第21話 どこにいるの

 病院を出た孝臣は、憔悴しきった状態で高木の下宿に戻った。下宿の女将さんは、孝臣を見てすぐに風呂を沸かしてくれた。誰が見てもただならぬ様子だったのだろう。風呂から上がった後も、何でもいいから食べなさいと雑炊を出すなど手厚く世話をした。


「お布団を用意しましたからね、取り敢えずお休みなさい。顔が土気色になってますよ」


 そんなの今まで気づかなかった。それより、花との一連のやり取りがずっと彼を苛んでいる。どうしてこんな自分を花は好いてくれるのだろう。平手打ちされても当然としか思えない。


 花や光治のことを思うととても眠れそうになかったが、何日も寝てなかった孝臣は、一度布団に入ったらすとんと意識を失った。再び目覚めたのは翌朝早く、健三がただならぬ血相で下宿を訪れたせいだった。


「お嬢が昨日から家に帰ってないんです! 一晩中探し回りましたが見つからなくて……警察には届けました。孝臣様、心当たりありませんか?」


 まだ疲れが残っていた孝臣だったが、健三の言葉で一気に眠気が吹っ飛んだ。急いで身支度を整え、久しぶりに自宅に戻る。


(俺のせいだ。俺があんなことを言ったから……ハナちゃん、どうか無事でいてくれ!)


 もしかしたら、花が何らかの手がかりを残しているかもしれない。目白の家に戻った孝臣は花の部屋に入り、変わったところがないかくまなく調べた。ほどなくして、鏡台の上に置かれた一冊の本が目に止まった。


「禍物のすべて……何だこれ?」

「そう言えば、最近禍物について色々調べていました。孝臣様の仕事を理解したいとかで」


 健三の説明に胸が塞がる思いがする。花は、孝臣のために弁当を作ってくれたり、見聞を広めたりと、懸命に歩み寄ろうとした。それなのに、孝臣は花から逃げ続けた。自分が弱いのが諸悪の根源なのに。後悔と懺悔の気持ちに押しつぶされそうになるが、今は花を探さねばと気を取り直し、手中の本をめくる。


「帝都大学教授 轟三郎著……この名前に見覚えはないか?」

「そういや何ヶ月か前、上野に講演に行ったことがあります。詳しくは聞かなかったんですが、その時見ていた新聞に禍物の講演の広告が載っていました……」


 パラパラと飛ばし読みする。禍物の形態、被害の歴史と続いて、「もう一つの世界」という章に目が止まった。


「何だ? もう一つの世界って?」


 孝臣は、被害の後処理はするが、禍物がなぜ存在するのかといった原理的なことについては、深く考えたことはなかった。彼にとってそれは最初から「ある」ものだから。禍物を巡っては、様々な説がまことしやかに伝えられているが、そのどれもが嘘っぱちであり、これも虚言の一つとしか思えなかった。


 だから、本に書かれた「この世界はもう一つの世界と影響しあっている。その結果として禍物が存在する、という仮説を唱えたい」という一文を読んだ時、思わず呆れた声が出た。


「ハナちゃんはこんなものを読んでいたのか? オカルトもいいとこじゃないか」

「でも、最近は特に繰り返し読んでましたよ」


 何とも言えない複雑な気持ちが交錯する。だが一方では、この線を辿れば花の居場所を突き止められるかもしれないという予感もあった。何の根拠もないが、今はこの第六感に頼るしかない。


「とにかく、轟三郎という人物に会いに行こう。何か分かるかもしれない」


 そうと決めたら行動は早い。一時間後、孝臣は轟教授と会っていた。特災課の名刺をここぞとばかりに利用し、いかにも職務として教授のお知恵を借りたいという体裁に持って行く。国の役人が自分の研究に興味を示してくれていると思った教授は、快く歓待してくれた。


「いやー! まさか特災課の方が来てくれるとは! 学内でもキワモノ扱いされていたが、やっと日の目を浴びる時が来た!」


 孝臣は熱心な振りをしながら、教授の話を辛抱強く聞いた。こことよく似たもう一つの世界があって、そちらには禍物が存在しないなんて与太話にも程がある。花のためでなければ、一分も聞く価値がないと思っていた。


(これ以上彼を掘っても、ハナちゃんには辿り着けない気がする。どうしたものか……)


 こう考えた孝臣は、ストレートに花のことを聞いてみた。


「ところで、先生の講演は固い内容なので男性の聴衆が大半でしょうが、女性の客が来たことはありますか?」

「男女問わず聞いてもらいたいのは山々だが、生憎、直近の講演会は大荒れのまま終わってしまってな。これでは女性は逃げてしまうだろう」


 孝臣は、空振りかと密かに肩を落とした。それを見た教授は、何を勘違いしたのか、こんなことを言い出した。


「確かに突飛な言説なのは承知している。もし、この話について詳しく知りたければ上野にいる少年に聞くといい」

「は? 少年、ですか?」


 意外な話の展開に、孝臣は上擦った声を上げた。

 

「ただでさえ荒れがちな話題だから公には言ってないんだが、この話の出処は一人の少年なんだよ。一見、ただの見せ物小屋なんだが、そこがもう一つの世界の入り口らしい。しかも、特別な資格を持った者しか行けないらしく、小生は門前払いされてしまった」


 何だそれ。典型的な詐欺師の手口じゃないか。孝臣は呆気に取られながら聞いていた。そんな話を信じるようじゃキワモノ扱いされても仕方ない。だが、花を探す手がかりが途絶えてしまった以上、この少年を訪ねるしか手立てがなかった。


(ハナちゃんとそいつが接触してる可能性は限りなく低いと思われるが……何もしないよりはマシだ)


 孝臣は教授から少年の特徴を聞いて、上野公園へと向かった。教授の言った通り、薄紫の燕尾服を着た十代半ばくらいの少年が見せ物小屋の前に立っている。どうやら呼び込みをしているらしい。


(普通なら警察が取り締まるはずの怪しい見せ物小屋が、堂々と営業を続けている。しかも通行人は誰も気に留めない。まるで、特定の人間にしか見えないかのように――)


 孝臣は、目の前の光景に違和感を覚えずにはいられなかったが、花を探すのが最優先と頭を切り替えた。


(まだ子供じゃないか……こんな場所にハナちゃんが来るわけ……)


 少し離れた場所で立ち止まり、遠目から観察する。すると、少年がこちらに気がついた。


「お兄さん、僕に用事があるみたいだね? 他のみんなは無視して通り過ぎていくだけだもの」


 少年は、自分に寄せられるただならぬ視線に気づいたようだ。しばし、何かを見定めるように孝臣をじっと見つめる。しかし、すぐに力を抜いた。


「ざーんねん。お兄さんはあっちにもう一人いるみたい。そう何度もラッキーなことは起きないか、仕方ない」

「その、あっち、こっちという話について詳しく聞きたいんだが?」


 よく見ると、片目が紫がかっていて、歳の割に大人びて見える。孝臣は、必死な気持ちを抑えきれずぐいぐいと近づき、少年は恐れをなして一歩二歩後ずさった。強い圧を与えていたことに気づき、咳払いをして気を取り直す。


「すまない。実は轟教授から話を聞いて来たんだ。正確に言うと、禍物について調べている人を探していてね。若い女性なんだが訪ねてこなかったかい?」

「あれ? 何で知ってるの? あ、忘却の術をかけるのを忘たのか……」


 ぶつぶつ呟く少年を見て、何を言っているか分からないが、こいつは当たりだと孝臣は確信を持った。


「来たんだな? いつ!?」

「来たよ? つい昨日のことだ」

「何だって!?」


 孝臣は、思わず大声を上げ、飛びかからんばかりに少年の両肩をつかんだ。相手の怯えた顔を見て我に返る。それでも、手掛かりの糸口がここで見つかるとは思わなかったので、興奮を隠しきれなかった。


「びっくりさせて申し訳ない……その、昨日からいなくなった人を探しているんだ、その……妻を……」


 妻という言葉を使うのがためらわれる。本当の夫婦でなければ、前日に彼女を拒絶したばかりなのに。自分が夫を名乗る資格を持たないことは重々承知しつつ、他人に説明する以上仕方なかった。


「もしかして、禍物祓いになれずやさぐれた旦那ってお兄さんのこと?」

「そう! 百合塚花と言うんだが、今どこにいる?」

「名前は聞いてない。でも、昨日泣きながらここに来たよ。自分には助けられないって言ってた」


 ハナちゃんだ。浅くなった呼吸を必死で整える。やっとつかんだ手がかりを離すまいと乱れる気持ちを抑えた。


「その後、どこに行ったか聞いてる?」

「『もう一つの世界』に行っちゃった。お姉さんは『時の旅人』の資格があったから」

「は?…………何を言ってるんだ?」


 一転、唖然とする。この期に及んで何をふざけてるんだ? こっちは本気なのに。感情を制御しきれず震え出す孝臣を見て、少年は慌てて付け加えた。


「落ち着いてよ。暴力は嫌だよ。こっちは非力な少年の姿なんだから」

「そんな野蛮なことはしないさ。ただ、大人をからかうと相応の裁きを受けることになるが」

「言葉で脅してるじゃん。大体、どうして禍物の存在は受け入れるのに、他の超常現象は信じないのさ? その方が僕にとっては不思議なんだけど?」

「…………分かった。話を聞いてやる。ただし手短にしてくれ」

「言っとくけど、これから話すのは超秘密事項だよ? お姉さんがいなくなった理由を説明するのに特別に――」

「いいからとっとと話せ!」


 孝臣は、植え込みのブロックに腰をかけ、少年の話を辛抱強く聞いた。聞けば聞くほど突拍子もない話だ。こちらの世界で禍物が出現する理由は、あちらの世界で大地震が起きたせいだと。にわかに信じられないが、帝都以外の都会では禍物が現れない矛盾点を突かれると、孝臣にも解せない部分はあった。


(確かに帝都以外では、横浜の出現例が多い。都会ではないのに東海地方でも被害があったと聞く。この少年の言う、地震が起こった地域と一致している。まさかな……)


「あっちの世界が気に入らなければお姉さんは帰ってくるよ。でも、今まで行った人は全員戻ってこないんだけどね……それに、あちらの世界で、もう一人のあなたと出会ってる可能性が高い」

「何だって?」

「二つの世界は大体同じって言っただろう? 人の因縁もそんなに変わらないんだ。ただし、お兄さんは『禍物に影響されなかった百合塚孝臣』だ。微妙に人格が変わってるかもしれない」


 禍物に人生を狂わされなかった自分。明るくて強くてまっすぐな、あったかもしれない未来。少し想像しただけで、今の自分からかけ離れた姿なのが分かる。花がどちらを選ぶかなんて明らかだ。孝臣は自嘲の笑みを漏らした。


「全部俺のせいだ。ハナちゃんに選ばれる資格なんてない。あんなに寄り添ってくれたのに、冷たく振り払ったんだから。そのバチが当たったんだ」

「まあまあ、ヤケにならないでよ。こっちはお姉さんに一縷の望みを賭けてるんだよ」

「そういうお前は何者なんだ? 夢物語にしちゃ手が込んでるし、本当なら、一人の人間を消した罪が問われるぞ?」

「待ってよ! 僕は人間の摂理から外れた存在だから、普通の人間が手出しはできないよ。第一、お兄さんより長く生きているんだから」


 孝臣は、顔をしかめて少年をまじまじと見つめた。こいつ何を言ってるんだ? と顔に出てしまう。


 しかし、その後の発言を聞いてさらに驚く羽目になった。抜け抜けとこんな言葉を吐いたのだから――。


「僕は、俗に言う『タイムパトロール』。異なった時代をまたいで旅して、時空の歪みを是正する、そんな存在だ」

 


 

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