第17話 普通の負担
幼少期から三姉妹の両親は仕事で不在がちだった。
広いダイニング。シャンデリアの光に照らされた食卓に、家政婦が豪華な料理を運び並べてくれた。
三姉妹のお世話や家事してくれる家政婦や執事は常にいるが、食卓につくのは花音、小鳥、実月の三人だけ。
「パパとママ、いつ帰ってくる?」
まだ箸が使えずスプーンを手にもった実月が涙ぐむ。小鳥も手を止め、うつむいていた。
そのとき、小学生だった花音が背筋を伸ばし、わざと明るい声を出した。
「大丈夫よ。私たちは三人いるんだから。私がお姉ちゃんだから、泣かなくてもいいの」
そう言って微笑みながら食事を続けた。
食後、妹たちがリビングで遊んでいる間、花音は自室に戻った。机に広げた宿題を前にしても、文字が頭に入ってこない。窓の外は暗く、屋敷の中は広すぎる。静けさが、胸の奥の寂しさを膨らませていく。
「…お母さん……お父さん…」
気づけば、ぽつりと声がこぼれていた。目の端が熱くなり、涙がじわじわと広がっていく。誰にも見られないように、枕に顔を押しつけ、声を殺して泣いた。
その様子を、幼い小鳥と実月はふと見てしまった。
姉の部屋の前を通りかかったとき、微かに聞こえたすすり泣き。ドアの隙間から覗いたとき、枕を抱えて震える姉の背中を見た。
――花音お姉ちゃんも、本当は寂しいんだ。
そう思った二人は、何も言わずに静かにその場を離れた。二人は子ども心に「花音を支えたい」と強く思った。
それから、花音は泣いているところを妹たちに見せなくなった。代わりに、明るく強く振る舞った。
本当は、誰よりも寂しかったのに。
本当は、甘えたかったのに。
花音は幼い頃から、ずっと「強くて頼れる存在」でいようとしていた。
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去年の生徒会選挙。
講堂に集まった生徒たちの前で、立候補者の名前が読み上げられていく。だが、生徒会長の候補者は一人しかいなかった。
「一年ニ組、天野花音」
その瞬間、会場がどよめく。「やっぱり花音さんだよね」「他に敵う人なんていないよ」そんな声があちこちから聞こえる。
結局、信任投票は満場一致。反対票は一票もなく、拍手に包まれる中、花音は会長に就任した。
けれど花音自身は、選挙に出たいと強く望んだわけではなかった。
先生からも、生徒からも、「花音さんなら」と頼られ続け、自然とその流れに乗せられただけ。
――私は、みんなの期待に応えただけ。
その思いが、拍手の音にかき消されるように胸に残っていた。
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現在。
放課後の生徒会室では、役員たちが資料を持ち寄り、花音の前に並んでいた。
「文化祭のステージ配置なんですが、花音会長に決めていただければ」
「次の予算案も、花音会長にお任せします」
「生徒からの要望はとりあえず会長に……」
それぞれが有能であるはずなのに、判断はすべて花音に委ねられる。
花音は一つひとつ丁寧に確認し、整った字でサインを入れていく。その表情は常に冷静で、頼れる会長そのものだった。
――けれど。
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その日の夕食。
拓海を交えた四人での食卓は、久しぶりににぎやかだった。小鳥が学校での友達との出来事を話し、実月は取り掛かっている絵の構想を語る。拓海も穏やかに相槌を打ち、笑いが絶えない。
だが、ふと花音の箸が止まる瞬間があった。妹たちは見逃さない。
「お姉ちゃん……無理してない?」
小鳥が問いかけると、花音は少し驚いたように笑って首を振った。
「大丈夫よ。みんなの期待に応えるのが、私の役目だから」
その言葉に、拓海は心の奥でひっかかりを覚えた。
――本当に大丈夫なのか?
小鳥の笑顔は少し固まった。
実月も小さく眉を寄せた。
小鳥も実月も、花音の本当の姿を知っている。幼い頃から、寂しくても泣かずに「お姉ちゃんだから」と言い聞かせてきた姿を。
――お姉ちゃんは、また一人で背負ってる。
拓海もそれを感じ取った。
――花音は誰よりも強く見えるけど、本当は一番弱い部分を抱えてるんじゃないか。
いつも通りの温かい食卓、普通の日常。それでも、花音の危うさが少しずつにじみ出ていた。
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