1.私たちの図書室戦争
後れ馳せながら改めて自己紹介に移るが、私の名前は黒川恵。黒の長髪に銀縁の眼鏡という分かりやすく文学少女的な容姿をして余計に図書室のぬし然とした印象を保っている普通の女子高生だ。中等部1年生の頃から3年間変わらず今と同じ生活を続けていたせいか、高等部に上がって間も無いというのに既にその様な異名で呼ばれている、自覚ある変わり者である。
対する辞書、もとい調辺智さんは目にかかる前髪を気にもせず雑に切ったようなボブの黒髪に、私以上の不健康そうな青白く透き通った肌とこれまた不健康そうな華奢な身体をやや猫背にして足を重そうに引き摺るような歩き方をする、まあ不健康な女子高生だ。性格はやや気紛れで見た目のわりに自信家の、あちらも自覚ある変わり者。
「私の髪はキューティクルが死んでるけど、黒川さんは濡烏と表現するに相応しいと思うけどね。正しく大和撫子」
「褒めても何も出ませんよ」
「いやぁ、私は事実を列挙し述べただけだよ」
なんてキザったらしい世辞もすらすら出てくる辺りは外見から受ける印象に大いに反している。彼女がそこそこのハンサムな男だったら言葉巧みに女性を騙してヒモにでもなっていたかもと考えたら背筋がゾワゾワする。なんて嫌な想像。
我に返り現実を直視してもハンサムなヒモ男は居なくて安堵する。代わりに何を考えているのか分からない同級生がキョトンとした顔で座っているけど。
「それはそうと調辺さん、手に持ったソレは何ですか?」
「これ? これはアレだよ、美術の授業で作った版木だよ」
「版木」
「この版木を使えば某驚安の店の手書きポップのような”おすすめ!”が印刷出来るお手軽ポップメーカーというわけさ」
……??? 言ってる意味は分かるけど何故……? それくらいは普通に手書きで良いのでは……?
「ちなみに美術の先生に却下されて今は別の作品を制作中だよ。お陰で補習一歩手前さ」
「相変わらず破天荒というか……」
別のクラスメイトから聞いた美術の課題は普通に動物の木彫り彫刻だったので、いつの間に木版印刷の授業があったのかと困惑してしまった。私は音楽を選択科目に選んでいたのでどちらが本当に正しいのかは分からないけど。
調辺さんがスタンプのインクを使って試しに紙に印刷しているけど、木目の線が少し浮き出て結構面白い。ポップ風の字は妙に出来が良くてソレっぽい。器用な人だ。
「……そろそろ作業に戻りますよ」
「はいはい」
雑談を止め準備室の整理に集中する。古くなった処分待ちの本や有害図書に指定された本を段ボール箱に詰め、代わりに学校が購入した本や寄付された本にカバーや貸し出しカードを付ける為に作業机へ運ぶ。次に読む本を探せるため好きな作業だ。
「随分と……」
処分待ちの本を片付けていた調辺さんが背後で呟いたので振り返れば、一歩間違えたら八つ裂きと形容しかねないほどに劣化の進んだ分厚いハードカバーを見て苦笑いを浮かべていた。確かに驚いて声も漏れるだろう。
「……タイトルに見覚えが無いので、少なくとも3年は貸し出しのなかった本ですね」
「まあ、この現状を見れば誰も借りようとは思わないだろうからね」
背表紙に貼られた棚の管理ナンバーを見るに、図書室の端にある本棚の最下段の一番壁際という恐ろしいほどに目立たない位置にあったようだ。ボロボロになった貸し出しカードを確認したところ、最初で最後の貸し出しが学園設立の年、64年前と言うのだから劣化具合もなんとなく理解出来る。
「医療現場を題材にした小説みたいだね。字も掠れて読みにくいけど、ロボトミー手術を受けた患者がリハビリテーションをするシーンが描かれているようだ。発行された年を見るに、確かにロボトミー手術が流行した頃の小説だね」
「それはまた特殊な……」
ロボトミー手術。前頭葉を切除し精神疾患を治療しようという外科手術の一つ。1940年辺りから流行しノーベル賞も受賞したらしいが施術後に様々な問題が起こり、倫理的にも問題視された結果現在では禁忌とされる手術だ。
「うーん、惜しいね。読みたいと思ってスマホで調べてみたけど古い上にマイナーすぎて情報が何一つヒットしないよ」
「それは残念ですね」
かなりページは欠けているし、残ったページのほとんどは字が掠れて読めない。むしろロボトミー手術という単語が残っていただけでも奇跡と言えるか。書淫という言葉で表せるほどの読書中毒2人、読んだことのない本を見るとテンションが上がります。
「にしてもロボトミーか……知っているかな、黒川さん。ゴキブリって頭が無くなった程度では死なないんだそうだよ。まあ頭が無くなったら食事が出来なくなっていずれ餓死するんだけどね」
「……何故急にゴキブ――例の虫の話を?」
嫌な予感がする。
「何故って、それはもちろん目の前にいるからだよ」
語尾に向かって震えていく調辺さんの声に、視線の向かう先を確認して背中から総毛立つ。脂ぎった黒い光沢に、長く伸びた細い触角。間違いなく、ヤツだ。
「お、思えば
「ぇえ自慢ではありませんが生まれてから一度として触ったこともありません無理です背中を押さないでください!」
か弱い文学少女2人、無様に押し合いへし合い黒光りする悪魔を互いに処理させようと取っ組み合い。とはいえどちらも体力テストで最下位争いをする程度の貧弱ぶり。少し手押し相撲状態を演じただけで息を切らし諦める。
「……どちらが見張りをして、どちらが殺虫剤を取りに行きますか?」
「こ、ここは誰よりも図書室を愛する黒川さんに見張りをお願いしようかな。私など所詮はただの本の虫さ」
「いえむしろ虫繋がりで本の虫な調辺さんにお願いします。そもそもここは図書室でなく図書準備室、調辺さんのテリトリーですので」
「うぅ、墓穴を掘ったか……」
珍しく調辺さんを言い負かし、虫に背中を向けないよう摺り足で出入口まで後退する。調辺さんが何かしら被害を受ける前に職員室に辿り着き殺虫剤を確保して来なければ。
「すぐに戻りますので、くれぐれも無茶をしないでください」
「私を置いて先に行きたまえ……あ、可能な限り早急に頼むよ」
震える声で言ってみたかったのであろう台詞を言い放つ調辺さんを無視して職員室へと急ぐ。ただし廊下を走るわけにはいかないし、そもそも体力的に走れない私が廊下の端から端へと早歩きで向かったところでさほど速くはない。いや、普段から歩くのが比較的遅い私の早歩きは他の生徒が普通に歩いているのと大して変わらない。足を引き摺る癖のある調辺さんより多少マシな程度である。
(……調辺さんに行かせなくて正解でしたね)
調辺さんには悪いが、私は彼女が職員室に行く時間すら待てる自信が無い。調辺さん、本っ当に歩くのが遅いので。牛歩という例えが牛に申し訳なくなる程に。
「せ、先生……」
肩で息をしながら、私は職員室の扉を開け声を掛ける。私や調辺さんが職員室を訪ねる時は、必ず司書教諭の朝霧先生が対応しに来る。
「あらあら、どうしたの黒川さん? 体育の授業の後みたいな汗だけど」
ややおっとりした若き司書教諭、朝霧
――朝霧先生の説明はさておき、早く調辺さんを救出しに行かねばならない。顔と頭が良い以外は人並み以下のスペックしか持ち合わせていない人なので。
「さ、殺虫剤はありますか……!? 早く戻らないと調辺さんが……!」
「殺虫剤? 買い置き残ってたかしら?」
ゆったりした動きで殺虫剤を探す先生。すみません調辺さん、骨くらいは拾います。
「あ、ここにあったわ~!」
1分程で殺虫剤を見つけ出した先生。有名メーカーのジェット噴射スプレーだ、私と調辺さんでも流石に仕留めきれるはず。
「一応2本渡しておくから、吸っちゃわないように気を付けて使ってね」
「ありがとうございます!」
スプレー缶2本を受け取り、即座に職員室を出る。また来た時と同じ道程を歩いて戻らなければいけないので、調辺さんには暫し耐えていただかなくてはいけない。
「あ、恵ちゃん。こんな涼しい4月の夕方に汗だくでどうしたのん?」
「……星野先輩」
生徒会副会長、星野小春先輩。生徒会の用事で度々図書委員を訪ねて来られる関係で知り合った、やや距離感の近い赤茶色のおさげ髪と小悪魔的な表情が特徴の先輩。悪戯好きで有名で、私のことを“恵ちゃん”と呼ぶのも私がちゃん付けで呼ばれるのを嫌がることを知っていてのことだ。反応を楽しまれている。
「そんな睨まないでよ、私だって傷付くよ? ……あー、なるほどなるほど、図書室か図書準備室に“アレ”が出たのね」
先輩は私が両手に握りしめた殺虫剤を見て苦笑する。そもそも察しの良い人だけど、私がわざわざ自分で殺虫剤を貰いに行くような状況が図書室絡みであることは誰であれ容易に想像出来るだろう。
「……察して頂けたなら通してください、急いでますので」
私は先輩に一礼して横をすり抜けようとする。しかし。
「まあ落ち着きなって。ここで私を無視して行くのも良いけど、連れて行って後始末まで含めてやって貰うという選択肢もあるワケだけど、どうする? 勿論タダでね」
企み顔でにひひと笑う先輩に、私は“タダより高いものは無い”なんて言葉を思い出していたけど、私と調辺さんが運動不足のもたもたした動きで殺虫剤2本を使い切るのと星野先輩が学園トップクラスの運動神経で最小限の被害でもって現場を制圧するのと、誰であれ比較するまでもなく後者を選ぶだろう。……こういったスプレーは噴射し続けた場合ほんの数十秒で使い切れる代物だ、俊敏な彼の虫を仕留め切れる自信が私には無い。
「……お願い、します」
「そんな悔しそうな顔で頼まれるの凄く不服なんだけど、私一応生徒会の副会長だよ?」
……さておき勝率は格段に上がった。多少のタイムロスにはなったが、調辺さんも許してくれるだろう。見失っていなければいいけど。
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