第3話  桃太郎(出題編2)

俺は南風原はえはらと並んで歩きながら大学——一貫校なので俺はたまに史学科に在籍する姉の元へ訪れることがある——の薬学科の研究棟に入った。初めて訪れた場所に、落着きなくあたりを見回してしまう。


同じ学内とはいえ、随分と雰囲気が違う。史学科の建物など、存外俺の部屋に通ずるところがあり、古びた本の匂が漂う象牙の塔である。それに引き換え、薬学科の棟の清潔さはどこか俺を圧迫し、はたして自身のような場違いな者がいて良いのかと、内心尻込みさせていたのである。


そんな俺の前を南風原は気後れした風もなく突き進み、俺も慌てて追うのであった。ふと彼女が足を止める、その視線の先には白石と表札が示す研究室。どうやらここが目的地のようである。


(そういえば、どうして薬学科なんだ?)


今さらながらの疑問は、あながち的外れではないだろう。考古遺物なので、収蔵設備のような場所を訪問すると勝手ながら思っていた俺。しかし実際に足を運んだは薬剤研究の最前線。


「なあ、その薬籠は博物館みたいなところで保管されているわけじゃないのか?」

「ん? そうよ?」

「ん?」

俺の疑問に、南風原もまた不思議そうに首を傾げ、〝ああ、なるほど〟と一人納得したように手をポンと叩く。


「今回の発見は、もともと大学博物館に保管されていたものを新しく違う角度から分析したってことなのよ。で、分析したのはこの研究室の主の白石女史。私は彼女の講義にたまにお邪魔させてもらっていて、知り合いだったからお願いしたのよ」

「……なるほど」


腑に落ちたように頷く、俺。しかし、また一つ得心いかないことが生まれたのである、お前高校の授業サボって大学の講義を受けていたのか、と。


南風原が研究室のドアを叩くと、〝はいはーい〟という声と共に中からは妙齢の白衣の女性が現れる。やや乱れた長髪を掻き揚げながら、怜悧な目がメガネ越しにこちらを見据える。


「本日はお忙しい中、どうもありがとうございます」

瀟洒しょうしゃにお辞儀をする南風原に合わせて、俺も頭を下げた。

「いや、この程度のことなら全然構わないよ。向学心のある学生たちへのサービスさ。しかし南風原君がこういう考古試料にも興味があるとは思わなかったな。いやそれともやはり薬学に関心があるのかな? どうだい、そのうち私の研究室に入らないかい? 君ならいつでも歓迎だよ」

「それは素敵なお誘いですね、是非考えさせていただきますわ」


慇懃な麗しの乙女に白石先生は愉快そうに笑みを浮かべ、今度はこちらに目を向けた。

「それで、そっちの君は——」


「初めまして、向風浅葱です。本日はよろしくお願いします。」

「ああ、君が噂のあー君か。君のこともいろいろ彼女から聞いてるよ」

俺の問い質すような視線に、南風原は慌てて目を逸らす。


「いえ、それはきっと事実無根の噂です。俺は南風原に一方的に振り回されているだけの不良学生に過ぎません。せいぜい良くて茶飲み友達程度の関係なはずです」

「もう否定するなんて酷いじゃない。あー君が病気のときにはあんなに健気に看病したのに」

とぼける少年を隣で少女が睨みつける。


「ちっ、またそのことを。確かにあの時は助けられたのは事実だが、それはそれでこれはこれの独立した問題だ」

不幸なことにインフルエンザの40℃近い熱に魘され、意識も朦朧とする中、真っ先に頼った姉には時期も悪く、〝論文で忙しいしから自分で何とかしなさい。もし私に移したら後悔させる〟と見放されたのであった。進退窮まっていた俺に、救いの手を差し伸べ、世話を焼いたのが麗しの乙女である。


ひとえに俺に友人が少ないがため、しかたなく南風原に助けを求めたというわけであった。

「ひどい、あー君にとって私は都合のいい女だったのね」

よよよ、と南風原がわざとらしく泣くふりをするが、彼女の涙をぬぐう仕草が茶番であると分かっていても俺はドキリとしてしまうのであった。


「おい、人聞きの悪いことを言うな。そして、演技が大根役者だぞ」

「あらあら、仲がいいんだね」

くっくっくと、白石先生は含み笑いをしながら歩きだした。






白石先生の指が保管庫の一画を指し示す。

「これが研究中の薬籠よ。もともとは展示資料だったけど、今は保管のためにここに置いてあるの」


温湿度が保たれた空間、その中でこちらを見返すかのように佇む遺物。木製の薬籠は、よくもまあこんな綺麗に残っていたものだ、と感心するほど形を留め、根付の飾り紐には青みがかったガラス玉がいくつか連なっている。その隣には展示中に付されていた解説パネルがあり、俺の目がその文字も追う。


『【室町時代の薬籠】

薬籠は薬を持ち歩く際の保管に使われているケースで、蓋をはめ込むことで薬の劣化を防ぐ構造になっています。薬籠は室町時代の終わりごろから登場し、この薬籠は国内の薬籠の初期のものになります。そして飾りにガラスが使われていることから、当時の身分の高い人物が所持していた可能性があります。』


「薬籠自体は何ともパッとしないわねぇ」

遺物を矯めつ眇めつし、その色褪せた趣に南風原がそう呟く。


「出土品なんてたいていがそんなもんだと思うが……」

「まあ、そうよねぇ」


南風原は後ろにいる白石先生の方に向き直った。

「白石女史。それでは失礼して、いくつか質問させていただいても?」

〝ええ、どうぞ〟と白石先生は微笑んで応じる。


「今回どういった経緯で、長らく保管されていた薬籠を調べようとされたのですか? 日頃白石女史がなさっている研究とは大分異なるように見受けられますが。」

「ああ、そうだね。実は意外にもヒントをくれたのは行きつけの喫茶店のマスターなんだ」

「はあ」

俺と南風原は顔を見合わせてしまう。


「ええと、その方は白石女史と研究談義をされる方で?」

「いや、普通の女性だよ。キャンパスの西側の学園大通りからちょっと離れたところにある喫茶店、珈琲庵ファウストのマスター。彼女は新薬の研究で行き詰まってた私を見かねて声を掛けてくれたのさ、たまには息抜きに全然違う分野の考古遺物でも見たらどうだってね。そうしたら本当に訳の分からない成分が出てきたときた。まったく、他人の善意には従うものだよ。美味しいコーヒーを出してくれるから、そのうち君たちも行ってみるといいよ」


「ああ、あそこですか」

南風原はその喫茶店の場所の見当がついているようである。



「それで中に保存されていた薬はどのようなものなのでしょうか?」

「小さな丸薬状に固めた粉末、その丸い粒が二十個くらい残されていたんだ」


「何百年も前のものだとして、成分が損なわれずに残るものなんですか?」

「表面の部分は変質してしまってダメになってたね。でも中心部分には本来の成分と考えられる。そもそも丸薬は水分がほとんどない上に、アルカロイドなどの防御物質が複数入っているから、カビなんかには強いんだ。そして洞窟内にあったことも重要だったね。風雨に晒されないことに加えて、気温や湿度の大きな変化から守られていたということだと思うよ。

何よりも調べる前の薬籠は固着していて開かなかったんだ。見つかっていても、誰も無理して開けようとしなかったくらいだからね。それをX線CTで中を見たら、物が入っていたことがわかったのさ。それぐらい密閉された状態というのも一因だったのかもね」


「なるほど」

俺たちはその説明に納得する。


「では、今研究中とおっしゃられていた成分について、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

好奇心に目を炯炯と輝かせる乙女に、白石先生は複雑そうな顔で唸る。


「うーん。まあ、いいか。これはまだオープンにしてない話だからオフレコでお願いするね。薬の成分は麻薬的な効果のある成分だった。ラットで実験したところ、長時間の興奮作用に加えて筋力が一時的に増強されたことが確認できた」

「ドーピングということでしょうか?」


「そうね、それもとても効果の強い。そして鎮痛剤としての効用もある。現代でこれほど効果のある成分は知られていないんだ。おそらく当時のいくつもの植物の成分を抽出したのだと思われるけど、それが何かは全く見当がつかないのが現状だね。ただ現在でも植物の大部分はまだ調べられていないんだよ。だからそのうち誰かがその成分を持つ植物を発見するかも知れない」

「なるほど」


「当時は現在ほど医学が進んでいなかったはずだけど、薬草植物の知識は現代をも上回っていた。西洋化・近代化の過程で失われてしまった知識や技術がある。そう考えると、近代化を推進した大学に席を置いている私としては皮肉を感じてしまうね」

そう言って白井先生は頭を掻くのであった。







「興味深いわね、当時の人たちはあの薬を何に使ったのかしら」

博物館を辞して屋外に出た俺たち。歩きながら南風原が話す隣で、俺は日の光に手をかざす。

「さあな、タイムスリップでもしない限り分から——」

言いさして、体の異変に気付く。小さな耳鳴りと共に眼球が熱を帯び始める。


「あー君?」

怪訝そうに南風原が俺を見上げる。


自身の目を浸食する熱はすぐにはっきりしたものになり、眼球が拍動する。これは眼が特異な力を発する前兆。徐々に大きくなる耳鳴りは、いつしか俺を現実から切り離し、ここではないどこか、未知なる世界へと誘うのだった。周囲の音が塗りつぶされていく感覚に、思考は解けまとまりを失いつつある。


「南風原、すまないが……」

小さな声でそう呟く俺の傍らで、彼女が心配そうに覗き込んでくる。そして刹那、視界が明滅し白く染まった。



× × (クレヤボヤンス) × ×


時代劇かかった板葺き屋根の簡素な家屋。

目に映るのは、ややくたびれた着物に身を押し包んだ女の後姿、長く墨をひいたような艶やかな髪は決して年齢を感じさせるものではない。こぢんまりした屋内の土間には見知らぬ植物の葉や根などが干され、棚には薬研や乳鉢など調合に用いる昔ながらの道具が並ぶ。それらがこの女が薬師であることを物語っていた。女は丸薬を、慣れた手つきで小さな道具に入れていく。


あの薬籠である。

根付部分の深い青のガラス玉。収蔵庫で見た薬籠はくすんで表面の装飾もはっきりとはしていなかった。だが今見ているものは、在りし日の姿を取り戻した目に鮮やか丹であった。


「母上、準備ができました」

突然、男の声が俺の耳朶を叩いたが、それは女に向けられていた。俺の視界からは声の主を見極めることは出来ないが、その瑞々しさから青年くらい、と推し量る。若い男の声に女はゆっくりと振り返り、その美しい相貌で微笑みを向けたのだった。


「そうかい桃太郎。ではこの薬籠を渡します。この薬籠の中には鬼と戦うときに必要な薬が入っています。あなたと共となる者たちも必ず飲むようにしなさい」

そう言って、女は立ち上がった。

「はい、母上。必ずや。」

俺はその女が桃太郎と口にするのをはっきりと聞き取った。


(——⁉)


およそほとんどの日本人が桃太郎、そして鬼と聞いて思い浮かべるものは一つしかない。そう、国民的童話の桃太郎である。


(桃太郎ってあの桃太郎か?)


そして今、その一シーン目撃しているのではないかと思い至り、驚愕が走り抜けた。あまりの衝撃に白昼夢は裂かれ、またもや世界が白転する。魔眼が見せる夢は唐突に始まって終わってしまうのである。


桃太郎と呼ばれる青年に母親である女が渡した薬籠、これはその品が持つ記憶。


× × (クレヤボヤンス終了) × ×




「大丈夫?」

視界が現実に立ち返ると、横から覗き込む麗しの乙女の端正な面貌に迎えられ、俺は自身の体を彼女に預けていたことに気づく。


「あ、ああ。すまない」

南風原の肩に乗せたていた頭を振って、俺は体を離す。


「別にいいわよ。ちょっと休憩しましょうか。歩ける?」

「ああ、もう大丈夫だ」

「そう?」

不意に南風原の指が手に絡み、俺は咄嗟のことに狼狽してしまう。


「じゃあ、せっかくだしご飯でも食べましょうよ。」

少し赤くなりながらも何でもない様子で彼女は笑い、俺の手を引いて飲食店が立ち並ぶ通りに向かって歩き出したのであった。


「どこにするんだ?」

「そうねぇ、パスタなんてどう?」

パスタと聞いて、俺の腹が空腹を急に訴えだす。人間現金なもので、もう完全にたらこパスタの気分である。


「受けて立とう。たらこパスタに対して一歩も引かない気構えが俺は出来ているぞ」

「あはは、じゃあ私はペペロンチーノにしようかしら。」

〝β-エンドルフィンがたくさん出るような辛いやつが良いわね〟と南風原はからからと笑う。


ちなみに彼女曰く、β-エンドルフィンは神経伝達物質の一種で、幸福感などが得られるため、脳内麻薬とも呼ばれてるらしい。アイツはおよそ何にでも唐辛子が合うと思い込んでいる節があり、〝人間と辛みの親和性は生物学的には正しいのよ〟、と嘯いているのであった。


彼女に連れられた先は、万年金欠学生の懐にも優しいチェーン店。高校・大学からほど近いこともあり、店内の席は学生と思しき若者によって占められていた。席に案内されてお冷が置かれる。


「ペペロンチーノ、辛さ増し増しで」

「このたらこパスタ一つ」

注文を終えてお冷に口をつけると、喉元を過ぎる涼気に人心地つく。向かいの乙女はワクワクと好奇心がにじみ出た目を俺に向けている。


「それで、さっきのはクレヤボヤンスだったの?」

「魔眼が見せる白昼夢だ」

「もう、いいじゃない、クレヤボヤンスで」

「……まあ、いいけどな」


「それでどうだったの?」

「確かに薬籠とは関係がありそうだったが——」

言いさした俺に、と興味津々といった様子で南風原が身を乗り出す。


「——桃太郎が出てきた」

「へ?」

南風原が目を大きく見開いてぱちくりとさせる。それはそうだろう、国民的童話の主人公の名前が急に出てきたら誰だってそういう反応になる。


「えぇと、あの童話の?」

「分からん。そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない。」


「えぇ?」

首を傾げる南風原に、俺は魔眼で見た歴史の断片を話して聞かせたのだった。




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