第12話 普通の距離
昼休みの教室は、ざわめきに満ちていた。
いつもなら小鳥と並んで弁当を広げるのが自然な光景だが、この日、彼女は俺の席に近づいてこなかった。机に視線を落とし、数人の女子に囲まれるようにして、教室の隅に腰を下ろしている。
――やっぱり、距離を置こうとしてる。
昨日からそんな気配はあったが、こうしてはっきり形になると胸に小さな棘が刺さったように痛んだ。
俺が箸を動かす手を止めていると、耳に届いてくる声があった。
「ねえ小鳥ちゃん、雑誌に載ってたときの顔、すっごい作ってたでしょ?」
「やっぱモデルだからさ、クラスの子とも違う世界の人って感じ?」
「でもほら、拓海くんとばっかり一緒にいるし~?」
笑い声が混じる。だがその笑いには柔らかさがなく、突き刺すような冷たさがあった。
その輪の中心にいるのが、黒髪を肩まで伸ばした女子――グループのリーダー格だ。
彼女は腕を組み、小鳥を値踏みするように見つめながら、何か言葉を探すように唇を動かした。
「……ほんと、そういうとこ“完璧すぎて”嫌なんだよね」
小鳥は笑顔を崩さない。
けれど俺は知っている。彼女が心細いとき、笑顔の奥でどれほど涙をこらえてきたかを。
幼い頃の記憶が蘇る。
三姉妹の家の庭の生垣の影で冷たくなった子猫を見つけたとき。
彼女はその小さな身体を抱き上げ、庭の隅に穴を掘って埋めた。
声を上げて泣くことはなかった。ただ肩を震わせ、必死に涙を拭いながら――。
その姿が、今目の前の彼女と重なって見えた。
「……やめろよ」
俺は思わず立ち上がった。
だが小鳥が小さく首を振る。
「大丈夫、拓海くん」
その笑みはいつもと同じ優しいものだったが、ほんの少しだけ硬い。
グループのリーダー格の子が、俺に目を向けた。
「何?小鳥ちゃんのナイト気取り?」
挑発的な笑みにも、どこか影が差している。彼女から感じ取れるのは、俺に対する敵対心だ。
彼女の視線は、小鳥の胸元のリボンや丁寧に揃えられた筆箱に向かう。
「……ほんと、何でもきっちりしてて。そういうの、イライラする」
口調は棘がある。けれど、その目には一瞬、羨望の色が浮かんだ気がした。
俺は言葉を返そうとしたが、小鳥が先に声を出した。
「……ごめんね。私、そんなつもりじゃないの」
小鳥の声は震えていなかった。むしろ静かで、芯が通っていた。
リーダー格の子は一瞬だけ動きを止め、だがすぐにそっぽを向いた。
「謝られたらこっちが悪いみたいじゃん?」
周囲の女子が気まずそうに笑いを取り繕う。
けれどその場の空気は、もう完全に“遊び半分のからかい”ではなくなっていた。
――これは小鳥と、彼女自身の問題なんだ。
俺は歯を食いしばり、見守るしかなかった。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
小鳥はそっと立ち上がり、こちらを見た。
笑顔の奥にある痛みに、俺は気づいてしまう。
放課後。
人気のない廊下を歩いていた小鳥の背を、俺は追いかけた。
「小鳥……無理するなよ」
振り返った彼女の目は、笑っていなかった。
「……ありがとう。でもね、拓海くん。これは私が、自分で向き合わなきゃいけないことだと思うの」
そう言って、小鳥はまっすぐ前を向いた。
その背中は小さく震えていたが、同時に強さも宿していた。
小鳥は彼女たちと真正面から向き合うのだろう。
胸の奥にざわつきを抱えたまま、俺は彼女の背を見送った。
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