火傘職人と火蜥蜴

福本サーモン

本編


 火傘職人の朝は早い。


 俺はいつも通り、夜明け前に目を覚ました。工房の炉に薪をくべ、火を熾す。炉が唸るたびに、まだ暗い工房が赤く照らされる。

 そして、仕込んでおいた火蜥蜴サラマンダーの皮を、なめし液の桶から取り出す。濡れた鱗が灯火を反射して、微かに赤く揺らめいた。乾燥台に広げると、焦げたような匂いがふっと鼻をつき、胸の奥にざらりと残る。


 そこまで作業した後、汲み置きの水で手を洗い、ついでに顔も洗う。冷たさが皮膚を引き締め、ようやく頭が冴えてくる。


 ふと、窓を押し開けた。

 まだ夜の名残をまとった外気が流れ込み、煙と焦げの匂いが鼻をつく。東の空はわずかに白み始めているが、山の方角は黒々とした煙に覆われていた。まるで大地そのものが呼吸しているかのように、絶え間なく空へと立ちのぼっている。


 火雨スコーチが降った翌日は、山が黒く煙を吐く。


 空から燃えながら落ちてくるのは、無数の火蜥蜴だ。その理由を知る者はいない。だが燃え落ちた後に残る皮や鱗は、火雨を遮る傘の素材となる。

 だから職人は、こういう見晴らしのいい場所に工房を構え、火雨の後の山へ足を運ぶのだ。


 俺は棚から煤けた防火靴を取り出し、足をねじ込んだ。底は厚く、灰に埋もれた火種を踏み消しても焼け落ちないよう鉄の板が仕込んである。

 紐をきつく結び、膝まで覆う革を折り返すと、ようやく心も山に向かう準備が整った。



***


 昨晩の火雨スコーチで焼けただれた斜面を歩くと、黒い岩肌のあちこちに白い煙が細く立ちのぼり、焦げた匂いが鼻腔に張りついた。靴底の下で灰がざらつき、時おりくぐもった破裂音とともに赤い火種がはぜる。


 ただの火種だけならいい。だが火雨の後には、焦げ残った魔物が巣穴から這い出してくることもある。焼けただれた皮膚の下にまだ火を宿した獣たちは、痛みに狂い、目についたものを襲う。

 耳を澄ませながら、俺は半ば炭となった火蜥蜴サラマンダーの残骸を拾い集めて革袋に放り込んでいった。そのほとんどは指先で崩れてしまうほど脆い。だが欠けた鱗や薄片でも、繋ぎ合わせれば一本の傘になる。

 いつもそうしてきた。だから、ひたすら拾い続けた。


 その時だった。


 空から、ぱちりと赤い閃きが落ちてきた。

 反射的に、背負ってきた傘を跳ね上げる。火雨の名残――降り残りが一筋、尾を引いて俺の頭上に突き刺さった。鱗の傘に弾かれ、じゅっと火花を散らして転がり落ちる。


 斜面に落ちたそれを、思わず目で追った。

 ただの焦げ残りかと思ったが、違った。


 ――まだ生きていた。


 掌ほどの火蜥蜴が、煤けた鱗を震わせながら身をよじっていた。鱗の端は煤けて波打ち、腹がかすかに上下している。熱を失いかけた小さな体が、必死に生き延びようとしているのが分かった。


 まだ小さい。採れる皮など微々たるものだ。

 ……それでも、この大きさで火雨を生き延びたとなれば、皮は並のものではない。燃え残りこそが、強靱さの証だ。


 俺の手は、思わず腰の短刀へと伸びていた。革巻きの柄に指をかければ、あとは一息で事は済む。今ここで喉を裂けば、良質な皮を無駄にせず持ち帰れる。

 刃の重みを意識した瞬間、火蜥蜴がかすかに鳴いた。震える声とも、熱のはぜる音ともつかない。煤けた鱗の奥で、赤い目が俺を見返していた。


 しばらく立ち尽くした。

 手の中で命を量る秤が揺れている。素材か、生き物か。職人の理屈と、ただの迷いがせめぎ合う。


 やがて、短刀から指を離した。革袋を肩に担ぎ直し、もう片方の腕でその小さな火蜥蜴を抱え込んだ。

 体温は熱いはずなのに、不思議と肌に沁みるような弱さを感じた。



***


 火蜥蜴サラマンダーはすぐに工房の片隅を自分の居場所にした。

 最初に干し肉を差し出したときは警戒していたが、やがて小さな歯でかじかじとかじりはじめた。食べ終えると名残惜しそうに尻尾をぱたぱた揺らした。

 生肉を与えれば目を爛々と光らせ、飛びついて喰らい、鱗の色艶が日に日に増していった。掌に収まっていた体が、いつの間にか腕にずしりと乗るほどに大きくなってきている気がした。


 そして同時に、火を宿す生き物としての危うさも現れ始めた。

 木の実を転がして遊んでいたかと思えば、炉の奥に頭を突っ込み、炎を舐めるように息を吸い込んで火花を散らす。尻尾を振れば、火の粉が工具や木片に燃え移りそうになり、慌てて叩き消したこともある。夜は膝の上で丸くなって眠るが、ときおり体温が上がりすぎて、布がじりじりと焦げる匂いを放った。


 ……思い出すのは、街で聞いた話だ。

 魔物に情けをかけ、仔を拾って育てた者がいたという。だが成長した魔物は、ある日ためらいもなく主人を食らった。「魔に心を許すな」と、老人たちは今も口を酸っぱくして言い伝えている。


 確かにこいつも、触れれば不思議と心地よい温もりを与えてくれる一方で、その眼差しがふと獲物を狙うように鋭くなる瞬間もあった。

 可愛らしさと危うさの狭間にある生き物。――それが、工房に棲みついた火蜥蜴の姿だった。


 それでも夜には必ず俺の膝の上に戻り、安心したように小さな寝息を立てる。その重さと熱を感じるたびに、ただの素材ではなく命として向き合わずにはいられなかった。



 だが、工房の経営はじわじわと傾きつつあった。

 近年は錬金師たちが人工皮革を生み出し、市場では「安価で燃えぬ傘」が出回っている。遠目には火蜥蜴の皮と見分けもつかず、軽く、仕立ても早い。庶民にとっては、職人の血と汗をかけた傘よりよほど手軽だった。

 俺の作った傘は「趣味人の贅沢品」扱いされ、見込みほどの値で売れることはなくなった。


 そして、山に出る時間も減った。火蜥蜴を工房に置いている以上、長く家を空けるわけにもいかず、素材の仕入れは滞る一方だ。

 そのうえ、餌代が馬鹿にならなかった。干し肉や獣肉を与えれば与えるほど、こいつは目を輝かせて喰らい、体はみるみる大きくなる。成長を見るのは嬉しくもあったが、その分、財布は日に日に軽くなっていった。


 炉の火を維持するための薪代すら心許なく、工房の棚には売れ残った傘ばかりが埃をかぶって並んでいく。


 眠る火蜥蜴の側で、短刀を取り出す。

 刃が炉の火を反射して、きらりと光った。



「……すまんな」



 苦渋の言葉を口にしながらも、俺の胸の奥では別の熱が蠢いていた。

 これほどの火蜥蜴は二度と手に入らない――その皮を張れば、必ずや一本の傑作となる。


 ひと目で俺の名を広めるほどの火傘を、きっと。

 その欲と誇りが、迷いを押しのけるように刃を導いていた。



***


 まずは皮を洗う。灰を混ぜた冷水で揉み込めば、鱗の余分な脂が落ち、熱が静かに抜けていく。


 次に、裏打ちされた肉と脂を削ぎ落とす。包丁の刃先にまとわりついた削ぎかすからは、鉄と脂の甘い匂いを含んだ蒸気が立ちのぼり、まるで命の残り火がまだ息づいているかのようだった。


 皮を灰汁に沈め、火山灰と樹液の液に数日漬け込む。泡がひとつ弾けるたびに色が深まり、火が抜けていくのを朝ごとに確かめた。


 引き上げた皮は乾かしながら、油を塗り込む。そうすることで、鱗の一枚一枚が柔らかさの奥に刃も通さぬ強靱さを宿す。


 それらを裁断し、鉄と木を組み合わせた傘骨に縫い合わせる。動作を確かめるように広げると、よく乾いた帆布のようにピンと張った。


 最後に炎にかざす。鱗がぱちりと鳴り、互いに噛み合う。その音を合図に、一本の傘が生まれた。火雨スコーチの下で揺るがぬ赤黒い盾として。



 仕立てあがった傘は、まさに理想そのものだった。鱗の噛み合わせは完璧で、炎を宿したような光沢が全身に走る。

 これほどの品を作れたのは、職人として歓喜すべきことのはずだ。



 ……だが胸の奥に広がったのは、誇りではなく深い沈みだった。

 欲を満たしたはずなのに、心は空洞のように重く、冷えていた。



 結局、俺はその傘を棚の奥に仕舞い込み、売りに出すことはなかった。



***


 久々に山へ入った。

 焼けただれた斜面にはまだ赤黒い火種が点々と残り、靴底で踏み消すたびにぱちぱちと音を立てた。拾い集める火蜥蜴サラマンダーの鱗は上質だったが、胸の奥には澱のようなものが残っていた。――工房に残した、あの一本の傘の重みだ。


 袋の口を結びながら、どうにも息が詰まる。素材を拾っているはずなのに、手の中にあるのは命を削ぎ取った残滓に思えてならなかった。

 ぼんやりと足を動かすうちに、焦げた森を吹き抜ける風のざわめきが遠くなる。


 その時。


 背後で、獣の咆哮が弾けた。

 はっと振り返るより早く、野生の気配と、爪が迫る。

 体が固まった瞬間――鋼の閃きが走り、獣の腕を真っ二つに裂いた。


「大丈夫ですか!」


 声の主は、背丈のある女剣士だった。

 陽光を浴びた剣身から滴る魔物の血を払う所作は鮮やかで、その立ち姿は英雄譚から抜け出したかのようだった。


 思わず見とれた、次の瞬間。


 ガクンッ、と剣士の膝が抜け、体が揺れる。


「お、おい?」


 慌てて声をかける間もなく――



 ばたんっ!



 剣士は盛大に倒れ込んだ。土煙がもわっと舞い上がる。

 呆気にとられる俺の耳に、蚊の鳴くような声が届いた。


「……はら、へった……」


 あまりにも小さく、あまりにも情けない声だった。

 あれほど凛々しい立ち姿を見せた直後とは思えない。


 その落差に呆気を取られつつ、俺は慌てて彼女を背負い、工房へと駆け戻った。



***


 工房に連れ帰り、炉の火で温まった食事を出すと、剣士はものすごい勢いで平らげた。


「……助かりました。私、各地の火雨スコーチの伝承を集めて旅しているんです」

「伝承?」

「はい。人々がどう受け止めてきたかを記して……いつか本にまとめたいと思っていて。まさか火傘職人と出会えるなんて、思いもよりませんでした」


 彼女は、壁に並んだ火傘へと視線を移した。


「……これ、全部あなたが?」

「そうだ。売れ残りばかりだがな」


 俺が肩をすくめると、女剣士は真剣な目で傘を眺めた。


「いや、すごいですよ……。人工皮革じゃない、本物の火傘。まるで鎧のように強そうだ。それにこんな細工、初めて見ました」


 感嘆混じりの声に、胸の奥がわずかに揺れた。彼女の眼差しには嫌悪も偏見もなく、ただ職人の仕事を見抜く純粋さがあった。


 ふと、彼女の視線が棚の奥にしまった一本に止まる。


 ――例の傘。


 俺は逡巡した末、それを取り出した。

 鱗の重み、縫い目の堅牢さ、そして炎の名残のような光沢。


「これは……格が違う」


 彼女は静かに言った。その声音に、誇りと痛みが同時に疼く。


 俺は短く事情を語った。火蜥蜴サラマンダーを育て、最後には傘に仕立てたこと。

 語り終えると、剣士はしばらく黙って傘に触れ――やがて笑った。


「……いいじゃないですか」

「……いい、だと?」

「ええ。あなたは命と真摯に向き合った。だからこそ、この傘には力が宿っている。問題なんてない。むしろ誇るべきですよ。これほどのもの、売りに出せばすぐ名が広まります」


 彼女の言葉は、胸の奥の澱をひとつ溶かすようだった。


 ふと、俺は気づいた。


「……そういえば。あんたは火傘を持っていないな」


 問いかけに、剣士は少し驚いた顔をしてから、肩をすくめた。


「旅の途中で色んな人に出会いました。火雨は呪いだという者もいれば、祝福だと言う者もいる。どちらが正しいかなんて、私には分からない」


 彼女はにかっと笑った。

「だから、私は持たないようにしているんです。

 火雨は……気合いで避けます!」


「はぁ……?」


 あまりに堂々とした物言いに、思わず呆れ声が漏れた。

 だが彼女は悪びれもせず、朗らかに笑い続けていた。


 そのとき、工房の外で――ぱち、ぱち、と火花が弾けた。ほどなく屋根を叩く重い音に変わり、窓の隙間から赤黒い明滅が差し込む。

 火雨だ。よりによって、このタイミングで降り出すとは。石造りの建物は耐えるが、生身には刃の雨も同然だ。


 俺は肩をすくめ、剣士に視線を投げた。

「……これを避ける、つもりか? 数日は続くぞ」


 彼女はしばし黙り込み、外の炎の雨を見やった。

 そして――


「……無理ですね」


 けろりとした顔でこちらを振り返り、あっさり言い切った。

「しばらくお世話になります!」


 胸を張ってそう宣言するものだから、こちらが返す言葉を失う。


「……はぁ……」

 深いため息だけが漏れた。



***


 滞在中、彼女は暇を持て余すでもなく、俺の仕事を興味深そうに見学していた。

 炉の炎が鱗を赤く照らすと、彼女は目を細め、火花が飛べば身を乗り出す。まるで戦いよりも、この工房の日常の方が新鮮だと言わんばかりだった。


 あるとき、ふと棚の隅に積まれた素材の山へと歩み寄り、煤をかぶった一本の骨を手に取った。


「……これ、火蜥蜴サラマンダーの骨ですか」

「ああ、皮や鱗は全て傘に使ったが……骨組みにするにも強度が足りず、使い道が無いんだ」


 俺が答えると、女剣士は微笑みながら頷いた。

「ある土地では、これを笛にするんですよ。火雨スコーチを“神の息吹”と呼んで崇める人々は、その象徴として笛を鳴らすんです。――祈りであり、祭りでもある」


 そう言って腰から小刀を抜くと、骨の一端を軽やかに削りはじめた。


「……私はそういう話を集めてるんです。どの土地でも火雨に物語がある。記録しておけば、きっといつか意味が見えると思うんです」


 驚くほど手慣れた手つきで、形を整え、空気の通り道を作っていく。


「ほら、旅をしていると道具も自分で作らなきゃならなくて」

 剣士は笑いながら、骨を回し削り続けた。


 炉の火と雨音の中、彼女の手元から少しずつ形が現れていく。


 数日後、粗削りの笛が一本仕上がった。


「最後の仕上げは……職人の手にお願いしましょうか」

 そう差し出された笛を、俺は受け取る。骨の表面を研ぎ、指穴の縁を滑らかに削り、鱗の文様を模した小さな飾り彫りを施した。


 完成した笛を彼女が口に当てる。

 異国の旋律が工房に響き、火のゆらめきと重なり合う。不思議と心を洗うような音色。外の火雨すら和らいで聴こえる気がした。



***


 数日続いた火雨スコーチがようやく収まり、山を覆っていた煙が薄らいでいった。

 旅立ちの支度を整えた女剣士は、工房の戸口でこちらを振り返る。


「……本当に、傘を持っていかなくていいのか」

 俺がそう問うと、彼女は静かに首を振った。


「いいんです。それに、あの素晴らしい傘に見合う対価を、今の私は持ち合わせていませんから」


「それは――」

 言葉を探す俺に、彼女は柔らかく笑った。


「まだ見ていない伝承がたくさん残ってるんです。だから傘よりも、この笛を持って行きます。どこかで吹けば、きっと火雨の下でも心が折れません」


 手にした笛を掲げ、光に透かすように見つめる。

 その姿は、傘を掲げるのとはまた違う、不思議な凛々しさを帯びていた。


 俺は喉まで出かかった言葉を呑み込み、「……そうか」とだけ答えた。


 剣士は笑顔のまま背を向け、山道を下っていった。

 昇りはじめた朝日が、彼女の歩む先を金色に染めている。

 焦げ跡の残る大地を抜ける風は、どこか清らかで、煤の匂いに混じって新しい朝の匂いがした。


 工房の戸口に立ち尽くす俺の耳には、まだあの笛の澄んだ音色が残響していた。



***


 やがて、あの特別な傘を思い切って市場に出した。

 最初は誰も値をつけられず、ただ物珍しげに眺めていくだけだった。だが、噂を聞きつけた貴族が工房を訪れ、その場で驚くほどの金を積んできた。


「これほどの傘ならば、火雨スコーチの下を堂々と行軍できる」

 そう言って笑ったその貴族の言葉は、俺にとって現実味が薄いほど遠い世界の話だった。

 だが事実として、あの傘は高値で買い取られ、同時に俺の名も広まっていった。


 それからも、ときおり山で小さな火蜥蜴サラマンダーを拾っては育て、傘に仕立てた。

 そして、女剣士が作っていた骨笛を思い出し、俺も試みに骨を削ってみたりもした。最初は歪な音しか出なかったが、少しずつ形が整い、音色も安定してきた。

 もちろん、あのとき工房で響いた旋律には遠く及ばない。だが「火雨の下で吹けば心が強くなる」と噂され、傘と並んで求められるようになった。


 そうして何年も暮らすうち、ある日とうとう工房の戸を叩く若者が現れた。


「弟子にしてください!」


 あまりに真っ直ぐな目に、俺はただ苦笑するしかなかった。



***


 一日の仕事を終えて、弟子と並んで炉端に腰を下ろす。

 粗末な夕餉ゆうげをつつきながら、弟子と酒をちびちびやっていると、彼の胸元から細い紐に吊るされた小さな笛がちらりと覗いた。


「……なんだ、お前も持ってるのか」

 気軽にそう声をかけると、弟子は少し動きを止め、胸元から笛を取り出した。


「これ、僕のじゃないんです」

 火の明かりにかざされたそれは、粗削りながらも独特の文様が刻まれていた。鱗を模した彫り、指穴の縁の削り方――見間違えるはずがない。

 あの時、あの女剣士と一緒に仕上げた、ただ一本きりの笛。


「……十年以上前になりますかね。村の入口で、火雨スコーチに打たれた旅人が倒れていて……もう、助からなかったんです。でも、この笛だけは握りしめていて」

 弟子が静かに語る中、俺の胸には灼けつくような記憶が蘇っていく。


 ――炉の火に重なった旋律。火雨の下で聞いた、あの澄んだ音。


「……あの旅人の女性も、もし親方の傘があれば、助かったんでしょうか」


 暖炉の火がゆらりと揺れた。答えは喉元にあったが、言葉にはならなかった。


 そんな沈黙を破るように、弟子が笑って言った。

「親方の技、いっぱい学ばせてもらいますよ! いつか俺の傘で、誰かを守れるようになりたいんです」


 俺はしばし黙ってから、小さく鼻で笑った。

「……お前にはまだ早いさ」


 それでも、彼の胸の奥に灯った小さな火は確かに感じられた。炉の火とともに、これからも絶えることはないだろう。


 膝元では、小さな火蜥蜴サラマンダーがあくびをして、再び眠りに落ちていった。

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火傘職人と火蜥蜴 福本サーモン @fukumoto_salmon

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