リアム・ヴァルハルトの失踪
長門拓
リアム・ヴァルハルトの失踪
無精ひげのグレイは、今日も今日とてギルドのカウンターに肘をつき、生ぬるいエールをゆっくりと喉に流し込んでいた。やや猫背の姿勢で、腹回りは中年らしく少し緩んでいる。若い頃には所帯を持っていたらしいが、すっかりやもめ暮らしが板に付いており、ヨレヨレの制服はいつもどことなく汚れている。
クマのある目元からの視線は窓の外の、これと言って変わり映えのしない通りのどこか一点に固定されている。
彼がそうしながら、本当は何を見ているのか、何を考えているのか、長い付き合いのある私にも確かなところはよくわからない。この街のギルドマスターのグレイとは、そんな男だ。
私はバルカス。このギルドと長年付き合いのある老舗道具屋の隠居だ。若い頃に立ち上げた商売が軌道に乗り、子宝にも恵まれ、この歳にしては比較的早く財を築くことができた。
楽隠居の身分ながら、こうしてギルドの酒場に通い詰めているのは、ただエールを飲むことだけが目的ではない。グレイという人物への限りない興味と関心と、そしてそれなりの友情がそうさせるのだった。
ぼんやりと酒場で過ごす昼下がり、私たちの耳にけたたましい足音と荒い息遣いが飛び込んできた。若いギルド職員の悲鳴にも似た声に、酒場はざわついた。
「マスター! 大変です!」
しかし当のギルドマスターであるグレイは、さもうるさそうに片眉を上げる。
もちろん、仕事柄、報告を聞かないわけには行かない。
「なんだ、何があった?」
「司祭様が……刺されました!」
酒場がさらにざわつく。私も思わず立ち上がって野次馬に加わざるを得ない。
ところがグレイは落ち着いた姿勢を崩さずに、「ほぅ」という顔つきをしただけだった。
「それで?」
グレイにとっては、街どころかこの区域一帯の有力者であるところの司祭が刺されたという報告も、それほどの驚きの対象ではないらしい。
「それで?」と返された職員はあわてふためく。
「それで、とは?」
「もっと話すことがあるだろう。司祭の容体とか、誰それの犯行だとか」
「ああ、……幸い傷は深手ではなかったらしく、命に別条はありません。刺したのは、隣村の没落貴族ヴァルハルト家の女領主という話ですが、今のところ、具体的な動機などはわかっていません。精神錯乱による犯行という噂もあります」
「ヴァルハルト家の女領主なら、おそらくエレノア・ヴァルハルトだろう。何だ、司祭の命に別条はなかったのか。それは残念だ」
ひとりごとのようにぼそりと呟いたせいか、周りには聞こえていなかったようだが、職員は真っ青になりグレイをたしなめる。
「マスター! 教会ぎらいなことは知っていますが、どうかそういうことは口にしないで下さいよ。教会関係者に聞かれたらどんなことになるか……」
その忠告には耳を貸さずに、グレイはちょっと思案して、また訊ねる。
「エレノア・ヴァルハルトはどうした?」
「はい、その場で自害しようとしたところを取り押さえ、今は最寄りの衛兵詰め所の牢屋に軟禁されております。被害者による告発が為されれば、都市の衛兵隊本部に護送されるとのことです」
「そうか」
そう言いながら、もうグレイはこの件に興味を失くしたように、再びエールをゆっくりと喉に流し込む作業に没頭する。
職員は、この件をどう扱ったら良いかと訊ねるが、
「そんなことは自分で考えろ」
とグレイは突き放すように答える。職員は呆れたように首を振り、その場を離れた。
酒場のざわつきが次第に収まり、グレイの側から野次馬が一人二人と散って行く。
私はそっと飲みかけのエールを片手に、彼に話しかけた。
「おいグレイ。もう少し職員には丁寧に指導してやれよ。右も左もわからないひよっ子じゃないか」
「ああ、君か。そう言うがな、司祭レベルが刺された案件ともなれば、管轄内とは言えどうせ場末のギルドの出る幕じゃない。することなどないということを、何で説明する必要がある?」
まあ、確かにその通りだが、若手の職員にそこまでの政治的阿吽の呼吸を期待するのは酷と言うものだ。
それはともかく、私はふと先ほどの会話で気になったことをグレイに訊ねた。
「ところで君、どうしてエレノア・ヴァルハルトのことを知っているんだ? 隣村の名目上は領主とは言え、もう十年も前に没落していて、今じゃ誰も話題にしないというのに」
「むしろ君がどうして知っているのかを知りたいね」
「ああ、私は商売上の関係で、顔が広いんだよ」
「私にはない才能だな」
彼のおだてには乗らないで探ってみたところ、彼が隣村でのヴァルハルト家にまつわる失踪事件を以前、調べたことがあったらしい。その時の記憶が残っていたとのことだ。
「どんな事件だ?」
「エレノア・ヴァルハルトの一人息子が失踪した。リアムという名で、当時で十四歳だったらしい。よくある若者の家出だろう。明け方近くに関所を出る彼の姿が目撃されている。ただ、僕が不可解に思ったのは、彼女が可愛がっていたはずの一人息子が家出したというのに、失踪届らしいものが提出された痕跡がなかったことだ」
それは確かに奇妙だと私も思った。貴族の跡取りがいなくなる、ということの重大さを加味すると、なおさらそう思える。
「それからいよいよヴァルハルト家は没落の一途を辿った。わずか一年で屋敷の使用人が半減し、数年掛けてエレノア以外は誰もいなくなった。これはちょっと奇妙なことだ。跡取りがいなくなったとは言え、エレノアはまだ若く、それ以前も領主としてそれなりに務まっていたんだからね」
「可愛がっていた息子がいなくなれば、気落ちして貧乏神も付くというものさ。そんなに珍しい話でもないだろう」
そう私が言うと、まだ納得し切れていないかのような複雑な表情で、グレイはまた残りのエールをちびちび飲み始めた。
〇
それから日を置かずに、この事件の続報がギルドにもたらされた。どうやら司祭は狂女の犯行であると哀れみ、告発をせず彼女を赦すとの声明を出したらしい。
ギルドは司祭への賞賛の声で溢れた。私もその一人だった。
ただ一人、グレイを除いては。
「罪を憎んで人を憎まず、とはこのことだな。さすが司祭様だ」
憮然とした表情のグレイは、私の話を聞いているのかいないのか、よくわからない。今日に限ってはエールも引っかけず、窓際のカウンターでどこかに宛てていくつかの手紙を書いていたかと思えば、眉間に皺を寄せてじっと考え込んだりしている。
程なくして、ギルドの新人職員が先日のように、荒い息遣いで酒場に駆け込んできた。どうやらグレイの指示で駆け回っていたらしく、彼は待っていたとばかりに報告を聞く。
「待っていたぞ。それでどうだった?」
グレイはコップに水を注ぎ、ねぎらうように彼に差し出す。自分に興味のある案件だと、途端に愛想が良くなるのも、彼の習性の一つだ。
ごくりごくりと音を立てて一息に飲み込み、疲れ果てた新人職員が話す。
「はぁはぁ……、申し訳ありません。衛兵詰め所に拘留されているエレノアとの面会は許可が下りませんでした。ちゃんとマスターに言われた通り、正規の手続きを経たのですが……」
「よし、読み通りだ。そうなるとあの司祭の性格からして、隣村にもすでに手が回っていることだろう。すまないがバルカス、顔の広い君の手助けが必要だ。ちょっと骨を折ってほしい」
彼が私に向き直り、そう頼み込むや否や、颯爽とギルドの入口から一人で出て行こうとする。まだ残っていたエールを飲み切ることもできないまま、私は仕方なく駆け足で彼の後をついて行く。
後ろでグレイに酷使された新人職員が、床に倒れこむ音が聞こえた。
〇
エレノアの住むフォールンリーフ村は、私たちの住む街からは馬車で半日ほどの距離にある。街道からは少し外れた場所にあり、あまり人通りは多くない。人口数百人程度の、小さな寒村だ。かつてはヴァルハルト家のような貴族が住まい、それなりに活気があったものの、今では没落と衰退の色が濃い。
私は馬車の中で、おそらくグレイも知っているに違いない予備知識をひとしきり講釈する。
「村の経済は、近隣の森からの木材伐採や畑作、それとわずかな手工業で成り立っている。けれど全体的に貧しく、小さな犯罪や魔物の脅威は常に存在している。ちなみにエレノアは名目上は領主とは言え、彼女自ら仕立て仕事などでその日暮らしを送っているほどだ。私がその商品の仲介をしたこともあるので、その辺の事情にはある程度通じている」
「なるほど。ところで村に教会はあるか?」
グレイがそう訊ねる。私はちょっと思い出しながら頷く。
「ああ、あるにはあるが、本格的なものじゃない。一応神父は駐在しているが、それほどの裁量権は与えられていないようだ」
「おおむね僕の記憶と同じようだ。合格点をあげるよ、バルカス」
「それはどうも。ところで、馬車に乗る前に、どこかに宛てて手紙を投函していたが、差し支えなければ教えてもらいたいね」
グレイはちょっと口角を片方だけ上げる。
「出した手紙は二通だ。一通はギルドマスターの名義で、信頼のおける冒険者に依頼を出しておいた。おそらく僕らがフォールンリーフ村での仕事を終えて街に戻るまでには、その依頼は遂行されているだろう。もう一通は」
グレイは口元に人差し指を当てて、意味ありげに微笑む。
「ちょっと大きな声では言えない組織に宛てて書いた。これは僕たちの生命と安全を守るための布石だ。うまく行けば司祭とその一味を一網打尽にできるだろう」
私は驚いた。もう彼の中では司祭が糾弾すべき悪玉になっているらしい。
「待ってくれ。今回の件では司祭はむしろ被害者じゃないか?」
「刺された件に関してはそうだ。しかし僕の考えでは、司祭はもっと大きな枠組みにおける加害者であると睨んでいる。何はともあれ、フォールンリーフ村でその推理の裏付けができるだろう」
私は彼の思考回路がよくわからなかった。あるいは、彼の教会嫌いや司祭への偏見のせいで、彼の認識自体が歪な方向に誘導されているのでは、と疑ってしまいそうになった。
そうこうしているうちに、馬車は悪路を物ともせず、やがてフォールンリーフ村に到着した。
〇
村は奇妙なほどに静まり返っていた。通りを行き交う数少ない村人たちも、よそ者の私たちにどこか警戒のまなざしを向ける。
私と面識のある雑貨屋の主人を訪ねてみると、口ごもりながらではあるが、どうやら教会の方から、エレノアの件についてはみだりに話さないように、とのお触れが出ていることを教えてくれた。
グレイの提案で、村の中心にある小ぢんまりとした教会も訪ねてみた。
神父は思っていたよりも若く、世慣れない、困惑した表情が板についている青年だった。
「エレノア様のことについては、お話することはございません」
私がいろいろ聞き出そうとする前に、グレイが私を制して、質問の主導権を握る形になる。
「ヴァルハルト家のことについてはお尋ねするつもりはありません。おそらく本部の方から箝口令が出ていることとお察しします。それよりもちょっとしたことを伺います。こう言っては失礼かも知れませんが、あまり大きな村ではありませんね。こちらの教会の裁量権もそう大きくはないでしょう」
「……それはまあ、おおむねその通りですね」
「例えば青少年のギフト鑑定などの儀式も、こちらでは行われない?」
「ええ、主要な儀式に関しては、設備の整っている街の教会本部で行うことになっています。該当する村人は泊りがけで街に向かいますね」
グレイはその回答で満足したらしく、教会を足早に立ち去る。私も慌てて彼の後に付き従う。
次に私たちが向かったのは、現在は封鎖されているヴァルハルト家の屋敷だ。門は鎖で施錠されており、教会本部の名義で立ち入り禁止の札が貼られてある。
グレイは溜息をついて、頭をかきむしる。困ったりした時の彼の癖だ。
「参ったな。思っていたよりも封鎖が厳重だ。どこかに抜け穴があればいいのだが」
「おいおい、無断で忍び込むつもりだったのか?」
私の問いには答えず、グレイは屋敷の周辺を念入りに検分して回る。土塀は荒れ果ててはいたものの作り自体はしっかりしており、大人が忍び込める隙間はなさそうに見えた。
半周した辺りで、裏門の辺りでうろうろしている、体格の良い短髪の青年とかち合った。青年は私たちを見て教会関係者か何かと誤解したらしく、こちらが引くほど謝ったが、そうではないことを伝えると、ほっとした様子で、自分がエレノアの息子、リアムの幼なじみのジェイクであることを告げる。
「リアム、いやリアム様とは子どもの頃からよく遊んでいました。兄弟のように思っていたのに、ある日突然いなくなって……。エレノア様からは家出だと伝えられましたが、あんなに親孝行な奴が、母親を置いて出て行くなんて、今でも信じられません」
「君はもしかして、元冒険者か?」
グレイがそう指摘すると、青年は驚いて肯定する。
「そうです! どうしてわかったんです?」
「大したことではない。君の肌着の隙間から、胸の辺りに魔物のものと思しき爪痕が見えた。それに、君の指にできているタコは、剣を握る者に特有のものだ。斧や鍬のそれとはまた違う。長年ギルドで働いていればそのくらいは判別できる」
素直に感心する好青年は、何かを迷っていたようだったが、思い切って打ち明けることにしたようだ。
「実は……先月までずっと冒険者として活動していたんです。十四歳の頃に戦士のギフトを授かったので、それなりに活躍していたんですが、それでも北方の魔王軍との最前線では歯が立ちませんでした。怖くなって逃げ帰って来たんです。
そこで……、逃げ帰る前の北方の最前線で、信じられないものを見ました。
体つきは大きくなって、髭も生えていたけど、あれは間違いなくリアムでした。
物凄く早い剣さばきで、俺が敵わなかった魔物をあっという間に倒していました。
俺は思わず昔の調子で話しかけましたが、リアムは何だか暗い顔つきで、俺はリアムじゃない、と言い張るんです。
どうして嘘を吐くんだと思いました。裏切られたような気がして喧嘩腰になって……、リアムとはそれきりです。
冒険者をやめて、村に帰って来てから、エレノア様にそのことを話す機会がありました。すると、エレノア様は真っ青になって、何度も同じことを聞き返すんです。うわごとのように、『そんなはずはない、そんなはずはない』と呟いていました。
エレノア様がわざわざ街まで行って、あんなことをしたのはそのすぐ後です」
青年は、俺が何かいけないことを言ったんでしょうか、と言う。ずっと気になっているらしい。
グレイはそんなことはない、と彼の肩に手を置く。そして、もしあえて罪滅ぼしがしたいならば、是非とも私たちに協力してくれと抜け目なくお願いしていた。
「ヴァルハルト家の屋敷にちょっとお邪魔したいんだが、子どもの頃に使っていた抜け穴などはないか?」
青年はちょっと考えて、すぐさま心当たりがあったらしい。悩んだ末に、私たちに協力してくれることになった。
「この裏門の土塀、蔦が生い茂っていてわかりにくいんですが、実は人が一人通れるほどの隙間があるんです。子どもの頃はよくここを使って出入りしていました」
絡んだ蔦や草をかき分けてみると、確かに敷地内に通じる穴がぽっかりと空いている。大人一人ずつならそれほどの苦労もなく通れそうだ。
はじめに青年がくぐり抜け、その次にグレイ、そして私の順で土埃まみれになって通り抜ける。
屋敷は一切の扉と窓が封鎖されていたので、グレイは手頃な石を見つけてきたと思うと、青年にこう言い置く、
「少し荒っぽい方法を取るが、君の友人とその母親を助けるためだ。しばらく目を瞑っていてほしい」
グレイは腕を振りかざし、庭に面している手頃な窓ガラスを叩き割った。そして外見に見合わない軽快な動きで、ひょいと屋敷の中への侵入を果たす。
私は唖然とする青年と顔を見合わせた。
〇
三人で埃とカビの匂い漂う屋敷の中をくまなく歩き回るが、今のところ何をすべきなのかを承知しているのはグレイただ一人だ。私と青年は馬鹿みたいに彼の後を付いて回るしかない。
グレイは手際よく要所要所を調べて回り、時々何かをぶつぶつ呟いては、自分で自分に発破をかけているようにも見える。
「いや、必ずあるはずだ。敵はすぐさま屋敷を封鎖したが、まさか自分たちで狂女と言った手前、ガサ入れを強行するわけにもいくまい。後からこっそり検めるつもりだろうが、その手際の悪さが我々に有利に働く!」
リビング、書斎、大広間、果ては浴室からトイレまで歩き回り、おそらくエレノアの寝室と思しき部屋で『それ』は見つかったようだった。
鍵の掛かった引き出しをグレイは、その辺に落ちていた鉄製の火かき棒で無理やりこじあける。
中からは数年分にわたると思われる古びた帳簿が収められていた。急いでグレイは中身を確認し、ペラペラとページをめくる、彼の指先が、ある項目でピタリと止まった。
「見ろ、バルカス。この辺鄙な寒村にはふさわしくないほどの多額の、しかも使途不明の出金が記録されている。去年も、一昨年も、その前もだ。さらにさかのぼると、これらの出金は十年前から突然行われていることがわかる。おそらく、リアムが失踪した十年前の日から始まるものだ」
私も横から見て検証をしたが、確かに歪なほどの出金が毎年行われている。実入りの限られた地方領主がこんな金の使い方をしたら、早晩破産することは避けられないだろう。そう思わせるには十分な資料だった。
だがこれがどう、どこにつながるのか。私にはさっぱりわからない。そう私が言うと、グレイは肩をすくめて、全ての帳簿を脇に抱える。
「もう用は済んだ。すぐに街に戻る必要がある。ジェイク君と言ったね。君には世話になった」
「いえ、でも俺にはいったい何が何だか……」
「いずれわかるよ。約束はできないが、いつか君の友達リアムと母のエレノアが、再びこの村に戻って来れるよう、私も最善を尽くすつもりだ。その時は、どうか温かく迎え入れてやってほしい」
「ええ、もちろんです。どうしてリアムがあんな嘘を吐いたのか、俺も知りたい」
それから、もと来た道を取って返し、私とグレイは馬車に乗り込んだ。ジェイクは村の入口でいつまでも私たちを見送っていた。
「実にいい青年だ。真面目で、純朴で、芯が強い。私のギルドにもああいう青年がいてくれたら助かるのだがな」
「確かにいい青年だが、さっきからいろいろ消化不良なんだよグレイ。その帳簿の出金が何なのか、そもそもリアムを助けるとはどういうことだ? そろそろ教えてくれてもいいだろう?」
グレイは馬車の窓の外の風景に目を注ぎながら、思慮深くこう言う。
「この一連の事件は、多くの嘘で成り立っているんだ。嘘が嘘を呼び、嘘を取り繕うために嘘がまた吐かれる。その嘘は人が人を思いやる嘘でもあり、人が人を貶めるための嘘でもある。嘘は必ずしもいい結果をもたらすとは限らないし、その逆もまた真なりだ。いや、その嘘によって利益を得ているのは、他ならない我々かも知れない」
どうやらまだ事件の全貌を話す気にはなれないらしい。私はそれ以上の詰問をあきらめて、馬車の窓の外の移り変わる風景をただ眺めていた。
〇
私たちの街にようやく馬車が辿り着いたころ、西の空に残照はほとんどなく、星々が瞬き始めていた。城門の衛兵が私たちに一瞥をくれたが、顔なじみの御者の顔を見ると、すぐに手で合図して通らせた。
馬車がギルドの裏手に着くと、帳簿を抱えたグレイが先に馬車を降りた。私も彼に続いて馬車を降り、御者に礼を告げ、ギルドの裏口の扉を開けた。
表通りに面している酒場からは、いつものように冒険者たちの喧噪が聞こえてくる。それが現実に戻ってきたような、妙な安心感を私に抱かせた。
薄暗い階段を上ると、グレイの執務室には明かりが灯っていた。こんな時間に来客だろうか。私はグレイの横顔を見ると、彼もまた私の顔を振り返った。
「どうやら一通目の手紙の目的は達成されたらしい。バルカス、疲れているようだがもうひと踏ん張りだ。それと、どんなに驚いたとしても大声を出さないでほしい。この部屋にいる女性はきっと神経過敏になっているだろうからね」
そう言いながら執務室のドアを開けるグレイ。ランプの明かりが煌々と照っている部屋には、私にも馴染みのある腕利きの冒険者の顔が三人ほど連なっていた。そして、来客用のソファには、薄汚れた服装ながら、高貴な居住まいを崩さないで座っている一人の憔悴した女性がいた。
見覚えのある女性だと思った。私は思い当たり、もう少しで大声を上げるところだった。
グレイは居並ぶ冒険者たちに、それぞれ謝辞を述べる。
「ご苦労だった、ライア、ゴードン、フィン。私の急な依頼にも関わらず、よく完璧に任務を遂行してくれた。礼を言う。そして、エレノア・ヴァルハルト卿。いささか乱暴な形ではありましたが、貴女の身の安全が危ぶまれましたので、こうしてギルドで保護致しました次第です。お気に障りましたら、平にご容赦を」
エレノアと呼ばれた女性は強張った表情のまま、それでも慇懃に礼を返した。
慌てて私はグレイに耳打ちする。
「おい、グレイ。まさか牢破りをしたのか?」
「いいや、ちょっと強引な手口ではあったが、最低限の筋は通してある。そもそも、告発されないと決まったはずの『狂女』を、拘留し続けること自体が不当なものだ。前例もきちんと文書としてライアたちに提示させた上で、ギルドマスターとしての責任でヴァルハルト卿を保護させた」
エレノアはグレイに声をかける。
「グレイ様、ですか。私の身の危険とはどういうことでしょう?」
振り返りざまグレイはエレノアに優しく、しかし毅然とした態度で話しかける。
「エレノア様、おそらく司祭は貴女を拘留したまま、いずれ亡き者にしたでしょう。しかし貴女は死ぬべきではない。そうなればご子息の帰る場所も無くなります。それに、貴女は生きて償うべき罪を別に背負っている。違いますか?」
エレノアは見るからに動揺していた。
「……あなたは、どのくらい知ってらっしゃるんですか?」
「おそらく全てです。もちろん、貴女の愛の深さは、推し量るしか術はありませんが」
階下が俄かに騒がしくなり、ドタドタと階段を踏む音が聞こえたかと思うと、乱暴にドアが開け放たれた。
長い髭を生やした強面の老人は、仰々しい聖職者の服をまとっている。司祭だった。
三角巾で左腕を痛々しく吊るしているが、エレノアから刺された傷がそれだろう。
司祭は数人の衛兵を引き連れていた。冒険者たちはエレノアの前に立ちふさがり、さらに私とグレイが司祭に対峙する形になる。
「ここの責任者は誰だ?!」
「私です」
グレイは堂々とそう言い放つが、私は内心おろおろしていた。考えてみれば私がこの位置で巻き添えになるいわれはないのではないかと、冷や汗が伝うのを感じていた。
「ギルドマスター風情が生意気な。狂女を保護するのは教会と相場が決まっている。速やかにそこの女を渡すがよい。そうすれば今回のことは見逃してやる」
「慌てませんように。そろそろ王都からの使いがやって来る頃でしょう」
グレイがそう言うか言わないかのタイミングで、また階下でざわめきが起こった。
階段がギシギシと音を立て、司祭に取っては地獄の使いが扉を開ける。
現れた三人は、それぞれに厳かな法衣をまとい、異形の仮面で顔を覆っていた。
「誰だ貴様らは!」
司祭がそう頭ごなしに叫ぶが、彼らは少しも動じない。目の前の老人が他ならぬ司祭であることを確認すると、くぐもった声で、グレイに帳簿類の提出を命じる。
彼らはその帳簿と、さらに懐から出したいくつかの資料とを照らし合わせ、頷き合う。
「ミカエル教区の牧者たる司祭よ。王都からの命により、貴殿が不正に蓄財し、聖職の尊厳を踏みにじった動かぬ証拠をここに揃えた。ヴァルハルト家よりの金銭の授受以外にも、他複数の案件が確認されている。何か申し開きはあるか?」
「な、何のことだ。わしは知らんぞ。そもそも貴様らは何者だ! 根拠のない妄言で私を貶め、教会を愚弄する気か?!」
法衣姿の先頭の人物が、仮面の中で溜息を吐くのが聞こえた。
そうしてその人物は、おもむろに懐から黒鉄の鎖に繋がれた宝珠を取り出して見せる。
掌に収まるほどの大きさの、深い藍色の水晶は見る者を吸い込むような神秘的な光を放っていた。
司祭はその宝珠を見た途端、信じられないものを見たというように、膝から崩れ落ちる。
「あ、あ、あなたがたは……」
先頭の仮面から声が厳かに発せられる。
「われらは異端審問官。司祭よ、いずれ貴殿の罪は王都に伝えられる。然るべき時が来れば、王都より召喚の沙汰があるだろう。それまで、大人しくしていることだな」
そう言い残して、彼らは来た時と同じようにギシギシと階段を降り、表口から夜の闇へと消えて行った。
しばらくの沈黙の後で、呆然とする冒険者三人組のライア、ゴードン、フィンに向かい、グレイが指示を出す。
「司祭様を丁重に教会まで送り届けるように。衛兵の方々もご苦労さまでした。もう帰られて結構ですよ。次回からは司祭様にではなく、法律とわれわれ市民への奉仕を徹底されるよう、ご忠告をしておきます」
崩れ落ちて目もうつろになったままの哀れな司祭を抱え、冒険者たちと衛兵が退出する。
執務室に残ったのは、グレイと私、そしてエレノアの三人だけであった。
〇
グレイは唐突な展開にとまどうエレノアを説諭する。
「ご覧の通り、司祭は遠からず破滅するでしょう。エレノア様、これまでのことを世間に告白し、罪を償っていただけますか?」
「……はい。どうやらあなたには隠し事ができないようです」
「私どももできる限り、貴女の罪が軽くなるように努力いたします。ご子息のリアム様も無名の戦士として戦って来ましたが、真実が明らかになれば、国を挙げての支援が可能となるでしょう。……リアム・ヴァルハルトは『勇者』であるという真実に、間違いはございませんね」
エレノアはただただ泣き続けた。
〇
後日、落ち着きを取り戻したいつもの酒場で、私はグレイと今回の事件の総括をする。
「まさかリアム・ヴァルハルトが勇者だったとはな。いつから気付いていた?」
グレイはエールをちびりちびりやりながら、私の疑問を確実に解きほぐしていく。
「エレノアが司祭を刺したこと、そして司祭が不当に監禁しつづけたこと、これが明らかになることで確信に変わった。一介の地方領主が司祭と知り合う機会など、そう多くはない。十年前、エレノアは十四歳となったリアムを連れて、市民の義務としてのギフト鑑定を行いにこの街を訪れた。そこで司祭に勇者と鑑定された、という推測に至るのは難しいことではなかった。普通の母親ならばあるいは喜ぶことだったろう。しかし、一人息子を溺愛していたエレノアは、どうしても息子に平穏な暮らしをしてもらいたかった。そのため、司祭と交渉し、賄賂と引き換えに、鑑定結果を公表しないように求めたのだ。ところが周知の通り、ギフト鑑定の結果を隠蔽するのは難しい。そのため、苦肉の策として、鑑定を受けずにリアムは失踪したことにした。母親は息子の平穏な生活のために、泣く泣くそれを受け入れた。
しかしあろうことか司祭は母親との約束を反故にして、息子を最前線に派遣させた。リアムにはきっと、言うとおりにしないと母親のしたことをバラすと言われたか、あるいは母親を人質のように扱われたのかも知れない。親孝行の息子はそれを承諾し、ご存じの通り十年間も無名の戦士として、魔王軍との戦いの最前線に立たされることになった。それを幼なじみのジェイクが目撃し、母親に伝えたところ、裏切られたと感じたエレノアは街に赴き真実を知る。そして司祭を刺すに至った、というわけだ」
グレイはそこでひと区切り付け、つまみの干し肉を咀嚼し、またエールで口を洗い流す。
「ふう。司祭はうまく立ち回ったつもりだろうが、ヴァルハルト家が没落するほどの金銭を要求したのが運のつきだった。宿主を細く長く生かす寄生虫の方が、往々にして長生きできるものだ。宿主が死んでしまっては元も子もないからね。
それに、司祭はリアムのことも無名の戦士として使い捨てる腹だったに違いない。たとえ魔王を倒したとしても、何らかの形で殺されていただろう」
「エレノアはかわいそうだったな。先日、罪を告白し、世間に息子が勇者であると公表したが、これからどうなるのだろう」
「賄賂を贈り、嘘により天の意思を歪ませた罪は決して軽くはないが、僕には彼女を批判する気にはなれない。多くの人がそう思うだろうと感じている。たとえ世界がどうなろうとも、子どもには幸せに暮らしてもらいたいという願いは、愛情の深い親ならば持つ当然の感情だ。
それに、リアムが無名の戦士として、北方の最前線で健気に戦い続けていたことも勘案されるだろう。調査によると、魔王軍の領土はこの十年で着実に減少している。ろくに支援も受けられない無名の戦士として戦い、これだけの成果に寄与したんだ。本格的に王都からの支援を受けられれば、古今無双の勇者として名を残すだろうと、僕は信じている。いつか二人が故郷で平穏に暮らせる日が、きっと来るだろう」
私は先日からずっと疑問に思っていたことを、この機会に清算しようと再び訊ねる。
「結局、司祭は糾弾されこそしたが、今まで通りの地位を降ろされてはいない。すっかり表に出てこなくはなったがな。あの異端審問官たちは、いずれ王都より沙汰があると言っていたが、それはいつだ? いや、そもそもあれは本当に異端審問官だったのか?」
「ほう、どうしてそう思う?」
グレイが興味深そうな仕草で聞き返した。
「日数だよ。君が手紙を王都に出したとして、その連絡が来るまでに、少なく見積もっても三日は掛かるだろう。しかしあの時は、朝に出して夜には彼らがやって来た。少々手際が良すぎではないかね? 君が手紙をもっと前に出していたとなると話は別だが」
「いや、あの手紙は確かに朝に出したものだ。しかし宛先は王都ではない。とある変装の得意な冒険者たちに依頼したものだ。厳かな法衣を着て仮面を付けている異端審問官の演技はなかなかのものだった。私ですら本物と錯覚したくらいだ」
私は眉をひそめる。やはりあれは嘘だったのだ。しかし、異端審問官を騙ることは、後で大きな問題になるのではないか。そう懸念せずにはいられなかった。
そう口にすると、グレイは真面目な顔をしたかと思うと、急ににやにやと笑い出した。
「嘘であっても、いつか異端審問の裁きを受けるかも知れないと司祭は考え続けるだろう。それは彼が死ぬまで続く。実際に裁きを受けるより、遥かに不安な余生を送ることになるんだ。その方がよっぽど残酷かつ効果的な罰だと、異端審問官は考えたのかも知れないな」
「いや、あの異端審問官は偽者だと君が言ったじゃないか。何を言ってるんだ?」
彼が何を言っているのか本気でわからなくなる。するとグレイは人差し指を口に当てながら、辺りを慎重に見渡し、懐の隙間からおもむろに黒鉄の鎖に繋がれた宝珠を取り出して見せた。
それはあの日、偽者の異端審問官が司祭に見せたものと同じものだと、直感的に私にはわかった。
宝珠は透き通るような深い藍色の水晶でできており、あの日と同じように、見る者を吸い込むかのような、神秘的な光を放っている。
グレイが取り出したのは一瞬だったが、私を唖然とさせるには十分だった。グレイは厳粛な雰囲気で、しかしどこかいたずらっぽく私に話しかける。
「君を信頼して打ち明けるんだが、どうかこのことは他言無用に願いたい。こうした裏の職務があったからこそ、数年前から司祭の金の流れを秘密裡に調査し、効果的に暴くことができた。私は以前から司祭を信頼できない俗物だと感じていたんだよ。しかし、世間の耳目を引いてしまうのは私の主義に反する。何より、こうしてエールを楽しむささやかな時間さえ、ろくになくなってしまいかねないからね」
無精ひげのグレイはそう言うと、いつもそうするように、生ぬるいエールをさもうまそうに飲み干した。
終
リアム・ヴァルハルトの失踪 長門拓 @bu-tan
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