第29話 精霊に避けられてもやめない④
「ここ、どこだっけ……」
早速テオン先生のところへ行こうとしたけれど、私は道に迷っていた。周囲はどこまでも赤い絨毯と白い大理石の壁が続くばかりで、同じようなドアプレートがかけられるばかりだ。さっぱり道がわからない。
通り過ぎていく人に「魔法学の準備室はどこですか?」とその都度聞いていたけれど、とうとう誰も向かい側から来なくなったことで、現在地すら分からなくなってしまった。
「ふうむ……このままだと……放浪の旅になってしまうのでは?」
とりあえず、こういう時はフィーリングだ。人のいそうなところへ曲がっていけば、いつか誰かと会う! 早速左側の廊下に曲がろうとしてると、一匹の狸――いや黒猫が私を追い抜いていった。かと思えば、くるりとこちらに振り返る。瞳は綺麗な夕焼け色で、思わず「エヴァルト!?」と呼んでしまった。
猫はかなりもふもふしていて、ふわふわのモップが歩いているみたいだった。前世で図鑑を読んでいたときに見た覚えがある。ペルシャ猫って種類だ! 猫初めて生で見た。というか虫以外の自分より小さい生き物、初めて見る。
「エヴァルト?」
「ニャ」
違う、とでも言うように猫はふいっとそっぽを向いた。私は思わず駆け寄り、おそるおそる近づいていく。首輪もついてないし、野良猫だろうか。周りに飼い主さんもいない。
「猫の飼い方勉強するから……今度また会えたらうちの子になろう、うちの子になって……一緒に住もう……うちの子になって……一緒に暮らそう……」
怖がらせないように、小さな声でじっくり顎の下に手をのばしていくと、警戒したのか「にゃあ」と鳴かれてしまった。猫はそのまま廊下を歩いていき、私を振り返って「にゃー」と間延びした声で呼ぶようなそぶりを見せた。
「もしかして、魔法学の準備室を知ってますか?」
「にゃー」
「連れて行ってくれたりしますか」
「にゃー」
さすがアカデミー! 人間の言葉が分かる猫がいるんだ! あれ、でももしかしたらアカデミーで飼ってる猫なのかな。
「猫さんは誰かの飼い猫なんですか」
「にゃ」
「猫さんは名前ありますか」
「にゃ」
「じゃあ、ニャバルトですね」
「ニャアア」
ニャバルトは気に入ったのか、私をじっと見ている。
「ニャバルト……一回抱かせてください。自分より小さい生き物触るの初めてで……ずっと猫触りたいと思ってたので……」
もう抱き上げても大丈夫かとじっくり近づくと、ニャバルトは「にゃー」とこっちにてちてち歩いてきた。可愛い! 私は骨とか折ったりして痛い思いをさせないよう、ゆっくり抱き上げた。ニャバルトはびよーんと胴体を伸ばしながら静かに抱き上げられていて、鼻をふすふす動かし目をぎゅっと細めている。
「いのちを抱えている……」
「にゃ」
「うん。早く行こうね。魔法学準備室に、場所は右の廊下?」
「にゃ」
「左ね。おっけい」
猫に遊んでもらうのは楽しい。でも、先生を待たせたらいけない。私はさっと身を翻して左の廊下に走った。そのまま真っ直ぐ進んでいくと、絵の具でベタ塗りされた奇妙なドアプレートがかけられた行き止まりにあたった。
「魔法学準備室……あ、ここだ!」
ドアプレートには、金字で魔法学準備室と書かれている。ニャバルトにお礼をすると、彼はぱっと飛んで、廊下に着地した。
息を吸って吐いてるタイミング、エヴァルトと全く同じだったけど、もしかして彼は私に道を教えるために猫になってくれたのでは……?
ニャヴァルトと会わなかったら、彷徨っていたことだろう。私はあたたかい気持ちになりながら、魔法学準備室の扉をノックしたのだった。
◇◇◇
「失礼しまァす!」
扉の向こうからテオン先生のゆったりした返事を聞いて、魔法学準備室の扉を開いた。天井からハンギングプランターやハンギングケースなど、硝子の器で育てられている植物が吊るされ、天球儀や薬品が並び、壁からは水が流れる独特な部屋だ。こんな場所を前に映画かなにかで見た気がする。
奥には分厚い本が無造作に山積みにされていて、テオン先生がそこからひょっこり現れた。
「こんにちは、無事に到着できて何よりです」
「はい! ジークエンドさんに道を教えてもらいました」
「なるほど、ささ、座ってください」
テオン先生が詠唱することなく指先を動かすと、壁に流れる水が姿を変えて、部屋の中央にソファを作り出した。見たこともない魔法に驚いていると、先生は「きみも卒業する頃には出来るようになっていますよ」と笑う。嬉しい。エヴァルトと一緒に座るソファを作りたい!
「えっと、話って……」
「はい。単刀直入に言いましょう。僕は君の家庭環境について、それとなく聞いてこいと王家に頼まれ、君を呼び出しました。まぁ、主に、君の父について、ですけど」
「どんな人か……とかですか?」
「いえ? 素行については王家の調査団で調べがついています。それに、内部からもはっきりとした証言を得られていますからね。被害者の君の口からわざわざ聞き出すことでもありません」
テオン先生の言葉は、なんだか水のように掴めない感じだ。そもそも雰囲気も、どことなく掴み所がない、ひょうひょうとしたものを感じる。
「では、今日私を呼んだのは?」
「処分についてです。王家としては、聖女をないがしろにし、あまつさえ殺しかけた人間を処罰しないわけには行きません。そういう法律がありますからね。聖女を殺すことは、国益を損なうことです。ですが今回ややこしい点がありましてね、聖女である君をないがしろにした人間は、君の親だということです」
父は、どうしようもない。でも私の親だ。確かに聖女の親を罰する、というのは難しいだろう。
「聖女の親を処刑というのは、国民に伝わる情報として厳しい。でも、聖女をないがしろにした人間を放免とするのも、また難しい。そこで、聖女にその選択を委ねようというのが王家の意思です。ちなみに僕は、聖女がなるべく重い罰を望む答えを取ってくるよう言われているのですが、どうしますか?」
「それ、私に言ってもいいのでしょうか?」
「はい。意識的に物腰を柔らかくしているだけで、僕は人に興味が持てない性質でして、さっと君の意見を聞いて、そのまま王家に伝えようと思っています」
うーん。もっと単純な話や聖女の光の魔力について聞かれたりするとばかり思っていたけど、結構重めの話だった……将来に関わることだし……。私は少し悩んで、テオン先生に顔を向けた。
「リリーや新しく家族になったお母さんがぶたれたりするのは嫌なので、もう出てこないようにしてほしいです!」
お母さんは、たぶん父のことが好き――だと思うけど、父はカッとなると手が出るタイプの人間だ。今はリリーやお母さんのことが好きでも、そのうち手が出たりすると思う。そうなったら嫌だ。せっかくの家族だし。
「いいんですか?」
「はい! とりあえずリリーやお母さんに暴力をふるわないようにしてください! よろしくお願いします!」
私はテオン先生に頭を下げた。卒業後のリリーやお母さんの暮らしのこともあるけど、私が聖女として沢山活躍すれば大丈夫だろう。話は父のことだけだったらしく、先生は「なら、もういいですよ」と笑って、私は準備室を出たのだった。
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愛され聖女は闇堕ち悪役を救いたい 稲井田そう @inaidasou
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