ダンテの新曲

鳥尾巻

しんきょくde かみきょく

 我を過ぐれば憂いの都あり

 我を過ぐれば永遠とこしへ苦患なやみあり

 我を過ぐれば滅亡ほろびの民あり


 ――汝等ここに入るもの一切の望みを棄てよ


 頭上にそんな文言が刻まれた門をくぐるような、そんな重たい気持ちで、教室のドアをくぐる。とはいえ、ボク、有江ありえ響生ひびきの高校生活は地味で退屈で単調だ。

 友達もいないし帰宅部だから教師に指名される以外、誰とも口を利くことがない。

 休み時間は本ばかり読んでいる変なやつだと思われているだろう。クラスメイトに名前を覚えられているのかどうかも知らない。


 だって誰とも口を利いてないから。


 出入口にぼーっと突っ立っていたら、後ろからドン! と誰かがぶつかってきた。安っぽくて甘いコロンの香りと、高い声。


「あ、ごめんごめん」


 ばっさばっさと風が起こりそうなまつ毛と緑のカラコンがボクを覗き込む。派手なメイクと髪色のクラスメイト。こういう子ギャルって言うのかな。派手だけどきれいな顔立ちには似合ってる……気がする。

 たしか苗字は甘利あまり。下の名前は栞奈かんな。出席番号が近いからなんとなく覚えていたけど。


 ボクもごめん、とか。もごもご言おうとしているうちに、彼女は他の女子のところへ行ってしまった。

 いちおう喋ろうとはしてるんだよ。誰も聞いていないだけで。


「かんな~。おそーい。今日もギリじゃん」

「へへ、昨日ダンテの新曲公開しててさあ。聞いてたら寝不足になっちゃった」

「あー、あんたの推し? ってやつ?」

「そうそう、これ聞いてみ?」


 彼女はスマホを取り出し、動画を再生して友達に見せている。ボクはリュックを机の横にかけて、その上に突っ伏した。

 聞くつもりはなかったけど、彼女たちは結構な音量で聞いてるから、音が丸聞こえだ。ぽろん、ぽろん、という優しい楽器の音色と、細くて高い男性の声。


 ぼくたちは おたがいが 

 どこにいるか しらない

 きっと あえば

 ひとめで わかる

 wow wow

 タマシイGPSで さがすのさ

 wow wow


「ねー? これよくない? マジ神曲かみきょく

「ナニコレ」

「カリンバって言うんだって」

「あんたも変わってるよね」

「別にいいじゃん。好きなものは推せるうちに推せ、だよぉ」


 たしかに。すぐ消えちゃう配信者とか多いもんね。近ごろのギャルはシル〇ニアで遊んだり、コスプレ衣装作ったりするみたいじゃないか。あれは創作か。まあでも別に何を推してもいいとボクも思う。


 あ、盗み聞きじゃないよ。彼女たちの声が大きいから、勝手に耳に入ってくるんだ。


「たぶん、めっちゃ美少年だよね。声きれいだし」

「えー、そうかー?」


 ボクは緩みそうになる頬を押さえて、寝たふりをした。彼女には悪いけど、それ。


 ……ボクなんだ。

 

 ダンテって名前は本棚にあった本から適当につけた。なんかちょっと中二病っぽいけど、雰囲気あるかなって。


 従兄弟のにいちゃんが、アフリカ土産でくれた「カリンバ」という民族楽器。木の箱や板に付けられた、平たくて細い金属の棒を指で弾いて音を共鳴させる。主に、親指で弾いて演奏するから「サムピアノ(親指ピアノ)」とも呼ばれてる。


 友達もいないし、一人で遊んでいたら、いつの間にか上達していた。にいちゃんに薦められて、最初は有名曲のコピーとかしてアップしてたんだけど、そのうちオリジナルの歌詞を自分で歌うようになった。


 甘利栞奈。ほんとは名前めっちゃ覚えてます。ボクが細々とやってる動画チャンネルの数少ないファンだから。AMAって名前でいつもコメントくれるの嬉しい。


 名乗り出てキモがられても申し訳ないから、何も言わないけど。


「同い年くらいかなあ。どうやって作詞作曲してんだろね」

「さあ」


 ああ、さっきの曲は。朝がた変な夢見て寝起きに書いたやつ。


「こないだの『くちびるでPUSH』もヤバかった」

 

 透明なSとMの間

 ボクの心は丸見え

 くちびるでPUSH

 くちびるでPUSH

 パペ・サタン

 パペ・サタン

 アレッペ!

 きみの舌に届けたい


「パぺ・サタンアレッペってなに? 新種のフラッペ?」

「緑色のクリームとかいっぱいのってんだね、きっと」


 あー、それはね。コンビニで買ったアイスコーヒーの透明な蓋に「くちびるでPUSH」って書いてあったんだよ。昭和のポップソングみがあるなあと思って歌詞を足した。

 パぺ・サタンアレッペはダンテの神曲・地獄編に出てくる今も解明されてない言葉。実はボクもフラッペみたいだと思ったんだよね。


 心の中で解説しながら、我ながらきもいと思ってやめた。別に彼女がボクを退屈地獄から救ってくれるベアトリーチェだなんて思わない。


 ただ、心の中で、毎日、ありがとうって言ってるだけなんだ。



◇◇◇


引用:ダンテ・アリギエリ「神曲」

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