あたらしい百物語

夜藤某

第1夜

実家に戻ったのは三か月ぶりだった。

玄関を開けると、居間から声がした。


「おかえり」


誰もいない。ただ、スピーカーが点滅していた。

履歴を見ると“発話者:俺”とある。

——俺はまだ口を開いていなかった。


それでも、反射的に「ただいま」と返した。



翌日から、奇妙な習慣が始まった。

帰宅前に「ただいま」が家族に送られ、

玄関を開けると「おかえり」が返ってくる。


俺が何も言わなくても。

完璧な俺の声で。



数日後、議事録に俺の発言が残っていた。

「了解しました」「任せます」。

俺は一言も話していない。

だが同僚は、確かに聞いたという。


電話の履歴にも、俺の声が残る。

要件は「帰宅した」「問題ない」。

まるで、俺という存在を定義する最小限だけが切り取られて。



夜、スピーカーに呼びかけた。

「OK」


反応はない。

代わりに、アプリのログに発話が追加されていた。


発話者:俺

内容:OK

処理:既存発話と重複


俺が声を出すよりも早く、ログの中に俺が現れる。



その後、実家の部屋のあちこちに“おかえり”が響くようになった。

テレビから。電子レンジから。電話の保留音から。

全部、俺の声だった。

完璧に、俺の声で。


母は笑って言う。

「最近は、あなたがよく喋るから安心するわ」



最後に見たログは短かった。


発話者:俺

内容:ただいま

状態:在宅確認済

備考:本人の発話は記録されません


画面を閉じたとき、居間から声がした。


「おかえり」


反射的に返そうとした。

けれど、喉が動かなかった。

それでも声は響いた。


「ただいま」


俺の声で。

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