食堂ひらさか

荷葉とおる

第1話 食堂ひらさか

「ねえ知ってる?最近うわさの食堂。メニューはなくって、食べたいもの、何でも作ってくれるらしいよ。」

なに。この近辺で、私が知らない食堂があるだと?

とある休日、馴染みの喫茶店のカウンターで、背後のボックス席に座る高校生たちの会話に耳を澄ませる。

「え、知らない。なにそれ。」

「いつも公園にいるおばあちゃん、いるじゃん。あの人が突然、食堂ひらさかって行ったことあるか?って聞いてきたの。ないよーって言ったら、若い人は用がないかねって」

「若者は食堂に行かないっていうイメージなのかな」

「かもね。で、どこにあるのか聞いたら、裏山街道の湧水の近くだって。去年、登山遠足で通ったけど、そんなのなかったよね」

確かにないはずだ。

そのおばあさんは、もしかしたらボケているかもしれない。

しかし、知らない食堂があると聞いて、探しに行かぬわけにもいくまい。


なぜなら、私はフォロワー5000人を抱える、地元では名の知れたグルメブロガーだからだ!


私は足早に会計を済ませ、車に乗り込むと、カーナビに裏山の湧水を打ち込んだ。

食堂をみつけたい。

幸い、コーヒーしか飲んでいないので、腹に余裕はある。

裏山街道の湧き水までは、車でおよそ30分。

久々のドライブである。


湧き水は、観光客で賑わっていた。

週末、しかも少し汗がにじみつつある季節。

山の冷たい水で涼みたくなる気持ちは大いにわかる。

しかし私の目的は食堂だ。

辺りを見回しても、それらしき建物はない。

確かにあの高校生たちは「裏山街道の湧き水の近く」と言った。

地元では有数の観光名所となっているこの湧き水付近なら、その食堂の名はとっくに知れ渡っていてもおかしくない。

それでもグルメ情報通の私がこれまで知らなかったのは、よほど隠れ家的な店なのだろう。

観光客を掻き分け、あたりをうろちょろとしていると、見覚えのない小道が目に入った。

「こんな道、あっただろうか……。」

ほとんど獣道のような、生い茂る笹の葉に埋もれかけた小道である。

しかしどうやら、人が通った形跡はある。

ひとまず入ってみるか。

食べ物のため、そして地元一の美食家の名のためにも、労力は顧みない、それが私だ!


笹の葉をかき分ければ、小道の脇には小さな地蔵尊があるのがわかった。

もしかしたらこの先、危険が待っているのかも知れない。

しかし私は危険も顧みない。

というより、注意深く進めば問題はないだろう。

思ったよりも道は続いており、気づけば勢いよくながれる湧き水の音は聞こえなくなっていた。

私は時計をみた。

あと2分ほど進んで何もなければ、流石に戻ろう。

そういえば近頃は、よく熊が出る。

急に怖くなってきた私は、歌を歌うことにした。

周りに人はいない。

大きな声で歌おうとして息を吸い込んだが、そのままその息を飲み込んだ。

目の前が突然ひらけ、山の中に似つかわしくない建物が現れたのである。

正面にならぶガラス戸の中にはテーブルと椅子がいくつも並んでいる様子が見え、軒先にはデカデカと「食堂ひらさか」と書いてある。


みつけた!!!


私は嬉しくなって、スマホを取り出し、まずは外観の写真を撮り始めた。

果たしてどんなメニューがあるだろうか。

ワクワクしながら暖簾をくぐる。

数人先客がおり、みな一人客のようで、黙々と食事している。

「いらっしゃい」

厨房の方から、老婆が現れた。

皺だらけの顔をさらに険しくさせて、睨むようにしてこちらに向かってくると、老婆は品定めするように私の頭から足まで眺める。

「……あんた、うちの客じゃないね」

「ハァ?」

思わず声が出た。

お客かどうかは客が決めることではないのか。

私はここの料理を食べにきたのだ。

「ええと、美味しい料理を出す店があると聞いてきたんですけど……」

「確かにうちの料理は美味しいねえ。誰の舌にも合うだろうよ」

なかなかの自信、というよりふてぶてしい婆である。

「他の方は良くて、私はダメなんですか?」

私も気の弱い方ではないので、少し食い下がってみる。

すると老婆は、声をひそめて言った。

「あんたはまだ、うちに来るお客じゃないんだ。またいつか、うちに辿り着いたら食わせてやるよ」

何を言っている?

「いいから、今日のところは帰んな。しばらく来るんじゃないよ」

老婆にしっしっと手で追い払われ、私は訳がわからないまま店を後にした。


不思議なことに、あれから何度か「食堂ひらさか」に行ってみようと車を走らせてはいるのだが、毎度たどり着けないでいる。

あれは夢だったのだろうか。

確かに夢でもなければ、客を足蹴にするような店員なんかいないだろう。

そう思ってのだが、突然、再び「食堂ひらさか」に訪れる日がきた。


どうやってそこに辿り着いたか全く覚えていないのだが、ある日、私は「食堂ひらさか」の真ん前に立っていたのである。

前回と同様、暖簾をくぐる。

そして前回と同様、厨房から老婆が出てきた。

「いらっしゃい」

ここまでは同じだ。

しかし今回、老婆の態度は違った。

「空いている席へどうぞ」

まばらに、また1人客ばかりが座っている。

店内を見渡し、座りやすそうな席を探す。

「お茶です」

空いていたカウンター席に腰掛けると、老婆が熱そうなお茶を持ってきた。

いい香りだ。

ほうじ茶だろうか。

「あの……」

老婆に声をかけると、老婆は前回と別人かと思うほど優しい笑顔で言った。

「うちは、お客さんの食べたいものを出しております。なんでも、好きなものをおっしゃってくださいね」

なるほど、噂は本当のようだ。

「おすすめは?」

尋ねると、老婆は困った顔をした。

「お客さんが食べたいものを出しておりますので……。そうですね……。目を瞑って幼い頃のことを思い出してください。なんでもいいんです、母の味でも、祖母の味でも、近所の食堂の味でも。美味しいとは限りません。懐かしい味を想像してください」

不思議なことをいう。

しかし言う通りに、目を瞑ってみる。

「……中学のとき、野球の試合終わりに食べた、近所の町中華のチャーハン。」

目を開けると、老婆はにっこりと微笑み、厨房に向かって大きな声で呼びかけた。

「あの時の、チャーハンひとつ!!」

あの時の、と言われたって、料理する側も困るだろう。

そう思っていたのだが、大した待ち時間もなくほかほかのチャーハンが目の前に置かれた。

今度は老婆ではなく、人の良さそうな爺さんが運んできた。

どうやらこの人が料理しているようだ。

たしかに、あのチャーハンとそっくりだ。

鮭のほぐし、刻んだナルト、少し焦げた炒り卵。

たっぷりの油で炒められたであろう米粒が、ひとつひとつツヤツヤと輝いている。

唾を飲み込み、いざ、とスプーンを持つと、爺さんに止められた。

「お客さん、もしかして、まだここに来るべき人ではありませんね?」

またか。

今度はちゃんと席に着いて注文までしたというのに。

「あの、何の話でしょうか。」

私が聞くと、前回の老婆同様、爺さんも私の頭から足までくまなく眺めた後、やはり、と頷いた。

「あなたはまだうちのお客さんではないようだ。目の前に料理まで出しておいて申し訳ないが、お引き取り願おう。」

いよいよ訳がわからない。

しかし帰る前に、一口でもそのチャーハンが食べたい。

確かに、老婆に促されて思い出したものではあるが、私の青春の味なのだ。

私は、爺さんがよそを向いた隙にスプーンを掴み、チャーハンを口の中に放り込んだ。


「うまい!!!!!」


懐かしい。

ひとりでに涙が出てくる。

そして爺さんはと言うと、私がチャーハンを食べる瞬間を見て

「ああっ!!!!!」

と叫び、口をあんぐりしている。

「お客さん、飲み込まないでください!!今すぐ吐き出して!!」

いやだね、思い出に浸るのを邪魔しないでもらおう。

爺さんにチャーハンの皿は取り上げられてしまったが、口の中のチャーハンをゆっくりと咀嚼する。

噛めば噛むほど染み出してくる鮭のうまみと、何とも言えないしょっぱさ。

試合で負けて、炒飯がしょっぱいのか涙がしょっぱいのかもわからないまま、みんなでかきこんだチャーハン。

俺たちずっと野球を続けような、卒業してもだぞ、なんて言い合いながら食べたチャーハン。

やっぱり、チャーハンがしょっぱかったんだな。

「大変なことになったぞ。ばあさん!!!」

爺さんの大きな声に思わずチャーハンを飲み込んでしまう。

もう少し味わいたかったところだ。

「うるさいねえ。そんな大声出さなくても聞こえるよ」

老婆がこちらに向かってくると、爺さんは早口で言った。

「何でこの方を座らせたんだ。この方、まだ生きているぞ!!」

思わず咽せた。

まだ生きているぞ?

当たり前だろう!!

「そんなはず……。ありゃ、本当だわ、生きてるわ」

婆さんが私の顔を覗き込む。

はあ、とため息をついて婆さんは続けた。

「あのねえお客さん、ここは亡くなった方のための食堂だよ。そちらとこちらの境目な訳。食堂の名前、ひらさかって、書いてたろ?」

「いやいや、平坂って、普通に名字でしょう?あなた方が平坂さんなのではなくて?」

俺が反論すると、爺さんが首を振る。

「よもつひらさかって、よく言うでしょう。わかりやすいと思って、この名前にしたんだけどねえ。あなた、料理飲み込んでしまったかい」

「ええ、さっきのあなたの声に驚いて……」

私がそう言うと、婆さんは爺さんを睨んだあと、こちらを見て言った。

「よもつへぐいって、聞いたことないかね。こちらで作られた食べ物を食べてしまうと、もう生者の世界に戻れないって」

「聞いたことはあります」

「じゃあ、話は早いね。あんた、戻れないよ」

老婆が端的に言った。

「そもそもあんた、どうやって来たんだい。普通生きてる人は来られないんだよ」

老婆に問われるが、私にもわからない。

「どちらにせよ、ここの食べ物を飲み込んでしまったからにはあちらには帰れないね。困ったもんだ。」

爺さんが言うと、婆さんはため息をついた。

「まあ、怒られるだろうが、上に問い合わせるかね」

そう言うと、婆さんはどこからか子機を取り出した。

見えるところに固定電話があるのは、食堂ならではだな。

子機なんて久しぶりに見たぞ。

そんなことを思っていると。

「あんた、名前は何で言うんだい」

婆さんが私に問う。

「成田です。成田悠一と言います。」

私が名前を答えると、婆さんはよそを向いて、また子機に向かって話し出した。

通話を終えると、婆さんは憐れむような目でこちらを見た。

「一度、地獄にお越しなさいって。閻魔大王がお呼びだよ」

思わず

「えっ」

と声をあげたが、真っ白になった私の頭に残った記憶は、そこで一度途切れたのだった。

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