第22話 ひとすじの光
タイムパトロール? 少し前の孝臣なら「大人を馬鹿にするな」と激昂していただろう。だが、この時の彼は、少年の話にだいぶ引き込まれていた。花がそうだったように、少年の言葉には人を惹きつける力があるのかもしれない。
「は……何だそれ……」
「証拠を出せないのが辛いところだけど、僕らは、自由に時空を行き来して、その時代の歪みやバグを直す任務を担ってる。でも最終的な決定権は持っていないから、誰かにお願いして動いてもらわなきゃならない」
さっぱり意味が分からない。孝臣は頭の片隅でそう思いながらも、口を挟めずにいた。
「だから、『時の旅人』の資格を持つお姉さんに頼らざるを得ないんだ。今まで何度も失敗したから、今度こそ実現したいな」
孝臣は「何を実現したいのか」と聞こうとしたが、少年が悲しげな笑みを浮かべたのを見て、咄嗟に口をつぐんだ。信じてもらえないことに慣れっこになってるような、そんな儚げな表情だ。いや、それだけではない。何か深い諦念のようなものが、その瞳には宿っていた。
「みんなにとっては一度きりの人生でも、こちとら何度もループしてるから飽き飽きなんだよね」
「…………そんな説明で理解できると思ってるのか?」
孝臣は頭を抱えた。まるで信じられない。雲をつかむような話とは正にこのことである。しかし、本音の奥深くのところでは、どうにかして信じたい気持ちが優った。万が一本当なら、花はいつか帰ってくるかもしれないから。散々葛藤した挙句、孝臣はその可能性に賭けることにした。
その時だった、ふと、別の考えが浮かんだのは。消耗しきった心の中で、小さな炎がチロチロと燃えだす。
「…………一つ聞きたいんだが、未来の世界では医療は今より発達してるのか?」
「何だよ、いきなり。全然違う話じゃん」
「いいから質問に答えてくれ。俺の兄が、禍物にやられて足を粉砕骨折したんだ。現代の医療では治療は困難と言われた。もし、未来に行けば治るんじゃないか?」
「うーん……医者じゃないから何とも言えないけど、確かに未来の医療技術は、この時代とは比べ物にならないくらい発展してるよ。何せ、まだ抗生剤すらないんだからね。信じらんないよ」
「それなら、兄さんを未来の世界へ送って治療を受けさせることはできるか?」
「いやあ……不可能じゃないけど……それ本気で言ってる?」
「もちろんだ! 頼む、この通りだ!」
孝臣は鬼気迫る勢いで、膝をついて地面に座り、深々と頭を下げて頼み込んだ。
「ちょっと! 怒ったり懇願したり忙しい人だな! お姉さんのことはいいの?」
「兄の方が時間がないんだ。感染症を起こしたら厄介だ。早くしてくれ!」
今度は、少年の方がたじたじとなる番だった。信じて欲しいと言ってた割に、いざ本当に頼られると慣れないせいなのか戸惑っている。
「お兄さんみたいな人初めてだよ……どうせ、さっきまで僕のことペテン師だと思ってたくせに」
少年は一度口を閉ざし、それから真剣な表情で言った。
「いいかい、僕たちタイムパトロールには厳格なルールがある。歴史を変える『手段』は持ってる。でも『決定権』は持ってない。歴史に責任を負うのは、その時代を生きる当事者だけだから」
一瞬、緊張した間が空く。孝臣もごくりと固唾を飲み、少年をじっと見据えた。
「だから聞くよ、本当にいいんだね? お兄さんを未来に送ると決めたのは、誰でもない、お兄さん自身だ」
「もちろんだ。こうなったら可能性が少しでもある方に賭ける。そのためだったら何だってするよ。俺にとっての兄さんは、羨ましくて憎らしくて……何者にも代えがたい存在なんだ……」
最後は絞り出すような声になった。光治の正しさに当てられると、己のいびつさが強調されるようでずっと嫌だった。でも本当は、ずっと憧れていた。憧れたからこそ、光治になれない自分を心底憎んだのだ。
「こんな俺でも、一つだけでいいから、生きてるうちに何かを成し遂げたい。お願いだ。兄さんにもう一度禍物祓いになって欲しいんだ」
「……まあ、お姉さんの件もあるからそのお礼として、一肌脱いでやらないこともない。奥さんに感謝するんだよ。ところで、お兄さんの兄さんってどこにいるの?」
「帝大病院だ! 案内する!」
孝臣は、少年の手をぐいとつかんで、帝大病院へと急いだ。
*
数十分後、二人は光治の病室にいた。すでに太陽が西に大きく傾き、オレンジ色の光が窓に注ぎこんでいる。暗くなりかけた室内に電灯が灯っていた。
前日見た時と変わらない状態で光治は眠っていた。このまま手をこまねいたら怪我が固定してしまう。それだけは何としても避けたかった。
「あのさあ、お兄さんの兄さんが急に姿を消したら大騒ぎになるんじゃない?」
「それはお前が何とかしてくれるだろう?」
「は? どうしてそう思うわけ?」
少年が大げさに顔をしかめて見せるが、孝臣は淡々と説明してみせた。
「あんな場所に見せ物小屋を常設してるのがおかしいと思ったんだ。警察からケチを付けられず、前を通り過ぎる人も気に留めない。まるで、何らかの術を使って、無関係の人から目くらましをしているようだった。でも、タイムパトロールという特殊能力が本当なら、そのくらい可能なんじゃないか? 病院の人を欺くくらい訳ないのでは?」
「散々感情的になってたくせに、案外よく見てるんだね。油断できないな」
「まあ……俺には無効だったけど」
「お兄さんは、積極的に探しにきただろう? そういう人には効かないようにしてるんだ」
そんな会話をしながら、少年は平べったい金属の板のようなものを取り出した。スイッチを入れると画面が光り、何やら文字が写し出される。その上で指を滑らせると画面が動くのが孝臣から見えた。
「何だ、それは?」
「転移装置、みたいな? 未来の機械だよ。今設定するから待ってて」
少年は眉間にシワを寄せながら、画面をいじっている。目まぐるしく変わる画面と少年を交互に見ながら、孝臣は目を白黒させるしかなかった。
「よし。準備ができた。お兄さんは後ろに下がってて。一言も喋っちゃダメだよ」
少年は腕を掲げ、金属の板を光治の方に向けた。カメラで写真を撮る体勢に似ている。現に金属の板の裏側には、端に三つ丸いものが付いている。レンズに見えないこともない。
ピッと言う音がすると、三つの丸から光が出た。それは光治の体を照らし、そして数秒のち――光治の体が消えた。まるで煙のように、あるいは最初からそこに存在しなかったかのように、かすかな音すらなかった。後には何も残らない。病床のシーツさえ乱れていなかった。
(兄さん!)
あまりの呆気なさに、孝臣は声を上げそうになったが、少年との約束を思い出し慌てて口を押さえる。光治の姿が消えた後も、少年は何やら画面を操作し続けたが、しばらくしてからふーっと大きなため息と共に画面横のスイッチを切った。
「もう終わったから声出していいよ」
それを聞いて孝臣も全身の力を抜く。夏でもないのに汗をぐっしょりかいていた。
「大丈夫なのか……? 兄さんは無事なのか?」
「未来に飛ばせと言ったのはお兄さんでしょうが。無事成功したよ。未来は未来で保険診療とか色々厄介な問題があるんだけど、その辺も調整しといた。こちらの時代も、大騒ぎにならないように手立てしたから大丈夫。とりあえずお母さんには『別の病院に転院した』と偽の記憶を植え付けた……正直、かなり無茶したけどね。これだけ大規模にやると、後でツケが回ってくる。まあ、お姉さんへの恩返しだ。そこまでやっても怪我が治るかは分からないけど――ちょっと! どうしたの!?」
孝臣は安心のあまり、気づくと床に崩れ落ちていた。ベッドの柵を強く握りしめ、噛み締めるようにつぶやく。
「……よかった。ありがとう……恩に切るよ……」
燃えるように赤い西陽が、孝臣の涙を照らしていた。
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