第14話 氷姫3

「澪!」

 

 煌貴が、ずぶ濡れになりながら澪の身体を水の中から助けだす。

 彼は勢いのままに澪を抱きしめた。


「無事か!?」


 澪は小さくうなずく。瞳に涙の幕が張る。

――あのときとは違う。

 追憶の中にはいなかった煌貴がいて、澪を救ってくれる。

 彼の手が澪の背を撫でる。熱い腕だった。火傷しそうに熱を持っている。


「……煌貴さま、大丈夫ですか?」


 頭の上から苦笑まじりの声が落ちてくる。


「澪にはわかるんだな。身体が熱すぎて、刀がうまく操れない」


 血の気が引き、彼をあわてて見上げたあと強く抱きしめ返した。

――冷やさないと!

 料理をしている最中に火を強くしすぎたようなものなのだろう。あまりにも強すぎて、料理人の手に余るほど――煌貴がそんな状態だとしたら。

 澪の背中を支える手もひどく熱い。

 めまいさえ覚えるほどに。

――え。

 目の前がぐるりと反転するような錯覚を覚えた。背筋に悪寒が走る。ひどく冷たい何かが溶けていって、背骨を凍らせていくようだ。

 足から力が抜け、身体が傾いで煌貴に寄りかかる。


「澪!?」


 視界の端に桐人が映った。狼の妖魔が今しも喉元に噛みつきそうだ。


「だめ!」


 澪は煌貴の腕から飛びだした。右手を伸ばす。

 指の先が凍りついていく。細い糸で編まれた網がふわりと広がり、狼の妖魔を捕縛する。

 狼の妖魔は瞬時に氷像になり、砕け散った。

 細かな結晶と化す妖魔と己の手を見比べ、澪は目を丸くして絶句する。


「澪、おまえはやはり氷姫だったんだな!」


 煌貴は澪を背中から抱きしめてきた。

 彼は澪の右手を覆い、指を一本一本大切そうに撫でる。


「澪は本物だ。氷姫の力がこの手に宿っているんだぞ」

「は、はい……」


 澪は半信半疑で煌貴の手に包まれている己の手を見つめる。


「わたしが、氷姫……」


 信じられない気持ちでいっぱいだった。都合のいい妄想にふけっているのだと己を戒めてしまいたくなるほどに。


「ふたりを捕えなさい!」 


 金属をこするような不快な声で、銀子は男たちに命令をくだす。

 しかし、男たちは澪と銀子を見比べて迷っている様子だ。


「この愚図! あの女を始末しろと命じているのよ!」

「おまえたち、奥方の命令に従うのか? 本物の氷姫がどちらか理解できただろう?」


 煌貴は朗々とした声で語りかける。


「玄安の地を妖魔から守る氷姫は、ここにいる澪だぞ」


 澪を抱きしめながら、煌貴は彼らに言う。

 男たちは振り上げていた腕を下ろし、その場に武器を捨てる。

 白燕がほっとしたように肩を落とし、銀子たちに近づいていった。


「なんなの、おまえは!? 近寄らないで!」

「煌貴さま、このふたりはどうするんですか?」

「捕まえろ」

「冗談ではないわ!」


 銀子は逃げようとしたが、その前に狼の妖魔が立ちふさがる。


「煌貴、離れてください!」

 

 澪は煌貴の腕から逃れ、妖魔に向けて手を伸ばす。

 指先がひどく冷たくなり、雪の糸が瞬時に編まれていく。

 生まれた網は空気をはらんで膨らみ、銀子を襲おうとする妖魔に覆いかぶさる。

 妖魔は氷像と化し、砕け散った。

 澪は己の指先を見つめる。もう一度生まれた網に勇気づけられる

 ようやく過去から一歩踏みだせたような気になった。


「何をするのよ!」


 わめき声の主は、銀子だった。

 彼女の喉には、白燕が刃を押し当てている。


「さ、もう逃げようなんて、バカな考えは捨ててくださいね」

「……卑しい朱夏家の者が、穢れた手で触れないで!」

「負け惜しみは、格好悪いですよ」


 銀子が悔しそうに顔をしかめ、涼がその場に膝をつく。

 澪は胸に手を当てる。

 すべてが変わる予感が、総身を高揚させていた。

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