復関東 その2

 劉秀、乱世に皇帝として立ったが故に悩み事は多い。宗族の封拝ほうはい、皇后・皇太子の擁立のような軽微のものから、彭寵・赤眉のような重事のもの。

 五月になり、かつての皇帝劉玄りゅうげん丞相じょうしょうえん劉賜りゅうしが劉玄の三子を連れて洛陽に至る。それに遅れて劉賜の甥奮威ふんい大将軍汝陰じょいん劉信りゅうしん、一旦は江南こうなんを平定したが、桂陽けいよう太守張隆ちょうりゅうに撃たれて、仕方なく劉秀を頼って洛陽に降る。それに趙憙ちょうきら、武関ぶかんから迂回うかいしてきた者たちも洛陽に至った。

 十九日庚辰こうしん、劉秀は劉玄が元氏げんし王に封じた劉歙りゅうきゅう泗水しすい王に為し、その子劉終りゅうしゅうも王と為すべく封地ほうち吟味ぎんみさせる。故真定王の子劉得りゅうとくを真定王と為し、劉揚の縁者を安堵あんどさせる。またしゅう末裔まつえい姫常きじょう周承じょうきゅう公と為し、いにしえないがしろにせず周の政を尊ぶことを示す。

 劉秀、悩めば、太傅たいはく卓茂たくぼく。卓茂は一般論しか語らず、国政に余計な口出しをしない。それは劉秀が望んだ御守おまもり役の性格だが、時にはもどかしい。国を保つにはと訊けば、卓茂、君主・臣民が為すべきことをいにしえを引いて語る。せんめれば、君は君らしく、臣は臣らしく執務しつむする『論語』の言葉である。劉秀はそれをかいし、そして皇后は皇后らしくあらねばならぬと思い、それに相応ふさわしきは陰麗華と思う。そこで劉秀、再度、再々度、陰麗華を皇后に為そうと問うものの、陰麗華は皇太子の母が皇后に御座いますと、僅かにも劉秀に肯んじない。劉秀が皇帝に推されて為らざるを得なかったにも比べても、揺るがざるは陰麗華がまされり。

 また卓茂は、民が苦も無く暮らせるまつりごとたっとび、劉秀は同感であるゆえ、常日頃思っていることを、卓茂にこのようにみことのりしようと欲すが如何いかんと訊けば、卓茂、只「良きかな」と言いて、皺苦茶の顔を更に皺苦茶にしてにっこり笑う。

 二十二日癸未きび、詔して曰く「民に妻を他人に嫁がせ子を売って、元の父母のもとに帰ろうと欲する者有れば、ほしいままにこれを許す。敢えてその身柄を拘束する者は、律の条文に基づき罪を問う」

 飢饉ききん蝗害こうがい水害すいがい、人は食えねば田を売り、泣いて妻を子を売り、よって高祖こうそ楚漢そかん戦争の騒乱ゆえ、これを許した。売買が成立するのは貨幣経済が根を張っているからである。納税も貨幣でとなれば、耐えられない者が田を売り身を売り、銭を得てあがなう。耐えられる者は銭を出し、売られた田を買って集め、人を買って集めて、え太る。そこに豪族が所有する荘園しょうえんと耕作する奴婢ぬひという構造が出来上がる。これを是とせず、あい帝と王莽おうもうは、田畑の私有、人身売買に介入した。よって既に人身売買を咎める法律は出来ていた。ところが王莽の時、民間を考えない政のため、王莽が人身売買を禁じたのにも関らず、食い詰めた小農は嫁や子を豪農豪族に売って奴婢とした。豪族が荘園を持つという社会の仕組みは、肥たる者が更に肥え、せたる者がそれでも痩せる仕組みで、仁政じんせいの結果とは言えぬ。しかし、元を辿たどれば貨幣経済に行き着き、その仕組み自体を無くすことはひどく難しい。戦乱の世に於いて益々、人身売買ははなはだしくなる。無理にこれを根本からただそうとすれば、豪農豪族の利権を奪いて、それをして他の群雄にくみさせるのみ。かえって国家をこぼつことになる。理想しか口にしなかった王莽と異なり、現実を知る劉秀は、豪農豪族の反感を買わずに、その奴婢たちを救おうと考えて哀帝の頃の法を引いた詔を発した。


 一方、ゆう州の朱浮しゅふからは皇帝の親征を是非にもと願う催促さいそくげき途切とぎれることなく届く。今、突騎とっきひきいて北上し、かえってその突騎にそむかれれば河北全体が窮地に陥る。前に任光じんこう信都しんと兵をして信都郡を襲わせ、兵を失ったことを忘れられようか。劉秀、南陽・潁川・梁の劉永を平らげれば、兵を順次うつし、幽州への兵を捻出ねんしゅつできるかと考えていたが、当初思っていた通り、平定には時を要することが分かった。彭寵ほうちょう叛乱はんらんは誤算にしても巨大であった。寧ろけいは良く耐えていると劉秀は思った。それにしても動くには、まず幽州が出自でない兵を工面くめんしなければならない。こらえて一歩一歩地固じがためせざるを得ない。

 潁川えいせんでは、寇恂こうじゅんみつの賊・賈期かきの首を斬り、郡中をことごとく平定したと報告が入る。劉秀は寇恂を雍奴ようど侯に封じる。食邑しょくゆうは万戸である。しばらくして、その寇恂から、火急の申請しんせい奏上そうじょうされる。

 太守の能力としては臣下中最大に買っている寇恂が、甥の谷崇こくすうを使いに出して、何を申すというのだと、その文面を見れば、劉秀、眉をひそめて、潁川は近いと二つ檄を書き、謁者えっしゃ二人を個別に呼び、それぞれに檄を運ばせ、且つ、次のことを調べるようにと言い含めてる。

 早馬を駆って戻った謁者の報告を再び個別に聞いて劉秀は全容を把握した。先に寇恂が谷崇を使いに遣って送った檄の通りである。劉秀、檄を前に口許くちもとゆるめ、独白して曰く「我をして事を収めようとするか、寇子翼こうしよく」。次に、正反対に口許を歪め、曰く「彭伯通ほうはくつう朱叔元しゅしゅくげんにもこのような機転があれば」と嘆息たんそくする。


 話はわずかに時をさかのぼる。劉秀が潁川に遣った執金吾しっきんご賈復かふく、そこの勢力を一掃し、次に汝南じょなんを攻めた。その部曲ぶきょくの将が潁川で人を殺し、太守寇恂はこれを捕縛して獄につないだ。どう処すべきか吏士りしが訊けば、寇恂、法はどうなっていると返す。吏士は人を殺した者は棄市きしで御座います、と答えれば、寇恂はそうせよと処断する。別の官吏が、この者は執金吾の部将で御座いますれば、むしろ執金吾に引き渡すのが宜しいかと言う。寇恂、この者が殺害しはいくさかかわる事件でなく、太守に裁量が任されている領域であれば太守が処断し、執金吾に渡す必要なく、唯こういう咎で処罰したと伝えればよい、と答える。よって、この部将は市場にて斬られる。ところが戦時であれば、人を害するのが兵士の務めゆえ、罪を問われずに暗黙に許されることが多かった。くだんの部将もそれを当てにしたが、寇恂は法を遵守じゅんしゅした。通常の武将なら寇恂が部下をこのように処罰したと聞いて、苦虫をつぶしたような顔をして、それで終わる。

 寇恂、賈復を良く分かっていなかった、広阿こうあにて劉秀軍に合流し、その賈復の武勇を聞くもその性格まで熟知じゅくちせず。銅馬どうば軍を撃つ時も賈復は劉秀に従い、寇恂は鄧禹とううに従った。そして賈復は州を北上し、寇恂は河内かないに残り、ねんごろになることなく今に至った。賈復、道理が分からぬ男ではないが、一度こうと思えばそれを通すかたくなな性がある。よって、恥をかされたと怒った賈復、途端とたん、道理よりも武将の面目めんもくのみで動いた。汝南から潁川に戻る途中で、賈復は左右の者に曰く「我は寇恂と並び将帥に列しているが、今、それにおとしいれられる所と為る。大丈夫だいじょうぶで、侮蔑ぶべつうらみをいだいて、これをらさざる者有ろうか。いや、無い。寇恂にまみえれば、手にかけて斬り殺してくれん」

 その噂は寇恂にも届けば、あいまみえようとは欲せぬ。谷崇は勇壮に寇恂に言って曰く「崇は将で御座います。剣を帯びて側にすることが出来ます。何か起れば、以て当たるに足りましょう」

 寇恂、それに返して曰く「しからず。昔、ちょう藺相如りんそうじょしん王もおそれざるに、廉頗れんぱに屈せし訳は、国の為なり。小国の趙にすらこの義有り。我、どうしてこれを忘れて良かろうか」

 すなわち寇恂、県属に言いつけて、馳走ちそうを用意させ、酒を蓄えさせ、執金吾の軍が境を渡るや、一人毎に二ぜんそろえさせる。寇恂は道中に出迎え、やまいゆえと称してかえる。賈復、兵をととのえてこれを追おうと欲せしも、兵士みな酔いて、遂に寇恂は過ぎ去ることが出来た。そして、寇恂、このままでは不味まずい、事を収めるには主君の力を借りるに如かずと谷崇を劉秀に遣ったのである。


 劉秀の召しに応じて寇恂が引見されると、そこには賈復が既にしていた。寇恂は先客が御座いましたかと、賈復は我がいとましましょうと、立って相避あいさけようとすれば、劉秀は前にすわって、二人とも前に並ぶが良いと、手前に座らせる。劉秀曰く「天下未だ定まらず、両虎りょうこいずくんぞ私闘することを得んや。ちん、」

 劉秀わざと間を置き、これが劉秀個人では無く皇帝の言であることを念押しし、続けて曰く「これをこう」

 そういうと、劉秀、料理と酒を運ばせ、群雄の情勢をたずねることから、徐々に政のあり方を双方に尋ねる。最初は、ぎこちなかった両名であるが、賈復は若くして学を好み、『尚書しょうしょ』を習った書生上がり、寇恂も学を好むが、長年功曹こうそうとして実務に長けている、となれば元よりそれぞれに思う所が有り、振られた論議に身が入って行く。寇恂が劉秀の諮問しもんに対して、このように処しますと答えれば、賈復は故事を引く。寇恂はそれは如何いかなる意味かと問えば、賈復は故事をつまびらかにする。逆に劉秀が賈復に諮問して、賈復が理想論を言えば、寇恂は首を傾げる。劉秀がその意味を問えば、現実的に無理な理由を寇恂は明瞭に答える。そして両名の思惑おもわくは、理想論なり現実論なり僅かな差はあるものの、畢竟ひっきょう、その政を進めるに当たって劉秀こそそのかなめであり、自らをその走狗そうくと見なしているのは同じであった。

 寇恂はいのしし武者むしゃであると思っていた賈復の知識に感心し、尊敬の念すら生まれ、自らの知識を高めねばと思う。賈復は、故智こちを知らずして執行しっこうする寇恂の知略ちりゃくに驚き、知識で寇恂に勝れるに気を良くし、己と同じく主を尊ぶ姿勢に怨みを忘れた。歓は極まり、両名、遂には車を一緒にして共に出て、友と誓って潁川・汝南に去る。見送る劉秀、あきれるべきかと思うが、やはりほっと胸をで下ろすべきだろうと考え直す。

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