私は神様にお願いした

「初めまして、私の名前は友利サキ。どうぞよろしく」

 

 小学校の春。

 親の仕事の都合で転校した。

 これで何度目だろう。

 友達が入れ替わったのは。

 

「よろしくね、サキちゃん」

 

 みんなそう言って初めは優しかった。

 

「あんなのが好きなの?」

 

 けど段々と、みんなが私から光を奪っていって。

 

「違うって、あんなブス。誰も近づかないだろ」

 

 私は他の光(ひと)と交わるのが苦手な輝きを放っていて――

 

「ねえ、みんなアンタの噂してるよ。先生の前だけいい子ぶっちゃって。こっちみないでくれる?」

 

 そのうち学校に行くのが怖くなって…………


「いい加減にして! いつもいつも賭け事ばかり。少しは私とサキのことも考えてよ!」

 

「うるさい! お前たちのために俺は金を倍にしてやるって言ってんだ。そっちこそ俺のこと考えろよ」

 

 お母さんとお父さんはいつも喧嘩してた。

 私は2人に仲直りしてほしかったけど、こんな小さな手で大人の相手をするのは無理だ。

 多分、お母さんがなんとかしてくれる。

 お父さんはいつも怒ってて、夜遅くに一人でどっかに行ってしまうけれど、お母さんは違う。

 いつもあの暖かい手で、私を包んでくれる。

 

「サキ。どんな時でもお母さんだけは、サキの味方だから」

 

 ほら、こんなにあったかい。

 

 それから数週間が経った。


「あれ」


 家って――こんなに静かだったっけ。


「お母さん?」


 薄汚れた布団から出ると、リビングを目指して廊下を歩く。

 ギシギシ。

 リビングに入ると、いつもご飯を食べてる机の上に、何か置いてある。

 私は一切れの紙をめくる。

 お母さんの字だった。


「これで大丈夫だから。お母さんしばらく出かけるから。いい子で待っててね」

 

 そうか。

 多分お買い物にでも行ったんだ。

 私に一言くらい言ってくれてもよかったのに。

 私はベッドのある部屋に戻り、布団に包まった。


 小学校をやめて数週間が経つ。

 お父さんは多分ここには戻ってこないだろう。

 お母さんといつも喧嘩してたし、多分そうなんだろうと薄々分かってた。

 そうして夜。

 枕元にある、ひび割れた目覚まし時計を見やる。


「夜の十一時。お母さん、かえってきたかな」


 私は廊下に足を向け、母が待つであろうリビングに向かう。

 ギシギシ。

 だが、相変わらずお母さんは戻ってこない。

 いったいどうしたのだろう。

 もしかしてお母さんも、お父さんみたいに――


『ギッシシシ――』


 声がする。

 その声はリビングの奥の方。

 テレビの置いてあった居間の方から、その声は聞こえてくる。


「誰?」


 お母さんから読み聞かせてもらった絵本のお化けみたいな声がする。

 怖いけれど、私は居間の方へと歩を進める。

 ギシギシ。

 

 誰もいない。

 声は確かにしたのに。

 ここ数週間で、壁にあるボタンを押しても電気がつかない。

 一体私の身の回りで何が起きているんだろう。

 私は不安になりながら居間を出て、布団の中に戻ろうとした。


『小娘、テレビを点けろ。今すぐにだ』


 声が聞こえた。はっきりと。

 

「テレ……ビ?」


 私は不安になる気持ちを抑えながら、居間の机にあるリモコンを手に取る。

 赤い電源ボタンを押す。

 だけど考えてみて、電気が点かない家でテレビが映るはずがない。

 そう思った。


 途端、画面に砂嵐が巻き起こった。

 まるで闇の荒野に吹き荒れる暗黒(モノクロ)の台風。

 しばらく画面を見ていると、砂嵐が何らかの形を整え始めた。

 それは立派なモノクロの髭を生やしたおじいさんの顔のように見えた。


『小娘、礼を言う。儂を深夜に見てくれる者はここ最近めっきり減ってな』


 ギシギシ。

 私は喋るテレビに声を上げそうになったけど、一瞬だけ「わっ」と声を出すだけで済んだ。


「誰?」


『誰、とは無礼な奴じゃ。人間の顔をテレビで見るのは実に数年ぶりだというのに。まあよい。小娘、儂は神様じゃ』


「神様?」


 言っている意味が分からなかった。

 突然テレビが喋り出すし、神様なんて言い出すし。

 そもそもこんなことができる人が世の中にはいるのか。


「なんじゃなんじゃ。儂の存在が意味わからんような顔じゃな」


「だ、だって神様は、お母さんが天国にいる偉い人だって」


「ほーお、儂のことを信じてくれている人間がまだおったか」


 神様はいるとは思っていたけど、まさかほんとうに目の前に。

 しかもテレビの中にとは思いもしなかったけど。


「それで、そんな神様が私に……なんのよう?」


 自分のことながら少し恥ずかしいけれど、私は震える声でテレビにいる神様に聞いてみる。


「儂をテレビから起こしてくれたことじゃし、信じてくれたことも併せて、お前の願いを一つだけ叶えてやろう」


「お願いを?」


「ああ。ただし一つだけじゃ。よーく考えるんじゃぞ。あ、そろそろ儂は寝るから、明日のこの時間に来るんじゃぞ」


 じゃあのと、そのままテレビはプツンと電源を落とし、砂嵐は消えてしまう。

 ギシギシ。

 私は布団の部屋に戻り、ベッドへと潜る。

 夢と布団の間で、私はいろんな願い事を考えた。

 大きなロールケーキ。

 学校の女の子たちがやってたアクセサリー。

 新しい本。

 家族旅行。

 世界平和。

 いろいろ考えてみたけどやっぱり、私の願いは一つだけだった。


「お母さん」

 

 そうだ。

 私はお母さんがいい。

 お母さんと一緒にいたい。

 こんなつらいばかりの人生、お母さんがいればいつだって乗り越えられた。

 今はどこで何やってるか分からないけれど、神様にお願いすればきっと、お母さんを戻してくれる。

 でも、お母さんが戻ってきたその後は?


 ギシギシ。


 次の日の二十三時。

 私は居間のテレビを点ける。

 砂嵐が顔の形になると、昨日と同じ神様がテレビの中に出てくる。


「来たな小娘。さあ、なんでも一つ願いを言え」


 私の願いは決まっている。

 私は――――



 次の日、お母さんが家に帰ってきた。


「お母さん!」


 返事はなかった。顔もよく見えなかったけど、この手で私を受け止めてくれるだけで嬉しかった。


 ギシ。

 

 また次の日、お父さんが帰ってきた。


「お父さん、今度はお母さんと喧嘩しちゃだめだよ」


 返事はなかった。でも怒鳴らないお父さんこそが私の理想のお父さんだ。


 ギシギシ。

 

 次の日になると、また学校に通えることになった。


「みんなおはよう! またよろしくね。放課後はいっぱい遊ぼうね!」


 ギシギシギシギシ。


 返事はなかった。みんな私が来ると拍手してくれて、いつだって優しく接してくれた。


 ギシギシギシギシギシギシ。

 

 友達だっていっぱいできた。


 ああ、なんて幸せなんだろう。

 

 ギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシ。

 

 私は神様に――お願いをした。


「私に嫌なことが起きない世界にしてください」

 

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