天才ヒーラーは、今日も働きたくない
キダ・マコト
カルテ1:女医に恋するファン患者
「ま、ま、参ったな……またこんなケガするとは──あはは」
肩を押さえる男が診察室の丸イスに腰かけ、頬を赤らめた。
荷物運びの最中に痛めたらしい。
「はぁ……はぁ……はぁ」
全力疾走してきたかのごとく呼吸が荒い。
瞳は血走り、獲物を狙う視線だった。
彼は初診じゃなく、常連患者。
確か、前回は足首のねんざだったはず。
軽症を負うたび、決まって『彼女』の診察を希望する。
おそらく下心があるのだろう。
当の本人にとっては些事なのか、毎度初対面の反応をするけれど。
ざまあみろ。
……いかん、いかん。毒づいている場合じゃない。
業務中だった。
眼前の常連客を眺めながら、「魔導機」の数値を確かめる。
オレの仕事は、医者の治療を補助することだ。
「リアナ先生、癒し魔法(ヒーリング)の発動まで……時間かかりそう?」
男の問いかけに、我らコルヴィナ医院が誇る筆頭医師──リアナが小首をかしげる。
「う~ん、どうかな? 教えて、クレイン」
「すぐには無理です。気分が高揚状態なので」
男はリアナに目を奪われ、心ここにあらず。オレの言葉など聞いちゃいない。
いいさ。
無視されるのは日常茶飯事だ。
彼にとってオレは、この空間に存在しないも同然なのだろう。
ただ、一つだけ確実なことがある。
──興奮度:97。
魔導機の数値だ。
肩の痛みと関係なく、彼が抱く特別な感情により魔法発動が阻害されていることは明白。
十中八九、リアナへの劣情だ。
分からんでもないが、ちょっとわきまえろよ。
オレは小声で耳打ちした。
「リアナ。彼は君の熱烈な信者だ」
「ふふっ、なんの冗談? うち、宗教なんてしてないよ」
オレからすれば、リアナは紛れもなく教祖だ。
端麗な容姿──心地よい声音──親しみやすい雰囲気。
理由は多々あれど、リアナ目当てで来院する患者は後を絶たない。彼に限らず、大勢いた。
無論、彼女の『正体』を知らないからこその熱狂だろうが。
「こほん」とリアナはせき払いして、男に優しく語りかけた。
「さて、治療を始めましょう。まずは脱力してもらう必要があります。緊張しなくて大丈夫。ここにあなたの敵はいません。目をつぶってください」
促されるがまま、男は両目を閉じた。
「想像しましょう。あなたにとって幸せな時間を。食事どき? 動物と戯れるとき? 友だちとおしゃべりするとき?」
吐息がかかるほど顔を近づけ、リアナがそっとささやく。
「できるだけ具体的に思い描いてください」
「はうっ!」
耳元で教祖のお告げを受け、哀れな信者は昇天したらしい。
計測針が振り切れるほどの反応を示す。
しかし、ほどなくして男の高揚感が徐々に落ちていくのが、魔導機の数値で確認できた。
そして興奮度が20まで下がった瞬間──オレは無言で合図を送る。
小さくうなずき返すと、リアナの手のひらから淡い光が放たれた。
条件が満たされた場合のみ発現する回復魔法。
その光が男の傷ついた肩を包み込む。
「――お疲れ様。よく頑張ったね」
いたわりと共に、リアナは自分の座席に戻った。
光が消えた後、恐る恐る男は肩を動かす。
「すごい。痛みが、全くないぞ……! ありがとう、リアナ先生!」
席を立ち、感謝にかこつけて男がリアナに接近した。
熱い握手でもするつもりに違いない。
……やれやれ、オレの出番だ。
すかさず、リアナと男の間に割って入る。
「診察はおしまいです。回れ右して、受付で代金をお支払いください」
オレはとっておきの営業スマイル。
男は邪魔者へ舌打ちして、きびすを返した。
リアナは我関せずで、子どもっぽく足をブラブラさせている。診察室から客の姿がなくなった途端、業務モードを完全解除した。
「クレイン、疲れた~。ベッドで横になっていい?」
人の苦労も知らずに、のうのうと。
オレは隠す素振りもなく、嘆息した。
「どうぞ。ただし、次のお客さんが来るまでな」
「わ~い」
リアナは無邪気に診察台へ飛び込む。
本来は診療用の設備だが、半ば彼女の私物と化していた。
はた目には、ほほ笑ましく映るだろう。
仕事の相方からしたら、たまったものじゃないけれど。
オレはリアナの助手であると同時に、彼女に迫りくる脅威を排除する護衛の役割も担っている。
さっきの男のように、必要以上の接触を試みる輩から守らないといけない。
護身術には自負がある。
その腕を買われて雇われた、と自己分析するくらいに。
「ねぇ、クレイン。このまま仮眠とってもいい?」
「絶対ダメ。仮眠で収まるわけないから」
「ケチ! うちは断固として労働環境の改善を要求する!」
アホらしくて付き合ってられない。
オレとしても現在の職場に、特段不満はなかった。
相棒が自堕落の権化で、公私に渡るオレのサポートを無下にすることを除けば、だが。
【続く】
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