5.図書室のぬしも日によって

 ゴールデンウィークが近付くある日の放課後、やはり私たちは図書室にいた。


「そういえば、この前調辺さんが読み始めて“好印象だよ”と言っていた小説はいかがでしたか?」


「あーうん、竜頭蛇足蛇尾、といった感じだったかな」


 控えめに笑う顔が、余程微妙な作品だったのだと物語っている。そこまで酷評されては逆に気になってしまいますが。後でタイトルを確認しておきましょう。


 紅茶をゆっくりと喉へと流し込む。今日は図書委員として特に作業があるということもなく、貸出カウンターで雑談。連休が近付いているからか、普段から多いとは言えない利用者が更に少なくなっている。学園全体の雰囲気もどこか浮かれ気味に感じる。


「ところで、黒川さんはゴールデンウィークの予定はどうだい?」


 聞かれて、私は用意していたように「書店巡り、ですかね」と答える。私が休日に行くとしたら書店か図書館、それ以外は家にいるだろうと、自分でも悲しくなるほどにインドアだった。姉も久しぶりに帰ってくるだろうか。


「ではどこかの1日、私と一緒に喫茶店にでも行かないかい?」


「喫茶店、ですか。おすすめの店でも?」


 私の問いに、調辺さんはニヤリと笑う。その笑顔が何かを企んでいるように見えて、少し身構える。しかし私の警戒心は全くの見当違いだったらしい。


「私の祖父が経営する喫茶店が近くにあってね。雰囲気の良さで右に出る喫茶店は無いと言っても過言ではないよ」


 調辺さんのお祖父様。確か調辺さんが読書家になったのはお祖父様の影響と言っていた気がするけど、そのお祖父様なのでしょうか。で、あるならば会ってみたいと思う。


 予定を書き込んでいる手帳を開こうとして、意味が無いと気付いた。


「……日程の決まった予定は今のところありませんので、調辺さんの都合の良い日で大丈夫ですよ」


「ではゴールデンウィーク初日にしておこう。コーヒーも紅茶も美味しいからね、楽しみにしていてほしいよ」


 そうしてゴールデンウィークの予定が1つ埋まった。連休も調辺さんに振り回されるのか、などという心の声が少し楽しそうだったのは、恐らく休日に友人と遊んだ経験がないからでしょう。


 数日後、例年と異なるゴールデンウィークが始まる。それは私にとって、新たな日常の始まりでもあった。



 * * *



 迎えたゴールデンウィーク初日、私は調辺さんとの待ち合わせ場所である月野駅でベンチに座って待っていた。時刻は午前10時を過ぎた頃。朝食が食パン一切れだったので少しお腹が空きました。


 普段はあまり立ち寄らないローカル線の駅舎内で、静かに時が流れる。無人駅なので自販機の音くらいしか聞こえない心地よい静寂。読書するにも良いのではと思うが、時間帯によっては人が増えるので安らげるのは今だけでしょう。


「やあ黒川さん、待たせたかな?」


「おはようございます。心地よい待ち時間でしたよ」


 初めて見る私服姿の調辺さんに、少し驚く。ゆったりとした白いヒッコリーのペインターパンツに、少しオーバーサイズの黒い変形Tシャツを合わせたアメリカンカジュアルスタイル。そしてリネン素材のバケットハット。調辺さんの飄々とした雰囲気に良く合っていると思う。


「おや、今日は三つ編みなんだね?」


「まあ、雰囲気作りだと思っていただければ」


 普段から、あえて文学少女然とした容姿を作っている私。目標としていた腰の辺りまで髪が伸びたので、叔母に頼んで結ってもらったのである。毛量が多いのでかなり太い三つ編みですが。


 ついでに私の服装に言及するならば、春物の白いセーターにタータンチェックの赤いロングスカート。やはりどこか文学少女然としたコーディネート。雰囲気が春というより秋ですが。


「……では早速向かうとしようか。祖父には話を通してあってね、美味しい紅茶を仕入れて貰っているよ」


 歩き出す調辺さんに、ペースを合わせてついて行く。オシャレなスニーカーなのにやはり足を擦っているのが、どこまで行ってもブレない人だなと感心させる。チラリと見れば、想像通りに摩耗したソールで自然と笑みが溢れる。


「どうかしたかい?」


「いえ、何でもありませんよ」


 服装は変われどいつも通りの私たちだな、と安心する。喫茶店への道中も、いつもの図書室と同じように他愛ない会話で彩った。



 * * *



 足を止めた調辺さんに、私も立ち止まり様子を窺う。見れば木製の看板に「爛漫茶」と書かれた古風な洋風建築の前だった。


「ここですか?」


「うん、良い雰囲気だろう?」


 確かに、外観だけでオシャレな喫茶店だと感じさせる建物だ。黒い木製の壁は焼杉だろうか。


 調辺さんが慣れた手つきでドアノブを引く。ギィギィという音に年季を感じながら、後に続いて店内へと足を踏み込む。外壁と同じ木の床がしなって歩くたびにグググと音を立てるが、それもまた味があった。


「いらっしゃい。ゆっくりして行きたまえ」


 店主――調辺さんのお祖父様は、染み入るような深みのある低い声で出迎えてくれた。白髪交じりだがよく手入れされた、ロマンスグレーと言うのが適切な整えられた口ひげが特徴的な初老の男性だ。白いシャツにベストを羽織り、腰にエプロンをした姿が良く似合っていて、店の雰囲気にも合っている。


「君が黒川恵くんかね。私は調辺龍之介、智の祖父だ。孫が世話になっている」


「いえ、私も智さんにはお世話になっていますので……」


「あまり私が時間を取っても仕方あるまい、席はこちらだ」


 想定通りのやり取りを済ませ、2人用のテーブル席に案内される。店内はカウンター席に赤い髪の若い人が座っているくらいで、他にはお客さんがいる様子は無い。ランチタイムにも少し早いので、もう少ししたら増えるのでしょう。


「祖父は格好いいだろう? 私の憧れでね」


「……まあ、なんとなく雰囲気は似ていますね」


 背中がピンと伸びて軽快に歩く姿は似ていませんが、喋り方や纏う雰囲気なんかはある程度似ている。言い方は悪いですが、調辺さんを男にして色々と真っ当に年を取らせたら近い存在が出来上がりそう。今の調辺さんをそのままお爺さんにしても似ない気はする。


「とりあえずコーヒーを頼もうかな。黒川さんは?」


 聞かれてメニュー表を見る。ドリンクメニューはシンプルにコーヒー、紅茶、オレンジジュースなどが書かれているのみで、コーヒー豆や茶葉の種類は書かれていない。軽食メニューにはカツサンドや玉子サンドなど数種類。お腹も空いているので勇気を出してみましょうか。


「紅茶とカツサンドを頂きましょうか。茶葉は何ですか?」


「好きな茶葉を選ぶと良い。大抵の品は揃えているとも」


 言って龍之介さんはカウンターの向こうを指差す。見れば様々なコーヒー豆や紅茶缶がずらりと並ぶ異様な光景だった。なるほど、種類が多いからメニュー表を作るよりも見える場所にディスプレイしていた方が良いわけだ。


「えっと……ではアールグレイを」


「承知した。……カツサンドは常連も唸る一品だ、期待していたまえ」


 龍之介さんはクククと笑い、カウンターの向こうへと戻っていった。やっぱり、浮かべる表情は調辺さんとよく似ている。


「コーヒーが好きなのもお祖父様の影響で?」


「そう、だろうね。いつから好きだったのかも忘れたくらいだけど、祖父の淹れてくれるコーヒーに影響されたのは間違いないと思うよ」


 言いながら、調辺さんはカウンターへと視線を向ける。龍之介さんがコーヒーミルで豆を挽く姿は絵画のように綺麗で、視覚でも楽しませてくれる。ガリガリという音もまた耳に馴染む。


「祖父はよく言っているよ。喫茶店は雰囲気が大事だと。店の内装、掛ける音楽、豆を挽く音、コーヒーの香り、そして店主の外見。全てで理想の喫茶店を体現すると」


 言われ店を見回す。黒を基調とした内装に温かみのある黄色の電球、レコードプレーヤーから流れるジャズの旋律、コーヒーミルの音、微かに香るコーヒーの匂い、そして店主として紳士であることを徹底した龍之介さんの容姿。全てが美しい空間を作り上げていた。


「だから一度好きになってしまえば、もう通うしかないんだ。この空間の虜になってしまう」


「……分かる気がします」


 既にこの空気感を好んでいる。この緩やかな時間が流れる場所で活字に触れられたなら、それだけで理想の休日。今日、この場に何も書籍を持ち込んでいないことが悔やまれる。いや、それは後日で良い。


「こちらオリジナルブレンドコーヒーとアールグレイティーだ。カツサンドは少々待ちたまえ」


 テーブルにカップが置かれ、芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。ホットのアールグレイティーはベルガモットの香りが強く立つため、あまり慣れていない人には向かないがそれが癖になる。ミルクとの相性も抜群だけど、私はやはりストレートで。


「……美味しい」


 茶葉の苦味と微かな甘み。飲み込めば爽やかな香りが鼻に抜ける。余韻を楽しみつつ前を見ると、調辺さんもコーヒーを味わい笑顔を浮かべている。


「この喫茶店は祖父が完全な趣味で営んでいる店でね、豆や茶葉にもこだわっているのさ」


「そのようですね。私が普段図書室で飲んでいる紅茶もそれなりに良い物を持参していますが、香りも味も段違いです」


 私もそれなりに茶葉だけでなくお湯やカップの温度からこだわって淹れているけれど、それでも茶葉が違えば味は大きく変わる。これだけの紅茶を一般の客に向けて提供しているなんて、余程のこだわりであろうと思います。


「私はただ自分の好きな物を店を訪れる誰かに楽しんでほしいだけだとも。……お待たせした、こちらカツサンドだ」


「あ……ありがとうございます」


 ソースの匂いを漂わせ、待望のカツサンドが届けられる。分厚いヒレカツと刻んだキャベツを食パンで挟んだ、シンプルなサンドイッチ。やや無骨な見た目は切られた座布団のよう。しかし空腹を訴える私の胃袋には、このボリュームが望ましい。それでは、いただきます。


「――これは」


 サクッ、というパンの小気味良い音と、甘辛いソース。微かに感じる辛子の刺激。キャベツとヒレカツの衣の食感。そして柔らかい豚ヒレ肉から滴る肉汁。こんなに美味しいカツサンドは初めて食べた。


「美味しいかい? 私も祖父の作るカツサンドは好物でね、すっかりパン派になってしまったよ」


「お腹を空かせていて正解でした」


 ひと切れ食べ終えて、紅茶を少し飲む。味覚、嗅覚を一度リセット。とりあえず空腹からは脱し、残りは雑談しながらゆっくりと。


「それでは最近読んだ本の品評と行こうか」


 こうして私たちのゴールデンウィーク初日は幕を開けた。

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