ある夏の日に
鶫
ある夏の日に
ある夏の何ということのない平凡な一日。いや、普段と比べたら少し暑かったかもしれない。
気温34℃、湿度72%。燦々と照りつける太陽。それを反射するアスファルト。むせ返るような熱く重い空気。窓の外からは、そんな暑さもなんのそのと、元気に走り回る小学生たちのはしゃぎ声が聞こえる。
しかし、うだる様な暑さに三十近い身体は完全に参ってしまったようで、頭の鈍い痛みと全身の倦怠感に苛まれながら俺は助手に電話をかける。
「もしもし?今日は特に客も来ねぇし、休むことにしたから、あぁ」
わかりましたとの返事を聞くやいなや、短く返事をして通話を切る。
俺は壁に持たれかかり、そのまま力無く崩れ落ちる。視界がぼやけてユラユラと揺れる。瞼が閉じる前、最後に見えたのは、数本の空のペットボトルと点滅を続ける携帯のランプ。
「おい。なあ、起きろってば!」
目を開けると大量の光が視界に流れ込んできて、俺は思わず目を細めた。俺の目の前には誰かがいた。でもまだ急な明るさに慣れない俺の目にはぼんやりとした影しか確認できない。そんな俺に構わず影は言葉を続ける。
「お前ほんと、ばっかじゃねぇの?こんな馬鹿みたいに暑い日に馬鹿みたいに暑いところで寝るなんてさ」
まばゆい日光にようやく慣れてきた目に、まず飛び込んできたのは、ガキの頃、いつも遊んでいた懐かしい公園。寂れた遊具に、小さい水飲み場に、小汚い公衆トイレ。それらが当たり前のように、確かに存在していた。
「は?」
思わず声をあげる。俺は目を疑った。何故なら、その公園は俺が高校生の頃に無くなっていて、今その場所にはマンションが建っているはずだからだ。でも、確かに俺はその公園のちょうど木の陰になっている縦長のベンチに横たわっていた。それに…
「どうした?寝ぼけてんのか?」
日焼けした肌。少年特有のやたらと細い手足。いかにも活発そうに、からかうように笑うそいつは紛れも無く、俺が小学生の頃、一番仲が良かった奴だった。しかし、何故か名前が思い出せない。
「どうした?」
一言も返さない俺を不審に思ったのかそいつは眉をひそめる。何となく、気まずい空気を感じ取った俺は、何でもないように切り出す。
「あ?何だよ、るっせぇな。てか何か腹減らねぇ?」
「減った。お前がずっと寝てっからもう二時過ぎてるしな、確か、冷蔵庫に焼きそばあったし、俺んち寄ってこうぜ」
「おう」
そう返事をして立ち上がった時、いつもより明らかに低い視界に気が付いたが、状況が理解できず、俺は戸惑いながら、そいつと公園を去った。
冷たい水を手渡される。
俺はそれを一気に飲んだ。顔の火照りが引いていくのを感じた。
キャベツしか具のない焼きそばをモグモグと食べながら俺は考える。
確か妹と弟が一人ずついて、いつも面倒を見てたんだよな。よく一緒にプールにも行ったっけ。
あれ?
いつからこいつと遊ばなくなったんだっけ。
どうして会わなくなったんだっけ。
そいつは空のペットボトルに水を注ぎながら言う。
「ったく。ちゃんと体調管理しろよ、お前はいつもそうなんだから」
「なんだよいきなり」
そいつは答えずそのままペットボトルの水が満たされるまで黙っていた。そして、満タンになったペットボトルの蓋を閉めると再び口を開いた。
「…お前はさ、気を付けろよ」
そう言って、そいつがふっと微笑んだ。
俺の脳裏に流れるように記憶が甦ってくる。
ああ、そうか。こいつは。
そう考えた時、急に視界がパッと明るくなった。
「…あれ?」
俺は事務所のソファに横になっていた。首や脇の辺りにタオルに包まれた保冷剤が挟まれている。
「良かった、だいぶ回復したみたいですね」
声の方に顔を向けると助手がいた。
「嫌な予感がしたので来てみたらこれですよ」
助手が机の上の水がいっぱいに入ったペットボトルを見て、水分補給は入念にと言ったでしょうと呆れたように言う。ペットボトルの横にある卓上カレンダーが目に入る。今日は八月十四日。そうか。
「面倒見の良いやつだったもんな」
思わずそう呟くと、助手がなんですか、と怪訝そうな顔で尋ねてくる。
「いや、なんでもない」
俺はペットボトルに手を伸ばし、蓋を開ける。
助手の小言を尻目にゆっくりと水を飲んでいると、風が吹いたような気がしたのでそちらに目をやる。すると、窓が開いていて外には少し滲んだような雲一つない青空が広がっていた。
ある夏の日に 鶫 @Schokolade06
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