イマジナリーフェリス

桜宮余花

第一章「再会」

day1「やっと会えたね」

 私は死んだ。若い頃に想像していたよりもずっと長く生きて生きて生きて、そのうちあっけなく死んだ。そして気が付いたら少女の頃の身体に戻って、謎の空間にいた。

 もう人間として生きるのはごめんだな、などとぼんやりと考えていると、背後から何者かの気配がした。



「——柊ちゃん」



 切望していた愛しい声が耳に届き、私の涙腺を一気に緩ませる。息を吞み、身体ごと振り向いた。

 気が狂うかと思うほど真っ白なこの空間に、ぽつんと存在するピンク色のワンピースを身に纏った少女。少女は——私の最愛の人は。赤い瞳に涙をいっぱい溜めながら微笑み、少し遠くに立っていた。



「……あ、あ…………」



 私は彼女の元へ転がるように駆け寄り、強く抱き締めた。私の心の中に雪のようにしとしとと降り積もっていた何十年分もの愛を吐き出すように、彼女の名前を無我夢中で呼ぶ。



「フェリス……! フェリス!!」

「柊ちゃん柊ちゃん柊ちゃん! 本当に柊ちゃんだ……!!」




 それから私達は、今まで会えなかったあまりにも長い時間を取り戻すように何度も、何度も言葉を交わした。かなりの間そうしてから、ふと気が付く。


 ——あの約束を叶える最善のタイミングは今この瞬間かもしれない、と。


 高鳴る鼓動を感じながら私は一つ息を吸い、フェリスの大きく形の良い目を見つめる。



「フェリス……最後にした約束、覚えてる?」



 フェリスは穏やかな微笑みを、すぐにはっとした顔に変えて。



「……うん」



 と、確かに頷く。そして真剣な眼差しで私を見つめ返してくれた。その瞳に、期待と不安を孕ませているように見えた。私は覚悟を決め、ずっと前から——何十年も前から言いたかった言葉を今、紡いだ。



「フェリス。私と——」





 少女——冬乃柊は、はっと目を開いた。意識が浮上した瞬間に感じた、泥の中に沈んでいるかのような倦怠感とどくんどくんと波打つ心臓の不快感に、柊は思わず顔を顰める。



(最近、ずっとこんな感じだな……なんだろう、この体調不良)



 柊はここ一週間ほど強い倦怠感と眠気、胃痛や頭痛、その他諸々の体調不良に悩まされていた。



(……今日はいつも以上に倦怠感が強い。まだ起きる時間には早いし、動悸が収まったら二度寝しよう……)



 そしてまだ半分眠っている頭でそんな考えを固めるのだった。目の端に少し溢れていた涙を拭いつつ、上半身を起こした。



「すぅ……はぁ……」



 それから動悸を落ち着かせるために、胸を抑えて深呼吸を繰り返す。



「……ふぅ」



 そんな柊を癒やすかのように、窓から暖かい春の陽気が差し込む。そしてカーテンが揺れ、優しい春風が頬を撫でた。──刹那、違和感に気が付いた柊は即座に深呼吸をやめてベッドから跳ね起きた。



(窓が、開いてる……?)



 そう。ここ最近はずっと閉め切っていたはずの窓が、なぜか勝手に開いていたのだ。一瞬自分が閉め忘れたのかと肝を冷やした柊だったが、すぐにそうではないと思い直す。


 なぜなら柊は普段から窓を開ける習慣がないことに加えて、小さなアパートの1階で一人暮らしをしている。そんなセキュリティが高いとは言えない住環境で、用心深い柊が窓を閉め忘れることなどありえないのだ。


 つまり、この事実から考えられることは……。柊は恐る恐る部屋を見渡した。




 柊の視界にまず映ったのは、いつの間にか全開になっていた青色の除光カーテン。同じく全開になっている掃き出し窓。それから、その前に佇む一人の幼い女の子だった。

 

 その見た目から推測するに、女の子の年齢は10歳程度だろうか。柊は目を丸くして、にじんだ額の汗を拭う。

 

 先程は強盗や不審者に侵入されたのかと最悪の想像をしていたが、この狭い1DKの部屋に他人の気配は感じない。どうやら侵入者はこの女の子1人しかいないようだ。



 その女の子は、毛先が肩に触れる程度の長さで綺麗に切り揃えられた白銀の髪と、ルビーのように赤く輝く丸い瞳を持っていて。薄く微笑むその顔は人形のように整っていた。

 

 ピンク色をベースに白いレースがあしらわれた甘い雰囲気のワンピースからすらりと伸びる手足に、新雪のように白い肌。さらには猫耳と尻尾が生えているという、もはや不気味なほどに美しく非現実的な容姿をしていた。


 そんな不思議な女の子が、開け放たれた窓から降り注ぐ陽光を背に受けて柊へ微笑みかけている。




 柊は女の子の美しさに頭を殴られたかのような衝撃を受けて目を奪われつつ、首を傾げた。

 なぜなら女の子とは初めて会ったはずなのに、なぜかずっと昔から一緒に過ごしていたような——そんな不思議な感覚を覚えたからだ。



(何、この感覚……。というか、人に猫耳と尻尾が生えてるなんてありえないし……もしかしてこれ、夢?)



 柊は未だに覚めない眠気と倦怠感で霧がかかったような頭の中で思考を巡らせながら、ぼんやりと女の子を見つめていた。




 膠着状態が続く中。突然、女の子が口を開く。



「えへへ……やっと会えたね、柊ちゃん!」



 女の子は鈴を鳴らしたかのような美しい声で、柊の名前を呼んで。そして、柊に笑いかけたのだった。



 女の子を見つめながら柊は考えた。私はついに頭がおかしくなったのかもしれない、と。そして、この子にまともに返事をしていたらもっとおかしくなるかもしれない、とも考えた。



「あれ、柊ちゃん? 見えてるよね? おーい!」



 動揺のあまり掛け布団の縁を握りしめている柊に女の子は軽い足取りで近づいて、柊の顔の前でぶんぶんと手を振った。しかし、柊はひたすら無視を決め込む。



「柊ちゃん……」



 そのうち、女の子の瞳にじわりと涙が浮かぶ。さすがの柊もその様子に心が痛んだ。



「……なんで無視するの?」



 自分がされて嫌なことを人にする。柊にとってそれは苦しいことだった。しかしそこを堪えて、柊は目を閉じる。何も視界に入らないように。この変な夢が覚めるように。


 そうしているうちに、柊はいつしか二度目の眠りについていた。すっかり寝息を立てている柊と、ベッドの脇に寄り添う女の子。この独り暮らしの狭い部屋に、久しぶりに穏やかな空気が流れていた。

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