第7話 出会い
じっと動かずに座っているのは、思った以上に退屈だ。
実月は真剣な眼差しで筆を走らせていて、声をかけるのもためらわれる。俺は仕方なく、視線だけを動かしてアトリエの中を観察していた。
窓辺には光に照らされた花々が飾られ、壁には色とりどりの作品やポスターが並んでいる。視線がふと止まったのは、棚の上の家族写真だった。舞台衣装に身を包んだ母親と、スーツ姿の父親。その間で、花音、小鳥、実月が並んで笑っている。
仲の良さそうな一枚。
この家族の温かさの一部を、俺も小さい頃から分けてもらってきている。
──思えば、初めて出会った日のことを、まだ鮮明に覚えている。
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あの日、俺は五歳だった。
父さんの海外赴任と、母さんの離島勤務が決まって、家族三人でこの街に引っ越してきた。両親は引っ越し後すぐに家を離れることになると分かっていた。
「心配しないで。隣に住む人たちは家族みたいになってくれるから」
両親がそう話していたのを、幼心にも覚えている。
新しい家の玄関先で、俺はぽつんと座っていた。知らない土地、知らない家。寂しくて、心細くて仕方なかった。
そのとき。
「こんにちは」
声をかけられて顔を上げると、女の子が立っていた。黒髪をきちんと結んで、姿勢も大人びている。
「私、花音。これからこの家に住むんでしょ?」
落ち着いた声でそう言って、彼女は小さな手を差し出してきた。
俺は戸惑いながらも、その手を握り返した。
「……うん。ぼく拓海」
「よろしくね、拓海くん」
花音はにっこり笑った。その笑顔に、不安が少し溶けていく気がした。
その後ろから、もうひとり現れた。小さなぬいぐるみを抱いた女の子。この子も同じくらいの年齢だと思った。
「……これ、あげる」
差し出されたのは、うさぎのぬいぐるみだった。
「え、いいの?」
俺が聞くと、女の子は恥ずかしそうにうなずいた。言葉少なだったけれど、その仕草が温かかった。
そしてさらに──。
「はじめまして!みつきです!」
元気いっぱいの声とともに、小さな女の子が駆け寄ってきた。ふわふわした髪を二つに結んで、泥だらけの手で俺の手をぐいっと引っ張る。
「いっしょにあそぼ!」
「わ、ちょっ……!」
思わず笑ってしまった。さっきまで泣きそうだったのに、もう笑っている自分が不思議だった。
庭の端では、俺の両親が彼女達の両親と立ち話をしていた。
「これからよろしくお願いします」
「うちの子たちも、きっと寂しくないと思います」
まるで本当の家族を分け合うように、穏やかに笑っていた。
その日から、俺は三姉妹と一緒に過ごすようになった。
花音は絵本を読んでくれるお姉さんで、小鳥はそっと隣に寄り添ってくれる存在で、実月はいつも俺を外に連れ出してくれる元気な子だった。
気がつけば、寂しいはずの引っ越しが、笑顔で満たされていた。
◇
「……はい、動かない!」
実月の声で、俺は現在に引き戻された。
「わりぃ」
「今ちょうどいい顔してるから、そのまま!」
彼女の筆は止まらない。
写真に映る家族の笑顔をもう一度見て、俺は心の中で小さく呟いた。
──あの日からずっと、俺はこの家族に救われてきたんだ。
そして今もなお、その日常の中にいる。
普通じゃない出会いが、俺の“普通”を作ってくれているのだ。
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