第三王子と身代わり領主

こーの新

第1話 ピンパル辺境伯家


 縄で括った解体済みのブラックブルの肉と籠いっぱいの山菜を背負った筋肉隆々な黒い熊のような男。ピンパル辺境伯領の若き領主であるオービスが辺境伯邸のドアを引き開けた。


 王都の貴族たちのような派手な装飾品はないが、討伐した魔物の剥製や領民からのプレゼントで飾られた木造りのエントランス。傾きかけた太陽の光が差し、まだ明るい。シャンデリアなんてない。代わりに夜の来訪者のために用意された獣から取れた脂を使った蝋燭が狭い間隔で立てられている。



「戻ったよ。母様、ラナ、今日も豊作だぞ!」



 オービスの良く響く声に、青い髪を揺らして母カリタスと妹ラナがゆったりと降りてきた。二人の姿を視界に捉えると、オービスの垂れた目尻が柔らかく下がった。カリタスとラナはオービスの背中に見える山に、慣れたことのように微笑んだ。



「良かったわね。みんな無事だった?」


「うん。今日もみんな怪我なく帰ってこられたよ」



 オービスの言葉にカリタスはホッと胸を撫で下ろした。カリタスの視線は、エントランスに飾られた四人で撮った家族写真に向けられた。



「兄様、早く食べたい!」


「分かった分かった。ちょっと待っていてね」



 少ししっとりとしかけた空気を壊すようにラナがぴょんぴょんと跳ねながらせがむと、オービスははにかんだ。オービスはラナを連れてキッチンへ向かい、早速肉と山菜の下処理から始める。



「本当に今日もたくさんだね」


「ああ。俺たちも狩りが上手くいったし、採取に行ってくれたみんなも今日は群生地を見つけたらしくてな。全員がお腹いっぱい食べられるくらい採れたんだ」



 ピンパルの辺りは元々自然が豊か。農耕をするにもしっかりと耕して環境を整えればすぐに耕作を始めることができたという。領地内の山には山菜が豊富。それを目当てに危険ではあるが食糧にもなる魔物たちが集まってくる。


 オービスの父インウィクスが戦功を挙げて辺境伯の爵位とこの地を賜ってからすぐに食糧事情は安定した領地として有名になった。すると周辺の避難民たちが集まってきて小さな村を成した。今では三つの小さな村を束ねてピンパル辺境伯領が形成されている。


 山菜と肉をグツグツと煮込んだお鍋。昼は暑く夜は寒いこの地域ではよく食べられている山菜肉鍋。山で採れた香辛料で味付けをしていることで身体を温めることができると重宝されている。


 食卓にパンと鍋が並ぶ。親子三人の食卓は、ラナのマシンガントークで賑やかに彩られる。



「それでね、それでね! アクイラったらね!」



 話題は今日も恋人のアクイラ。ピンパル自警団に所属している若者たちの中で、次期エース候補として名前が挙がる実力者でもある。ラナは今日も領民たちの手伝いに街へ下りたときにひっそりと小さなデートをしていたらしい。


 ひっそりとしているようで、ラナがよく話すものだから、二人の関係は領民誰もが知る話になっている。貴族と平民。普通では難しい恋は温かく育まれていた。



「戦っているときはあんなに格好良いのに、側溝掃除をしながら溝に転んでしまったの! 泥だらけになって恥ずかしそうにしているのが、本当に可愛らしくて!」



 頬を紅潮させて熱く語るラナに、カリタスとオービスは優しく微笑みながら耳を傾ける。温かな食事と優しい空間。ピンパル辺境伯領の縮図を表したような辺境伯家の食卓だった。



「領主様! 失礼するっす!」



 バーンッと大きな音がして、従士の一人であるドラコ・ポリプテルスが飛び込んできた。余程急いで来たのか、短く切られた金色のツーブロックも風で後ろに流れてオールバックのようになっている。


 オービスは小さくため息を漏らすと、口元をそっと拭う。そして垂れ目にほんの少し力を込めてドラコの切れ長な青い瞳を軽く睨んだ。



「ドラコ、入室するときはノックをしてから丁寧にドアを開けるようにといつも言っているよね?」


「あ、すみませんっす。でもでも、これが届いたら誰だって慌てるっすよ!」



 そう言ってドラコがオービスの目の前に突き出したのは、一通の封筒。大きく勅旨と書かれたその封筒に、オービスは顔を顰めた。



「確認しよう」



 いつになく声が硬くなる。オービスが封筒を開き、勅旨に目を通す。次第に眉間に皺が寄った。



「兄様、王様は、なんて?」



 ラナが静かに声を掛ける。カリタスは机の下でギュッと両手を握り合わせ、ジッとオービスを見つめた。オービスは深く息を吸い込むと、柔らかに微笑んだ。



「ラナと、第三王子を結婚させたいと。来週には第三王子がここへ来て、婚約式を執り行うよう準備をしておけと」



 勅旨は決定事項。それに抗うことすら許されない。


 第三王子といえば、病弱であまり表には出ない。辺境の領主であるオービスは王都へ出向くことが少ないものの、要地を守っているため王家と顔を合わせることもある。それでも第三王子とだけは会ったことがなかった。


 会ったことがない人物に対する良い噂も悪い噂も、オービスは聞き流す。自分の目で見たものが全て。その人柄を全く知らなかった。


 ラナの顔色が青くなり、俯いた。それを見たオービスは震える頬で微笑んだ。



「大丈夫だ。俺に任せろ」


「でも、勅旨、なんでしょ?」



 ラナの声が震えた。ギュッと手を握りしめ、涙を垂れた目尻にいっぱいに溜めた。



「大丈夫、明日、アクイラと、話してくる」



 ぎこちなく微笑むラナに、オービスは目頭にグッと力を込めた。そして、低く呻くような声を絞り出した。



「その必要は、ない。ラナ、幸せになれ。この件は、俺が引き受けるから」



 オービスの意思の強い声に、ラナは黙り込んだ。ラナの瞳が揺れると、オービスは微笑み、カリタスに視線を向けた。



「母様、明日から少し手伝って欲しいことがあるんだけど」


「オービス、どうするつもりなの?」



 カリタスは眉を寄せ、オービスを見つめる。肩を軽く上げたオービスは、覚悟を決めたように強い眼差しで小さく頷いてみせた。


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