10.違います!
私は今、姉さんの部屋の前で硬直しています。目の前には、私が姉の部屋を出るのとほぼ同時に書斎から出てきた望さん。あからさまに動揺した態度を取ってしまったせいで余計にやましい行為を行っているような感じになってしまったので、もうどう言い訳するとか何も思い浮かばない。
「……あ、あのね恵ちゃん。お友達が家に来てる時にその……そういう本を読もうとするのは、ちょっとどうかと思うんだけど……」
「ち、違います! 私はただ姉さんが部屋に放置していた本を回収しに来ただけです!」
「……えっちな本を?」
「だから違うんです!」
何を言っても無駄な気がしつつ、訝しむように目を細める望さんに必死で訴える。望さんの中では完全にむっつり思春期真っ只中という扱いの私が、友人の目の前でそういった作品を読むという特殊な行為を行うと思われていることが何よりも困る。
どう説明したものか混乱する頭を落ち着かせると、手に持っている目的の本を見せてしまえば良いじゃないかと結論付ける。そうです、この作品は紛うことなき普通の異世界ファンタジーです。
「望さん、この本を見てください」
「え、ワタシに読ませたいの!? 需要はあるかもだけど……」
「だから違いますって!」
赤面する望さんに小説を渡す。恐る恐る表紙を確認して、ふぅ、と息を吐く。ようやく望さんも理解してくれたようです。
「なんだ、普通のライトノベルかぁ……また恵ちゃんが特殊な趣味に目覚めたのかと思ってビックリしちゃった」
「そんな趣味はありません!」
納得してくれたようです。それはそれとして、姉とは今後距離を置いた方が良いのかもしれない。恐らくゴールデンウィーク中に一度帰ってくるだろうけど、間違いなくそのタイミングでそういった官能小説などを大量に持って帰って来ますし。
とはいえ、なんとなく望さんの態度はぎこちないままなのですが。一度生まれてしまった疑念は拭いきれない、ということですか。長く一緒に過ごすことになるゴールデンウィーク中ずっと微妙な空気のままだとしたら大変困るのですが。
「……それでは、調辺さんを待たせていますので」
これ以上変な疑惑を向けられる前に、足早に階段を降りていく。背中に視線を感じるけれど、ずっと妙な空気のまま望さんと見つめ合っているわけにもいきませんので。
* * *
「調辺さん、お待たせしました」
「おや、随分掛かったね」
ニヤリと笑う調辺さんに詳しい説明をするのも憚られるので、やんわりと「少し見付けにくい場所にありましたので」と誤魔化す。書庫の蔵書を眺めて待っていたようで、あまり退屈していた様子はない。
とりあえず、調辺さんが読んでいるシリーズは他に欠けている巻は無いので安心する。もしも他に無くなっている書籍を見付けたら、今度は望さんが出掛けている間などに探しに行くことにしましょう。あまり何度も姉の部屋に入りたいものでもないですが。
ふと疑問に思ったことを、口にするべきか否か考える。いえ、これはただの質問ですし、別に他意などありませんし。
「……調辺さんは間違えて官能小説を買ったことなどありますか?」
「官能小説かい? ……まあ、興味本位で買おうかと思って通販サイトを眺めていたことはあるけど、買ったことはないかな」
え、わざわざ買おうと思ったことあるんですか!? と反射的に訊きそうになって、冷静に深呼吸。実際に買ったことはないらしいので、そこを指摘するのも野暮というものでしょう。
「その口振りだと黒川さんは買ったことがあるみたいだね?」
「……通販サイトでまとめ買いをしていた時に混じってしまったことはあります。流石に読んではいませんけど」
「読んでないのか……感想を聞いてみたかったんだけど」
……望さん、貴女の想定していたタイプの方が目の前にいます。官能小説を読んだ感想を求めるなんて、普通にセクハラの類ではないでしょうか。いえ、話題に出してしまった私が完全に悪いのですが。
調辺さんは「ふふふ、冗談だよ、冗談」とご機嫌の様子。揶揄われていますね、完全に。
さておき、早く読書に戻ってしまいましょう。もうそろそろ15時に差し掛かる頃、調辺さんが帰るまでに出来る限り読む時間を確保しないと読み掛けのまま調辺さんを家に帰らせることになってしまいますし。続きが気になったままというのは辛いですから。
テーブルに置いていたグラスに水を注いで一気に飲み干す。妙な緊張感で喉が渇いていましたので。すると調辺さんが「あ」と声を漏らす。
「……? どうかしましたか?」
「い、いや、なんでもないよ」
「?」
調辺さんは更に深く腰を曲げて本に顔を埋めるようにして読書に入る。何だったんでしょうか。さて、喉も潤したので私も読書に入りましょうか。栞を頼りに読み掛けのページを開く。
* * *
セットしていたアラームが鳴り、私は小説に栞を挟み伸びをする。18時になったので、暗くなる前に調辺さんには帰っていただきましょうか。何冊か読み終えることが出来たので有意義な日になりました。
「調辺さん、そろそろ帰った方が良いのではないでしょうか」
「ん? ああ、そうだね」
いつもより少し心ここにあらずといった様子でボーッとしている調辺さんにグラスの水を手渡す。調辺さんは受け取ったグラスをジッと見つめてから一気に飲み干す。どうにも様子が変ですね。
「大丈夫ですか? 家まで送ったほうが良いですか?」
「い、いや、大丈夫だよ。少し目が疲れているだけだよ」
「それなら良いんですが」
少し心配ですが、本人が大丈夫と言っているのを無理に止めても悪いですし、私の家と調辺さんの家は徒歩数分圏内ですので問題は無いでしょう。あまり引き止めても変ですね。
階段を上がり書庫を出る。恐らく調辺さんを見送るために望さんがリビングで待っているので、気まずい雰囲気にならないようにしなければいけませんね。いえ、私が気を付けていたとしても望さんが気まずい雰囲気を出してしまったら仕方ないのですが。
「望さん、調辺さんを玄関まで送ってきますね」
「智ちゃん、また遊びに来てねー」
「はい、また来ます」
……未だに敬語を使って話す調辺さんには慣れませんが、深くは考えないようにして玄関に連れていきましょう。体調も意外と大丈夫そうですし。
「黒川さん、今日はありがとう」
「いえ、私も自慢の書庫を披露できて良かったです」
姉も家を出ている現状、私以外に見る人間もいなかったので友人に蔵書を見てもらえて良かったと思う。本というものは読まれることが約目ですし、たまには誰かに読んでもらっても良いものですね。図書館のように開放できるものでもないですが、せめて仲の良い友人には読んでもらう機会があっても良いかもしれません。
「それで、次はいつを空けておけばいいですか?」
「え、また遊んでくれるのかい?」
「調辺さんに振り回されるのも意外と楽しいと思っていますので」
少し気恥ずかしいですが、数少ない友人と思っている調辺さんとならば一緒の時間を過ごしていても心は落ち着くので、ゴールデンウィーク中にもう一度くらい何かの用事を入れてもいいと思っています。それを言語化するのはなんとも恥ずかしいので口には出しませんが。
「じゃあ、ゴールデンウィーク最終日に書店巡りでもどうかな?」
「良いですね。それではしばらく本を買うのは我慢しておきましょうか」
こうして、ゴールデンウィーク最終日の予定も決まった。それまではゆっくりと未読分の蔵書を読むとでもしましょうか。まだまだ読めていない作品が溜まっていますので。
「では数日後にまた会いましょう」
「うん、楽しみにしているよ」
先程までより断然元気そうな調辺さんを見送る。この様子なら心配はいりませんね。ゆっくり歩く調辺さんの背中が見えなくなる頃に、私は家に入った。その後リビングで望さんと気まずい空気のままだったことは言うまでもありませんね。
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