第3話 小鳥の胸の内

 カメラの前に立つと、世界が一瞬で切り替わる。


 白い背景の前に立った小鳥を、カメラが追いかける。


 「はい、小鳥ちゃん、そのまま顔を傾けて──いいね!」

 カメラマンの声に合わせて、ワンピースの裾を指でつまみ、くるりと回った。スカートがふわりと広がり、スタッフのお姉さんが「かわいい!」と声をあげる。


 雑誌の撮影なんて、もう慣れているはずなのに。今日の小鳥はいつもより胸がざわざわして、うまく呼吸が整わない。

 ──たぶん、昨日の出来事を思い出してしまうから。


 体育の授業。

 水飲み場の前で、蜂にびっくりして、思わず声を上げてしまった。ツインテールが解けて髪が乱れて、情けない姿を見られたのに──拓海は、当たり前のようにさらりと小鳥の髪を撫でた。


 その瞬間、顔が熱くなったのを、思い出す。


 ……どうして、あんなの普通にできるんだろう。

 小鳥の周りには、彼女をちやほやする人はたくさんいる。でも、あんな風に『普通に』助けてくれる人なんて、拓海くらいしかいない。


 「小鳥ちゃん、今の表情すごくいい!その恥ずかしそうな感じ、もう一回!」


 えっ、と我に返る。カメラマンに言われるまま笑みを浮かべるけど、頬がじんわり熱いのは演技じゃない。拓海のことを考えていたから、自然に出てしまったんだ。なんて恥ずかしい。


 ──危ない。こんなの、誰にも知られたくない。


 撮影はテンポよく進んでいく。カジュアルなカット、ガーリーなカット、ちょっと背伸びしたクールな表情。何度目かも忘れるくらい回数を重ね、慣れた撮影。緊張も全くしない。でも、カメラの奥でシャッター音が響くたび、小鳥は胸の奥で別の鼓動を感じていた。


 休憩時間、メイクを直しながら小さなチョコを口に入れる。

 甘さが舌に広がった瞬間、またふっと思い出す。

 ──ツインテールをそっと直してくれた拓海。

 仕事で髪や顔に触れられるのはしょっちゅうだし、男性のヘアメイクさんも勿論いる。でも髪に触られるのも撫でられるのも、あんなに心地が良いものならまた拓海にして欲しい。


 「……ずるい」

 口から小さく漏れて、自分で慌てる。

 ずるいよ、拓海。そんなことされたら、私……。


 小さい頃からずっと一緒に過ごしてきたので、お互い家族のように大事に思っているていたのは間違いない。

 でも──それだけじゃない気持ちが、胸の中で芽を出している。心の奥に甘い痛みが広がる

 この気持ちは何だろう。


 「小鳥ちゃん、次の衣装お願いしまーす」

 スタッフの声に呼ばれ、私は慌てて立ち上がった。姿勢を正して「お願いします」と笑顔を作る。プロの顔に切り替えたつもりなのに、まだ頬の奥に熱が残っている。


 夕方、撮影が終わると、照明が落とされてスタジオが一気に日常の色に戻った。

 「お疲れさま!今日も最高だったよ!」

 スタッフが拍手をしてくれて、小鳥は深く頭を下げる。「ありがとうございました!」と声を張った。


 私服に着替え、スマホを手に取る。画面を開いて、短く打つ。

 《撮影終わりました。迎えお願いします》


 数分後、すぐに既読がつく。

 《かしこまりました。車を玄関前に回しておきます》


 小鳥達、三姉妹の家は両親が仕事で不在の時が殆どだ。そのため何人か手伝いをしてくれる人がいる。黒川もその中の1人だ。世間一般でいうところの『執事』というお仕事が近いだろうか。


 玄関を出ると、黒塗りの車が静かに停まっていた。ドアが開かれ、小鳥は一歩踏み出す。

 スカートの裾を揺らしながら車へ駆け寄る。ツインテールも後ろで軽やかに跳ねる。ツインテールを指先で軽く触れる。──今日、拓海に結んでもらったあの感覚を、髪がまだ覚えている気がした。


 空は夕焼け色で、撮影のライトよりもずっと優しくて──思わず拓海の顔を思い出した。

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