【短編小説】出口のないモールにて|鞄に入れた3冊の本

よーすけ

出口のないモールにて|鞄に入れた3冊の本

無音の開店前



朝のモールには、音という存在がなかった。


いつもと同じように冷房の風が吹き、業務用エレベーターの低いうなりも聞こえてくる。


それでも、僕にはまるで“音がすべて脳内に吸い込まれている”ように感じた。


35歳になった僕は、モールの従業員として働いていた。


働く時間、働かない時間。

いつでも、僕は違和感のなかにいた。

周囲からの無言の差別。


自分の思考も、行動も、否定されていく感覚。

それでもめげずに動き続けてきた、その孤独さがあった。


今日も出勤カードを無言で端末へ通し、静かな無人のフロアを歩いていく。


通路に向かって並ぶ、様々なシーズンに合わせた衣服をまとうマネキンたちは、今日も誰にも見られず立ち尽くしていた。


僕は、この時間だけは、

「この世界には誰もいない」

そう思った。


近くを通りかかった同僚が「おはようございます」と声をかけてくれば、小さく頭を下げて返す。ただそれだけだった。


一応、挨拶はする。

誰とも、必要以上に話すつもりはなかった。


話すことがないのではない。

「話す必要がない」と感じていた。


僕は、今日のワークスケジュールに目を通しながら、「今日のラストは、閉店時の出入り口管理か、まあ気楽だな」そうポツリと心の中で呟いた。


週末に比べて人の少ない平日、最も静かなポジションでもあり、淡々と業務をこなす彼にとっては好都合だった。


この場所は、どこか夢の中に似ている


僕はふと、不思議ながらそう思った。

現実でありながら、現実からズレているような感覚。


音が消えているように、感情も薄れていくような無感覚が自覚できた。


それでも僕はいま、ここに存在していた。



広すぎる寝室



やっと休憩か。


僕は、せかせかと業務をこなしながらも、淡々と自分のやるべきことをこなしながら、腕の時計を確認した。


店内を歩きながら、通りすがりのお客様へ挨拶を繰り返し、足早にバックヤードへと向かった。


80番。

自分の番号が表示されたロッカーの前に辿り着いた僕は、汗だくになった制服を脱いて軽く畳み、名札を首から外して、身軽になった。


さあ、休憩だな。

緊張を軽く解きながら、とある扉を開いた。


なぜだろう?

ホテルのような大きなベッドが並ぶ部屋に迷い込んだ。


そこには、なぜか両親がいる。

少し過去の記憶のようでもあり、現実のようでもある。


ふたりの顔は、どこか違和感のある表情で、こちらを静かに見つめていた。


両親との関係は、今も穏やかだった。

それでも僕は、


「ここに長く居られない」


と、自然と悟っていた。

そうして僕は、静かにこの部屋を後にした。



ミーティングという名の檻



同僚たち、働く人たちが集まってミーティングが始まる。


僕は軽く慌てながらも、その場へ向かった。

皆が静かに、しかし熱心に語り合っている。


遠くから見つめながら、中には入らず、距離を置いて眺めていた。


彼らの笑顔や仕事への熱意に、違和感を覚える。


ひとり思考をめぐらせながら、胸の中から自然と湧いてくる気持ちを言葉にした。


「なぜ、僕はここに居るのだろう」

「この檻にはもう戻りたくない」


そんな思いが、喉の奥から飛び出そうとしていた。



閉店の予感



モールが閉店する時間。


僕は出入り口の閉店担当となり、店閉まいを始めた。


ガラスの自動ドアを閉めようとスイッチを探し、床のマットを手直ししていた時、


ふと、閉店直後の出入り口にひとりの中年男性が現れ、サッと店内に入ってから、何も言わずに引き返して立ち去っていった。


「この人は誰だろう?」


僕は自然に疑問を抱くが、どこか知っている感覚もあった。


社会へ交わらなければならないという焦りと義務感。

それでも、そこにどうしても馴染めず、立ち去っていく後ろ姿。


この人はきっと、未来の自分。

社会に染まりきれなかった、もうひとりの自分の象徴なのではないかと。



本棚の前にて



淡々と静かに店閉まいを終えた僕は、

静かで薄暗い店内を疲労感を抱えながらも、重い足を持ち上げては休憩所まで足を運んだ。


そこには、見慣れているようで見慣れていない、小さな3段ほどの本棚があった。


僕は、その本棚を端から眺めていきながら、本を探す。


自分の持ち物であろう6、7冊ほどの本が紛れて置いてあり、他人の本と並んで一塊に並んでいた。


仕事を終えた仲間たちのうち、何人もの人間が、この本棚に群がりながら、たくさん並ぶ本たちを眺め、選び取ろうとしている。


経済、政治、心理学…

そんなジャンルの本たちが自分の本の中にあるなかで、僕はこれだなと、


「どう生きるか」「孤独こそ大切」といった本を3冊だけ選び、鞄にしまった。



出口のないモールにて



本を抱えて、モールから帰ろう。

そう出口へ向かった僕だか、どうしてか、扉が見つからなかった。


グルグルと回り続けるような感覚。

自分がどこへ帰るのか分からなかった。


鞄には選んだ本が入っている。

孤独を選び取った自分が、そこにはいた。


なぜだろう。

夢から覚めるように意識が遠のいていく…。


誰かと一緒じゃなくてもいい。

無理に繋がらなくてもいい。


ただ、僕は僕の本を持って、生きていくだけだ。


このモールには居場所はなかった。

しかし、モールの外には世界が広がっている。

そう、生きる場所はそこにあったんだ。


そう感じながら、僕の意識は柔らかく消えていった。

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