悪虐してる場合じゃない

人間になるには早すぎた

恐怖は突然、そこに降り立つ

プロローグ イランの恐怖

その恐怖は突然降り立った。



「……い…………ろ…!」


どこからか聞いたことのない男の声がする


「……い!……きろ!!」


なんだ、うるさいな、と、睡眠の邪魔をされ腹を立てるが、眠気が抜け切らず朦朧としたまま意識がはっきりしない。


「おい!!!!起きろ!!このクズ!!!」


「……ッ?!」

急に声が鮮明に届き、耳をから脳へと荒ぶった声がこれでもかと耳朶を叩く。

勢いよく目を覚ますとそこには見たことのない男たちが佇んでおり、怒りの形相を浮かべていた。

まるで親の仇でも見る様なその瞳には憎悪、憤怒、様々な負の感情が渦巻いている。


「だ、誰だ貴様らッ!こ、ここはどこだッ?!

俺がオルギアス家だと知っての狼藉か!?」

見知らぬ男達に囲まれている異常な風景に頭が混乱している。だがこのままではいけない事だけはわかる。頭が追いつかないまま舌が回りだす。


「はっ、誰だ、だと今更になってとぼけるつもりか貴様」


反射的に体を動かそうとして、初めて自分が手錠や足枷で身動きを封じられていることに気づく。

魔術の行使は上手くいかず抵抗できない状況だと知る。何かしらの魔具で魔力を抑制されている。


更に違和感……いつもより視界が高い。肩幅も広い。体を操る感覚に違和感が生じる。

未だ10歳にしては体が大きすぎる。

(身体が成長している)(なぜ拘束されている)(こいつらは誰だ)(ここは一体)(使用人たちはどこへ)(お父様は–––


あらゆる疑問が浮かび上がってはまた次の疑問に塗りつぶされていき、濁流のように思考が押し寄せる。

頭がまとまらない、混乱で頭に鈍痛が響く。

理解のできない情報が多く舞い込んできて一向に現状が把握できない。わけもわからないまま恐怖と焦燥に心が呑まれてゆく。


「貴様にはこれまでの所業をその命を持って償ってもらう」

そんなことなどよそに、次々と男たちが剣を抜いて構える。

「ま、まて、どういうことだ?!刺客か?!誰に雇われた?!」

肌がヒリつく。命の奪い合いなどした事なくてもわかる。彼は自分を殺す気だ。

このままでは自分が終わってしまう。

なんとかこの場を凌ごうと言葉を紡いでいくが–––

「もういい、貴様の息は死臭が酷過ぎる。ここで息の根を止めさせてもらう」


話など聞いてもらえる状況ではなかった。

もうどうにもならない。

彼らは憤怒に呑まれ、怒りが身体に満ちている。

その決意は決して揺るがず、覚悟も、決意も、準備も、もう全てが済んでいる。

この最終場面だけが取り残されている状況だった。


「ま、まて!!話を–––

我慢の限界といったような男の叫び声が耳をつんざく。

じんわりと腹部が熱を持ち始め、それはすぐに強烈な熱に変わり味わったことのない激痛が走る。

確かめるように自分の体を見下ろす。


強すぎる力で握られているのか、その拳は小刻みに震えておりそのきっさきは自分の体に埋もれていた。


徐々に押し寄せくる痛みと、ぬめりのある赤い液体が身体を刺激する。やっと自分の腹に剣を突き立てられていることをまともに認識した。

脳がこれでもかと警告アラームを出している。


このままでは命が終わる、

このままでは死に絶える

このままでは生が終わってしまうと。



「ぁ、、ぁぐぅ、、ぅぇ、ぶぇ、、ぅぐ、」


鉄の味が、、匂いが、、口内に充満する。

身体から命が抜けていくようにどろっした液体が口と腹の傷口からあふれおちる。

体温が下がり、今度は急激に身体が冷える。

内側内臓は暑いのに、外側は寒さに震える。冷却された監獄で焼印を内側から押されている、そんな言い表しようのない苦しみが体を満たしてゆく。


「己の所業を悔いながら死ね」

「いや、だ……死にたく……な–––


い』、そう言い切る前には声が切れた。

首にも刃が刺ささっており、何もわからないままイランは絶命した。




**




頭部に冷たい衝撃が走り目を覚ます、

「………は??」

ポタポタと自分の髪から水が滴る

街の広場の中心、民衆が多く集まりその視線は全て自分に降り注がれていた。

頭手首が固定され、視界が制限されているが、自分は断頭台に固定されていくことだけはわかった。


「こんな状況でうたた寝とは余裕だな、未だにどうにかなると思っているのか。」

赤髪の女性から、険しく冷たい視線が刺さる。

だがすぐにその視線は大勢の民衆へと向けられる。

「今ッッ!この時よりッッ!悪の一族、オルギアス家は滅びるッ!」

女性の大きく、力強い宣告に民衆達は熱狂する。

その大爆音に耳から頭へと地鳴りのように響き渡る。

低い男の雄叫びが内臓を揺らし、高い女性の歓声が耳を貫く。


『さっさと殺せ』『くたばれクズ貴族』『やっと悪が滅びる』など様々なヤジと共に石や瓦礫などが飛んでくる。

それらが頬を掠り、切り傷から血が垂れ流れる。

未だ頭から滴る冷水と混じり、ポタポタと地面に落ちてゆく。

その痛みと景色が

音と光が

声と表情が

現実味を帯びさせていく。


投げかけられたそれら石と罵声のひとつひとつがイランへの心中を表し、怒りと憎しみだけを差し向けられる。



(まただ、また訳のわからない状況に放り込まれた。

先ほど死んだのは夢?でもあの痛みは夢ではなかった、じゃあこれは?悪??我がオルギアス家が?また殺されるのか?また何もわからないまま死が迫ってくる)


あらゆる疑問が先ほどと同じように頭の中を侵食していっては、そのすぐ後を追いかけるように恐怖が込み上げた。理解のできない状況と死の危機がより一層恐怖を際立たせる。


「イラン・オルギアス、最後に何か言うことは?」

風が吹き荒れ、赤い髪が逆立つ。

燃える様に

荒ぶるように

まるで、紅蓮の炎のように


イランの瞳に映ったその姿はもはや死の炎を纏った紅い死神。

身の毛がよだち、背筋が凍り、身体が震える。



「お、俺が何をした、殺されなければいけないような事をしたのか、何故だ?!」

「この後に及んで貴様は……最後まで救いようのない…」

軽蔑するように、侮蔑するように……


––そしてどこか悲しそうに––


言葉を吐いた。

「なにも言い残すことがないのならもう良い、執行人」

くい、と顎で指示を出す。その合図と共にガコン、と不穏な音が耳まで届く。

「い、いやだッ!やめろぉおおおおおおおおおッッ!」

一人の男の絶叫は鋭い金属音と鈍い音により途絶えた。




**




それから何度も夢を見た。何度も何度も何度も何度も何度も、幾度となく。

ひたすらに自分が死ぬ夢を。


時には拷問され、時には囮にされ、時には謀殺された。

理不尽に、一方的に、踏み潰すように。


白く長い、発光する髪を持つ神秘的な女性

見たこともない理外の神器を扱う男

好きだと言いながら自分に刃物を突き立てる女性

死体を操る男に、9本の尾を持つ狐の獣人。

激しく獰猛な雷山いかずちを纏う少女に、凍てつくような冷たい少女。



様々な人物と出会い、様々な殺され方をした。



中には自分と一緒に心中をする女性や部下らしき人物もいた。

当然イランにはそれが誰かなどわかりもしなかった。

知ってるような顔つきの人間もいたが、舞台は決まって数年後。人物の特定はできなかった、というか余裕がなかった。


何度か魔法や武力で抵抗を試みたこともあった。

だが訪れるのは決まって死だった。あらゆる痛みと恐怖が襲ってくる。

心が壊れかけていた。

それでも容赦なく降り注ぐ死に段々と抵抗する気力も失せていく。


恐怖の感情だけが色濃くこびりつき

ただひたすらされるがままに死に続けていた。



早くこの夢が現実かもわからない地獄に終わりが来ることだけを祈ってただただ死に続けるのだった。

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