15.運動不足で読書中毒の私たちに

 ゴールデンウィークが明けた登校初日、私たちはやはり放課後を図書室で過ごしていた。今日は連休の間に本に積もった埃を落とさなくてはなりません。


 調辺さんはいつもと同じ様子なので安心しつつ、先ほどのホームルームで起こったことを思い出す。それは体育祭の競技を決める話し合いの出来事。


 私たちは昨日話し合った通り二人三脚に立候補したのですが、何故か私たち2人が立候補した途端に教室が歓声に包まれた。はい、それはまるでアイドルのコンサートでファンの方々が上げるような見事な歓声でした。


(……やはり私たちはそのような関係と思われているのでしょうか)


 授業を除くほとんどの時間を図書室で過ごし、いつでも2人一緒にいて。体育の時間などでも2人でグラウンドの端にいたり。どうにも2人セットで扱われているのは察していましたが、昨日の帰り際のやり取りからそれを妙に意識させられてしまって。


 調辺さんが昨日の夜に言った言葉を思い出し、やはりそういう意味があったのだろうと思いつつ保留にするような曖昧な返事をした私は、クラスメイトの私たちへの印象を否定しようにも出来なくて。それを否定してしまっては私と調辺さんの関係性が友人ですらなくなってしまいそうで怖くて。


「……二人三脚の練習はいつ行いましょうか」


「そうだね……図書委員の仕事が終わった後に時間を取ろうか」


 良くない考えを頭から追い出し、いずれ来る体育祭に思いを馳せる。忙しくしていれば悩みは鎮静化して消えてなくなるはずと、掃除を続けながら雑談へと移行する。


「調辺さんも少しは体力作りに時間を使ってくださいね。私も本日からしばらく帰宅する前にウォーキングをしますので」


「そ、そうだね、考えておくよ」


 体育祭までに最低限100m走をまともに走れる程度の体力は欲しいですからね。調辺さんに関しては足を擦らずに歩く練習から始めて欲しいくらいですが。


 調辺さんが拭いたばかりの机に項垂れる。運動嫌いなのはお互い様ではありますが、私よりも体育の成績がよろしくない調辺さんにとっては体力作りのための体力が無いと言われても仕方がないとは思いますし。


「いっそ高峰先輩のように欠席してしまうというのも手だろうか……」


「あの方は体質的な問題と聞きましたし私たちと一緒にしては失礼なのでは?」


 高等部3年の高峰零先輩は現在の月野女学園において「お姉様」と呼ばれている方だ。真夏でも冬服のボレロを羽織り内側にはハイネックのインナーを着ており、それでいて常に涼しげで汗も掻かずにいることからもう一つのあだ名を「氷の女王」とも。体育の授業に一度も出たことがなくいつも見学しており体育祭も必ず欠席する先輩は、恐らく運動をしてはいけない体質なのだろうとおもっていますが。


「そういえばしばらく前に高峰先輩が本を借りに来ていたね。何を借りていったか覚えているかい?」


「高峰先輩が借りられたのは……“不思議の国のアリス”、だったかと」


 記憶を辿り、高峰先輩から貸出の手続きのため受け取ったタイトルを思い出す。高峰先輩は身長が高く顔も美人ですし、図書室に来られたら目立つのでよく覚えている。後輩の私たちにも丁寧に敬語で話されるので学園中から尊敬されているのも頷ける。生徒会長の聖川先輩からの評価も凄く高いと聞きますし。


「高峰先輩は演劇部だと聞きましたし、演劇の練習に使われたんじゃないでしょうか」


「かもしれないね。彼女が演じるなら帽子屋だろうか」


「イメージで言えばどの登場人物にもあまり合うとは思いませんが、私としては主役であるアリスかと」


 クールで丁寧で優しいイメージの高峰先輩には“不思議の国のアリス”のエキセントリックな登場人物はどれも合うイメージが無いですね。いえ、むしろあの作品の登場人物に合う方がいるのであれば出来る限り関わり合いたくはないですが。


「高峰先輩と言えば、同じく演劇部に所属している東雲先輩がたまに祖父の喫茶店に来るんだ」


「東雲先輩ですか。あの方とはあまり接点が無いんですよ」


 高等部2年の東雲唯先輩は色々と有名な方なので名前と顔は知っていますが、図書室に来られることが無いので関わったことがあまり無いですね。高峰先輩と2人きりの演劇部、というだけでも有名ですし、東雲先輩のお母様がテレビで見ない日は無いほどの女優であるということも知られていますし。ただ、読書家ではないみたいですが。


「紅茶を飲みながら演劇の台本を読んでいたよ。やはり演技が好きなんだろうね」


「それは絵になりそうですね」


 親が女優であるだけに、東雲先輩自身も非常に落ち着いた雰囲気の美人。雰囲気の良い喫茶店である爛漫茶で紅茶を飲み真剣な顔で本を読む姿を想像すれば、きっと絵画のように美しい光景であろうと思います。読書家でないのが残念ですが。


 一度雑談を止め、落とした埃を集めるために箒を取りに行く。哲学書を読んでいる小田原さんがこっちを見ていたような気がしますが、深くは気にせず掃除に戻る。何か言いたいことでもあったのでしょうか。


「調辺さん、ちりとりをお願いします」


「うん」


 埃や塵を箒で集める。ひとまずは連休中に溜まった汚れは落とせたでしょう。埃や汚れが溜まると本に良くないので、定期的に掃除するのが大切ですね。少しでも蔵書の寿命が長くありますように。


「おつかれさまー」


「久住先輩……お久しぶりです」


「いつもありがとー黒川ちゃん。調辺ちゃんも」


 現れたのは図書委員長の久住鴉先輩。綺麗なショートボブの黒髪が名の通りカラスのような、私より少し小柄な2年生。身体が弱く病気がちなため図書室に来られることは少ないのですが、彼女も読書を愛する同好の士。体調の良い日には図書室へ来られることがあります。


「差し入れにクッキー焼いてきたよー、後で食べてね」


「ありがとうございます、久住先輩」


 可愛らしい小包みを1個ずつ受け取る。小さなクッキーが5個ほど入っていて、手作りとは思えないほど色んな形に成形されている。お菓子作りの合間に本を読むのが好きと言ってらっしゃいましたが、流石に本格的ですね。少し前にはスフレチーズケーキを焼いて持ってきてくださいましたし、やはり器用な方だと思います。


 ちょうど掃除も終わったところなので、お湯を沸かしてお茶の時間にでもしましょう。せっかく久住先輩も来てくださったことですし、いつもより良い茶葉を出しましょうか。


「久住先輩もお茶を飲んで行きませんか?」


「ありがとー!」


「黒川さん、私の分のお湯も頼んだよ」


「わかっていますよ」


 図書準備室に向かった調辺さんがコーヒーを淹れる分も考え、3人分のお湯を沸かす。紅茶とコーヒーでは適正の温度が多少違うので、紅茶を淹れた後少し冷ましてからコーヒーに、というのが定番ですね。温度計の機能がある電気ケトルを使っているのでタイミングが分かりやすいです。


 数分間の待ち時間、普段ならば読書に使うのですが、今日は久住先輩がいらっしゃるので世間話でもしましょうか。久住先輩も博識な方なので少しの雑談でも様々な気付きを得られます。


「久住先輩は2年B組でしたね。体育祭の出場競技は決まりましたか?」


「あー、まあ一応ね。出られるかどうかは分からないけど、今年も玉入れに出る予定かな」


 体調が不安定で体育祭の時に体調が悪い、という可能性もある久住先輩は代役を立てやすい団体競技にしかエントリー出来ないらしく、いつも玉入れに出場されていますね。久住先輩本人はやる気に満ち溢れていらっしゃるのですが、こればかりは仕方ないことですね。


「黒川ちゃんは何に出るの? 昨年は障害物競走だったっけ?」


「……調辺さんと二人三脚に出る予定です」


 やはり私が昨年の体育祭で障害物競走に出たことは知られている模様。そんなに目立つ転び方だったでしょうか。痛かった記憶と恥ずかしかった記憶は凄くありますが。


「へぇ、調辺ちゃんと……今年は転ばないといいねー」


「こ、転びませんよ……」


 ニヤニヤと笑いながら私と調辺さんの顔を見る久住先輩。普段は優しいんですが、時々少し意地悪なんですよね……いえ、結構な頻度で意地悪です。


 お湯が沸いたので茶葉をティーポットに。お湯を注いで蓋を閉める。さて、またしばらく待ち時間ですね。


「調辺さん、お湯が沸きましたよ」


「うん、今行くよ」


 図書準備室で状態の悪い本を整理していた調辺さんに声を掛ける。来る頃にはちょうどいい温度まで下がりそうですね。


「二人三脚かー……息合う?」


「それは……やってみるまで分かりませんね」


 普段から特別息が合うということもない私と調辺さん、運動音痴の私たちが二人三脚という競技で息を合わせられるのかというのは些か疑問ではあるのですが、既に出場種目のプリントは提出されてしまっていますし、もうやってみるしかありませんね。せめて転ばないことだけを祈っておきましょうか。


「お待たせしたね」


 戻ってきた調辺さんがコーヒー豆を準備して、お湯の温度を確認した後にフィルターの豆へとお湯を注ぐ。すると一瞬にしてコーヒーの香りが立つ。


「調辺ちゃん、運動しなよー」


「……善処する、かな」


 コーヒーを淹れるための動きを見て久住先輩が揶揄して笑う。確かに、少しの移動でも足を擦ってゆっくりと歩く姿を見ていれば心配にもなりますね。膝も驚くほど上がっていないですし。


 私の方も、蒸らしが終わった紅茶を温めておいたカップに注ぐ。白い陶磁器のカップに赤い紅茶が満ちていく様は、何度見ても美しいと思います。久住先輩の分も考え均一に注ぎながら、最後の一滴は自分のカップに。淹れる者の特権です。


「どうぞ、久住先輩」


「ありがとー。やっぱり黒川ちゃんが紅茶淹れる姿って綺麗だよね」


「そ、そうでしょうか」


 他人からどう見えるのかを多少意識しているとはいえ、素直に褒められると照れてしまいますね。座ってから照れ隠しに紅茶を飲み、久住先輩にいただいたクッキーを食べる。あ、バターの香りがして甘くて美味しいですね。


「流石久住先輩ですね、美味しいです」


「試食した時ちょっと甘すぎる気がしてたけど、紅茶と合わせたらちょうど良かったかも」


「久住委員長のお菓子はいつも美味しいからありがたいね」


 そうしてしばらくティータイムを楽しみ、小説を1冊借りて久住先輩は去っていった。私たちも少し休んだ後は図書室を出て二人三脚の練習をすることにします。今の私たちがどれくらい動けるのか、把握しておかないと駄目ですからね。


 私は紅茶を飲み干し、控えめに伸びをした。さて、結ぶリボンでも探しましょうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る