第3話:最初の出会い、明智光秀

その問いかけは、あまりにも静かで、しかし、近藤の胸を激しく揺さぶった。

「なぜ刀を振るうので?」

御所の庭に差し込む、初夏の日の光が眩しかった。庭の緑は目に痛いほど鮮やかで、風に揺れる木々の葉擦れが、不気味なほど一定のリズムを刻んでいる。遠くで水の流れる音が、ひどく穏やかに響く。そして、不自然に蝉の声が途切れ、また再開する。

近藤は竹刀を握りしめたまま、その男──明智光秀をまっすぐに見据えた。

その問いの裏には、「将軍という権威のためか」「己の武勇を示すためか」という、あらゆる猜疑が潜んでいるように感じた。

だが、同時に、その鋭い眼光の奥に、同じ問いを自分自身に問いかけ続けている、深い迷いが見えた。

それは、かつて自らが土方歳三や沖田総司に、何度も問いかけた言葉だった。


(こいつは、俺と同じ……いや、俺がこの時代に来る前に、抱えていた迷いを持っている。血筋と家の誇りを守り、武士として生きる道。だが、本当にそれでいいのかと、問うている…)


近藤はゆっくりと口を開いた。

「……それは、お前自身が知りたいことか?」

問いかけに、光秀はわずかに目を見開いた。

「将軍は、それをなぜ、私に?」

「お前の目が、そう言っている」

近藤は、光秀の瞳から目をそらさなかった。

「志だけでは、武士は生きられん。だが、志がなければ、武士は死ぬこともできん。そうだろう?」


光秀の目が、ほんの一瞬、揺れた。

それまで完璧に整えられていた彼の表情に、一筋の亀裂が入る。それは、将軍としての威厳や、立場を越えて、一人の人間として、近藤勇の言葉が彼の心に深く突き刺さった証だった。


──無礼だ! 私は今、将軍に、己の胸の内を曝け出している! 身分もわきまえず、こんな言葉を投げかけるなど、許されることではない!

だが、抑えられない。この胸の奥に広がる、焼けつくような熱は、何だ。私は、一体誰のために刀を振るう? 主のためか? 家のためか? 己のためか? 名誉のためか? 答えが出ぬまま剣を振るってきた己の空虚さが、今、この男の言葉で満たされようとしている……。


光秀は、そう言って静かに頭を下げた。

「…私は……答えが見つからぬまま、刀を振るい続けております」

近藤は、その言葉に、新選組を立ち上げたばかりの頃の自分を重ねた。

「俺にも、答えはなかった。ただ、武士の世を守りたいという、馬鹿げた理想だけがあった」


近藤は、懐かしむように語り始めた。

「だが、その理想を嘲笑われ、裏切られ、それでも、俺の仲間は刀を振るい続けた。なぜだか分かるか?」

光秀は、息を飲んで近藤の言葉を待つ。

「答えは、ただ一つ。俺の隣に、仲間がいたからだ。土方の冷たい視線と、不器用な笑み。沖田の咳き込みながらの軽口。斎藤の無言の頷き。永倉の酒臭い息。皆、馬鹿みたいにまっすぐで、俺の理想を、俺自身の答えとして、信じてくれた」


その言葉は、御所の庭の澄んだ空気には不釣り合いな、泥臭い熱を帯びていた。

血に濡れた池田屋の畳、笑い声が響いた壬生の宿、そして油小路で聞いた悲鳴。あの光景のすべてが、近藤の言葉に重みを加え、光秀の心を揺さぶった。


光秀の目が、驚きと、戸惑いと、そして、かすかな憧れに満ちていく。

将軍という最高位の男が、血筋でも利権でもなく、「仲間」という言葉を、これほどまでに熱く語るとは思ってもみなかったのだろう。


「殿下……あなたは、真の武士の姿を、ご存知なのですね」


光秀は、先ほどよりも、ずっと深く頭を下げた。

その声には、武士として、将軍としての敬意だけでなく、一人の人間として、近藤勇の言葉に心底から感動した響きがあった。


「真の武士とは何か。俺にも、まだ分からん。だが……」


近藤は、光秀の肩にそっと手を置いた。

その手は、かつて多くの隊士たちの肩を叩き、鼓舞してきた、温かく、力強い手だった。


「…俺と一緒に、その答えを探してみないか?」


光秀は顔を上げた。

彼の目に宿っていた迷いは、まだ完全に消えてはいなかったが、その奥に、確かな光が灯っていた。

それは、彼が心底求めていた「答え」への、小さな希望の光だった。

この瞬間、将軍と、一人の剣士は、単なる主従関係を越え、互いの理想を共有する「仲間」となった。


二人の頭上、完璧に整えられた庭園は、相変わらず静寂を保っていた。

だが、近藤は知っている。この調和は、いつか必ず、血で破られる。

そして、その時こそ、真の「武士」の戦いが始まるのだと。

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