
「……ふむ。そうか。まあ、無理もないな。お前が倒れていた場所は、昔から不吉な場所とされている。だが、助かったのならそれでいい。いずれ思い出すだろう」
エルバは机の引き出しから何かを取り出した。
小さな金属のペンダントだった。中央に黒い宝石が埋め込まれている。
「これは……お前の服に引っかかっていたものだ。何かの手がかりになるかもしれん。持っておけ」
受け取った瞬間、指先が微かに熱を持った。
だが、それが気のせいなのか、確信はなかった。
その夜、村の外れの小屋に用意されたベッドの上で、俺は何度も夢を見た。
闇に沈んだ空、裂ける大地、叫び声。
そして、誰かの手が、確かに俺を……引き上げていた。
(誰だ……?)
朝が来るのが、妙に怖かった。
朝の光は、静かに小屋の中へ差し込んでいた。
目覚めた時、昨夜の夢の記憶はもう薄れていたが、胸の奥の違和感だけは残っていた。
言葉にならない不安と、理由のない焦燥。
名前を思い出せないことよりも、その感情の正体が分からないことが、何よりも気がかりだった。
ドアがノックされた。
「起きてるか?」
エルバの声だった。
「……ああ」
答えると、ゆっくりと扉が開かれる。
「体の調子はどうだ」
「まあ、動けるくらいには」
エルバはひとつ頷いて、小さな袋を差し出してきた。
中には干した果実と、水の入った革袋。
「朝飯代わりにしてくれ。……今日は少し、話をしたい。外に出ようか」
村の外れにある広場。
そこは円形に切り開かれ、中央に古びた石の祠のようなものがあった。
エルバはその前に立つと、静かに目を閉じた。
「この島には、言い伝えがある。500年前、世界が一度終わった時、ほんのひと握りの者たちがこの地に逃げ込み、生き延びたと」
「世界が……終わった?」
「今、我々が知る文明は、実は2度目の歴史だ。古き時代は魔族という存在に焼かれ、人も大地もすべてが滅びた。だが、奇跡的に生き延びた者たちが、記憶を封じ、新たな時代を築いた。……それが、今のこの世界だ」
言っている意味が、どこか夢の中の話のようだった。
だが、村に流れる空気、そしてこの島の静けさは、どこか現実離れしている。
まるで、過去に時間が縛りつけられているような錯覚。
「……それと俺が、関係あると?」
「あるかもしれん」
エルバはそう言うと、俺の胸元を指差した。
ペンダントが、微かに光を放っていた。
「それはただの飾りではない。鍵だ。そしてお前は、その力に触れた。……お前自身が気づいていないだけで、内に何かを宿している」
「何か、って……なんなんだ」
「それを知るには、己の力と向き合うしかない。……山の奥に、1人の男が住んでいる。元は旅の武人だったが、今は隠遁し、己の術を研ぎ続けている。名は、ガルド」
「ガルド……」
「この島で異質な存在を見極められるのは、あの男だけだ。お前を見れば、何かが分かるだろう。行ってこい。準備は必要ない。ただ、気を抜くな。……あの男は、人を試すのが趣味でな」
エルバの言葉を背に、俺は再び森の中へ足を踏み入れた。
森は深く、道はほとんど獣道に近かった。
枝が顔に当たり、泥に足を取られながらも、黙々と歩を進めた。
やがて、獣避けのように木の杭が刺さった細道を抜けた先に、丸太で組まれた小屋が見えてきた。
その前に、斧を持った大柄な男が立っていた。
腕は太く、肩幅は異常に広い。
だが、ただの木こりには見えなかった。
身体の周りに、言葉では説明しづらい緊張感があった。
「……あんたが、ガルドか?」
男は斧を肩に担ぎ直し、こちらを見た。
その目は鋭く、まるで獣のように人を見る。
「エルバのガキか。ほう……生きてたんだな、お前」
「……前に会ったことがあるのか?」
「いや、違うな。だが、匂いがある。人のものじゃない」
「匂い?」
「混ざってる。人間の皮をかぶったそれ以外がな」
ぞくり、と背筋が冷たくなる。
だが、ガルドは構わず笑った。
「面白い。気に入った。教えてやるよ、ちっとばかし、自分の中身の見つけ方をな」
修行は、想像よりも苛烈だった。
武術でもなければ、魔法のような派手な技でもない。
まず教えられたのは、“感じる”ことだった。
森の音を聞き分ける。
風の流れを肌で読む。
獣の気配を捉える。
「力は、外にあるもんじゃねえ。中にある。それを引き出すには、まず自分が何を感じてるかを知ることだ」
最初の数日は、ただひたすらに座っていた。
目を閉じ、何もせず、ただ五感を研ぎ澄ませろと命じられた。
だが、そんなものが急にできるはずもなく、最初は全く分からなかった。
ある日、ガルドが一言つぶやいた。
「……お前、眠ってる時に喋ってるぞ。やめろ、あれは違うって」
「……」
「何を見てる?」
夢だ。
毎晩、俺は同じ夢を見ていた。
遠くから誰かの声がする。
「来い……こっちへ来い」
手を差し伸べるその影だけが、なぜかはっきりと見えなかったんだ。
(……誰なんだ、お前は)
ある晩、ふいにペンダントが強く熱を持った。
反射的にそれを握ると、頭の中に直接響くような声が流れ込んできた。
「お前は……まだ目覚めていない」
飛び起きた。
額には汗。胸は強く脈打っていた。
翌朝、その様子を見たガルドが言った。
「やっぱりな。お前の中には何かがある。……それは選ばれし血か、目覚める力か……いずれにせよ、普通じゃねえ。もう少し鍛えれば、輪郭が見えてくる」
「力、って……なんなんだ、俺は一体……」
「それを知りてぇなら、まず自分を鍛えろ。何者か知るには、まず何者でもない自分を掘り下げるしかねぇよ」
修行は続いた。
呼吸の鍛錬、剣の素振り、瞑想。
ただの肉体訓練ではなかった。
精神を叩き直す、そんな訓練だった。
だがその過程で、確かに何かが目覚め始めていた気がしてきていた。
視界の端に、誰もいないはずの影が見える。
夜の風が、何かの囁きを連れてくる。
聞こえるはずのない声が、耳元に触れる。
「お前は、ここじゃない何かに呼ばれている。……それを恐れるな。向き合え」
ガルドの言葉が、胸に刺さった。
(本当に、俺は……何者なんだ)
修行を始めて何日が経ったのか、正確な日数はもう分からなかった。
山の中では、時間というもの自体が歪んで感じる。
朝も夜も、空の色さえ、どこかなにかがおかしい。
だが、身体は確実に変わっていた。
最初は苦しかった呼吸法も、今では無意識にできる。
重たい木刀を振ることにも、次第に慣れてきた。
そんなある日のことだった。
「……よし。そろそろ次に進むか」
ガルドがそう呟き、物置小屋の奥から黒い布に包まれた細長い何かを取り出してきた。
「これをお前に預ける」
布を外した瞬間、空気が変わった。
冷えた風が一瞬、頬を撫でる。
目の前には、ひと振りの刀があった。
刀身は静かに黒く光っていた。
まるで呼吸をしているかのような、重たい空気感。
柄は深い赤。鍔には古びた意匠が彫り込まれ、時代がかった匂いが漂う。
「……これは?」
「名はない。少なくとも、俺の知る限り、誰にも名付けられていない」
「じゃあ、なんで俺に?」
「この刀を使えるのは、限られた何かを持つ者だけだ。……普通の人間なら、五振りもしないうちに気を失う」
冗談のように聞こえたが、ガルドの目は笑っていなかった。
「この刀は、その力だけに反応する。だからこそ、お前に持たせる。何が起きるか……見たいと思ってな」
静かに刀を受け取った。
ずしりとした重みが手のひらを通じて伝わる。だが、重さそのものは気にならなかった。
「振ってみろ」
言われるがまま、構える。
重心を下げ、肩に余計な力を入れず、ゆっくりと一振り。
ヒュン、という音と共に、空気が割れた気がした。
もう一振り。
そしてもう一度。
切っ先が見えないほどの速度で振る。
振るたびに、何かがの力が身体の奥から出てくるのが分かる。
気づけば、何十、何百と振り続けていた。
汗は流れているのに、疲労感がなかった。
ただ、振りたい。
もっと。深く。速く。正確に。
意味もなく、そう思えた。
ようやくガルドの、やめろの声が聞こえたのは、何度目の斬撃だったか。
「……すげえな、お前」
肩で息をしながら振り向くと、ガルドが腕を組んでこちらを見ていた。
「もう千は超えてる。しかも、顔色1つ変えてねえ。……やっぱりな。そうだったか」
「……何が?」
「お前の中には、受け継がれた力がある。だが、それだけじゃない。……この刀と通じ合ってる。まるで、最初からお前のために作られたみてぇにな」
ガルドは歩み寄り、刀をじっと見つめた。
「この刀、最初に手に入れたのは500年以上前だ。北の山脈の奥、誰も近づかねぇ祠の中に、布に包まれて置かれてた。まるで選ばれるのを待ってたみたいにな」
「それから何度か、使わせようとした。村の若ぇ奴らにも試させた。だが、誰も3回も振れなかった。まともに持つことすらできなかった奴もいた」
ガルドの声に、どこか哀しみの色が混じる。
「刀の方が、使い手を選ぶ。……そういうのは、物語の中だけの話だと思ってた。だが、現実にもあるらしい」
「この刀……何なんだ?」
「分からねえ。鍛えたのが誰なのかも、素材が何なのかも。ただ、あの祠には封じの印が刻まれていた。つまり、これはただの刀じゃない」
振り返ると、確かに柄の根元に、奇妙な紋様が浮かんでいた。
まるで、無数の文字が絡まり合っているような……どこか“呪い”に近い気配。
「……それを平然と千回も振れる奴なんて、聞いたことがねえ。……つまりお前は、選ばれちまったんだよ」
選ばれた。
そう言われても、実感はなかった。
だが、胸の奥が妙に熱く、ざわめいていた。
(俺は……何なんだ。どこから来て、なぜここにいる?)
名も、過去も、記憶も曖昧なまま。
だが、手の中には確かに、存在理由のようなものだけがあった。
「この刀、お前が持ってろ。もう誰にも、使いこなせやしねえ」
ガルドはそう言って、背中を向けた。
「だが気をつけろよ。そいつは力をくれるが、同時に代償もある。もし、心が揺らげば……お前自身が、そいつに呑まれる」
その言葉を背に、俺は刀を鞘に納めた。
金属音が、体の奥まで響いた。
山を降りる頃には、空の色が黒色になり始めていた。
霧が濃く、まるで世界全体が言葉を失っているような静けさだった。
だが、その静けさはもう心地よいとは思えなかった。
腰には、あの刀。
名もなく、正体も分からない。けれど確かに、存在を主張してくる。
「力が欲しいなら……応えよう」
そんな言葉が、時おり頭の中に浮かんでくる。
まるで刀が、こちらに話しかけているかのように。
(……幻聴か?)
いや、違う。
これは何かと繋がっている感覚だった。
「お前は、誰なんだ……」
自問しても、やはり答えは返ってこなかった。
村に戻ると、エルバが一通の封書を手渡してきた。
茶色い紙に、黒インクで小さく名前が書かれていた。
「ゼク・ロア」
「彼は、元・魔族側の研究者だ。今は人間の社会に紛れ、過去の遺物を調べて生きている。……その刀についても、長年独自に調べていたらしい」
「魔族……だったのか?」
「そうだ。かつて魔界の門が開いた時、人の心を持つ魔族も少なからず存在した。彼はその1人。今は……まあ、穏やかに暮らしてると聞いている」
「都市にいるのか」
「中心街の外れ、古びたアパートに住んでいる。人を避けるような場所だ。だが、話せば応じてくれるはずだ」
俺は短く頷き、最低限の荷物だけを背負った。
中心街に入った瞬間、空気が変わった。
山や村の湿った空気とは違い、ここには鉄などの匂いが立ち込めていた。
都市と呼ぶには規模は小さいが、建物の密集やせわしない足音、誰もが他人に目を合わせない空気。
それらすべてが、俺には冷たく感じられた。
地図に示された場所は、街の端にあるアパートだった。
路地裏に入り、看板も出ていない三階建ての建物を見つける。
その二階、端の部屋にだけ、うっすらと「ゼク」という文字が貼られていた。
ノックした。
「来たな」
返事は一言。それも扉の向こうから、まるで予想していたかのような口調。
開いた扉の先にいたのは、痩せた青年だった。
灰色の髪に、乾いた目。人間とも、魔族ともつかない、妙な中性的な雰囲気が纏っている。
「……ゼク・ロアか」
「そうだ。入れ」
部屋の中は、まるで図書館と研究所の合い子だった。
壁一面に魔法記号と古代語が書かれた紙、山積みの分厚い本、ところどころに黒焦げた魔族の骨や装飾品が並ぶ。
「気にするな。全部過去の遺物だ。」
ゼクは薄く笑って、椅子に腰をかけた。
「じゃあ、用件を言ってもらおうか。封鋼の刃のこと、そして……お前自身のことについて、だな?」
「……知ってるのか」
「ああ。ここに来ることもな。そういう流れだ」
「……流れ?」
「俺は視えるんだ。ほんの一部だけな。線のように未来が流れていくのが見える。断片的に歪んだ映像のように。……それでも、お前がここに来ることは、もうずっと前から見えていた」
ゼクは立ち上がり、部屋の隅から一冊のノートを取り出してきた。
それを開くと、そこには黒いインクで何十もの日付が書き込まれていた。
「これは、俺が見た未来の記録。数年分だ。そして……その中に、お前がいた」
ゼクはページをめくり、1枚の紙を示した。
そこにはこう書かれていた。
2030年、封鋼の刃の使い手、現る。
名は不明。
覚醒の兆しあり。
同年、魔族との最終戦争勃発。
だがその戦争の終盤、彼は命を落とす。
刃は消失。世界は沈黙。
「……何だ、これ」
「未来の断片だ。見えてるだけだ。確定じゃない。だが……今までこの記録が外れたことは、一度もない」
喉が渇いた。
手が自然に刀の柄に触れる。だが、それもまた冷たい。
「封鋼の刃……これは何なんだ。俺は、なぜ……」
「封鋼は、均衡のための刃だ。正義でも、悪でもない。ただ、世界を保つために斬る。斬るべきものを。……かつて魔王に仕えていた一人の剣士が、己の命と引き換えに打ち鍛えた刀。それが、500年前に封印された」
ゼクは言葉を区切る。
「だが、彼は死ななかった。正確には、死ねなかった。……魂が、どこかに残った。次の器に宿るためにな」
「俺が……その器ってことか」
「その可能性が高い。姿も、記憶も変わっていても、本質は引き継がれるもの。……だから、お前だけがあの刀を振れる」
「じゃあ、その本質が俺を……戦争に巻き込む?」
「巻き込む?それは違う。お前が、その戦争を終わらせるんだ。命を代償にしてな」
胸が重くなる。
何も知らずにここまで来たのに、いつの間にか世界の中心に立たされていた。
「選べないのか、これは」
「……選べるさ。ただし、代償は変わらない。何を選んでも、お前の命は戦場で消える」
「ふざけんな……俺は、何も覚えてない。何も望んでない。なのに、ただ斬って、死ねってか?」
ゼクは冷静にこちらを見ていた。
その目には同情も、憐れみもなかった。ただ、事実を見届ける者の静かな眼差し。
「なあ、知ってるか。未来を視るってのは、呪いなんだ」
ゼクは小さな声で言った。
「俺は、お前がどうあがいても死ぬ姿を視ている。だが、それを止める力は持っていない。……俺は観測者だ。運命を語ることしかできない」
「それでも、お前は来た。予言通りに、ここに立ってる」
「……だから何だ。俺は……生きていたいだけだ」
「なら、抗え。生き延びてみせろ。……予言に逆らってみせろ。俺はそれを見てみたい」
ゼクの口元が、かすかに歪んだ。
「もし、未来が変わるとすればそれは、絶望を知った者だけだ」
この世界の何処かにあると言われている謎の島は、公式な地図にすら載っていない。
海に囲まれたその場所は、かつて魔界との境界が開いた地だと言われていた。
ゼクが最後に手渡してきた古地図には、確かにその座標が記されていた。
「そこには、もう誰もいない。だが、何かは今も残っている」
「お前が進む道の先に、それは不可避だ。……遅かれ早かれ、辿り着く運命だよ」
ゼクは最後にそう言い残していた。
小さな漁船を雇い、夜明けとともに出航する。
波は静かで、空は鈍い灰色に曇っていた。
航行することおよそ3時間。
視界の端に、うっすらと陸地が見えてくる。
「……あれが、謎の島か」
地図では接近禁止区域とだけ記されていた。
戦後すぐに、政府が完全封鎖した島。
だが、今は監視も警戒も存在しない。ただの放棄された場所。
船は浜辺に着き、足を地に下ろす。
潮の匂いに混じって、どこか鉄錆びたような空気が鼻をかすめた。
島は思った以上に広かった。
海岸線から丘を登っていくと、すぐに町並みが現れる。
だが、それは町と呼べるものではなかった。
崩れた家屋、傾いた電柱、草に覆われた道。
それでも一部には建物の原型が残っていた。看板にはかつての店名、銀行、学校、雑貨屋……。
人の生活の痕跡が、朽ち果てる寸前の姿でそこにある。
「……まるで、時間が止まったようだ」
歩くほどに、静けさが重くのしかかってくる。
遠くに見えるのは、巨大な監獄施設。鉄格子の塔と、崩れかけた石壁。
その奥には、白い灯台がぽつんと立っていた。
まるで誰かを導くためではなく、閉じ込めるための光のように見えた。
探索は数時間に及んだ。
建物の中には何も残っていない。
ただ、書きかけの手紙や、歪んだ日記帳、風で飛ばされた写真が転がっている。
どれも、500年前に何かがあって、それっきり誰も戻らなかったという証だった。
(ここで……魔界との門が開いたのか?)
誰もいないはずの島で、ふと気配を感じたのは、夕暮れが始まる頃だった。
灯台の近くにある、石造りの広場。
その一角、崩れかけた噴水の縁に、誰かがいた。
子供だった。
小さな背中が、静かに座っていた。
こちらに気づく気配はない。風も音も、まるで彼を避けているかのようだった。
「……おい」
声をかける。
子供は動かない。
それどころか、まるで最初からそこにいるべき存在のような静けさで、ただ座っていた。
ゆっくりと近づく。
年齢は10歳前後に見える。
痩せていて、肌はどこか透き通るように白い。
「お前……何してる。ここに、誰かいるのか?」
沈黙。
だが、その沈黙の奥に謎の気配があった。
こちらを見ていなくても、まるでこちらの内側を覗いているような。そんな違和感。
次の瞬間、子供はぽつりと呟いた。
「君、見たことある気がする」
「……俺を?」
子供は顔を上げた。
瞳が、赤かった。
燃えるような赤ではない。
深く、冷たい、魔の色だった。
「ここで君と会うの、3回目だ」
「は?」
「でも、今回は違う。前と違って……君は、まだ壊れてない」
その言葉が意味するものは、理解できなかった。
だが、胸の奥がざわついていた。
まるで、覚えていない何かが、彼の言葉で呼び起こされたように。
「お前……名前は?」
「……ないよ。誰もつけてくれなかった。魔王の子なんて呼ばれても、ぼくはただ、ここで待ってるだけだったから」
「魔王……の、子?」
子供は頷いた。
「うん。でも、それが何なのか、僕もよく分からない。ただ……みんな、僕を怖がって離れていった」
その表情に、感情はほとんどなかった。
だがその声には、深い孤独が滲んでいた。
この子は、ずっとここに座っていた。
誰もいない島で、誰にも知られずに。
500年前からか。あるいは、もっと前から。
(……この子が、魔王の子?)
目の前にいるのは、ただの少年にしか見えなかった。
だが、刀の中の気配がざわついていた。
まるで、同族の存在を感じ取っているかのように。
「ねえ、君……名前はあるの?」
「……いや、ない。俺も、記憶が曖昧でな。ここに来た理由すら、最近まで分かってなかった」
少年はふっと笑った。
「そう。なら、おあいこだね」
そう言って、初めてこちらに手を伸ばしてきた。
「また……会えてよかった」
触れた手は、あたたかかった。
風が止んでいた。
時間さえも隠れてしまったような、静けさが灯台の周りを包んでいた。
あの少年⋯⋯いや、魔王の仔は、静かにこちらを見ていた。
瞳の奥に、恐ろしいほど何かを抱えて。
それは年齢に似合わない目だった。
「……君、やっぱり変わってない」
少年がぽつりと呟いた。
「俺を……知ってるのか」
問いかけに、少年は首をかしげるように小さくうなずいた。
「たぶんね。……というより、知ってたんだ。昔の君を」
その言葉に、心臓が微かに疼いた。
「昔……って、いつの話だ?」
「500年前。……僕が生まれた頃」
空気が凍った気がした。
ただの比喩じゃない。本当に、温度が数度下がったような錯覚。
「そのとき、君は魔王って呼ばれていた。でも、本当は魔族でも人間でもなかった。ただ、すごく強くて優しかった」
優しかった、という言葉が意外だった。
魔王が優しい?
自分が?
「……俺は、そんな存在だったのか」
「うん。君は橋になろうとしてた。魔族と人間が殺し合わない世界を作ろうとしてた。……でも、うまくいかなかった」
少年は立ち上がり、灯台のふもとの古い石碑に手を触れた。
そこにはびっしりと古代語が彫られている。雨水に濡れ、読み取るのは難しい。
「この島は……君が最後に立ってた場所だよ。君が、魔界との門を閉じようとしてボロボロになって、ここで倒れた」
喉の奥が熱くなった。
意味のわからない感情が、胸の中で暴れ出す。
なにか、大事なものを……忘れてる。
「助けたのは、僕。君が僕を助けてくれたから」
「……!」
「君が死にかけてたとき、僕は子供だった。まだ、自分が何者かも知らなかった。でも、あのときの君は……僕の手を取って、笑ってくれたんだ」
少年は言葉を止め、こちらをまっすぐに見つめた。
「だから……僕は、君を助けた。500年後の今、ここで」
「……あのとき、俺が君を?」
記憶は、ない。
けれど確かに心の奥が共鳴している。
頭がズキッ!と痛んだ。
視界が歪む。
何かが流れ込んでくる。
視界が黒く染まり、次の瞬間、世界が反転した。
気づけば、そこは戦場だった。
焼け焦げた大地。
剣を振るう者たちと、叫ぶ魔族たち。
そして、その中心に自分が立っていた。
かつての自分は、深紅のマントを翻しながら、ただ1人で魔族たちを前に立ちはだかっていた。
その姿は、まるで……。
「魔王……」
自分の口から漏れたその言葉に、幻の中の彼が振り向いた。
確かにそれは、自分自身だった。
けれど、今の自分よりもずっと強く、どこか疲れていた。
その目は、すべてを諦めた者のような静けさをたたえていた。
そして、少年、魔王の仔がその男の後ろに立っていた。
怯えた顔で、必死に手を伸ばそうとしている。
でも、届かない。声も届かない。
やがて幻の中の自分は、静かに口を動かした。
「この世界がまた壊れるならせめて、橋となれ」
その瞬間、世界は白く弾け、幻は終わった。
現実に戻ると、灯台の周囲には夕暮れが差し込んでいた。
少年がそっと言った。
「……思い出した?」
「……ああ。少しだけ、な」
「じゃあ、きっともうすぐだね。君がどこに行くか、もう分かってるんでしょ?」
「……ああ。あの門がまた開こうとしてる。そして、俺はまた、それを止めに行く」
少年は何も言わなかった。
ただ、どこか寂しそうに笑った。
「お願い、今回は……」
その声は、かすかに震えていた。
「お願いだから、今回はちゃんと、生きて帰ってきてよ」
「……あぁ」
村に戻る途中の突然の違和感。
一歩進んだ瞬間、足が止まる。
空気が変わった。
それは直感に近かった。
昼間の森とは思えないほど、木々が黒く、影が濃い。
耳の奥に、小さなうなり声のようなものが響いていた。
いや、違う。これは……呼吸の音。
「……いるな」
体が反応していた。
腰の刀が、まだ鞘にあるにもかかわらず、うっすらと震えている。
生き物のように、獲物の存在を感じている。
ぬるり、と木の影から現れたそれは、四足の獣だった。
だが、ただの獣ではない。
その体は黒い霧のようなものに包まれ、
毛皮の中からは赤い筋が脈打つように浮かび上がっている。
目は……3つあった。
真正面に1つ、側頭部に2つ。全て真っ赤に輝いている。
魔族。
それも獣型の異形種。
「……来るか」
一瞬の静寂。
次の瞬間、地面が抉れた。
魔族は低く構えたまま、音もなく突進してきた。
その速さは人間の目では追えない。
だが、体が勝手に動く。
刀を抜く。
カッと空気を切り裂く音。
一閃。
だが、魔族は読んでいた。
後ろ足で跳ね、主人公の斬撃をかすめて宙に舞い、回りながら背後へ回り込む。
「っ……!」
間に合わない。
と思った瞬間、刀が再び動いた。
意識よりも速く、腕が反応していた。
背後からの爪撃を、鍔元で受け止める。
重い衝撃。
腕に痛みが走る。
一歩、二歩と下がりながら距離を取る。
「強ぇな、お前」
魔族は答えない。
だが、その口元にわずかに笑みのようなものが浮かんだ気がした。
呼吸を整える。
この一体、明らかにただの下級じゃない。
人語は話さずとも、戦いを楽しんでいる。
知性のある魔族……いや、半魔型か?
「……ちょうどいい」
今の自分が、どこまで通じるのか。
さっきの島で見た過去、あれが本当なら、俺はかつて戦場を駆けた存在。
なら……その感覚がまだ残っているはずだ。
「来い」
魔族が動いた。
今度はジグザグに地を這いながら接近してくる。
目が3つあるから奴は死角を持たない。
なら……逆にその余裕を利用する。
一歩踏み込み、真正面から迎え撃つ構え。
魔族が飛びかかる瞬間、足元の石を軽く蹴り上げた。
「今だ」
砂が宙を舞う。
一瞬、3つの目がそれを追う。
その隙を、見逃さなかった。
斜めから刃を滑り込ませるように振るう。
斬撃ではないく削ぐような。
ザクッ、と重い手応え。
魔族の肩口から脇腹にかけて、深々と裂けた。
黒い霧と血が噴き出し、奴の動きが止まる。
すかさず後ろへ跳び、構えを解かない。
「……倒せたか?」
だが違った。
裂けた身体から、再び黒い霧が溢れ出す。
そして、その傷口がゆっくりと閉じ始める。
再生能力。しかも尋常じゃない。
半魔どころか、上位体かもしれない。
「チッ……」
息を整える時間すら与えず、再び奴が突っ込んできた。
だが今度は、その速さに目が追いついている。
完全には避けきれない。
でも、受ける場所なら選べる。
主人公は左肩を犠牲にし、爪撃を滑らせたまま踏み込む。
「!!」
力任せにぶつかる。
刃ではなく、拳で腹部を打ち抜く。
魔族の体がぐらついたその瞬間、刀を真上から振り下ろす。
ドゴッ……という鈍い音と共に、刀が奴の胸元を貫いた。
霧が、ゆっくりと晴れていく。
魔族は喉を鳴らして崩れ落ちた。
黒い血が地面を濡らし、刃がほんのりと赤く光っていた。
主人公は刀をゆっくりと鞘に収めた。
その瞬間、刀から低く、満足そうな音が響いた気がした。
「……俺は、誰だったんだ。あんな戦い、いつの間に……」
かつての自分。
本能。
この刀。
すべてがまだ覚えている。
だが、記憶だけが、まだ遠い。
「俺は……これから、また戦場へ戻るのか」
呟きながら、血の付いた肩を押さえたまま、森の奥へと歩き出す。
村に戻る道すがら、朝の光が木の間から差し込み、足元には木漏れ日が踊っていた。
息は弾んでいたけれど、剣の重みを感じながらも、ふらつくことはなかった。
肩にはまだ痛みが残るけれど、それすら、誇らしさの余韻に変わっているようだった。
そして、村の輪郭が見えてくると、心臓が急に高鳴った。あの静謐な日々をともに過ごした人たちが、今の自分をどう迎えてくれるのか?それを想像するだけで、胸の奥に熱が広がる。
石畳の広場に足を踏み入れた瞬間、子どもたちの歓声と、主婦たちの驚きの声が一斉に溢れ出した。
「戻ってきたのか?!」
「ほんとうに生きて帰ってきた!」
震えるほどの温かさが、空気を満たしている。その声には、言葉を超えたありがとうやここで待っていたという感情が混じっていた。
自分が倒れていたあの道の真ん中で見つけられた苦悶が、こんなにも人の心に影響を与えていたなんてその事実に、胸がぎゅっと締め付けられたようだった。
男たちが駆け寄り、肩に手を置き、一瞬にして体が浮き上がるようだった。女たちは目に涙を溜めながら、その顔を覗きこむ。自分はただ笑って、「みんな」とただひと言。すると、歓声が一際大きくなる。
まるで花が開くように、子どもたちが主人公のまわりを跳ね回る。ある子は首に抱きつき、ある子は手を引かれたまま笑顔を振りまく。そこにいる全員が、自分の帰還を信じて待っていてくれたのだ。
そうして、緩やかな拍手の渦が巻き上がると、奥からじっとこちらを見つめる人物が現れた。村長、エルバだった。
「よく……帰ってきてくれたな」
声は低く、震えていたようにも聞こえた。その言葉には、何か重たく、深いやっと安心したという感情が混じっていた。
「……無事でした。……ありがとうございます」
主人公の声はかすかで、震え、だけど強かった。エルバは近づいて、そっと額に手を置いた。
「痛かったろう。……でも、生きていてくれた。それだけで、どれだけ救われたか、分からん。ありがとう、本当に」
言葉は途切れ、村長は目を逸らした。声に込められた思いは、老人の魂の深みから発せられたものだった。その横顔を見るだけで、自分の存在が、みんなにとって意味のあるものだったと実感できた。
わずかに沈黙が流れた後、エルバは静かに言った。
「今日は休んでくれ。夜になれば、みんな集まって祝おう。お前の話を、誰もが聞きたがっている」
その言葉に、丸太のベンチを用意されて座った。心臓はまだ速く打っていたけれど、体は少しずつ戻ってくる感覚だった。
「お前は……あの獣を……あの魔物を……?」
瞳に光を取り戻しつつ、自分が戦って、勝ったという事実を証明するために、手を拳にした。
「ええ……倒しました。……剣で」
すると、村人たちからため息交じりの驚嘆が漏れた。「剣で……本当に?」という声もいくつかあった。
「……本当に強かった。けど……もう大丈夫です。みんなの村は守られたままです」
その瞬間、隣にいた若者が息をのんで言った。
「ありがとう……もう、安心して暮らせそうだ」
村長がそっと僕の手を取った。握られた瞬間、少しだけ力がこもった。
「よくやった。ほんとうによく頑張った。……明日になれば、みんなと祝宴を開こう。酒はないから果実だけど、今夜はそれで十分だ」
それを聞いて、あちこちから笑い声がこぼれる。自分がいるこの場所が、何よりも尊いと思えた。
少しして、主人公は立ち上がり、村人たちに向かって頭を下げた。ひとりひとりと目を合わせ、ありがとうの言葉を繰り返しながらゆっくり歩いた。その重みが、胸の奥に温かな印として刻まれた。
最後に、村長と向かい合った。
「村長、村のみんな……ありがとう。本当に」
村長は一瞬目を細め、そして柔らかく微笑んだ。
「これでいいんだ。……これから、また一緒に生きていこう。だが、お前の旅はまだ終わっちゃいない。きっと、もっと危うくて、美しい未来が……、待っていると思うぞ」
その言葉に、胸の後ろ側がじんわりと温かくなる。これから待つ旅、そのすべてを、受け入れられるような気がしていた。
俺は夜明け前の村を出た。
まだ空には星がちらついてて、焚き火の残り香がほんのり鼻に残ってた。
村長や誰かと話したかったかもしれないけど、胸の中がざわついて、それを言葉にするのが怖かった。だから、1人で船に乗って、あの島へ向かったんだ。
霧が海面を覆ってて、視界はほとんどなかった。
だけど、海の揺れと木の板のきしむ音、それから水に揺れる灯りのぼやけた光が、妙に心強かった。
俺の鼓動が高鳴る。もう一度、あの島に立つ。だけど、前とは違う。
島に近づくにつれて、空気が変わっていった。
潮の匂いのあとに、鉄のにおいとか、まるで遠い記憶の奥にあった匂いが混じってた。
霧の向こうにぼんやりと、朽ちた建物の影。廃墟の町のかたちを思い出した。
浜辺に降り立つ。
砂はひんやりしてて、足の裏に伝わってくる細かさが。そうだ、あの日と同じだった。
静けさが重い。まるで、島全体が俺を待っていたみたいだった。
俺はそっと歩き出した。
瓦礫の山のを進む。あの灯台のほうへ向かうと、夕方に座っていた少年の場所が目に入ってきた。
ただ、今回はそこに誰もいない。だけど、彼がいたときの空気がまだ残ってる気がした。
あの子は、何者だったのか。
魔王の子、って言葉だけじゃ、俺のなかの何かを言い表せない。
ただ、あのとき、俺の中にあった光を、思い出させてくれた。
息を整えながら、俺は地図にある荒れた建物の跡へ来た。
かつては銀行か、学校か、名前がかすれて読めない。だけど、建物のかたちは、ここで人が暮らしていたことの証だった。
壁に残る古びた文字に気づいた。
彫られた文字はすっかり擦れてる。だけど、黒い石みたいに凍りついたくぼみが、言葉を語っているようだった。
手をかざすと、ひんやり冷たかった。でも、どこか……胸の奥がちくりと痛んだ。
(ここに、あの門があったんだ)
心の中で声がした。思い出したような、でも忘れてたような感覚。
この島の中心に、その門はあった。閉じようとして、叫んで、壊れて、倒れた場所。
俺は小さく息をついた。
それから、空を見上げた。霧の切れ間から、光が差していた。
まるで、俺が戻ってくるのを、待っていたみたいに。
そこで、俺は決めた。
もう一度、あの場所に行こう。門がまた開こうとしているのなら、俺は今度こそ……自分の答えを、形にしよう、そう思った。
門の前に立ったとき、俺は、時間の外にいるような感覚に包まれた。
風は吹いてないのに、空気が流れてる。耳の奥で、ざわざわと何者かの声がしてた。
まるで、過去の誰かたちがここで叫んだりしていたみたいに。
門は黒かった。けれどただの黒じゃない。吸い込まれそうな色。
鉄でもない、何かもっと、生きてるものに近い……そんな感触。
俺の指先が、ほんの少し触れたとたんだった。
ズンッと、心臓の奥が引っ張られるようにして、世界が裏返った。
気づいたとき、俺はもうそこに立っていた。
向こう側に。魔界に。
空は赤に近い灰色で、雲が逆さに流れてた。
地面はひび割れて、溶岩のような光が下から漏れてる。だけど、熱くない。冷たいのに、燃えてるみたいだった。
風景全体が、悲鳴みたいだった。
建物……いや、建物のようなものが、空に向かって曲がって伸びていて、
その隙間に、何かが蠢いていた。目か、口か、それとも他の魔族か。
俺は一歩踏み出した。怖かった。だけど目が離せなかった。
奥のほうに、巨大な像が立っていた。
それは、鎧をまとったような影で、目の部分が青白く光っていた。動かないのに、見られてる気がした。
近くにいた小さな影たち、人の形をしてるのに、どこかおかしい。
手が多すぎたり、笑ってる口が裂けすぎてたり。
そのうちの一体が、ふいに俺の方を見た。
目が合った。
そいつは首をかしげた。まるで「なんでお前がここに?」
とでも言いたげに。
その瞬間だった。
ズワッと空気が揺れて、俺の身体が引っ張られた。
影たちの視線が一斉に俺に集まる。像の目が、わずかに光を強くした。
そして、耳の奥に誰かの声が響いた。
(まだ……早い)
視界がぐらりと傾いて、足元が崩れる。
そして。
俺は、現世に戻ってきていた。
膝から崩れ落ちた感触。息が荒い。心臓がうるさいに鳴ってる。
周りには誰もいない。ただ、夜明け前の空と、潮の匂い。
でも、身体の奥がまだざわついてた。
確かに、あれを見た。感じた。あの世界の存在を。
俺は、手のひらを見た。指先が、まだ少し黒く染まっているように見えた。
それは、警告かもしれない。
でも、俺の心のどこかには確かに、あの中にある何かが、俺を呼んでいた。
終わってない。
そんな気がしてならなかった。
あの日、俺はひとりで、あの門の前に立っていた。
村の奥地、誰も近づかない崖の先。そこにそれはあった。
黒く、ねじれた空間。
空気は重く、冷たく、音が吸い込まれていくような静けさ。
あのとき感じたのは、興味じゃなかった。
怖さでもなかった。
ただ、呼ばれた気がしたんだ。中から、誰かに。
「……1回だけ、見るだけ」
そう言い聞かせて、俺は一歩踏み込んだ。
世界が、ひっくり返った。
地面はねじれ、空は赤黒く染まっていた。
木々はまるで苦しんでいるようにうねり、どこからか、叫び声のような風が吹いた。
「――ここが……魔界……?」
地面の下から、何かが這い出してくる音がした。
見れば、影のようなものが蠢き、形を変えてはまた崩れていく。
一歩、また一歩進むたびに、身体が重くなる。
目が、焼けるように痛むのに、俺はなぜか目を逸らせなかった。
奥に、何かがいる。
その存在に気づいた瞬間、
背筋を凍らせる視線を感じた。
「……見てる、のか……?」
そこにいたのは、人じゃなかった。
人型をしているけど、違った。
腕が多すぎたし、顔が……いや、顔の数がおかしかった。
そして、そいつは俺に向かって、
にやりと笑った。
「ッ!」
瞬間、世界が弾け飛んだ。
光も、音も、何もかもが反転して、俺の身体が宙に浮く。
息ができなかった。
心臓が止まったように、何も感じなくなった。
いや、止まったんじゃない。止められたんだ、きっと。
そいつは、何も言わず、ただ目で語ってきた。
「また、会おう」
……次に目を開けたとき、俺は、村の神殿の前に倒れていた。
村長や、仲間たちが俺を囲んでいた。
みんな、泣いていた。
「よかった……生きてた、俺たち、もうダメかと……!」
「心臓、止まってたんだぞ……!」
そう言われても、俺の中は妙に静かだった。
鼓動がゆっくりと戻るその瞬間、
あいつの顔が、頭から離れなかった。
……俺は、死んでいた。
たしかに、あのとき一度、死んだんだ。
だけど、戻された。
なぜか。
そして俺は、もう分かっていた。
あの存在は、ただの魔物じゃない。
魔王あれが、魔界の主だ。
そして、もっと恐ろしいことに気づいた。
……俺の中に、今もあの視線が残っている。
まるで、見られているみたいに。
いや、違う。
もう、内側にいるんだ。魔、そのものが。
俺は、生き返ったんじゃない。
こっちに戻されただけだ。
俺は、もう人間じゃないのかもしれない、そう思った。
村に戻ってきてから、毎日がにぎやかだった。
村人たちは俺を見れば笑顔になるし、子どもたちは駆け寄ってきた。
「本当にありがとう! 命の恩人だよ!」
「もう、怪我とかしてない? 無理しないでね!」
みんな、俺のことを英雄みたいに扱ってくれた。
村長からは感謝の言葉をもらい、仲間たちは肩を叩いてくる。
だけど、俺の中ではなにかが違った。
最初は、ただの疲れだと思ってた。
たしかに、あの門を越えてから、体にずっと重さがある。
夜眠っても、夢の中でずっと誰かに呼ばれてるような感覚が消えない。
いや、呼ばれてるっていうより……
引っ張られてる。
どこか、奥へ。
そしてある日、俺は自分にこう問いかけてた。
「……俺って、こんなやつだったか?」
昔だったら、子どもたちがはしゃいでたら、自然に笑ってた。
でも今は、作り笑いしかできない。
仲間がふざけて肩を叩いてきても、
その手を払いのけたくなる衝動が走る。
「触るな……」
って、心で思ってる自分に気づいてゾッとした。
それだけじゃない。
動物たちが、俺を見ると逃げるようになった。
犬が吠え、猫が毛を逆立てる。
鳥たちは近づかなくなり、畑の農夫が俺と目を合わせるのを避ける。
おかしい。
俺は何もしてないのに。
でも、たしかに、変わってきてる。
体温は少しずつ下がり、
鏡を見ると、目の奥の光が濁って見えた。
まるで、何かが、俺の中で目を覚ましかけてるみたいに。
そんな中、ひとりだけ、気づいたやつがいた。
この村での初めての同い年で一緒に育ったのカナだ。
「あんたさ、最近……なんかおかしいよ」
「……は?」
「笑い方とか、目とか。……前みたいなあんたじゃない」
俺は否定した。
けど、その瞬間、心の中にあの声が響いた。
「殺せ」
一瞬、カナの首元がはっきり見えた。
動脈の場所も、心臓の鼓動も、全部わかった。
手を伸ばせば、簡単に。
「……あ、ああ、俺……ごめん、ちょっと眠れてなくて」
カナがこっちを見たけど、それ以上は追及しなかった。
俺はその場から逃げるように立ち去った。
……ダメだ。
俺の中に、誰かがいる。
俺の中の俺じゃない何かが、静かに、確実に目を覚まし始めてる。
夜、独りになるときが一番怖い。
目を閉じると、あの赤黒い空が浮かぶ。
耳を澄ませば、あの魔王の声が聞こえる。
「おまえは、選ばれた。おまえは、こちらの者だ」
俺は叫んだ。
頭を抱えて、何度も何度も、自分の心を否定した。
「違う……俺は……人間だ……!」
けど、その言葉に答えるように、心臓が脈打つ。
ドクン、ドクン……
晩、村の外れにある監視塔から、急報が届いた。
「北の山脈で、不審な光と音が観測された」
しかもそれは、一夜だけじゃなかった。
数日続けて、夜になると同じ方向から普通ではない風が吹き、地面が震えた。
俺は、村長に呼ばれた。
「……あの山には、昔から誰も近づかん。だがな、どうやら目覚めてきたらしい」
「目覚めてきた?」
「これはな、ワシの爺ちゃんの話だ。昔、この地で戦いがあった。人間と、魔族と呼ばれるものたちの戦争じゃ。そのとき、奴らの一部がこの世界にも潜ったそうだ。……姿を変え、深く地球の底へ」
俺は言葉を失った。
魔族が……こっちにも?
「そのときの封印が、いま、緩んでいる。お前が魔界の門に触れてしまったせいかもしれん」
俺のせい……?
違う、そうじゃない。
けどそうかもしれない。
俺は、あの場所を開いてしまった。
そして俺自身も何かが開いてしまった。
「……行く。確かめなきゃ。俺が、見てくる」
村長は渋い顔をしたが、何も言わなかった。
すぐに仲間たちが集まり、調査隊が組まれた。
北の山脈は、霧に包まれていた。
昼でも薄暗く、鳥の声ひとつ聞こえない。
俺たちは山を登る途中、いくつか奇妙な痕跡を見つけた。
黒く焦げた地面。
削られた岩々。
何かが這い回ったような跡。
そして、ついにそれは現れた。
洞窟の奥で、俺は見た。
壁に刻まれた、魔族の紋様。
封印を意味する古代文字。
そして、うごめく黒い影。人間じゃない、何か。
そいつは俺を見ると、一瞬、ピタリと止まった。
そして、俺の心に直接、語りかけてきた。
「おかえりなさい……王の器よ」
「……っ!」
後ろにいた仲間が、刀を抜いた。
でも俺は、動けなかった。
その言葉が頭の奥で、ずっと響いていたから。
王の器?
なにを、言ってる。
でも俺は、わかってしまった。
あの魔王の声と、そいつの声が、同じ場所から聞こえてきていることに。
俺の中に、確かにそれはいる。
あのとき、門を越えた瞬間から、ずっと。
影はゆっくりと後退し、闇に溶けた。
洞窟の奥、まるで国のように広がる空間の先へ。
俺たちは追わなかった。
追えなかった。
その場から離れるとき、俺の背中には冷たい視線が刺さっていた。
「いつか、お前は戻ってくる。こちら側に」
村へ戻ると、報告書がまとめられ、調査は一時中止になった。
でも俺は、あのときの言葉が頭から離れなかった。
この世界にも、魔族の国がある。
魔界と繋がってる、根のようなものが。
俺は思った。
きっとあれは、ほんの始まりに過ぎない。
俺の中で変わっていくものと、世界でうごめく影。
それらが交差するとき、
この世界は、もう元には戻れないところまで来るんだ。
2 / 8
「五本指の1人を⋯⋯倒しに行くのか」
村長は少し驚いた顔で、俺を見た。
「そいつは、かつて魔王にすら背を向けた男だ。裏切り者として、魔族の中でも異質な存在。今はもう……どこにいるかすらわからん」
「探す。俺が、行くって決めたから」
はっきりと俺は言った。
旅の準備をして、村を出た。
山を越え、森を抜け、まだ地図にもはっきり載ってない荒野を越えて。
そのときだった。
「……久しぶり」
声がした。
少し高め。
振り返ると、そこにいたのは、あのとき門の前で会った魔王の子だった。
「お前……」
「お前があれと戦うっていうなら、僕も行くよ。放っとけない。……あいつを倒すのも、僕の役目だと思ってたから」
彼は俺を真っすぐ見て言った。
かつて都市を1つ、まるごと焼いた五本指の1人。
人間たちはまだ恐れていて、その街、カルナスは今も、炎に包まれていた。
俺たちは、その焼けた街へ向かった。
カルナス。高層ビルが立ち並ぶ、大きな都市だった。
だけど、今は。
建物は焼き焦げ、空は煙に染まっていた。
なのに、まだ消火作業は続いていて、火は消えず、街はまるで地獄みたいだった。
「この一番高いビルの、最上階に居る……あいつが」
魔王の子がそう言った。
その瞬間、風が吹いた。
熱風。何かを意味するような風だった。
俺たちは、崩れかけた非常階段を登った。
途中で何度も崩れた足場に足を取られながら、ようやく最上階へ。
そして、そこにいた。
マントの男。
赤と黒のマントをゆっくりとはためかせ、ガラスの向こうに立っていた。
ビルの最上階。地上100メートルを超えるその場所で、俺たちを待っていた。
「……来たか。魔王の器よ」
「お前……」
「覚えていないだろう。いや、覚えてるはずがない。でも、体は覚えてる。お前は……俺の主だった」
「なに……?」
その瞬間、マントの男が動いた。
速い。
見えないくらい速い。
「っ!!」
俺は体を横に滑らせた。ギリギリで、拳がガラスを砕いた。
衝撃で足が滑る。
次の瞬間、背中を蹴られた。
「ぐっ……!」
体ごと、割れた窓から、外へ、落下した。
地面が迫ってくる。
死ぬ⋯⋯。
でも、俺の中で何かがぶちっと音を立てた。
目の奥が熱い。
力が、俺の全身に走る。
「うおおおっ!!」
俺の背中から、黒いオーラが爆発した。
地面に激突する寸前、力が俺を包んだ。
そして、土煙の中から、俺は立っていた。
「……死んだと思ったかよ」
上を見上げる。まだあの男は、最上階に立ってる。
「まだ……終わってねぇぞ!!」
俺はビルの壁を駆け上がった。
信じられないほどの速さで。まるで、さっきまでの俺じゃないみたいに。
途中で何度も破片が飛び交い、空気が歪んだ。
でも、見える。読める。
あいつの動きが。
屋上に戻ると、マントの男がこちらを向いた。
「少しだけ、戻ってきたようだな。王の力が」
「王?そんなもん、知らねぇよ。ただの俺だよ」
「だがそれでいい。貴様には、そのまま目覚めてもらわねば困る。俺の主として」
「……その主を、殺しに来たんじゃなかったのか?」
「殺すさ。今のお前をな」
その瞬間、衝突した。
拳と刀。
衝撃が街全体に響いた。
ビルの屋上が割れ、空気が爆ぜる。
何十回も殴り合い、斬り、すれ違い、超スピードで動き回った。
だけど、途中で。
「止まって!!」
魔王の子の声が響いた。
その声に、不思議と相手もが動きを止めた。
「今は……まだ、時じゃない」
風が止まり、瓦礫が落ちる音だけが響く。
マントの男は、ふっと姿を消した。
深呼吸した俺が仔の方を向いた瞬間、背後に気配を感じた。
振り返る間もなく、鋭い衝撃が腹を貫いた。
「くっ……!」
思わず息を詰めたが、すぐに反撃に出る。
その魔族は腕が異様に長く、手のひらから鋭い刃のようなものを繰り出してくる。普通の奴らとは違った、巧妙で速い攻撃だ。
俺は両手でその腕を掴み、力いっぱい引きはがす。だが、奴はすぐに腕を引っ込めて姿を消そうとした。
「次はないぞ」
そう警告すると、魔族は諦めたように後退していった。
仔が慌てて駆け寄る。
「大丈夫?」
俺は顔をしかめながら答えた。
「まだ動ける。だけどマジで油断だけはできねぇな」
村に戻る道は、いつもよりずっと長く感じた。
腹の痛みはじわじわと広がっているけど、歩けないほどじゃない。俺は足を引きずりながら、なんとか村の入り口までたどり着いた。
「やっと帰ってきたか!」
村人の1人が声をかけてきて、みんなが心配そうに集まってくる。
「こいつ、やられちまったんだ」
仔が俺の腕を支えながら説明する。
すぐに村長が駆け寄り、治療の準備を始めた。村の薬師もやってきて、傷口を丁寧に洗い、薬を塗る。
俺は痛みに顔をしかめたけど、治療を受けるしかなかった。
「よく耐えたな」
村長が静かに言った。
俺はうなずいた。
「まだ終わってねぇ。あいつら、もっと強い奴もいる。俺たちは、もっと準備しないと」
仔も俺の言葉に頷いた。
「でも、まずはここで休むしかない。体が資本だからな」
村人たちが交代で見張りを立ててくれたおかげで、俺は安心して眠りについた。次に来る戦いに備えて、俺は力を蓄えなきゃいけない。
翌朝、俺は村の広場で体を伸ばしていた。まだ傷は痛むけど、昨日よりはだいぶ良くなってきてる。そんな時、青い二刀流の刀を背負った女の子がゆっくり近づいてきた。
「やあ、君は…?」
俺が声をかけると、彼女は少し照れたように笑った。
「はじめまして。私はアイ。元は魔族だったけど、今は人間に戻っている。」
俺は目を見開いた。
「元魔族で人間に戻った?そんなことできるのか?」
「うん。理由はまあ、あるけど、今は薬を作ったり、治療したりしてるの。」
彼女は軽く手を振って、青い刀を見せた。
「これが私の武器。二刀流で戦うよ。」
俺は自然と背筋が伸びた。
「頼もしいな。俺は…⋯」
自己紹介をして、俺たちは少しずつ話し始めた。彼女は再生能力が少しあるらしく、俺の傷の治療も手伝ってくれるらしい。
「この村にも、まだまだ危険があるみたいだ。君がいてくれたら心強いよ。」
アイは静かに頷いた。
「これからよろしくね。」
俺はそう答えた。
空気はまだ冷たい。だが俺とアイは村を出発した。アイは青い二刀流の刀を背負い、俺は傷を気にしながらも足を動かす。目指すのは、昔魔族に襲われたけど、今は平和を取り戻したという遺跡の町。
村を離れてしばらく歩くと、だんだん景色が変わってきた。緑の森は薄くなり、ところどころに古びた石の柱や壊れた壁がある。空には小さな鳥たちが飛び交っている。遺跡の気配は、ただの廃墟じゃなくて、かつてここに人が暮らし、そして戦いがあった証だった。
「ここがその遺跡の町か」
俺がそう言うと、アイが頷いた。
「うん。昔は魔族が攻めてきて、すごい戦争になったらしい。でも今は普通に過ごしてる。ほら、あそこに家がある。」
目を凝らすと、石造りの遺跡の間に新しい家や小さな市場が見えた。生活の音が遠くから聞こえてくる。笑い声や、誰かが子どもに話しかける声も。
「不思議だな…かつての戦場だった場所に、今は普通の町があるなんて。」
「そう。昔はここが人と魔族の最前線だった。でも今は、この場所で両者が手を取り合って暮らしている。奇跡みたいな話だけど、俺たちの世界はそんな風にも変わるんだよ。」
アイの声は落ち着いていて、でもどこか切なさも混ざっていた。
俺たちは遺跡の入り口に近づく。そこには大きな石の門があって、文字が刻まれているが、もう薄れて読みづらい。
「これは…古代文字かな?」
俺が指でなぞると、少しザラザラした感触が手に伝わった。
「うん。この文字は昔の王国のもの。ここはかつて、人と魔族が最後に戦った場所として知られてる。遺跡の底には、今も秘密が眠っているって話だ。」
アイが目を輝かせながら言う。
俺は門をくぐり、遺跡の中へ足を踏み入れた。そこは薄暗く、壁にはところどころ苔が生えている。天井は高く、遠くで水の滴る音が響いた。足元は石畳だが、いくつかはひび割れ、崩れかけていた。
「この場所の空気、なんだか昔に戻ったみたいだ。」
俺がそうつぶやくと、アイは頷いた。
「そうかもしれないね。ここで、過去の出来事が今も生きてるんだ。」
歩きながら俺は、ふと思った。俺がここに来た本当の理由。あの謎の島、魔界、魔王のこと。俺の記憶の奥に隠された、まだ知らない真実。
遺跡の奥へと進むと、壁には当時の戦いを描いた絵があった。人間の兵士と魔族が剣を交えて戦う姿。その中心には、大きな影が立っていた。まるで魔王のような威圧感を放っている。
「これが…昔の戦いの記録か。」
アイが静かに話す。
「俺は、なぜこんな場所に来たんだろう。何を探しているんだ?」
心の中で問いかける。答えはすぐには出ない。でも確かに、何か大切なものを探している気がする。
「君はどう思う?」
アイが俺の顔を見て言った。
「俺?正直、まだよくわからない。でも、この遺跡にはきっと、俺の過去と未来が繋がってる気がする。」
「その気持ち、大切にして。」
彼女の言葉に、俺は少し勇気をもらった。
遺跡の底には、さらに深い階段が続いている。そこに行けば、もっとたくさんの秘密が待っているのかもしれない。
俺は深呼吸して、ゆっくりと階段を降りていった。
降りていた足が止まる。
突如響いた悲鳴と、爆音。そして、空間が歪んだかと思えば、遺跡の中央広場に闇の門が開いた。
「……あれは……」
俺は息を呑んだ。
薄れた光の向こう側から、5つの影がゆっくりと姿を現す。
それぞれの気配が、明らかに只者じゃない。
1人目。
全身が真っ黒な霧に包まれたような男。輪郭が曖昧で、視界から時折消える。
2人目。
赤と黒のマントをまとった、あの男。拳を強く握っている。
3人目。
金色の長槍を軽々と片手で持ち、背には大きな白い羽根。魔族なのに格好は天使。どこか誇り高そうな目をしている。
4人目。
獣のような姿。鋭く伸びた爪、金のトゲが腕に走り、四足で唸る姿は、まるで狼そのもの。
そして5人目。
黒い王冠をかぶり、黒のローブを纏った、赤い瞳の男。中心に立ち、どこか冷静な顔でこちらを見下ろしている。
「やば……本物だ」
横で、アイが、小さく呟いた。
一瞬の沈黙のあと、真っ黒な男が、音もなく目の前に現れた。
「来るぞ!」
俺の叫びと同時に、黒い拳が振るわれる。かろうじて剣で受け止めた瞬間、足元の石畳が砕けた。
「っぐ……重い!」
アイが横から斬りかかるが、男は霧のようにすり抜ける。攻撃が通らない。
「物理が効かないのか……」
その隙に、マントの男が地面を殴り、衝撃で広場の塀が崩れる。跳んでかわすと、次は上空から金色の槍が迫った。
「空!アイ、上!」
アイが即座に退き、空中で刃をクロスに構えて槍を受ける。金色の男の翼が広がり、また高度を上げた。
「3人同時って……!」
さらに背後から、獣が駆ける音。ガァッ! と金のトゲが地面を割り、俺のすぐ横の地面にヒビを入れた。
「四つん這いのやつ、早すぎる!」
剣を抜き、反撃の一撃を叩き込もうとするも、狼の遠吠えが耳を貫く。
「……ッ!!」
耳がキィィンと鳴った。目には見えない衝撃。次の瞬間、周囲の闇から無数の小型の魔族たちが現れる。
「雑魚まで……!」
「そっちは私が!」
アイが二刀を振るい、雑魚を一掃していく。体術に優れた彼女は、無駄のない動きでどんどん倒していく。
俺は再び黒い霧の男に挑み、手応えのない体をかき分けながら、ほんのわずかな核心部を狙う。
「……どこか、実体があるはずだ……!」
ふと、槍の男が急降下してくる。アイが間に入り、刀で斬り返すも、その重さで吹き飛ばされた。
「アイ!」
すぐに飛び込むが、今度はマントの男が拳でこちらを狙う。寸前で回避したが、拳が遺跡の柱を粉砕し、上部が崩れ落ちてきた。
「くそっ、周りが……!」
崩れた石に潰されていく人々の悲鳴。
街の再建のためにこの遺跡に集っていた人たちだ。
俺は奥歯を噛みしめる。
「……守る。絶対に」
そのときだった。
中央にいた王冠の男が、ふと片手を上げた。まるで遊びは終わりだと告げるように。
黒い男が消え、槍の男が距離を取る。狼のような男が一歩退いた。
空気が張り詰めた。
そして。
王冠の男が、ゆっくりと歩き始めた。
その視線が、俺たちをまっすぐに貫いていた。
「来る……!」
次の瞬間、広場全体に黒い稲妻が走った。
「これは……!」
意識が一瞬、遠のいた。
地面が大きく揺れ、建物の一部が崩壊し始める。
「……これじゃ、持たない……!」
アイも息を切らしていた。二刀の片方は欠け、服には焼けた痕が残っていた。
「退くしか……ないよ、今は」
「でも……ここを渡したら……」
「違う。生きて戻らなきゃ、何も守れない!」
アイのその一言で、俺はふっと正気を取り戻した。
「……分かった。次は、俺たちがあいつらに一矢報いる番だ」
2人で後方に飛び退き、仲間たちと共に撤退を始める。
王冠の男は追わなかった。ただ、こちらを見ていた。
まるで。
「まだ、戦いは始まったばかりだって言ってるみたいだな……」
そう呟いた俺の胸の奥に、熱いものが湧き上がっていた。
作戦会議。
空気は重かった。
さっきまでの戦闘で多くの人が倒れ、遺跡は崩れかけている。
だが、まだ奴らはそこにいる。あの5人組。しかも、門は完全に開ききっていない。つまり、完全に来てしまったわけじゃない。
「今、戻ればまだ……!」
アイが、青い刀を背負いながら言った。声が強かった。
「アイ、お前……本当に行く気か」
「行くよ。だって、あれが完全に広がったら、この世界終わるんだよ」
……そうだ。
今止めなきゃ、もう止まらない。誰かが行かなきゃ。
「よし、俺も行く。すぐに戻るぞ!」
仲間たちも次々と立ち上がる。決意が全員の顔に浮かんでいた。
そして再び、遺跡へ。
戻ったとき、遺跡はもはや瓦礫の山だった。
柱は崩れ、足場も不安定で、地面のあちこちから煙が立ちのぼっている。
「……こんな……」
アイが小さく呟いたそのときだった。
ぐらりと視界が揺れた。
「っ……ああ……!」
俺の頭に、強烈な痛みが走る。
額を押さえ、蹲った瞬間、意識の奥底から何かが浮かび上がってきた。
……玉座。
高くそびえる黒の城。その上に座る、自分。
眼下の球体には、この遺跡がはっきりと写っている。
何の躊躇いもなく、俺は命令を下していた。
『――焼き尽くせ』
……あれは俺か?
記憶の断片が現実と重なる。
この遺跡を、俺はかつて滅ぼした。今、もう一度、その痕跡を、目の前で見ている。
「……思い出したんだね」
アイが言った。驚いた様子はない。
俺の中の何かに、最初から気づいていたかのように。
「でも、それでも、行こう。私たちが今、あいつらを止めるしかないんだから」
アイの言葉が胸に刺さった。
俺は深く息を吸い、剣を握り直す。
「うぉぉぉ!!」
俺が先陣を切り、叫びながら崩れかけた遺跡を駆ける。
その後ろに、アイと仲間たちが続く。
バチッ!
空間が破裂するかのような音とともに、黒い稲妻が走る。
そして目の前に、現れた。
王冠の男。
黒いローブの端がふわりと揺れ、冷たい赤い目が俺を射抜いた。
その瞬間。
ドンッ!!
「がっ……!」
自分の首が締められる感覚。
気づけば、目の前にいて、音すらない速さで、俺の首をその手で掴んでいた。
「っぐ……は……!」
「下がれっ!!!」
アイの叫びも、もう遠くに聞こえる。
俺の身体は地面から浮いていた。呼吸ができない。視界がぶれ、頭の中が真っ白になっていく。
ガシャァン!!
次の瞬間、俺の身体は石壁に向かって叩きつけられた。
衝撃で息が漏れ、手足の感覚が一瞬消える。
「やめろぉぉ!!」
アイが突っ込もうとするが、黒い魔力の壁が彼女を弾く。
王冠の男の手が、淡く光る。
すると、俺の身体もその光に包まれ。
「っ……!?」
ズ―――ン。
周囲が暗くなる。
黒い光とともに、俺と奴の姿は、そこから消えた。
……残されたのは、崩壊寸前の遺跡、そして茫然と立ち尽くす仲間たち、そして残り4人になった、五本指の姿だけだった。
空が広い。
夜空一面に、星が輝いていた。
どこか懐かしくも、寒気もするような場所。
俺は、巨大な谷の中に立っていた。両端には山がそびえ、崖から崖までが闇に覆われている。
谷の中心には、黒く輝く玉座。
そこにいた。
玉座に座る俺。
だけど、あれはもう、俺じゃない。
同じ顔、同じ体格。でも目は濁りきった赤。
全身から漆黒の炎が立ち上がり、左手に握られていたのは、俺の持っている妖刀と同じ形の刀。
だが、あれは真っ黒な炎と紫電を纏っていた。
「……お前は……」
俺が声をかけた瞬間、玉座の俺が、すっと立ち上がった。
マントを揺らしながら、ゆっくりと階段を降りてくる。
「お前?違うな。俺は本当のお前だよ」
静かな声だった。けど、その声の中に、底のない深さがあった。
「思い出せ、ここでお前は命令した。この谷を燃やし尽くした。人間も、魔族も、すべてを灰に変えたんだ」
……違う。そんなはず、ない。
でも、心の奥のどこかが、それを知ってると言っている。
「なに怯えてる。来いよ。俺。お前の剣、もう腐りかけてんぞ?」
ギィン!!
言い終わると同時に、真っ黒な妖刀が振り下ろされてきた。
本能で飛びのいた俺の足元、地面が一瞬で抉られる。
「……はぁっ!」
俺も構える。自分の妖刀を抜き、勢いのまま斬りかかる。
ガァァン!!
剣と剣がぶつかった瞬間、風が爆発した。
衝撃で崖の岩肌が砕け、星空が揺れるように見えた。
その俺漆黒の姿は、まったくブレず、むしろ笑っていた。
「それで本気か?」
次の瞬間、奴の動きが消えた。
完全に見えなかった。
直後、背後から突風が。
「ッ!!」
横跳びでかわすと同時に、真横の岩壁が抉られる。
まるで雷と炎の竜巻が突っ込んだみたいに、辺りが焼け焦げる。
「ほら、もっとこいよ?」
奴は余裕そのものだった。
「ふざけんなあああ!!」
俺は気合いとともに、前へ跳び込む。斬りつけ、突き、すべての力をぶつける。
だが。
カン!カン!カン!
全てが受けられる。
しかも、たまに小さくカウンターで刺すように撃たれる。重く鋭い攻撃。
そして。
「終わりだよ」
もう1人の俺が、そう言って刀を構えた。
ブワァアア!!
黒炎が爆発する。
その一撃は避けられなかった。
ドオォォォォン!!
俺の身体は吹き飛ばされ、ガラスのような結晶でできた壁面に叩きつけられる。
その瞬間、一帯のガラスが一気に砕け、まるで空間が壊れたかのような音が響く。
バキィィン!!
……痛みは、感じなかった。
ただ、手が震えて、足が動かない。
視界の向こう、立っているのは俺じゃない俺。
……そして、俺は、ふと自分の手を見た。
指先が黒い。
皮膚はヒビ割れ、魔族の紋章のような模様が浮かび上がっていた。
腕を伝って、肩、そして胸まで、俺の身体はゆっくりと、魔王のそれに戻りつつあった。
「……ああ……っ」
鏡に映る自分が、もう自分に見えなかった。
「お前は、戻るしかないんだよ」
俺が、玉座のほうへゆっくりと歩き出す。
「さあ……こっちへ来い。本当のお前」
俺の中で、何かが、揺れた。
空気は熱を帯び、目の前のもう1人の俺が、玉座に腰を下ろしたまま立ち上がる。
真っ黒な妖刀が、光を裂くように火花を散らした。
俺は息を荒げながら、足を前に出す。膝が震えてる。全身、もう限界なのは分かってる。
けど、負けられねぇ。
このまま、全部を奪われてたまるか。
「はああああッ!!」
俺は声を張り上げ、残った全ての力を込めて、斬りかかった。
空間が歪む。星が揺れる。
もう1人の俺が、口元をわずかに緩め、剣を横に払った。
ガキィィィン!!!!
衝撃で身体が空中に浮いた。
次の瞬間、俺の手にあった妖刀が悲鳴のような音を立てて、折れた。
「っ!?!?」
刃が砕け、光の粒になって散っていく。
その破片が頬を切った。痛みよりも、心が凍った。
「終わりだ」
もう1人の俺が、低く冷たい声で言った。
俺はその声に、力を奪われるように膝をついた。
地面が揺れた。
そいつの手が、まっすぐ俺の胸に向かって伸びてきた。
黒い光と雷のようなエネルギーが渦を巻いて、吸い込むように包み込んできた。
「う、ああ……っ!!」
身体が、引き裂かれるような苦しみに襲われる。
魂ごと、飲み込まれていく。
いや、同化されていく。
視界が、ぼやける。
遠くで誰かが叫んでいる気がした。
(……誰だ? ……アイ? いや……わかんねぇ)
すべての感覚が、遠ざかっていく。
心の中で、自分の声が消えていった。
「これが、本当の……俺なのか……?」
その瞬間俺は、完全に、吸収された。
3 / 8
遺跡の中心、時が止まったように静まり返った空間で、私は立ち尽くしていた。
さっきまでそこにいた2人。あの男とそして……彼。
主人公は、黒の王冠をかぶった男、ディルハムと共に、まるで空間ごと引き裂かれ、消えた。
「……いない」
誰かがそう呟いた。たぶん、後ろの仲間の誰かだ。私の耳には、ほとんど届いていなかった。
目の前にぽっかりと空いた空間は、まるで、穴のようだった。彼のいた痕跡すら残っていない。
それが異常事態だと、五本指の奴ら自身が一番理解していた。
「……チッ」
真っ赤なマントを翻して、グレンダインが苛立ったように舌打ちする。握りしめた拳が震え、その地面に亀裂が走った。
「勝手に消えやがって……クソが!」
一方、ハシェルの姿は、すでに揺らぎ始めていた。黒い霧がより濃く、視界から彼の輪郭が消えていく。
「……任務の継続は不可能と判断する。俺は去る」
そう呟いたのは、空中にふわりと浮いたレフレインだった。
白い羽根が羽ばたくと、金色の槍が煌めきを描いて彼の身体を持ち上げる。彼の表情は変わらない。ただ、虚空を見据えながら一言。
「奴があちら側に堕ちたなら、次に来るのは……もっと深い夜だ」
その言葉に、四足歩行の獣、ヴォルグが低く唸り声を上げる。
まるで何かに怯えたような、しかし興奮しているような、曖昧な感情の混ざった声。
「……いずれまた狩れる。今は……ここじゃない」
そして、彼は遺跡の壁を駆け上がり、まるで影のように姿を消していった。
残されたのは沈黙。
その場に残ったのは、私と仲間たちだけだった。
重い空気が、私たちの肺に張り付く。誰も言葉を出せない。ただ、あの瞬間に起きた異変が、常識を壊してしまった。
「……彼は、まだ……」
私は呟いた。
けれど、その彼の姿は、すでに人のものではなかった。
彼の顔の半分は、まるで腐敗した死者のように変わり果て、角が黒くねじれて生えていた。
片目は真っ黒に染まり、光はない。
右半身は完全に魔に呑まれ、再生・防御・攻撃のすべてを備えた悪魔の肉体へと変貌していた。
そこは魔界。
人の言葉も、光も、正義もない、異形の世界。
彼は今、そこにいた。
闇の中で、意識がぼんやりと漂う。
心臓の鼓動は重く、まるで自分のものではないかのように感じられた。
そんな時、不意に過去の断片が脳裏をかすめる。
真っ黒に焦げた荒野。
膝をつく兵たち。
彼らが恐れ、崇めたのは1人の男。
玉座に座す、赤い瞳の魔王。
それは紛れもなく、自分だった。
「……これは……なんだ?」
呟いた声は虚空へと消えていったが、記憶は鮮明に蘇る。
かつての人生。
初めての人生はただの人間として終わった。
2度目は力に溺れ、世界を炎で焼き尽くした魔王として。
そして今、3度目の人生。
「俺はもう一度、生まれ変わったのだ。これはやり直しなどではない。続きだ」
なぜ自分が魔王の資質を持っているのか。
なぜ他の誰よりも早く、強く、魔の力に染まったのか。
それは才能ではない。宿命だったのだ。
「……また、ここに戻ってきたのか」
魔界。
この世界は、懐かしさを覚えるほど馴染んでいた。
重い空気。遠くから聞こえる咆哮。死の匂い。すべてが過去の記憶と重なり合う。
その時、かすかな声が耳に届く。
『我が王よ……再び玉座へ』
遠く、しかし確かに自分に向けられた声。
かつて滅びたはずの、忠誠を誓う者たちの残響。
影たちは今もなお、深淵の底で蠢いていた。
目を開ける。
目の前の姿は変わり果てている。
だが違和感はなかった。
これこそが、自分の真の姿なのだと思えた。
「……アイ。俺は……」
何かを言おうとしたが、声は届かない。
ここは魔界。孤独と罪が渦巻く場所。
そして彼は、再び歩き出す。
玉座に向かって。
夕暮れ。アイは1人で村へと歩いていた。
かつて、主人公が助けられたその場所。
村は穏やかな雰囲気だったが、どこか落ち着かない空気もあった。
村人たちはアイを見ると、不安そうな顔を浮かべた。
「アイさん……あいつは……?」
誰かが静かに声をかける。
アイは深く息を吸い、ゆっくりと口を開いた。
「主人公は、五本指の1人と一緒に消えました。どこへ行ったのかは、わかりません。」
村人たちの表情が一気に暗くなる。
信じたくない事実が、静かに、しかし確実に広まっていく。
「そんな……まさか……」
「どうして……あんな強い奴と……」
アイは小さく首を振った。
「俺たちもまだわかっていません。ただ、今はとにかく気をつけるしかない。敵がこちらに近づいている可能性が高い。」
村人の1人が顔を上げ、強い意志を込めて言った。
「村を守るために、できることは何でもします。アイさん、どうかこれからも頼みます。」
アイは静かに頷いた。
「わかりました。必ず戻ってきます。だから、ここは守ってください。」
夜がゆっくりと訪れ、村は静かに闇に包まれた。
だが、アイの胸の中には嵐が巻き起こっていた。
「主人公……お前は今、どこにいる……」
朝の冷たい風が村を吹き抜ける。
アイは歩きながら、主人公の顔写真をしっかり握りしめていた。
「この男を知りませんか?」
村の入り口に立ち、最初の人に写真を見せる。
村人は写真をじっと見つめ、首をかしげる。
「うーん……見たことないな。でも、最近はよそ者が多いからな。」
アイは眉をひそめ、次の人へ歩み寄った。
「どこかで見かけた者はいませんか? 少しでも情報があれば…⋯」
広い村を、何度も声をかけながら回る。
しかし、返ってくる答えは曖昧で、手がかりは見つからない。
中には「気味の悪い男の話なら聞いた」という者もいた。
それはまるで、主人公の悪魔化した姿のことのようだった。
アイは写真を握りしめながら、強く心の中で誓った。
「必ず見つける。お前を、絶対に見捨てない。」
太陽が高く昇り、村の人々の顔がはっきりと見える。
だが、主人公の姿はまだ、どこにもなかった。
日も少し傾き始めたころ。
人通りの多い広場で、アイは少し疲れた顔をして、写真を手に立ち尽くしていた。
「……やっぱり、ここにもいないのか。」
そのとき。
「おいおい、どうした?そんな顔して。」
低くて太い声が後ろから聞こえる。
振り向くと、3人組の男たちがこちらを見ていた。
1人は、上半身裸で、体中が筋肉のかたまりみたいな大男。
その横には、どこか抜けた雰囲気のある、軽そうな若者。腰には長い刀をぶら下げている。
そして最後の1人は、サングラスをかけて、帽子を深くかぶった、落ち着いた雰囲気の長髪の男。背中に剣を背負っていた。
アイは少し身構えながらも、写真を見せる。
「この人を探してる。知ってる人、見かけなかった?」
サングラスの男が一歩前に出て、写真を手に取った。
しばらく、じっと見つめたあと、ふっと眉を動かす。
「……この人、見たことがある。昔、どこかで……話したことがあるような……。」
「ほんとか!?」
アイが食いつくように問いかける。
だが男は、少し首をかしげて、視線を空に向けた。
「でも、いつだったかは覚えていない。不思議なんだ。はじめて見る気がしない。……まるで、ずっと前から知っていたような…⋯」
アイはその言葉に、胸がチクリと痛んだ。
(やっぱり……あの人は、ただの人間じゃない)
男の目はどこか遠くを見ている。
それはまるで、前世の記憶を無意識にたぐっているようだった。
そして次の瞬間、男は写真を返しながら、しっかりと頷いた。
「よし。一緒に探そう。理由は分からないが、放っておけない。」
それを聞いた筋肉マッチョが、拳をグッと握りしめる。
「そうと決まれば、俺もだ! 探すってんなら力になるぞ!」
続けて、刀の若者も笑いながら言った。
「おもしれーじゃん! 俺らでその人見つけてやろーぜ! アイちゃんっていうんだっけ? よろしくな!」
アイは少し驚いた顔で、そして微笑んだ。
「ありがとう。助かる。……一緒に、あいつを見つけよう。」
こうして、3人の仲間が加わり、アイの旅は新たな一歩を踏み出した。
朝になる。
アイたち4人は村の広場に立ち、周囲の住民に話を聞いていた。
「それで…⋯どこで、彼はいなくなったんですか?」
そう聞いたのは、サングラスの男。どこか探るような目で、アイを見つめていた。
「遺跡だ。崩れたその先で…闇の中に飲まれて、私の目の前から消えた」
アイは短く答える。
まるで夢の中だったような、現実感のない。
マッチョが拳を構え、周囲を見回す。
「…俺らで見つけてやろうぜ。早くしねぇと、遠くに行っちまうかもしれねぇ」
そこに突然、バカっぽい刀使いが走り出した。
「あ!おいおい見ろって!あいつ、あいつその写真そっくりだって!」
指差した先に立っていたのは確かに、主人公に似た姿。
銀髪に、黒い衣。背格好も、体つきもそっくり。
しかし、顔が違った。
顔が歪み、目に光がなかった。何もかもがおかしい。
「……違う」
アイが低く言った。
だが、すぐにまた別の方向から声が上がる。
「こっちにもいる!」
「おいおい、なんでこんなに!? 何人いんだよ、こいつ!」
数人の似た者たちが、村の中を歩いていた。
目が合った瞬間、冷えるような感覚。
本物ではない。けれど、見た目はほとんど同じ。
「これは?世界が、狂い始めてる…⋯のか?」
サングラスの男がつぶやく。
その瞬間だった。
すぐ近くの山の方から。
「アォオオオオォォオ……ン……!」
長く、低く、そしてどこまでも響くような遠吠えが聞こえた。
周囲の空気が歪んだ。
地面がピシッと割れる。
まるでこの世界そのものが、主人公の半魔王化に反応してバランスを崩し始めていた。
「おい…あれは、なんだ…?」
遠くの森の中で、何かがうごめいている。
黒い霧のような気配。鋭い風。
けれどそれはまだ、姿を見せない。
ただ、確かに近づいてきていた。
狂気の獣が、我々の匂いを嗅ぎつけて。
夕暮れの光が、村の家々の屋根を赤く染めた。
風が止まり、空気が一気に重くなる。
「山に行くぞ。あの遠吠えの主が、何かをしようとしてる」
マッチョ男が低く言った。
刀使いも、サングラスの男も黙ってうなずく。
アイも静かに頷き、主人公を追う足を村の外へと向けたその時だった。
「⋯⋯ッ?!避けろ!!」
突如、サングラスの男が絶叫した。
叫ぶと同時に、彼はアイの前に飛び出し、腕を大きく広げる。
その直後。
バシュッ!!
目にも止まらぬ金と黒の斬撃が、光のように走った。
サングラス男の庇った片腕が、根元から吹き飛ぶ。
「うああああああっ!!」
血が舞い、男の身体は後方へと吹き飛んだ。
地面に叩きつけられた衝撃で、サングラスが外れ、彼の素顔が露わになる。
額には汗、口元には苦痛。
それでも彼は、アイを見ながら笑っていた。
「…助かったか、良かった……」
だが、その声はかき消される。
唸り声。低く、喉の奥から響くような唸り声が、村の入り口から聞こえた。
「アォオオ……」
現れたのは、五本指の1人として名を連ねた、獣の魔族。
その姿は、まさに猛獣だった。
全身を覆う黒い毛並み。鋭く曲がった金色の爪。
そして何より、手首から肩にかけて走る、金の棘が光を反射していた。
四足でゆっくりと歩きながら、唸り声を漏らす。
その目は真っ赤に染まり、感情というより、本能だけで動いているかのようだった。
「昨日の遺跡での攻撃…あれは、遊びだったってことか…」
アイが小さくつぶやく。
すると、まるでそれを肯定するかのように、獣が大きく口を開いた。
「グルルルル……!」
遠吠え。
まるで呪詛のようなその咆哮が、空気を裂いた瞬間。
地面から無数の影が湧き上がる。
それらは、腕や足が歪に伸びた魔物の欠片のような存在。
雑魚どもだ。
「来るぞッ!!」
マッチョ男が叫び、己の拳を構える。
その肉体は銃弾をも弾くと豪語するだけあって、空気が筋肉で震える。
刀使いの青年も抜刀。
どこかおどけた表情だが、その目には明確な殺気が宿っていた。
「やれやれ。こっちも遊びじゃ済まねーよ!」
その瞬間、戦闘が始まった。
アイはすぐさま抜刀し、2本の剣で影の群れを切り裂いていく。
しかし、次の瞬間。
キィィィィィィィィィィン!!!
突如響く、耳を裂くような音。
まるで金属同士を何十枚も一気に削り合わせたような、超音波だった。
「っ……く、耳が……!!」
その音に耐えきれず、アイは膝をついた。
だが、獣は止まらない。地を蹴り、アイへ一気に突撃する。
爪が振り下ろされる。
それをギリギリで、2本の剣で交差して受け止めるアイ。
しかし。
「……?!」
ガギャッ!!!
剣が、折れた。
しかも両方だ。
あまりに鋭い力。
ただの爪に見えていたその一撃は、重さだけでなく速さ、殺意。全てが段違いだった。
吹き飛ばされ、地面を転がるアイ。
傷は深くないが、両手には刃が残っていない。
「ちぃ……くそ……」
アイが立ち上がろうとしたその時、ふらつくサングラス男が立ち上がる。
左腕は血で染まり、右手一本で剣を構えている。
再び距離を詰め、咆哮とともに跳び上がる。
そのまま、サングラス男の頭上へ鋭い爪を振り下ろす!
「やらせない!!」
アイが叫び、寸前で飛び込み、刃のない剣の柄で弾き飛ばす。
完全に受け止めることはできなかった。
だが、間に入った一撃がサングラス男の命を繋いだ。
「……ありがとな」
彼がそうつぶやいた瞬間、再びアイは立ち上がる。
両手に残った折れた剣の柄を握りしめながら。
「折れてようが、まだ戦えるわよ……!」
次の瞬間、唸るような風とともに、
金の爪が閃く。
シュッ!
アイの額から腹にかけて、服が裂け、
細く浅い切り傷が走る。
(速い……!さっきより、ずっと……!)
動きが変わった。
まるで本気を出したかのように、獣の速度が急激に増していた。
アイが倒れそうになる、その刹那。
「アイッ!!」
サングラスの男が、刀を逆手に持って走り寄り、
その刀を、アイの手に強く握らせた。
「これを使え!」
「えっ……?」
「さっき、俺を庇ってくれた借り、返すぞ!……後は頼む!」
アイが刀を握った瞬間、体が軽くなった。
力が、流れ込んでくる。
まるでこの刀そのものに強さが宿っているかのように。
「いくわよ……!」
アイが駆ける。
その動きに、もう迷いはなかった。
斬撃が風と共に走る。
それでも、獣は、それをすぐに読み、避け、爪で反撃してくる。
一進一退。
しかし、どれだけ傷をつけても、奴は回復する。
その巨体に負った傷は、黒い霧に包まれ、まるで時間を巻き戻すように元に戻る。
「こんな……っ!」
そして、とうとう、アイの動きにわずかな乱れが生まれた。
その瞬間。
金の爪が、再び、彼女を貫こうと迫る。
(避けきれない……!)
身体が間に合わない。
終わりかと思った、その瞬間。
風が止んだ。
空気が一変する。
まるで時間ごと凍りついたかのような、異様な静けさ。
獣は、攻撃の手を止めていた。
それだけではない。
その瞳が、一瞬だけ、何かに怯えたように揺れる。
そして、低く、かすれた声で呟いた。
「……あの方がお呼びだ」
その瞬間、獣の身体が、ふっと地を蹴った。
ドン。
その一歩で、地面が抉れ、村の地が揺れた。
誰よりも早く、誰よりも高く。
その巨体が、まるで弾丸のように空を裂き、山の向こうへと飛び去っていく。
誰も動けなかった。
ただ、ただその場に立ち尽くしていた。
アイは腕を抑え、ぼんやりと呟いた。
「……なに、今の……」
サングラスの男は、地面に座り込んだまま、深く息を吐く。
「あの方って……誰だ……?」
誰も答えられなかった。
だが、あの獣の魔族を従える何かが、確かに存在する。
それだけは、確信に変わっていた。
そしてそこに残されたのは、傷ついた4人だけだった。
戦いの翌日。
村の長老たちの手当てと治療のおかげで、4人はようやく動けるまでに回復していた。
破れた服、傷だらけの身体。
それでも、誰もが次の一歩を意識していた。
「行くか……魔界へ」
サングラスの男のその一言で、誰もが静かにうなずく。
次なる目的地は、主人公が消えた先。魔界。
けれど、どこに行けばそこに繋がるのか。
手がかりは、まだなかった。
その夜。
月が村の石畳を静かに照らす中、木製の門をノックする音が響く。
「こんな時間に……誰?」
アイがそっと外に出ると、そこには旅人風の男が立っていた。
深いフードで顔のほとんどを隠している。けれど、その目だけは鋭く光っていた。
「写真を見せてくれ」
そう言われ、アイが主人公の顔写真を差し出すと、男は小さくうなずいた。
「間違いない……あの時、見たやつだ」
「え……見たって、どこで!?」
男は少し考え込むようにしてから、ゆっくりと口を開いた。
「……南東の海の先にある、霧に包まれた島。地図にも載ってない“謎の島”だ」
アイの目が見開かれる。
「本当にそこに……?」
「通りかかっただけだ。船でな。だが、島の近くで、ヤツのような姿を見た。半分が人間、半分が……魔族のような」
「……っ!」
アイの背筋が凍る。
それはまさしく、主人公が最後に見せた姿と重なっていた。
そこに、サングラス男と他の2人が建物から出てくる。
「おい、何かあったのか?」
男は何も言わず、3人にも同じように情報を伝える。
それを聞いた3人はすぐに歩き出した。
「決まりだな。そこへ向かうぞ」
「よし、準備は出来てる」
「そろそろ本気で行くか」
歩き出す3人の背中を見て、アイも数歩遅れて追いかけようとしたその時だった。
男が、アイの腕を軽く掴んだ。
「お前だけに……言っておく」
その声はどこか切実だった。
「その島……普通の人間が行っていい場所じゃない。中身は地獄そのものだ」
アイが黙って見つめる。
男の声が、少しだけ震えていた。
「油断した瞬間、死ぬぞ。……マジで気をつけろ。生きて帰りたいなら、仲間を……自分を、見失うな」
そう言い残すと、男は振り返らずに歩き去った。
月明かりの下、風がそっと吹き抜ける。
アイは胸に手を当てながら、小さく息を吸い込んだ。
「……大丈夫。私は、あの人を……助けに行くんだから」
そして、仲間の背中を追って、夜の道を歩き出した。
4 / 8
魔界。罪を犯した者が落とされる、深く暗い世界。
その底に、1人の男が縛られていた。
魔王の仔。名もなく、ただそう呼ばれる存在。
かつて、主人公がまだ人間だった頃。
魔王は玉座に君臨し、この仔はその跡継ぎとして生まれた。
だが。
「お前は……人間に近すぎる」
魔族たちはそう囁いた。
確かに彼は魔族の力を持っていたが、心は人間に近かった。
人を傷つけることを嫌い、争いを避けようとした。
その罪が、彼をこの魔界の深淵へと追いやった。
「裏切り者が……!」
「血を拒むなど、魔族の恥!」
かつての仲間に槍を向けられ、
王の手によって、息子は粛清された。
死にはせず、生かされたまま、
魔界の深い闇の中に閉じ込められたのだ。
今。
燃え盛る業火と、冷たい瘴気が入り混じる、
矛盾した空間。業火の深淵。
彼は膝を抱え、ただ静かに座っている。
鎖に縛られ、動けず。
言葉を発せば、鋭い刃が喉元に現れる。
目を閉じれば、過去が焼き付く。
それでも、彼は思う。
(……これでよかったのか?)
彼の目の前には、燃え盛る玉座があった。
かつて自分が座るはずだった場所。
今は空っぽのまま、揺らめいている。
その時。
彼の瞳がわずかに揺れた。
遥か上空。魔界の狭間に、
黒と赤の混ざった気配が垂れてきていた。
その気配はどこか懐かしく、禍々しい。
(あれは……誰だ?)
その一方で。
魔界のさらに深い場所に、ひとりの影が立っていた。
半分は人間。
半分は闇そのもの。
主人公。
すでに人間の姿は曖昧で、魔王にも似ているが違う雰囲気をまとっていた。
右半身から黒い瘴気が立ち上り、
背中には短い角が生えている。
目の前には、閉ざされた魔界の門。
扉に手をかけようとしたその時。
「……また、お前か」
懐かしい声が後ろから聞こえた。
振り返ると、鎖に縛られた血まみれの男の子。魔王の仔が炎の中に立っていた。
2人の視線が交わった瞬間。
世界がほんの一瞬止まったように感じられた。
5 / 8
【回想。サングラス男】
赤黒い空が永遠に広がる、魔界の中心。王城の上層。
床に、無数の魔族が跪く中、1人の男が静かに王の前に立っていた。
それが、今のサングラス男。かつて「黒刃(こくじん)」と呼ばれた魔族だった。
漆黒の長髪、腰には1本の曲がった刃を持ち、紫の瞳をした彼は、王、当時の魔王である主人公の前に静かに膝をついた。
「……お前だけは、信用している」
主人公の声力を持っていた。
黒刃は少しだけ微笑んだ。
「それは光栄にございます、陛下。ですが、何故、私なのですか?」
主人公は一瞬だけ笑った。いつも無表情な彼にしては、珍しいことだった。
「他の奴らは、ただの力にすがってる。けど、お前だけは違う。力の意味を、理解している。」
黒刃は頭を下げながらも、問いを重ねた。
「私のような者でも、王のお気に入りでいられるのですか?」
「お気に入りって言い方は好きじゃない。けど……あえて言うなら、お前は側に置いておきたい奴だ。何があってもな。」
その言葉に、黒刃の胸の奥が、かすかに熱くなった。
戦いと命令だけがすべてだった日々に、主人公だけが「名前」や「信頼」というものを与えてくれた。
「……いつか、私がこの命を使う日が来るのなら。必ず、あなたのために使うと、決めてました。」
主人公は振り返らないまま、一言だけ返す。
「……なら、その時が来るまで、生き延びろ。お前の刀は、まだ終わってない。」
【回想終わり。 現在】
サングラスの男は、小さく息を吐いた。
焚き火のそば、他の2人が眠っている中で、アイだけが起きていた。
「……昔、俺は魔族だった。あいつ。今の彼が魔王だった頃、俺はずっとあいつの近くにいた。」
アイは驚いた顔をする。
「魔族だったの?あなたが?」
「信じられないだろ。でも本当さ。あいつが……魔王として孤独だった頃、唯一よく話してたのが、俺だったんだ。」
アイは目を見開く。
「じゃあ、あなたにとって……」
「……あいつは、俺の王だった。そして、友だった。」
風が木々を揺らし、焚き火の炎がゆっくりと踊る。
「たぶん。あいつもどこかで、思い出してる。全部を。」
6 / 8
波の音が、船の底を静かに叩く。
アイたち4人は、港で手に入れた一艘の小型の帆船に乗り込み、謎の島を目指して出航していた。
島は地図にも記されていない、霧に包まれた見えない島。魔族であったという情報提供者の言葉を頼りに、彼らは闇の海を越えようとしていた。
夜が更け、風が静まると、船の上にはゆったりとした時間が流れはじめる。
「なあ、こうして船に揺られてると、なんか腹減らねぇ?」
馬鹿っぽい刀使い、レオが大きなあくびをしながら言った。
「お前、さっき干し肉5枚も食ってたろ」
マッチョのギンが呆れたように答える。裸の上半身が、月明かりに照らされて光っていた。
「いやぁ、あれは前菜よ。腹に力入れて戦うには、やっぱ本格的な飯が必要ってやつ」
「…船の上じゃ火も使えねえ。贅沢言うな」
その横で、長髪でサングラスの男、ザックが無言で剣を研いでいた。片膝を立て、夜風に髪をなびかせながら、刃に細かく油を塗っている。
アイが、そっと彼の隣に腰を下ろした。
「…思い出したの? あなた、彼と過去に話したことがあるって」
ザックはしばらく無言だったが、やがて静かに口を開いた。
「ああ。あいつは……俺の記憶の中で、確かに魔王だった。でも、血を好むような奴じゃなかった。ただ、不器用なだけでさ」
「……そう」
「ずっと一緒に戦ってた。人間の村を壊すことに、あいつだけは乗り気じゃなかった。俺たちは、もう一つの種族として、共存できるはずだって……。でも、結局俺たちは……その理想を壊した側だった」
ギンが近くで眠ったふりをしながら、それでもその会話に耳を傾けていた。
レオは遠くの波を見ながら、呟く。
「……変だよな、魔族だったはずのあいつを、今は助けたいって思ってる。こっちが混乱するっての」
「でも、そう思えるってことは、少なくともお前ら、まだ人間だってことよ」
アイの声が優しく響いた。
風が少しだけ吹き、船の帆が音を立てる。遠く、霧の中に、うっすらと黒い島の影が見えた。
「そろそろか……準備、しとこうぜ」
ザックが立ち上がり、剣を背中に背負う。
レオとギンもそれぞれ武器を手に取り、アイも鞘に収めたままの一本の剣を見つめた。
「ここから先は、本当に戻れないかもしれない。いいのか?」
「戻る気なんて、最初からねぇよ」
ギンが、ぐっと拳を握りしめる。
「まぁ、なんとかなるって。俺の刀は、運を引き寄せるんだ」
レオが軽く笑って、意味の分からない自信を見せる。
「……私は、アイだから。最後までやるわ」
「じゃあ、行こうか」
4人の影が、静かに霧の向こうへと消えていった。
謎の島に船が着岸した。足を踏み入れた瞬間、腐りきった空気が肌にまとわりつく。
「ここ……やっぱり普通じゃない」
アイが言う間もなく、壁のひび割れから、地面の亀裂から、空から、一度に無数の悪魔たちが姿を現した。
獣のような鳴き声があたりに響き渡り、牙を剥き出しにした魔物が四方八方から襲いかかる。
「準備しろ!数は多いが、俺たちで押さえ込む!」
サングラスのザックが剣を抜き放つ。レオも刀を構え、ギンはその筋肉を震わせて拳を握った。
だが、悪魔たちの数は尋常ではなかった。数十、数百と増え続け、4人は押され始める。
「耐えきれない……増援を呼ぼう!」
アイが魔法陣を描き、通信を飛ばす。やがて、島の外から数百名の味方が応援に駆けつけた。
仲間の叫び声が響く。増援たちも武器を構え、戦いは新たな局面へと動き出した。
増援の呼び声が届いたと同時に、闇の海の彼方から無数の小型船が霧の中を割り裂くように姿を現した。
黒い帆と、揺れる旗印が夜空にぼんやりと浮かび上がる。数百の仲間たちが次々に上陸し、息をのむほどの迫力で魔族の群れと衝突した。
波の音も戦の喧騒にかき消され、島の周囲は叫び声と金属の打ち合う音で満たされる。彼らの武器が夜闇を切り裂き、魔族たちの牙と爪が敵を求めて飛び交う。
「ここからだ!」
ザックが鋭く叫び、剣を抜く。彼の周囲には幾重にも刀身が輝き、闇を斬るような鋭さを帯びていた。レオも刀を振りかざし、怒涛の勢いで獣のような魔族を薙ぎ払う。ギンはその筋肉を最大限に使い、拳一撃で敵を吹き飛ばしていく。
アイは少し離れた位置から魔法陣を描き、魔力を解き放った。輝く光の矢が無数の魔物の間を飛び交い、闇を切り裂いていく。
だが、その混戦の中、黒い霧のような瘴気をまとった五本指の1人が静かに近づいてきた。彼の身体は暗闇のに揺らぎ、その瞳は冷たく光っていた。
「アイ、気をつけろ……!」
ザックが叫んだが、間に合わなかった。
その五本指の男が手を伸ばした瞬間、アイは眩い光とともに空間から消えた。まるで光の粒子に包まれ、霧の中に溶けていくように。
ザックは唇を噛みしめ、残された仲間たちのために剣をさらに強く握り直した。
「アイが……消えた。あいつのためにも、ここで食い止める!」
レオが刀を振り上げ、絶叫と共に突進する。ギンも咆哮を上げて前に出た。
仲間の数百人は統制を保ちながら、魔族の無限湧きに押されつつも、一歩も退かずに戦い続けた。血と瘴気が混ざり合う戦場の中、彼らの叫び声は絶えず、闇を照らす灯火となっていた。
ザックはその中心で、魔族の攻撃を冷静に捌き、仲間の盾となる。彼の剣は夜の闇に映え、静かな殺意を帯びて光った。
「まだ終わらせるわけにはいかない……アイの分まで!」
戦場は激しさを増し、命を賭けた闘いは続いていった。
アイは雪深い山脈の頂上に立っていた。吹きすさぶ冷たい風が顔を刺す。標高は約一キロメートル。ここで、かつての最悪な記憶が鮮明に蘇った。あの暗い日々の痛みが胸に重くのしかかる。
そのとき、五本指の男が現れた。全身を真っ黒な霧で包み、輪郭がぼやけている。彼の名前は。いや、名前はもう重要じゃない。ただ1つ、彼が強敵であることだけが確かだった。
「ここで終わらせる。」
言葉は風に消される。男は瞬間移動を繰り返し、攻撃をかわしつつ、圧倒的な力でアイに襲いかかる。物理攻撃はほとんど通じず、彼の霧は防御と攻撃の両方に使われていた。
アイは冷静に対処する。彼女の治った二刀流の剣は鋭く閃き、何度も男の霧に切り込むが、男は一瞬で姿を消す。瞬間移動を使いながら、背後や側面から猛攻を仕掛けてくる。
「油断は禁物……!」
アイは呼吸を整え、次の動きを狙う。男の動きは早すぎて目では追いきれない。しかし、山の冷気と彼女の心の熱さがぶつかり合い、激しい戦いは続いた。
雪が舞い散る中、2人の影が絶え間なく動く。凍てつく風に混じるのは、鋭い金属音と彼らの呼吸だけだった。
アイと全身を黒い霧で包んだ男は、雪山の頂上で静かに対峙していた。
風が冷たく頬を撫でる中、霧の男は輪郭が曖昧なまま、ゆっくりと動き出す。
「ここで終わらせる。」
その声は風に消されかけていたが、強い意志が感じられた。
アイは二刀を構え、静かに息を整える。彼女の目は揺るがない。
男は霧をまといながら、少しずつ距離を詰めてくる。霧がふわりと動き、まるで空気の一部のように攻撃を繰り出した。
アイは素早く剣を交差させ、霧の刃を受け止める。霧は刃に触れてもすぐに形を変え、再び彼女を包み込もうとする。
「油断しない……」
心の中で繰り返し、自分を奮い立たせるアイ。剣先が霧を切り裂く音だけが静寂を破った。
男は瞬間的に姿を消し、別の場所から現れる。動きは滑らかで、一瞬の隙も与えない。
しかし、アイは冷静に動きを読み、次の一手を狙っていた。
「これ以上、譲れない」
そう呟きながら、光を帯びた刃で霧の中へと斬り込む。
男の輪郭が一瞬鮮明になり、霧が揺れる。だが彼は笑みを浮かべ、再び霧に溶け込んだ。
男の声がまた消えた。
雪は止まなかった。
時折吹き下ろす突風が、2人の間に舞い上がる。
霧の男は依然としてその姿を曖昧に保ったまま、距離を詰めたり、消えたり、また現れたりする。
そのたびにアイの剣が鋭く振るわれるが、確かな手応えはなかなか得られない。
「……手応えがない。全部、空気を斬ってるみたい」
アイは息を整えながら距離を取った。深呼吸する。体温は下がり、指先が冷たい。
男の攻撃は鋭く、そして巧妙だった。霧が触れただけで、力が削がれるような感覚がある。
それでも、アイは何度も踏み込んだ。
「どうして……あなたはここまでして、戦うの?」
問いかけには答えず、男は再び姿をかき消す。
そして次の瞬間、背後から黒い霧が迫る。
だが。
「読めた」
アイはとっさに身を低くし、地面を滑るように反転。そのまま一刀を横に振り抜いた。
霧が裂け、風が巻き上がる。
男はすぐに距離を取り直したが、その動きにわずかな「遅れ」が生まれていた。
アイは気づいた。
(……霧の中に本体がある。完全に同化してるわけじゃない。確かに、一瞬だけ輪郭が濃くなる時がある)
手応えは確かにあった。それでも決定打には至らない。
男は何も言わず、再び動く。足音も、気配も消えて。
けれどアイの目は、既に1つの狙いを定めていた。
(霧は視覚をごまかす。でも、風や、温度、気配までは消しきれてない)
彼女はゆっくりと呼吸を整えた。他の余計な考えを排除し、ただ感覚に集中する。
風の流れ、空気の密度、雪の落ちる音。
アイはすぐさま構えを取り直し、静かに呟く。
「あなたの霧、全部が無敵なわけじゃない。見せてもらう……その本体の在処を」
吹雪がさらに強くなった。
だが、アイの心は不思議と静かだった。
霧の男は確かに傷を負った。しかし、そのわずかな傷すら、黒い霧がすぐに覆い隠す。
まるで肉体という概念そのものが、彼には存在しないかのようだった。
(……やっぱり、普通の攻撃じゃ倒せない)
霧は刀を通さず、斬っても、何をしても、手応えがない。
霧の中心に何かがあるとしても、それが確実に弱点なのかもわからない。
「時間をかければ、こっちが削られて終わる……!」
アイの判断は早かった。
一歩踏み出したその足元が、がくりと崩れる。
氷に覆われた山の岩肌が剥がれ、雪が音を立てて滑り落ちる。
「ッ……!」
アイの体が斜面に引きずられる。
片手で剣を、もう一方で地面をつかみ、ギリギリのところで踏みとどまる。
その隙を、霧の男は見逃さなかった。
「……終わりだ」
霧が渦を巻いて迫る。まるで生き物のように形を変え、アイの体を丸ごと覆い潰そうとする。
だが。
「……まだ、終わってない」
アイの足元に、光のような模様が広がった。
円状の文様が雪の中に浮かび上がる。
「……冷たさの中で、私はずっと、これを育ててきた」
息を吐くたびに、空気が白く染まる。
瞳が鋭く細められる。
「氷葬。」
空気が一変した。
霧が一瞬、膨張するように震えた。
直後、アイの剣から淡く青白い輝きが迸る。冷気が吹き上がり、全方位へと拡散していく。
それはただの寒気ではなかった。
彼女の魔力と呼吸、そして怒りと祈りまでもが乗った、純粋な氷の力。
霧の男が距離を取ろうとする。だが遅い。
一度触れた霧が、みるみるうちに凍っていく。
空気の水分さえも凍結し、雪すら止まったように空中で固まった。
「……これが、通じるってこと⋯⋯よ!」
霧が、氷に変わる。
黒い影が、氷柱の中に飲まれていく。
その中心に、ようやく人の形をした本体が浮かび上がった。男の目が見開かれ、驚愕と恐怖が入り混じったその顔が、完全に凍った。
アイはゆっくりと歩を進める。
両手で剣を構え、風の止んだ山頂で、ただ一振りの答えを刻もうとする。
「さよなら」
剣が振り下ろされた。
刹那、氷柱に走る、鋭い音。
中心から真っ二つに割れ、凍った男の首が、音もなく落ちていく。
それはまるで、雪が静かに積もるように、何の抵抗もなく崩れた。
霧も、風も、もうそこにはなかった。
ただ、青白く凍りついた世界の中に、アイの息遣いだけが残っていた。
五本指、1人、撃破。
氷に覆われた山脈の頂上。
霧の男の首が転がり落ち、アイの剣先から冷気がすうっと引いていく。
「……はぁ、はぁ……やった……の?」
その瞬間だった。
空気が、止まった。
風が凍ったかのように、粉雪も、遠くの鳥の鳴き声も、何もかもが途絶える。
(……この、感覚……)
胸に走る、嫌な予感。
次の瞬間。
「パチンッ⋯⋯」
軽く、指を鳴らす音が響いた。
どこからともなく、ただ1つ、その音だけが。
アイの目の前に、空間の裂け目が現れる。
真っ黒な亀裂が、空に滲み、ゆっくりと広がっていく。
「……何、これ……?」
その時、別の場所にいたザック、ギン、レオ。
そして島にいた数百人の味方たちもまた、全員が同時にその音を聞いた。
「今の……指を鳴らす音か?」
「上……空間が、歪んでる……!」
だが気づいた時には遅かった。
足元が突然、崩れたのだ。
「なッ!? 重力が……違うッ!」
「う、嘘だろ!? 体が勝手に!まずい!」
全員が抗う間もなく、黒い闇に呑まれるようにして、一瞬でその場から消えた。
空間ごと吸い込まれたような感覚。
上下も左右もわからない、無重力の奈落へと。
次に彼らが意識を取り戻したのは、魔界の中枢にある歪んだ大地だった。
地面は割れ、空は燃え、赤黒い空気が重くのしかかる異常な空間。
火山地帯と氷原、大きな洞窟が同時に存在するような、不安定で異様な世界。
かつてない不快感と圧迫感が全身を包む。
「ッ……ここは……」
「……魔界……?俺たち、全員……?」
アイもまた、そこにいた。
倒れかけた体を支え、立ち上がる。
そして、彼女の目の前に現れたのは。
半魔王の姿をした主人公だった。
右半身からは黒い瘴気が溢れ、短い角。
左側には、まだ人間の面影を残した顔。
だが、その瞳はもはや、過去の彼ではなかった。
「……来たな」
たった一言。だが、それだけで場の空気が変わった。
数百人の兵士たちでさえ、その言葉1つで動けなくなるほどの、威圧。
ザックが前に出ようとするが、その場に膝をつく。
ギンもレオも、動けない。
「お前が……やったのか。俺たちをここへ……」
アイが唇をかみ、睨む。
「……ああ。ようやく揃ったからな」
そう言った彼の周囲には、すでに五本指のうち残りの4人が現れていた。
かつて遺跡で戦った、あの「金の爪」も、空から降り立つ「天使のような魔族」も。
そして最後に、中心で微笑む、黒い王冠をかぶった男。
彼らが、魔界の玉座の周囲を囲むように立つ。
「始めようか。本当の審判を」
魔界の中心、大地が歪み、玉座のような祭壇の前。
空に溶けるような黒霧が広がる中、半魔王の彼は、静かに一歩を踏み出した。
「……五本指の1体を、殺したか」
その言葉には、怒りも悔しさもなかった。
ただ、確かな称賛が滲んでいた。
「……やるな。アイ」
振り返りもせず、彼は前へ進む。
祭壇のさらに奥。そこには、異様な存在感を放つ門があった。
高さは軽く十数メートル、幅も同様。
全体は滑らかなメタリックな質感で覆われ、
中央には人間界と魔界を結ぶための古代語が、紫色で刻まれていた。
だが、何より異様なのはこの扉が、今も閉じていること。
あの謎の島へとつながるはずの道は、まだ開かれていなかった。
「……そうか、あそこだったな。最初に……俺が目覚めた場所」
主人公は、そっと扉に手を触れる。
金属のようで、冷たく、生きているような、妙な感触。
その瞬間、自分の姿が、扉の反射に映り込んだ。
角がある。片目が赤い。右半身から黒い瘴気が漏れている。
(これが……今の⋯⋯俺?)
言葉が、思考が止まる。
反射する自分の形を見て、主人公の目が徐々に開いていく。
そして。
脳内に、声が響いた。
『……おい。何の顔してんだ、それ』
『鏡でも見てんのか? 醜いな』
その声は、かつての自分だった。
人間だった頃の、純粋で、無力で、それでも誰かを守りたかった自分。
(……誰だ……俺か……?)
『そうだよ。お前だ。魔王ヅラして、でかい玉座に座って、何やってんだ?』
『本当に、それがやりたかったことか?』
そして
暗闇の中に、もう1人の自分が現れた。
黒い衣。鋭い瞳。角。
現在の、半魔王の自分。
『理想論は捨てた。そうするしかなかった。』
『仲間は裏切り、世界は拒んだ。だから俺は、選んだ。力を。孤独を。魔王を。』
『それが……お前の答え?』
2人の「自分」が、心の中で睨み合う。
『人を殺すなって、泣いてた奴はどこ行った?』
『力を持つのが怖くて、ずっと手を震わせてた俺は?』
『……弱かった。そんなもの、世界じゃ通用しない。理想なんて、踏みにじられるだけだった。』
そして、次の瞬間。
2人の「自分」が殴りかかる。
心の奥底、記憶と瘴気の渦巻く世界で、
拳と拳、理想と現実がぶつかる。
『俺はっ……まだ、終わってねえ!』
『終わってんだよ!もう戻れねえだろうが!!』
拳がぶつかり、互いに血を流し、
何度も、何度も、倒れては殴り合う。
これは、自分自身との戦い。
扉の前で、主人公は身動きを止めたまま、
しばらくの間、まるで時が止まったように、立ち尽くしていた。
外の誰にも、この「殴り合い」は見えない。
「……だが、俺はもう戻れない。」
彼は、静かに目を伏せて呟いた。
その言葉には、迷いも、悲しみも、怒りも、すべてが混ざっていた。
けれど、そのどれもが、もう過去の人間には届かない。
見上げた魔界の空は、紫黒く染まり、稲妻のような瘴気が走っていた。
彼はその空を眺めながら、口を開く。
「この魔界には……もう1体、魔王がいる。」
その声には、かすかに憎しみが滲んでいた。
「……奴は、俺と違って完全な化け物だ。理性も、形も、存在すら曖昧。すべてを模倣し、すべてを喰らう。」
「複数の頭を持ち、体を液体にも獣にも人間にも変えられる。姿も、声も、性格すら変えて、完全に成り代わることができる。」
「何にでもなれる。そして、何でもできる。」
主人公の声が低くなる。
「……あれだけは、俺が手を下さなきゃいけない。誰にも触れさせるわけにはいかない。」
重たい空気が張り詰める。
暗闇の底、魔界の裂け目に立つ主人公は、静かに目を見開いた。
白い瞳が闇を穿ち、その奥で何かが蠢く。
「構えろ。来るぞ!!」
その声は、雷のように場を裂いた。
彼は一歩、前に出る。
黒く染まった外套が揺れ、瘴気が地を這うように伸びていく。
主人公の気配が、変わった。
「……っ! これが……」
アイが息を飲んだ。
彼女も剣を抜き、身体を沈めて構える。
すぐ後ろで、ザックが剣を逆手に持ち、長髪をかき上げるように風を受けて立つ。
レオは刀を肩に担ぎながら笑い、ギンは黙って拳を握り直した。
4人は、全員が感じ取っていた。
ここからが本当の戦いだ。
そのときだった。
地面が震えた。
あちこちの裂け目から、雑魚鬼たちが這い出してくる。
獣のように咆哮しながら、何百という数が現れる。
だが、それだけではない。
火山の向こう。多くの殺気が走った。
ズゥゥンッ!!
空間が歪むようにして、次々に現れる強敵たち。
地面を切り裂いて跳び出す巨大な鬼。
鋭い爪と鎖を纏った魔族。
手が異様に長く、その腕全体には鋭い金属や針を持つ悪魔。
それでも、皆の視線は一箇所に集まった。
現れた。奴らが!
五本指の残り、4人。
1人目。
赤と黒のマントを羽織った男が、拳を強く握るたび、周囲の重力が歪む。
「……何人殺れるかな。楽しみだなあ」
2人目。
金色の槍を持ち、白い翼を広げた天使のような魔族。
高い場所に立ち、俯瞰で全体を見下ろしている。
「さて……正しき者は誰か、選別といこう」
3人目。
四足で走る、獣のような魔族。
口からは熱気を吐き、目は赤くギラついている。
「……潰す……」
そして。
4人目。
その中心で静かに佇む、黒の王冠をかぶった赤い瞳の男。
黒のローブをまとい、表情1つ動かさず、仲間たちを見下ろしていた。
何かを語るわけでもなく、ただそこにいるだけで、空気が変わる。
「……マジかよ、あれが全員、敵……?」
レオが苦笑混じりに呟いた。
「上等だ……やるしかねぇ」
ギンが拳を鳴らす。
数百人の味方たちも次々に武器を構え、陣形を整える。
「生き残れ。必ず、次に繋げる」
ザックの声が、全軍に響いた。
その言葉に、アイも強く頷く。
彼女は刀を構えながら、主人公の背中を見る。
(あなたは……どうするの?)
その背で。
主人公は、静かに左手をかざす。
その指が、再び鳴らされようとしていた。
これは、命の選別だ。
真の戦いが、ここから始まる。
その瞬間。
誰が合図したわけでもなかった。
ただ、全軍が同時に動いた。
「行けええええええッ!!!」
先頭を走ったのは、レオ。
長刀を振るいながら、最前線に飛び出す。
刀身が煌めき、雑魚鬼の首を跳ね飛ばす。
「まとめて来いよ、クソどもッ!!」
そのすぐ横を、ギンが突進する。
全身に力を込め、拳で鬼の巨体をぶち抜く。
腕に絡みつく鎖をちぎり、飛びかかる魔族の群れを真正面から粉砕。
「止まるな!!抜けるぞ!!」
ザックが仲間たちに指示を飛ばしながら、剣を動かす。
鋭い動きで敵を斬り抜け、最小の動きで最大の効果を叩き出す。
まるで数手先を読んでいるかのように、群れの隙を突く。
そして、アイ。
「全員、援護する!前に出すぎないで!!」
剣と魔法を同時に使いこなし、仲間の背を守るように舞う。
水と氷の術を組み合わせ、敵の動きを封じてから、仲間に仕留めさせる。
戦場で、彼女は要だった。
魔界の地が、揺れる。
叫び、金属音、爆発音。
何百、何千という命が、交錯してぶつかり合う。
それでも。
空気が異常になる瞬間があった。
ドォンッ!!
「っ……!」
重圧。
前線の空間が歪み、そこに現れたのは。
五本指の1人。赤と黒のマントを纏った男。
拳を強く握るたびに、空気が爆ぜる。
「俺が潰してやる。何人でもいい」
そしてもう1人。
白い翼を持つ、金の槍の天使。
浮かぶように空中を舞いながら、十数メートル上空から突撃。
「人間よ。希望を持つな」
突き刺さる金の槍。
味方の陣形が崩れる。
「後退しろっ!囲まれるぞ!!」
ザックが叫ぶも、獣のような魔族が、地面を砕いて突進。
四足の化け物、第3の指だ。
「ガルル……狩りの時間⋯⋯ダァ!!!」
仲間が吹き飛ばされる。
「耐えろっ……!くそっ……数が多すぎる!」
ギンが喰らいつくように敵を殴り倒す。
その拳には傷が入り始めていた。
「レオ、下がれッ!!」
「いや、俺が行く!!」
レオは燃えるような目で、突撃し続ける。
1人でも多くの敵を倒すために。
そして、中心。
王冠をかぶった男。
五本指の中心人物が、動かないまま、周囲の戦況を見ている。
まるで神の視点。
彼の瞳が、次々と仲間たちを見下ろしていく。
怒りも、悲しみも、そこにはなかった。
ただ1つ、無感情な選別の目。
その視線が、主人公と交錯する。
「……!」
主人公は目を見開き一歩、踏み出す。
門の前。
黒く巨大で、生き物のように脈動するその扉の前に、2人の男が立っていた。
1人は、王冠の男。
「……お前を魔王に戻してやった。感謝くらいは、あって然るべきだろ?」
彼の言葉に、もう1人、半魔王の姿となった主人公は、何も答えなかった。
顔を上げ、ただ静かに、目の前の男を見据えている。
その黒い瞳の奥が、震えていた。
「……」
その時、胸の奥で何かが弾けた。
脳裏を、あの始まりの光景が強烈に駆け抜ける。
【回想・核心の真実】
瓦礫の道。
土と血にまみれた地面。
その上に、倒れていた自分。
(ああ……そうだ。思い出した)
あれは、魔王としての記憶をすべて失い、
魔界で裏切られた後。
「処分」として、捨てられた瞬間だった。
だが何故かその時は、体が人に生まれ変わっていた。記憶もないまま。力も忘れ。
王冠の男が言ったのだ。
「このまま、人間の世界に放ってみよう」
「彼の中の魔王の力が暴走すれば、それもまた一興」
「記憶を封じ、力を抑え、ただ壊れかけた器として」
その言葉通り。
彼は意図的に、人間界の地に投げ捨てられた。
だから、村人に拾われたときには何も覚えていなかった。
名前も、過去も、力も。
ただ、意味もわからず、生きていた。
その全てが、今、蘇る。
【現在・再び門の前】
「……お前が、俺を……」
主人公の声は低く、かすれていたが、確かに怒気を含んでいた。
「記憶を封じ、力を封じ、人間界に廃棄したのか……?」
王冠の男は、にやりと笑った。
「おかげで今のお前がある。感情も記憶も、力も取り戻し。こうして、俺の前に立っている。なにが不満なんだ?」
だが。
バッ。
一歩。
主人公が踏み出しただけで、地面が鳴った。
「お前のために戻ったんじゃない。ただ……全てを思い出した今、ようやく自分の意志でここに立てる。その意味が……わかるか?」
次の瞬間。
主人公の目が、これまでとは違う確信を宿した光を放つ。
「感謝?冗談じゃない。この力も、記憶も……お前を殺すために戻ってきたとしか思えない。」
バチィッ。
空気が引き裂かれる。
王冠の男の笑みが、初めてほんのわずかに歪む。
(――これは)
(もう、かつての魔王ではない)
(自分の意志を持った、完全な存在だ)
この瞬間、
門の脇にあった魔界の空間が揺れ、
五本指の残りの者たちも、ゆっくりと動き出す。
「なら⋯⋯もう一度やってやるよ。お前の記憶なんて、また封じてやればいい、初めから、やり直せ」
そう呟いた王冠の男は、無音のまま主人公の背後瞬間移動し、立つ。
たくさんの殺意があるまま、静かに腕を振り上げ、主人公の記憶をまた消そうとした。だが。
ズッ⋯⋯。
その腕が、空中で止まった。
いや、落ちた。切断されたのだ。
「……は?」
驚愕の声を出す男の視界に映る。
主人公の背後。
そこには、あの折れたはずの妖刀。
今、鞘から黒い炎と紫電をまとい、禍々しくも凛とした光を放っていた。
ギィィン!!
という甲高い音と共に、抜刀と斬撃はまるで一動作のように繰り出されていた。
何も見えなかった。
彼の動きは、すでに意識より速かった。
「お前に……俺を語る資格なんてない」
主人公は、振り返りもせず、低くそう言った。
次の瞬間。
主人公の手が、まだ呆然としている王冠の男の首元に伸びた。
そしてゆっくりとその体を持ち上げる。
地面から、ほんの少し。
つま先が、わずかに宙を浮いた。
「……これで終わりだ」
視線が合った。
その一瞬、男の顔に初めて、恐れの色が浮かぶ。
次の瞬間。
バシュッ!!
主人公の放った片脚の蹴りが、男の顔面を直撃した。
音すら遅れて届くほどの音速の一撃。
王冠の男の頭部が砕け散り、
その体は力を失い、闇の中へと崩れ落ちた。
静寂が戻った。
轟音が、魔界の大地を揺らす。
四方八方から湧き続ける魔物たち。
地を這うもの、空を舞うもの、炎を吐くもの。
仲間たちはそれぞれの位置で限界まで抗っていたが。
それでも、数と質の両方がまずかった。
「くそっ、キリがねぇ……ッ!」
ギンの拳が巨体の魔物を貫く。だがそのすぐ横から、別の牙が襲う。
レオも、汗と血を混ぜながら吠えるように叫んでいた。
「あと何体いるんだよ!数、盛りすぎじゃねぇか……!」
その叫びが空へ吸い込まれていく中。
アイの身体が、大地を滑るように吹き飛ばされた。
「アイッ!!」
ザックが一瞬叫ぶも、届かない。
彼女は地面を何度も転がり、ぶつかり、
やがて、巨大な門の前まで転がり着いた。
荒く、乱れた呼吸。
ぼろぼろの衣服。
剣は手から離れ、力が入らない。
それでも、目だけは閉じない。
アイが見上げる先に立っていたのは主人公だった。
そして、その背中に、落ちた王冠と黒い炎の残り香があった。
主人公は振り返らない。
だが、気づいていた。
風に混じって届く、アイの気配に。
彼女もまた、それを感じ取る。
「……来たのか……」
目の前には、メタリックな巨大な門。
主人公のすぐそば。
黒く染まった地面。
空に浮かぶ、禍々しい裂け目。
だが、それでも。
「立たなきゃ……まだ、終わってない」
アイは血を吐きながら、地を這い、剣を探す。
遠く、ギンも、レオも、ザックももう限界に近い。
そして空には、あの五本指の残りが、じわじわと動き始めていた。
だが。
ここに、再び灯った火がある。
あの背中が、目の前にある限り、まだ、戦える。アイはそう信じていた。
アイが剣を握りしめ、地を這うように立ち上がろうとしたその時だった。
「……まだ、立てるかよ。お前、強すぎんだろ……」
聞き慣れた、軽口。
地を蹴って、レオが転がるようにして現れた。
髪はボロボロ、腕からは血が流れている。
だが、笑っていた。いつもの、馬鹿みたいな笑顔で。
「ったく……勝手に先行くなよ。置いてかれるの、嫌いなんだよ、俺は」
そのすぐ後ろから、巨体の影が地を踏みしめる。
「はあ……ほんと……やってらんねえ」
ギンが肩を引きずりながら現れた。
右腕は完全に上がらず、呼吸も荒い。それでも彼は、立っていた。
「やっと……追いついた。アイ。無事で……よかった」
最後に静かに歩みを進める影。
「全員、まだ生きてる……それだけで、奇跡だ」
サングラスの奥の瞳が、すっと揺れる。
ザックが、剣を杖のように突き立て、膝をつきながらアイの横へと並ぶ。
「……立てるなら、共に立て。ここが、最後の土壇場だ」
アイは一瞬、言葉を失った。
仲間たちのボロボロな姿が、焼きつくように目に映る。
(……ここに、戻ってきてくれた)
剣を握る手に、力が宿る。
4人が並び、門を背にして立つ。
その前方には、空に浮かぶ五本指の影たち。
地にはなお溢れ続ける魔物。
空気は張り詰め、遠くで雷鳴が響いた。
その中心で、主人公はまだ静かに立っていた。
仲間たちの声が、彼にも確かに届いている。
思い出の中で、燃え尽きずに残っている絆が、
静かに胸を揺らしていた。
「……これで、全員か」
ザックが静かに呟く。
その言葉に、アイもレオもギンも頷いた。
魔界の門の前。
歪んだ空の下、4人の仲間が背を並べて立つ。
彼らを正面に、主人公は静かに立ち尽くしていた。
風が吹き抜ける。
燃え盛る瘴気の海の中で、世界が一瞬だけ、静かになった。
主人公は、初めてゆっくりと、後ろを振り返った。
そこには、かつての仲間。
共に戦い、命を懸けてぶつかってきた者たちの姿。
傷だらけで、血を流し、ボロボロになりながらも自分のためにここまで来てくれた者たち。
「……なんで、だよ……」
その声は、小さく震えていた。
言葉にできない想いが胸に溢れていく。
(俺は……お前たちを、突き放してきたのに。信じることも、背中を預けることもできなかったのに……)
ギンの無骨な拳が。
レオの軽口が。
ザックの静かな背中が。
そしてアイの、あたたかな眼差しが。
すべてが、胸の奥で重なり、音を立てて崩れていく。
立ちすくむ彼に、そっと近づく足音。
気づいた時にはアイが彼を、そっと抱きしめていた。
「……おかえり」
耳元で、たった一言。
その瞬間、主人公の肩から力が抜けた。
「……俺は……魔王になって、全部……失くして……もう、戻れないって……ずっと、思ってたのに……」
「違う。私たちは、ずっと……あなたを探してた。ここまで来たのは、あなたを信じてたから」
アイの声が震える。
気づけば、2人の目からは、たくさんの涙が流れていた。
主人公の心の奥から、大きな音がした。
それは、心の中で、もう1人の魔王の自分が、崩れ落ちる音。
暗闇の中、玉座に座ったもう1人の自分が、ゆっくりと立ち上がる。
そして、自分自身に向けて、静かに頭を下げた。
「……ありがとう。もう、いいんだな」
次の瞬間、心の中の魔王は笑って、消えた。
現実に戻ると。
主人公の身体を覆っていた黒い紋様、角や爪、闇の鎧が、溶けるようにして崩れていった。
紫の炎も、黒き瘴気も、
ただ静かに霧となって消えていく。
彼の姿は、あの日のままの人間の姿へと戻っていく。
アイはそのまま彼を抱きしめ続けていた。
主人公も、そっとその腕を返す。
「……ありがとう。お前が……お前たちが、俺を……救ってくれた」
ギンが、レオが、ザックがそれを見守りながら、少しだけ微笑む。
目の前にはまだ五本指が立ちはだかっている。
だが、もう彼らは迷わない。
なぜなら、もう一度、仲間として、ここに集えたのだから。
魔界の空に、たくさんの裂け目が開き、そこから次々に人間界の兵士たちが降り立った。
機関銃を構えたSWAT部隊、
重装甲をまとった軍隊の先鋒部隊、爆撃ドローン、魔導科学による新兵器、そして世界各地の冒険者・傭兵・騎士団たちがそれぞれの武器を携えて、魔界へと侵入してきた。
彼らの眼差しは、1つだった。
「人類を守るため」
「仲間のため」
「この世界を終わらせないため」
巨大な闇の地平線の上に、
銃声、剣戟、叫び声、魔法の閃光が交差する。
魔界の大地が揺れた。
四方から現れる無数の魔族、悪魔、妖怪たち。
その数は、無限。魔王を倒すまで。
戦っても戦っても終わらない。
1体を倒せば、さらに10体。
強敵を倒せば、さらにその上が湧いてくる。
ギンが叫ぶ。
「くそっ……いくらでも湧いてきやがる!!」
レオが刀を構えながらも、口元だけ笑って言う。
「本物の地獄ってやつじゃねぇか。……面白くなってきたな!」
ザックは静かに仲間たちを背に立ち、
両手の剣を逆手に握って、前を見据える。
「来いよ、魔族ども……。こっちには、魂の重さがある。」
皆がそうつぶやき、門の前に立つ。
世界中から集まった仲間たちが、次々と魔界へ入り込み、数千、数万の軍勢が黒い空の下で戦いを繰り広げる中。
門の前に立つ、主人公・アイ・ザック・レオ・ギン。かつての仲間たちはボロボロになりながらも、なお剣を握る。
主人公が、重く閉ざされた巨大な扉へ手を伸ばそうとしたそのとき。
「……待て。」
その声と同時に、闇を裂いて現れた3つの影。
残りの五本指。真なる強敵たち。
「貴様らは、ここで終わる。秩序を乱した、罪の軍。」
「オオォオオオ!!食らい尽くしてやる!」
「来るぞ!構えろ!!」
主人公の叫びと同時に、全員が動いた。
【激戦、開幕】
まず飛び出したのはレオ。獣の魔族へ真っ向から突っ込む。
「俺の刀はな、勢いで当てるんだよッ!」
だがその巨大な体と圧倒的な筋力は、レオの一撃を紙のように弾いた。逆に吹き飛ばされ、地面を転がる。
「チッ……硬ぇな!」
一方でザックは天使の魔族と空中戦を展開。高速で動くその槍に、ザックの剣が何とか応じる。
「……美しい顔して容赦ねえな」
彼の剣が軌道を追うたび、空気が爆ぜ、羽根のような斬撃が飛ぶ。
地上ではギンが、拳の魔族と一騎打ち。
「来いよ、ぶっ壊してやる!」
拳と拳がぶつかり合う。一撃で地面にクレーターが生まれるほどの激しさ。だが、相手は一切ブレない。まるで鉄塊のような拳に、ギンの腕が裂ける。
「ッ……クソが、まだだッ!!」
【主人公、動く】
「……もう十分だ。ここで終わらせる。」
主人公は、今や禍々しさを失った、人間の姿。
だがその瞳には、すべてを超えた静かな決意が宿っていた。
手には、かつて折れた妖刀。
いまや真っ黒な炎と紫電に包まれたその刀を握る。
一瞬、すべてが静かになる。
そして。
「うおおおおおあああ!!」
地を蹴り、獣の魔族へと飛び込む。
その突進を受けた獣は、鼻を鳴らす。
「遅いッ!」
爪を振り上げた瞬間、その腕が……斬れていた。
「……え?」
目にも見えない斬撃。主人公の振るう刃が、闇とともに空間を裂いたのだ。
「今の俺には、先が見えてるんだよ」
そのまま獣の喉元を斬り抜け、空中へと吹き飛ばす。
すかさず、天使の魔族が槍を投げてくる。その軌道を、主人公は妖刀で正確に弾くと、空へ跳躍。
「見た目だけじゃ、天使にはなれないな」
斬り下ろした一撃が、羽根を引き裂き、金の槍すらも砕く。
だが拳の魔族だけは違った。
「無駄だ。」
一言、低く呟くと、地面を蹴った。拳が突き上げる。
主人公は、今度はその拳を真っ向から受け止めた。
地面が裂ける。空気が震える。
「っぐ……!!」
だが、主人公の足は止まらない。
「これは、全部背負ってきた力だッ!!」
振り下ろした斬撃が、拳を砕いた。
一瞬の沈黙。そして、赤と黒のマントを羽織る男に囁く。
「俺は前と違う。全員、終わりだ。」
その言葉とともに、残された3体の五本指は、地に伏す。
倒れた獣の魔族が、最後に言った。
「魔王……貴様は、もう……」
主人公はその目を閉じた。
「魔王じゃない。俺は⋯⋯俺自身だ」
勝利の余韻など、一瞬でかき消された。
ズゥン……ズゥン……ッ!
地鳴りのような重低音が響き始めたかと思えば、背後。門とは逆方向の闇の奥から、何かが歩いてくる。
空気が変わる。重力が増すかのように、肩が自然と下がる。呼吸が、苦しい。
「……何だ? この、圧……」
ギンが顔をしかめる。誰よりも肉体に敏感な彼でさえ、膝を折りかけた。
「まさか……あれが……」
ザックの手の剣が微かに震えている。
アイも一歩、主人公の背に隠れるように立った。
「来るぞ……」
主人公の声が、静かに響いた。
そして。
【本物の魔王】
暗闇を切り裂いて、1体の存在が姿を現した。
全身は岩のように隆起した筋肉で覆われ、肌は燃え上がるような深紅。
黒の王冠を歪んだまま頭に載せ、燃えるような金のマントを引きずっている。
目は深い闇に沈み、瞳孔の奥から紫の光が燃えている。
手足は太く、動くたびに大地が揺れる。
それは、かつての魔王などではない。もはや神罰のような存在だった。
「……誰が、魔王を殺していいと許した?」
その声は、雷鳴のように響き渡り、全軍が一瞬動きを止めた。
主人公が、目を細める。
「……お前が、魔王か」
「違う」
マッチョの魔王は笑った。
「俺こそが、始まりの魔王だ。お前など、ただの模倣に過ぎん。」
次の瞬間。
その巨体が地を蹴った。
速い!!
レオが咄嗟に叫んだ。
「やべえ来る!!下がれッ!!」
だが、間に合わなかった。
拳が主人公の正面へと振り下ろされる。
それはただの拳ではない。空間ごと叩き潰す一撃。
主人公は咄嗟に妖刀を横に構え、受け止める。
「ぐっ……!!」
衝撃で地面が崩れ、岩が砕け、仲間たちが吹き飛ばされる。
ギンが身体を張ってアイをかばい、ザックがレオを後方へ引きずる。
「クソッ……なんて力だ……!」
主人公は拳を止めている。止めているが、両足がズズッと地を削って下がっていく。
「これが……本物……!」
魔王の目が燃えるように光る。
「貴様に、何が守れる?」
その言葉とともに、魔王の筋肉がさらに膨張する。
拳が、次の動きに備え、熱を帯びている。
(これは、ただの力じゃない……破壊そのもの……)
主人公は妖刀を握り直す。
「なら見せてみろ。お前が始まりなら、俺は終わりを見せてやる」
そして。最終決戦が始まる。
7 / 8
主人公との激闘の中、魔王の体が急に変化し始めた。
筋肉はさらに膨れ上がり、全身に黒い鱗が浮かび上がる。
鋭く伸びた爪、獣のように歪んだ牙が口から覗く。
背中からは黒い影の翼が生え、目は深紅に光った。
「……変身か……!」
ギンが息を飲む。
次の瞬間、魔王の動きが信じられない速さで変わった。
まるで音速の衝撃波のように、閃光のごとくフィールドを駆け抜ける。
拳一撃で大地がえぐれ、空気が裂ける。
「おおおおお!!」
レオが叫びながら、思わず身をかわす。
ザックも剣を構えて必死に対抗する。
だがその時。
奥から、呼ぶ声が聞こえた。
「おーい!!こっちだ!!!」
アイが驚いて顔を上げる。
そこに現れたのは……魔王の仔。
まだ幼さの残る姿で、だがその瞳は鋭く光っている。
「お前……なんで脱出できて……」
獣と化した魔王が、その仔に向かって低く唸った。
「まさか、あの檻から……」
仔は息を切らしながらも、こちらへ手を伸ばす。
「早く来てくれ!こいつらが押し寄せてくる!もう時間がない!」
魔王の獣の目が鋭く光り、口元がわずかにほころぶ。
「なら、行くか……」
魔王の獣の姿は仔に向かって唸り声をあげた。
「お前は……何をしている!」
その声には、激しい怒りと困惑が混ざっていた。
仔は怯まず、必死に声を張る。
「逃げろって言ったのに……戻ってくるなんて!」
だが、魔王はそのまま仔に襲いかかった。
獣の爪が空気を切り裂き、怒りのまま一撃を放つ。
「止めろ!」
その瞬間、背後から閃光が走った。
音速で動く主人公が、一瞬の隙をついて割って入り、魔王の攻撃を阻止する。
「動くな、あいつは俺が相手する。」
獣の魔王と主人公の睨み合いが始まる。
だが戦いは門の前だけで終わらなかった。
【魔界全体を駆け巡る死闘】
2人はそのまま音速で駆け抜けていく。
足元では数百の仲間と敵がぶつかり合い、魔界中で激しい戦闘が繰り広げられている。
敵の雑魚や強敵の集団、混沌とした戦場は次々と彼らの戦いの舞台となる。
主人公は敵の間を縫うように跳び、攻撃をかわしながら魔王に向かう。
「逃がさない……!」
魔王も負けじと爪や翼で反撃し、2人の攻防は魔界のあらゆる場所へ飛び火する。
戦いの合間、壁が崩れ、地面が割れ、火花が散り、悲鳴が響く。
仲間たちは主人公の影に勇気づけられ、敵に立ち向かう。
だが、魔界の闇は深く、敵の無限湧きが続く限り、戦いは終わらなかった。
山の奥深く、吹きすさぶ風が遠くに響く。
魔族はひとり、無言のまま洞窟の入口をくぐり抜けていった。
彼の動きは静かで、まるで敵を警戒するでもなく、ただ奥へと歩を進めていた。
その姿に、不思議と敵も動かなかった。
闇の中、彼は無数の触手を静かに体の周りに纏い、警戒を怠らない。
歩みを止め、薄暗い洞窟の奥を見据えたその時、男の心にかつての人間としての記憶が鮮明に蘇る。
暖かかった家族の笑顔、守りたかった約束、そして失ったもの。
その思いが彼の体を貫き、決意を固めた。
「もう……あいつを放置できない。」
男は触手を一斉に伸ばし、魔王の獣態が暴れ回る山の戦場へと繋がる時空の裂け目へと跳ぶ。
【魔王の拘束】
激闘の只中、魔王が暴れ狂い、周囲の空間が歪む。
そこへ、触手が空から降り注ぎ、まるで生き物のように魔王の体を捕らえていく。
「なに……!?」
魔王が暴れ、翼を広げて抵抗するが、触手は鋼のように硬く、自在に形を変えて締め上げる。
動きを封じられ、魔王の凶暴な咆哮が山中に響き渡る。
優秀な男は静かに言った。
「ここで動きを止めなければ、すべてが終わる。」
魔王の暴走を食い止めるため、彼は自らの触手で強力な拘束を形成し、魔王をその場に固定する。
その姿はまるで、かつての仲間を守ろうとする戦士のようだった。
魔王は触手に縛られたまま、静かに背中を見せた。
その背中から、細く黒いトゲが数十本、まるで魔法陣の一部のように並び始める。
「終わらせる」
魔王の静かな声が戦場に響くと同時に、トゲはゆっくりと固定していた魔族へと向かって伸びていった。
男は抵抗しようとしたが、トゲは柔らかく絡みつくように体を包み込んだ。
動きを封じられたそのまま、男は動けなくなり、じわりと力を失っていく。
魔王は何も言わず、ゆっくりとトゲを引き上げた。
男の体は静かに地面に崩れ落ち、戦場には一瞬の静寂が訪れた。
魔王の目が鋭く光る。
その身体が一瞬にして動き、まるで風のような速さで襲いかかる。
主人公は必死に目で追い続けた。
だが、あまりにも速すぎて、その動きは一瞬の幻のようだった。
そして……ほんのわずかな隙。
ドスッ!!
魔王の手が伸び、主人公の腹部、真ん中あたりを貫いた。
冷たい衝撃が体中に走り、主人公の息が少しずつ消えていく。
「ははっ……」
激しい戦いの中、魔王が主人公に止めを刺そうとした瞬間、遠くから風を切る音が急速に近づいてきた。
その速さはまるで音速を超えるかのようで、1人の男が現れた。
かつて切実な言葉を残したあの男だった。
「お前たちを見捨てるわけにはいかなかった。」
そう言うと、男は素早く魔王の周囲を動き回り、的確に魔王の首、胸、腹、手足を封じるように攻撃を仕掛けた。
魔王の動きが徐々に鈍り、最後には完全に動きを止めてしまった。
戦場に静けさが訪れ、仲間たちに希望の光が差し込んだ。
男は迷いなく一気に魔王に襲いかかった。
激しい攻防の中、魔王の圧倒的な力に押され、男は倒れてしまう。
だがその代償は大きく、魔王も深い傷を負い、動きは鈍くなっていた。
それでも魔王は、倒れた男に向かって手を伸ばす。
しかし、体のあちこちが言うことを聞かず、首や腕、腹、胸、足と、まるでバラバラになるように崩れてしまう。
魔王はそのまま力尽き、ゆっくりと静かな場所へと歩みを進めた。
そこに座り込み、静かに膝をつくと、まるで塵が風に飛ばされるように、姿は徐々に小さくなり、やがて完全に消えてしまった。
戦いの余韻と共に、周囲には静寂が戻った。
魔王が消えたその瞬間、世界は一瞬だけ止まったように感じられた。
空気が凍りつくように静まり返り、辺りにいた魔族たちの姿が次々と消え去っていく。
呻き声も、咆哮も、怒号も、何もかもが消え失せ、まるで霧が晴れるように無音の静寂だけが広がった。
「……終わったのか?」
ギンが呟く。筋肉の鎧のような体が小さく震えていた。
「これで……やっと……」
レオはまだ信じられないように、目を見開いたまま言葉を詰まらせる。
ザックは黙ったまま、剣を握り締めていたが、瞳の奥にはわずかな涙が光っていた。
「もう……こんな地獄みたいな場所に付き合ってられねぇ……」
と、ぽつり。
そしてアイは、その光景を見つめながら、心の中で呟いた。
「みんな……生きてる。戻れる……私たち、まだここにいるんだ」
だが、彼女の胸には複雑な感情も渦巻いていた。
「あの男の言葉が重い……『普通の人間が行っていい場所じゃない』。本当にその通りだった。だけど、私たちはここに踏み込んだ。仲間を守るために……」
倒れて動かぬ五本指の死体。
その冷たい瞳は、もう何も映さず、ただ静かに世界の終わりを告げていた。
「……これで終わりじゃない。何かが、まだ動き出すかもしれない」
ザックはそう呟き、剣の刃を地面に突き立てた。
ギンは拳を強く握りしめ、遠くに見える魔界の闇を睨みつけた。
「俺たちは……ここで戦った。誰も裏切らなかった。最後まで……」
レオはふと空を見上げ、震える声で言った。
「みんな……みんながいたから、ここまで来れた。ありがとう……」
静寂の中、ひときわ大きく、風が吹き抜けた。
その風はまるで、消えた魔王や魔族たちの魂を運ぶかのように、優しく、そして切なく響いた。
主人公は深く息を吐き、今ここにある平和が奇跡のように感じられた。
「終わったんだ……」
だがその言葉には、まだ消えぬ決意も込められていた。
「これからが本当の始まりだ……」
彼らは静かに立ち上がり、互いに視線を交わした。
大きなあの門を開けた先には、静寂が広がっていた。
しかしその静けさは、決して安堵のものではなかった。
「この門を二度と開けないように封じるには、生贄が必要だ。」
仲間の誰かが静かに告げる。
「生贄……?」
皆の視線が一斉に、かつての魔王の首を探すが、それはもうこの世界には存在しなかった。
「ならば……」
その時、アイが静かに声を上げた。
だが咄嗟に気づく。
「主人公はどこ……?」
その問いに応えるように、奥の闇の中で、かすかに横たわる影が見えた。
それは倒れている主人公の姿だった。
その体は今にも崩れそうで、腕はなく、足もなく、顔は血で汚れ、腹部には大きな穴があった。
けれども、そこに横たわる姿には、かつての強さの残り香がまだ感じられた。
「俺が……生贄でいい」
その声はかすれ、弱々しかったが、揺るぎない決意が込められていた。
「俺に任せろ……みんなのために、最後まで」
アイやザックたちは言葉を失い、涙があふれた。
そこに静かに近づいたのは、魔王の仔だった。
彼は主人公の肩にそっと手を置き、その冷たくなった体を優しく撫でた。
「助けてくれてありがとう」
その声は穏やかで、暖かく、どこか懐かしい響きを持っていた。
「今までのこと、少しずつ思い出してきた。君が倒れていた日のことも、君が何を背負ってきたのかも」
主人公の瞳に、かすかな光が戻り始める。
「助けられてばかりだった俺が、今度はみんなを守る側になった。……それでも、迷いは消えなかった」
魔王の仔は静かに頷いた。
「僕も同じだよ。君が諦めなかったから、僕もここにいる。君は決して1人じゃなかった」
その言葉に主人公の胸が熱くなる。
「楽しかった……本当に、楽しかったぞ、アイ。最高の冒険だった」
涙がこぼれ落ちる。
「みんなに出会えて、戦えて、笑えて」
その言葉に、仲間たちの涙は止まらなかった。
「じゃあな、みんな……」
主人公は静かにうつむき、もう言葉は出なかった。
魔王の仔がそっと主人公の肩に寄り添い、仲間たちはその光景を見守る。
胸の奥に残る痛みも、別れの寂しさも、すべてを抱えながら。
その場に立ち尽くし、皆が涙を流しながら、主人公の強さと優しさを忘れないと誓った。
それは、終わりではなく、新たな未来への始まりの瞬間だった。
8 / 8
【魔王の仔視点】
空は静かだった。
音も、風も、光さえも、まるで時間が止まったように、すべてが遠ざかっていた。
僕の目の前で、君は倒れていた。
血の色に染まった大地に、刀だけがまだ力を宿していた。
でも、それももう限界だった。
君の命と共に、その力も静かに消えていこうとしていた。
僕は、ただ理由もなく、立ち尽くしていた。
ほとんど何もできなかった。
止めることなんて、できなかった。
「やっぱり……来ちゃだめだった」
呟いた声は、もう君には届かない。
だけど、きっと分かってたんだよね。
これが、自分の役目だってことを。
君は、最後まで戦った。
僕を守るために。
仲間を守るために。
世界を守るために。
そして、何よりも君は、ずっと自分自身と戦っていた。
君が落としたその刀に、僕はそっと手を伸ばす。
重く、冷たかった。
でも、あの日、初めて手を伸ばしてくれた時の、あの温もりが確かに残っていた。
だけど、もう君はいない。
それでも、きっとどこかで、また会えると信じてる。
それが希望でも、呪いでも、なんでもいい。
君がいた、この世界を、僕は絶対に忘れない。
アイも、ザックもギンも、レオも、何も言わず、魔界に残る君をただ見つめながら⋯⋯涙をこぼしながら。
「ごめん」「ありがとう」という言葉を繰り返していた。
「……最初に、僕に話しかけてくれたの、君だったよね」
そう呟いた僕に、誰も何も言わなかった。
でも、それがよかった。
君の名前は、誰も知らない。
それでも、君が誰だったかは、みんな知っていた。
名前なんてなかったけど、君は、間違いなく、僕らの仲間であり、戦友だった。
君がいなければ、この冒険は始まらなかった。
君がいなければ、誰も救われなかった。
扉は、静かに閉じられた。
そして封印のために呪文を唱え、完全に門は閉じられた
二度と開くことはない。
なぜなら。
君が、それを望んだから。
でも、もう君はいない。
それでもきっとどこかで、また会えると信じてる。
それが希望でも、呪いでも、なんでもいい。
君がいた、この世界を。
僕は、忘れない。
魔王の仔 ちょむくま @TakinsaCI
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