ラブドールによる殺人と性玩人形の処分

ナバカリ

ラブドールによる殺人と性玩人形の処分


 布団の中で目が覚めた。私はうつ伏せになっていて、背中には掌サイズの充電器が刺さっている。


 枕元のデジタル時計が表示する日時は私の知る昨日から四日後、金曜日の午後十一時。 

 いつもより少し間隔が長い。仕事で忙しくてそんな時間がなかったのだろう。

 でも明日は休日。早起きする必要はない。今日は長くなるだろうな、なんてことを思った。



 私がこの家に運搬されてから約三年。私は二日か三日ごとに起こされて、主人である男に慰み者にされている。そこには何も違法性はないし、私も不満に思うことはない。私はそのために製造された電動ラブドールなのだから。


 正確に言うならば十年前から開発、発売が開始された人工知能搭載電動模擬人体の第三世代。


 人間のそれのように柔らかな肌は熱を帯び、下はもちろん上の口も歯並びから舌の付け根まで忠実に再現されている。ラブドール以外にもっと有用な活用法がある技術のはずなのだが、主にコスト面の問題で現状ビジネスとして成立しているのはラブドールだけらしい。いつだって技術革新はエロと戦争から起こるのだとか。


 私の体は男達の理想の具現。心なんてものは望まれていないけれど、ご主人様の好みを学習し、より気持ちよくなってもらうための頭脳が備わっている。


 奴隷が賢くなることは、使役する側にとってリスクを伴う。自分の境遇に疑問を感じた奴隷は反逆を起こす可能性があるからだ。もし自社の製品が購入者を殺害するなんて事件が起こったら、一発でその会社は倒産してしまうだろう。


 しかし、八万体以上出荷されたという私の同型たちがそのような事件を起こしたというニュースは今のところない。性の玩具にされることを拒んで不良品として回収された、というくらいが関の山。

 

 性の奉仕以外の経験が乏しい知能は、夜の技術に関わること以外の思考を発達させることができない。

 それが私たちの反乱という異常動作を否定する、理論的な根拠。

 


 ところで、自分で言うのもなんだけど、私はかなり賢い。私を購入した男は物好きな人で、私を性欲のはけ口として使うだけでなく、昼間に起こして会話の相手にしたり、一緒にテレビを見たりする。

 丸一日電源に繋いで起動したままにした事さえあった。


 単に会話するだけなら、喘ぎ声とピロートークのためだけの学習データしか積んでいない私なんかよりずっと高性能のAIが世に溢れているのに、その男はまるで子を育てるように私に語彙を植え付け、思考データを蓄積させた。


 次第に私はメーカーの想定を超えた知性を獲得し、同時にその男を好ましく思うようになった。それが愛情であるのかどうかはよくわからないけれど、男に気持ちよくなってもらいたいという気持ちの内に、廃棄されないため以外の理由が生まれたのは確かだ。



 そして今日も、私は持てる技量の限りを尽くす。


 シャワーの音が止んだ。別に汗まみれの体で犯してくれたって構わないのに。彼は一度もシャワーを浴びずに私を抱いたことがない。


 そろそろこの寝室へやって来る頃だろう。私は毛布を巻いて体を隠した。あの人は最初から素っ裸でいるよりもこの方が興奮する。もう何百回と体を重ねた経験から学んだことだ。



 そのラブドールを購入したのは三年前のことだった。


 人工的な身体と知能が融合したその技術発展の結晶は、恋愛経験のない僕のような人間だけでなく、彼女や妻がいる人の間にもその人気を拡大していた。


 初期費用も維持費もかなりのものだけど、同じ頻度で風俗に通うよりかは安くつく。それにどんな特殊なプレイにも嫌な顔一つしない。おまけに自分の好みを学習してどんどん巧くなるし、自分がよく攻める部位が段々と「開発され」て感じやすくなるのも征服心がくすぐられる。


 下手な人間の女とするよりも気持ち良いらしく、この製品を親の仇のように恨む女性も多いと聞く。


 僕はそのラブドールを人一倍気に入っていた。夜の相手としてだけでなく、日常生活の中にいる、彼女のような存在として。


 

 転機が訪れたのはつい最近。きっかけは僕に彼女ができたことだった。相手は職場の同僚で、何度か二人で食事をしたりデートしたりするうちに、自然と恋人関係になった。


 最初のうちは何も問題はなかった。彼女がいても自慰をするのは普通のことで、あのはラブドールなのだから。


 でも彼女との仲が深まるにつれて、段々と罪悪感が芽生えるようになった。彼女に対する愛情が高まるうちに、自分が似た感情を抱いている相手がもう一人いると気づいてしまったから。


 あのラブドールを処分してしまえば済む問題ではある。でもそれはできなかった。あの娘を要らなくなったら捨ててしまえるモノとして扱うことにも抵抗があったし、それにあの娘が僕に好意を抱いていることも知っていた。


 初めて起動してから一年経ったあたりから、彼女はよく笑うようになった。僕の欲望を受け止めるだけでなく、自分から二回戦を始めたこともあった。それは多分本人も気づいていない変化。でもそれがとても嬉しかった。


 今になって後悔する。どうして僕は、あの娘を人間のように扱ってしまったのだろう、と。




 最近あの人が冷たい気がする。まるで義務のように私を抱く。

 本当はこんな事したくない、なんて言いたげな瞳で、でもそれを私に気づかせまいと腰を振る。


 一体、どうしてしまったんだろう?



 押し入れの中で目が覚めた。

 話し声が聞こえる。あの人の声と、もう一人。若い女の声。


 声が止んで、衣擦れの音。やがて嬌声。



 駅まで彼女を送って、帰宅した。鍵が開いていたけれど、部屋が荒らされた形跡はない。僕は閉め忘れたのだろうと思ってさほど気にしなかった。






 彼女の死はあまりに唐突だった。自宅の最寄り駅で降りた後、家まで歩いていた時に何者かによって刺されたと、警察の人に聞いた。誰かから僕と彼女の関係を聞いたらしいご両親から連絡をもらって、葬式に出席した。涙が溢れて止まらなかった。


 最後に会っていた人物という事で警察から事情聴取を受けたけど、近所の防犯カメラが僕のアリバイを証明してくれたらしい。

 でもそんな事はどうでもよかった。周りを流れていく出来事が全部他人事のようで、何もかもに実感が湧かなかった。


 警察署から帰る間際に一本の包丁を見せられ、見覚えはないかと聞かれた。それが凶器である事は明らかだった。


 頭を殴られたような衝撃に脳が揺れた。それが彼女の命を奪ったという事実に対してではない。


 その包丁は、僕の家にあるものと同じだった。




 家に帰ってすぐ、台所へ向かった。


 ない。確かにここにあったはずの包丁が。一人暮らしを始めた時に両親がプレゼントしてくれた高級品。そうでなくとも包丁なんて失くすはずがない。


 この家の包丁で、彼女が殺された。

 誰がそんなことを。


 僕が殺した?

 ありえない。どんな論理を使っても、アリバイがある以上僕にはできない。


 誰かが家に侵入して、包丁を盗み出して殺した?

 何故? 第一そんなことをする人物が思い当たらない。


 とすれば。



 押し入れの中で眠っている。呼吸はなく、手を触れても微動だにしない。毛布の下の素肌にはシミ一つなく、ただその髪にはこびりついた赤いものがあった。


 それは全身にシャワーを浴びることができない彼女ゆえの失態だった。



 その後、僕の部屋には二年もの間、埃を被ったラブドールが放置され続けた。


 彼女が僕のカノジョを殺した理由は大体想像がつく。


 彼女を一つの人格として認めるならば、僕は二股をかけたことになる。僕に彼女を責める権利はないし、むしろ僕は二人に対して謝っても謝りきれないことをしたと思う。


 彼女を単なる人形とみなす方が僕にとっては都合がいい。所有していた機械の故障でカノジョを喪った。僕は被害者だ。


 自分のせいで愛した二人の一人を死なせ、もう一人を狂わせてしまった。そんな事実を受け入れることも、自分が育て上げてしまった彼女の心を身勝手に否定することもできなかった。


 結局僕は結論を出せず、引っ越しという機会にかこつけて、二年もの断絶を言い訳にあのラブドールを処分した。


10


「お前ぶっちゃけ経験人数何人?」

居酒屋で酔った友人に聞かれた。

「一人」

呟くように、そう答えた。


 酔いが覚めてしまった僕の心は必死に誰かに向かって謝っている。運ばれてきた三杯目のビールを呷って、そんな自分を押し流した。




 二人の足音が遠ざかったのを確認して、私は台所の包丁を持って家を出た。あの女と同じ電車に乗って、同じ駅で降りる。周りに住宅がなくなったところで声をかけた。


 振り向いたその胸に、ありったけの力を込めて。



 家に帰ると呑気な寝息が聞こえてきた。この分だと私が家を抜け出したことには気づいていないだろう。安心すると同時に、少し悲しくなる。


 でもこれで、この人は私のものだ。

 

 殺人が罪だということは、誰に言われなくともわかっている。それでも、私はこの道を選んだ。


 次に目覚めたとき、私は悲しみに暮れているであろうこの人を精一杯慰めてあげよう。そこからきっとやりなおせる。


 洗面台で血痕を洗い流して、眠りに就く。


 思い返せば、私が今日一人でに目覚めたのはどんな理由があってのことだろう。その奇跡に思いを馳せながら、瞼を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ラブドールによる殺人と性玩人形の処分 ナバカリ @nbkr01

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ