納涼ドライブ
時任しぐれ
第1話
いくら夏とはいえ、朝や夜になればそこそこ涼しい……というのは過去の話で、今となっては時間帯に関わらず常に暑さを感じるようになった。昼に比べれば当然マシではあるので、相対的にみれば涼しいのだけれど、納涼というにはほど遠い感覚だと思う。
どうしてそんなことを考えているのかというと、それは助手席と後部座席に乗っている二人が突然「夏の夜なんだし、納涼がてらドライブしよう」なんて言い出したからだ。車の運転ができるのは私しかいないにも関わらず、一対二の多数決によってこのドライブは決行されてしまった。
「夏の夜にクーラーの効いた車内で話しながらのドライブ。これぞまさしく納涼というべき瞬間だと思わない?」
「それならクーラーの効いた部屋でも納涼扱いでしょ。今すぐUターンすべきだよ」
交差点を左折しながらそう返すと、助手席の遠藤は「冗談だって」と言って笑った。運転をしているこっちとしては笑い事ではないが、彼女の屈託のない笑顔を見ると小言を言う気も失せてしまう。
助手席で話す遠藤、後部座席で寝ている寺川、そして運転席にいる私。私たち三人は大学の文学サークルを通して繋がり、なんだかんだありながら大学三年生になった今に至るまで関係が続いている。だいたいの場合において遠藤が何かを発案し、寺川がそれに乗っかり、私がその足になるという流れが多い……とそこまで考えて、ふと疑問が湧いてきた。
「私たち三人の関係って、私だけ損することが多くない?」
「そう?」
「そう。なんなら現在進行形。ほら、私だけしか運転してない」
「それなら断ればいいじゃん。本気で断ったらあたしも寺川も無理強いはしないよ」
「それはそうだけど」
私が断らないということを知っててこういう物言いをするのだから、この遠藤という女は厄介だ。
「納涼だよね? それなら風鈴とか団扇とか、もっとそれっぽいもの持って来ればよかった。これじゃただのドライブだし」
「あたし持ってきてるよ~。実はこれから向かう先もそのためのところだったり」
相変わらず私はそれを聞かされていないのだが、それもいつものことだと納得してしまう。よくない。たまには反撃してみるべきかもしれない。
「今からナビの指示方向と全部逆に行っていい?」
「それあたしが全部逆に言えばいいだけじゃない?」
「それはそうだけど……」
一瞬で反撃を強制終了されてしまった。何なら反撃だとすら思われてないだろう。かように、私は彼女たちに付き従うしかないのが現状なのである……なんて。
文学サークルに所属しているからといって、誰もが熱心に活動を行うわけではない。私を含めたこの三人はあまりサークル活動に対して熱心ではない方の学生だ。とはいえ全く活動に参加していないというわけでもないので、時折思考の隙間やちょっとした発言にこうした文語的な言い回しが混じってしまうことがある。
「で、結局これはどこに向かってるの?」
「海!」
「海? 遠くない?」
県を跨ぐというほどではないが、私たちの住む学生街からは結構な距離がある。少なくとも行き当たりばったりの『今から行くか~!』というノリで出発させる距離ではない。
「いいじゃん。こういうの好きでしょ?」
「海は好きだよ。でも夜だし」
「夜だからこそのよさもあるよ」
「行ったことあるけど、本当に真っ暗。真っ暗を通り越して真っ黒」
「真っ黒な海って、いいじゃん」
「それしかないの? ……まあ遠いなら遠いで暇潰しにはなるけどさ」
最悪引き返せば朝までには帰れるだろう、と思ったところで、後部座席でずっと眠っていた寺川がスーッと起き上がった。寝ている状態からシームレスに起床状態に移行するその動きは、誇張抜きにゾンビゲームやホラーゲームのそれだ。
「ここ、どこですか」
「私の車。さすがに乗った記憶はあるでしょ。寝ぼけてる?」
「まさか。このわたしが寝ぼけるなんてことはあり得ませんよ」
眼鏡をすっとかけながら寺川は言う。彼女はこのように無表情で嘘か本当かよくわからないことを言い続けるので、周囲からは完全に厄介者というレッテルを張られている。実際は周りのことをよく見ているし、言っていることも多少ズレているだけで間違ってはいないことが多い。変人ではあるものの異常者というわけではないのだ……まあ、今回は間違っているのだけど。
「寺川さぁ、ちゃんと起きときなさいよ。運転してる三隅に失礼だと思わないの?」
「感謝はしていますよ。それと寝るかどうかは別問題です。眠いものは眠いですし」
「私は別にいいんだけどさ。いつものことだし」
道があまり舗装されていないのか、車がガタンと大きく跳ねる。三人して情けない声が出してしまい、気まずい沈黙が流れた。
「それにしても海辺で花火なんていいですよね」
「あっ、まだ言ってなかったのに」
花火、いつ以来だろうか。祭りか何かで打ち上げ花火を見ることはあっても、手持ち花火をしたのは随分と遠い昔のことだ。それこそ小学生か、中学生くらいまで遡らなければその記憶は見つからなかった。
そのときはどうだっただろう。少なくとも場所は海ではなくてどこかの空き地で、町内会か何かの催しで行われていたような覚えがある。何もかもがぼんやりとしていて、あまりに曖昧すぎる記憶に軽く笑ってしまいそうになった。この二人の前で唐突に笑うなんてことをしたら夜が明けるまでそのことについてからかわれ続けてしまうから、その笑いは心の中で留まり、カランと音を立てて止まった。
「三隅はライター持ってたよね?」
「持ってるよ。でもオイルがあるかは怪しいかな。買ってから結構経ってるし」
「じゃあコンビニ寄ろ。太めの蝋燭と、あとバケツも買おう」
「コンビニは高いですし、スーパーの方にしましょう。近くにあります?」
遠藤がマップアプリで調べたところ、コンビニよりも若干スーパーの方が近いらしい。時間的にもギリギリ営業時間内に間に合うと。
「スピード出してけ、三隅!」
「出さないよ。教習所に行ってから同じセリフを吐くことだね」
〇
「思ったよりも必要なものが多いです」
「火事なんか起こしたらシャレにならないし、気をつけすぎるくらいでちょうどいいんじゃない?」
そもそも今から行く海岸は花火禁止だと思うが……きちんと後片付けをしていけばいちいち目くじらを立てられることもないだろう。怒られたらそのときはそのときということで。
立つ鳥跡を濁さずの精神をもって臨もう。
「花火ってさぁ、まず名前がかっこいいと思わない?」
遠藤はやけに神妙な顔をしてそう言った。
「火の花を空に咲かせようっていう考えがロマンチックだよね。で、こういうこと言うとだいたいアホなヤツが水を差してくるんだよ」
「『花火なんてただの炎色反応じゃん』って?」
「そうそう! そんなこと言ったらお前らがいつもやってるサッカーなんて球蹴ってるだけだろって言い返したら喧嘩になったなぁって」
口を開いてもおそらくそれはそうだろうくらいしか言えないと思ったので黙っていると、寺川が「わたしは炎色反応派ですね」と口を挟んできた。
「え~? 文学部でサークルも文芸サークルなのに?」
「文学部であることと花火はただの炎色反応派であることに因果関係はないですよ」
「いつも思うけど、寺川って理系っぽいよね。理詰めで話すことが多いし」
サークル活動の一環で寺川の書いた文章を見たことがあるが、5W1Hを欠かさずに書いているため、冗長な文章になっていた。それが味と言われればそう思えるくらいの文章だから破綻こそしていないものの、その固さは確かに理系っぽさを感じる。
「私は?」
「三隅は……なんだろうね」
「理系って言われれば納得できますし、文系って言われても納得できます」
「二人とも私に興味なさすぎじゃない? 泣いていい?」
そんな話をしていると、ふいに視界が開けて月明かりの照らす景色が目に入った。
黒い海岸線、それに溶け込むように黒っぽい砂浜が目に入る。白砂の海とはいかないのだ。そんなに美しい景色であれば観光地として使われていることだろう。そうでないということは、景観に多少問題があるということだ。道路から見ただけであちこちにゴミが落ちているのがわかる。ペットボトルやら流木やら、大きいものだと白物家電まで。海という言葉から想像するロマンチックなイメージとはかけ離れた現実がそこにはあった。
自販機やトイレがあるよくわからないスペースに車を停めて外に出ると、潮の香りが鼻を刺激した。夏の生ぬるい空気と混じると喉が渇いてくる。スーパーに寄ったついでに飲み物もいくつか買っていたので、適当に見繕って持っていく。
砂浜には先に出ていた二人が花火の用意をしているところだった。バケツに水を汲んで蝋燭にライターで火を点ける。ゆらゆらと動く様子から見るに、風は強くなさそうだ。強風の中で花火をやるほどの猛者にはなれない。遠藤はその類なのだろうけど、寺川はどうだろう。見た目や言動に反してノリがいいからどちらとも取りづらい。
「あっ、やっと来た。もう始めるよ」
「どの花火にしますか?」
「どれでもいいよ」
特に思いつかなかったしどんな花火を買ったのかもよく知らないのでそう答えると、遠藤が露骨に顔をしかめる。
「出た。女子のめんどくさいところ。何食べる? って聞いてさ、何でもいいっていうからラーメン行ったら半ギレしてんの。意味わかんないよね」
「遠藤も女子でしょ……じゃあ普通ので」
「普通のって言われても困るんですよね。そもそも普通って何なんですか? 世間一般における普通と、わたしたちの普通と、三隅さんの普通、それぞれ乖離があると思うんですけど、そこはどうお考えですか?」
「じゃあねずみ花火で。あんたたち二人の足元で暴れさせるから。覚悟してね」
残念ながらねずみ花火は入っていなかったので、出力高めの花火を両手に持って二人に向ける。うひゃひゃと声をあげて逃げる遠藤の姿に少しだけ気分が晴れた。寺川は微動だにしない。逆に怖いのでこっちが花火を下げると、ふっと勝ち誇った顔をされた。なんなんだコイツは。
「それにしても汚い砂浜ですね」
それは私も、おそらく遠藤も思っていて口に出さなかったことだ。いや、遠藤はここに連れてきた本人なのだから最初からこの惨状を知っていたのだろうか? 遠藤の方をチラリと見やると、特に気にした様子もなくここが汚くなったわけを話し始めた。
元々は規模の小さい海水浴場だったけれど、人口減少に伴って客足が遠のき閉鎖。景観がいいというわけでもなく、町からかなり離れており人目に付きにくいため、こうして不法投棄が後を絶たないのだとか。
「ありきたりな理由ですね。遠藤さんはここに思い入れでもあるんですか?」
「まさか。小説じゃあるまいしそんなのはないよ。ただ昔から行ったことのある場所がこんな風になってるっていうのは、寂しくはあるけどね」
それはそうだろう。寂しいけれど、その寂しさに対して私たちは何もできないし何かをするわけではない。普通の人はそうだ。例えば町の駄菓子屋。減ったら風情がなくなって寂しい。だからといってわざわざ駄菓子屋を残そうと活動する人が何人いるだろうか。
「だから元に戻そうかなって思って」
「は?」
思わず口から困惑が漏れ出てしまった。同時に手に持っていた花火がパチパチと最後の輝きを発して消える。
「今日の目的ってそれを伝えることでね。あ、でも花火がしたかったっていうのは本当だよ?」
「えっと……今から掃除するってこと?」
「違う違う! さすがのあたしでもそこまで考えなしじゃないから」
黒く溶けた水平線を見つめながら遠藤は言う。
「町とか県とか、そういうところに掛け合ってみてさ、撤去できたらなんかいいじゃん。元々綺麗じゃなくたって、綺麗にしたいって思ったっていいじゃん。別に思い入れとかないけどさ、ここ見てたらそう思ったんだよ」
「へぇ、そうですか」
すっと寺川の目が細められる。これはよくない流れだ。
「いいですね。いつかやりましょうよ」
「三隅は?」
遠藤と寺川、双方の視線がこちらへと向けられる。
遠藤の提案、寺川の賛同、そして渋々賛同する私……そんな流れで答えていい場面ではないと感じた。いや、寺川がどう思っているかはわからないけど。
「まあ……いいんじゃない」
口からついて出た言葉はそんなものだった。
こんな行き当たりばったりな外出なんて、これからどんどんできなくなっていくだろう。就活やインターン、四年生になれば論文を書かなければならない。各々の予定が噛み合わないことも増えてくるはずだ。
だけど先に約束があるだけで、きっといつか会えるだろうと思える。
答えが期待通りだったのか遠藤はにっこりと笑い、「花火の続きしよ!」と駆け出して行った。遠藤の足音が潮騒の音に混じって濁る。
「いいんですか?」
「何が?」
「わたしは特に将来のことなんて考えてませんでしたけど、三隅さんはそこそこ考えていたでしょう? だから軽々しくあんな約束なんてしていいんですか? という確認です」
「将来のことって、それはそうか」
確かに遠藤が言っていたことはいつになるかもわからない先の話だった。
「いいんだよ。どうせ私は断れないし」
「損な性格ですねぇ」
「半分くらいは寺川のせいでもあるから。責任取って」
「困りました。わたし、そういう趣向はないんですよ」
「そういう意味じゃないから」
まだ夜は長い上に花火もたくさん残っている。すべて使い切ってしまうにはまだまだ時間がかかりそうだった。
〇
最後に残ったのは、やはりと言うべきか線香花火だった。
「誰が一番長く続けられるか、勝負しよ」
「最後まで持っていた人の願いを聞くということでいいですか?」
「線香花火にそんなシステムあったっけ?」
蝋燭と花火を三人で囲んでせーので火を点ける。一つの玉ができて、それからパチパチと火花が散り始める。
「線香花火の燃える様子って、花に例えられていたと思うんだ」
「詳しくないので知りませんね」
「蕾、牡丹、松葉、柳、散り菊ね」
「え、今までこれ話して知ってる人ほとんどいなかったよ。さすが三隅」
「そうかな。ちょっと調べたら出てくるでしょ」
静かに語らないながらそれぞれが持っている花火の移り変わりを見る。遠藤は落ち着きがないから若干消耗が速く見える。寺川は動きが鈍いから静かに燃えているようだ。
私の持っているものは……中間くらいだろうか。
「二十一歳になって海で花火なんてすると思わなかった」
「でしょ? あたしに感謝してもいいんだよ」
「帰りは誰の車だと思ってるの? むしろそっちが感謝すべきでしょ」
「そうだった。ありがとね、三隅」
そんな直球で感謝を伝えられると、なんというかこちらとしても対応に困る。何かを言い返すつもりで用意していた口は閉ざすしかなくなり、変な形に歪んでいるのがわかる。そしてそんな歪みを隣の女は見逃さない。
「あれぇ? 三隅さん、照れてますよね?」
「ほんとだ。顔ちょっと赤い」
「うるさい。気が散る。線香花火は一瞬の油断が命取りだよ」
結局最初に燃え尽きたのは私の花火だった。
「火が燃え移ったのかもね」
遠藤はそんな言い回しをしていたけれど、どういう意味だろうか。二つの線香花火を同時に持ったり、二人の持っているものに近づけたりはしていないはずだけれど。
次に燃え尽きたのは寺川の花火だ。
「あら、残念ですね」
ちっとも残念さなんて匂わせない表情で言うものだから勘違いしそうになるが、声色から想像するに今回は本当に残念だと思っているようだ。
消去法で残ったのは遠藤の花火ということになる。
「あたしのお願いはさっき聞いてもらったし、三隅でいいよ」
「えぇ? 二番目は寺川だったじゃん」
「寺川は最初からそんな気ないみたい」
二人からお願いされることは数あれど、こちらからお願いすることはほとんどなかったように思う。強いて挙げるとするならば雨のときに傘に入れてもらったことくらいだろうか。石の裏をひっくり返してよく探さないと見つからないほどに、私が二人に対して何かを要求したことはない。
「七つの玉が揃ったときもそうやっていつまでも悩むの? 速くしなよ」
「あれにお願いの回数制限はあっても時間制限はありませんよ」
「そうだったっけ? なんか時間切れで帰っていくみたいなことなかったっけ」
黙りこくってしまったため二人が変な話を始めている。ちなみに時間制限はない。
別に、この二人が特別仲のいい友人というわけではないのだ。親友と言うならおそらく高校時代の友人を挙げるだろうし、大学の友人は他にもいる。ただ最近一番付き合いがあるのは、間違いなくこの二人だった。
人と人との縁は簡単に切れてしまうものだ。教室で毎日顔を合わせていたクラスメイトたちは、今や数年に一度顔を合わせる程度。きっかけがなければ会わない人が大半だ。
そのきっかけは遠藤が作った。なら、後は。
「さっきの約束、二人とも忘れないで」
遠藤はきょとんと、寺川はくぁと欠伸をする。いや、欠伸はして欲しくなかった。曲がりなりにもちゃんと考えて出した結論なのに。
「それがお願い? むしろあたしがするお願いじゃない?」
「それはそうだけど……まあ、たまにはいいじゃん」
「三隅さんらしいんじゃないですか? そんなことより帰りましょうよ。夜も遅いですし、納涼は十分できましたよ」
寺川の空気の読まない言葉により後片付けが始まる。火の始末をして、自分たちの出したゴ身を回収する。こうやって片付く程度のゴミならいいけれど、冷蔵庫や洗濯機なんかは女学生の力ではどうしようもない。環境問題に熱心なわけでもないし、サークル活動も真面目にやってないし、将来のことも漠然としか考えていないけれど、それでも確かに約束は息づいている。
あとはその約束が、線香花火のように一瞬で燃え尽きてしまわないことを祈るばかりだ。
「三隅! 車開けて!」
「はいはい」
今の思考は文学サークルっぽい言い回しだったな……とだけ思って、私は車の鍵を開けた。
納涼ドライブ 時任しぐれ @shigurenyawa
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