第8話 雪の合宿、白の間に残る温度
アプリが朝の光みたいに静かな通知を落とした。
《イベント開始:冬休み直前・校内合宿(1泊2日)》
《課題》
・共同生活:配膳/清掃/就寝・起床遵守
・屋外活動:通路の除雪、来訪者誘導
・創作:**「雪景色+一言」**を提出
《評価:公共安全・共感・未来・自律》
《現在LAP:482pt(10位)》
(校外の次は“共同生活”。言い訳の逃げ道がないやつ、来たな)
バス乗り場。冬の空気は金属みたいに冷たくて、息が白い。
「英樹、軍手三枚重ね理論を授けよう!」
狛井迅がドヤ顔で手袋を振る。
「それ、指が動かなくなるやつだろ」
「じゃあ“ホッカイロ二枚貼り”。背中とお腹」
「お前は燃える男を目指してるのか」
鈍いクラクション。点呼の声。アプリに座席表が出て、俺の隣には白亜莉玖の名前が静かに灯った。
バスが走り出すと、窓の外には、だんだんと街の色が消えて、灰から白へと世界が薄まっていく。
「……“沈黙30分”やる?」
「うん」
俺たちは同じページを持たず、同じリズムで紙をめくった。言葉がいらない時間は、たいてい言葉より雄弁だ。終わりの合図もいらない。ページを閉じる音が二つ、同時に重なった。
* * *
山のロッジ。木の香り。吐く息が一瞬だけ白になって、すぐ溶ける。
榊原が手短にルールを告げる。
「安全最優先。夜間外出は禁止。消灯は22時。共同生活の乱れは減点だが、助け合いは加点だ」
役割表には、配膳・洗い物・廊下清掃・除雪。俺は配膳/洗い物に手を挙げた。
「英樹、俺は除雪! “雪の申し子”になってくる!」
「迅、スコップは申し子を選ばないから気をつけろ」
斑鳩澪音はタブレットを掲げる。
「除雪は通路優先、段差の見える化。テープを巻く。——以上」
「監督、今日も厳しい」
「データは転ばないためにある」
昼。配膳で汁を運んでいると、背後から袖をつままれた。
「英樹、皿、持つよ」
「ありがとう」
莉玖の手が皿を受け取る。手袋を外した掌は少し赤くて、その温度が皿越しに伝わってくる。
「“共同生活”、嫌いじゃないです。前後を手伝うのが好きだから」
「前後、な」
文化祭で交わした合言葉みたいに、その二文字で心が落ち着いた。
午後は屋外活動。白で満たされた校外通路は、綺麗だけど危ない。
「右側、段差。テープ、五センチ幅」
澪音の指示で迅が器用に色テープを貼っていく。
「任せろ、“手続きは正義”バッジ保持者だ!」
「ここで役立つ肩書きあったな」
作業の途中、斜面で茉凛が足を取られて尻もちをついた。
「——っ、冷た……いてて」
軽い捻挫っぽい。俺はしゃがんで距離を取りつつ声をかける。
「立てるか。痛い方向にひねらない。靴を脱がないで圧覚えさせるから」
「英樹、慣れてる?」
「部活でね。RICE——冷やすのはこのあと。まずは移動」
肩を貸して段差まで戻す。莉玖が救護袋を持って駆けてきて、即座にカイロと包帯、テーピング。
「ありがとう。……英樹、こういうときの声、落ち着いてる」
「内心はバクバクだ」
「知ってる。眉がいつもより一ミリ上がってる」
「そんな精度で俺を見るな」
茉凛は苦笑いして、でも目の端に少し涙を滲ませた。
「悔しい。次は一緒に除雪したい」
「明日の朝、様子見て決めよう」
アプリが小さく震える。
《公共安全 +10/危機対応 +12/共感 +6 合計 +28》
* * *
夕方。雪はやんで、空の白が薄い金色に変わる時間。創作課題——「雪景色+一言」の提出だ。
鷹宮怜央は、雪面に花の形を描き、光の角度を読んで、ペアの子の影を花芯に落とした。
「——『君が立つ場所が、春の位置』」
完璧。場が自然に拍手する。
(強い。だから、俺は“俺のやり方”でいく)
俺は莉玖と、ロッジの脇の、誰も歩いていない薄い斜面に立った。
「主役は景色でも、人でもなくて、温度にしたい」
「温度」
「ほら」
俺は軍手を外し、雪の上で両手を合わせる。数秒置いてから手を離すと、そこに二つの手の跡が残る。
莉玖も隣に同じことをして、四つの跡が並んだ。雪はすぐ冷えていくのに、跡だけがゆっくり沈んでいく。
迅が身を伏せて角度を変え、
「背景、遠景の木で玉ボケ……いける!」
俺はスマホに指を走らせ、一言を打つ。
『白のあいだに残る温度。
帰り道まで、持って帰る。』
送信。
アプリが震える。
《創作:言葉 +15/構図 +10/時間選択 +0(校内)/合計 +25》
澪音が写真を覗いて、珍しくふっと笑った。
「比喩一回、擬態語ゼロ。最高点」
「そこ採点基準なの、いつもながら独特だな」
「独特じゃない。届くための経験則」
* * *
夜。食堂での夕食は、炊きたての米と湯気の立つ味噌汁。
迅が炊飯器の前でドヤる。
「見てくれ! 保温スイッチを押すのだ!」
「炊飯スイッチ押せ」
「なるほど!」
わちゃわちゃの向こう、怜央が配膳を手伝い、さりげなく食器の高さを揃えていく。その整い方に、場が自然と静かになる。
食後、ロッジのラウンジで質問カード。
「今日の“できなかった”は?」
回ってきたカードに、俺は迷わず書く。
「人に頼るタイミング」
莉玖が隣で小さく頷く。
「英樹くんは頼られ慣れているから」
「自覚、ないけど」
「じゃあ、今。私に頼ってください」
「……明日の朝、茉凛の足、再チェック。一緒に来て」
「もちろん」
アプリが静かに震えた。
《未来 +10(明確な共同計画)》
消灯前。窓の外で粉のような雪が舞っていた。
合図のチャイム。俺は部屋へ戻るドアノブに手をかけて、一度だけ引き返す。
廊下で立ち止まっていた澪音に、カイロを差し出した。
「冷えるの、苦手だろ」
「データに無い情報、よく観測できた」
澪音はカイロをポケットに入れ、短く目礼する。
「門限は守りなさい」
「了解。自律 +5、だな」
「よろしい」
俺は踵を返し、消灯時間に間に合うように部屋へ戻った。
アプリが小さく震える。
《共同生活 +10(配膳/洗い物)/時間厳守 +5/自律 +5 合計 +20》
* * *
翌朝。淡い空。茉凛の足は、軽い張りだけで済んでいた。
「いける?」
「半分だけね。残りは受付で声出す」
「それが正解」
ロッジ前の最後の除雪では、怜央がわざと遅い子のペースに合わせてスコップを動かしていた。
「揃えることも速さの一つ」
「覚えておく」
帰りのバスの中、俺と莉玖は窓の外の白を眺めながら、来週の“沈黙30分”のページを決めた。
「今日は写真集にしようか」
「賛成。“言葉が少ないのに伝わる”やつ」
「うん」
校門が見えたころ、アプリが一気に集計を吐き出した。
——ピロン。
《冬合宿 集計》
共同生活(配膳/洗い物/就寝起床):+18(内訳:共同生活+10/時間厳守+5/自律+3)
屋外活動(公共安全・危機対応・共感):+28(公共安全+10/危機対応+12/共感+6)
創作「雪景色+一言」:+25(言葉+15/構図+10)
未来(明確な共同計画):+10
チーム連携・補助:+15(段差見える化・協力・反省共有)
合計:+96
数字が、また一歩、白の上でくっきりと前に進む。
【LAP】482 → 578pt
【ランキング更新】
1位:鷹宮怜央(LAP 880)
8位:崎津英樹(LAP 578)
35位:狛井迅(LAP 120/称号【教師に愛されし者】【手続きは正義】【炊飯理解者】)
(八位。——見えてきた)
ロッジで撮った“手の跡”の写真が通知欄にちらりと現れて、すぐ消えた。
俺の中には、まだ少し熱が残っていた。
白のあいだに沈んだ温度は、ちゃんと持ち帰れた。
次のイベントまで、前後を一緒にやる練習を続ければいい。
それが、俺の選び抜いた素直さだ。
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