21. 再会と邂逅

――町口・駒留所こまどめじょ


「駒犬の引き取り、よろしく」


 駒留所に併設された番所の前で、護穀は木札を差し出した。受付の男が記録帳を繰り、札と照らし合わせる。


「護穀様ですね。こちらにどうぞ」


 受付の男に続き、二人は厩舎の戸をくぐった。内の空気は温かく、獣の匂いと乾いた藁の香りが濃く重なる。人の気配を察し、左右に並ぶ木柵の囲いから数頭がひょこっと顔を出した。クンと鼻を鳴らし、好奇に満ちた瞳で二人を見送る。


「しかし、非番なのに、よく八千代が貸し出せましたね」


 囲いの駒犬を眺めながら、秋月が前を行く護穀に声をかける。八千代は隊内で唯一、遠距離での二人乗りが許された特別な走駒だ。護穀が主とはいえ、任務での人気は凄まじい。あぁ、と振り返らず護穀が軽い相槌を打つ。


「秋月と町に行こうと思って、任務から戻った後すぐ利用申請出してたんだよね」


 秋月は強く耳を疑った。


「こちらです」


 男が立ち止まった先は、隊専用の一角だった。 入り口には、金糸で稲穂紋が縫い付けられた藍色の暖簾がかかっている。男が暖簾をめくると、その向こうは他の区画よりも広く、整備された空間が広がっていた。床には新しい藁が敷き詰められ、壁際には水桶と磨かれた金具が並んでいる。男が柵に入り、しばらくして奥から八千代を連れてきた。秋月は二、三歩引いてその姿を見上げる。


「ここで見ると、改めてデカいな……」


 走駒・八千代。隊内で最も大きい雄の駒犬で、体躯は並の走駒の倍はある。長身の護穀が腕を伸ばして、ようやく首筋に触れられるほどだ。長い首の白い巻き毛にはところどころ赤が差し、背から尾にかけては赤毛がほとんどを占める。


「おまたせ、八千代」


 護穀は八千代の首筋を両手で抱き、わしわしと掻いた。八千代は喉の奥で軽く鳴き、くすぐったそうに顔を振る。厩舎を抜けて外に出ると、大きく伸びをして身体を揺さぶった。


「んじゃ、行きますか」

「ああ。八千代」


 腰を落とせと手綱を引くが、八千代は顔を振って拒む。どうやら伏せをしたくないらしい。護穀は愉快そうに笑った。


「非番って見抜かれたな。もともと伏せは嫌うんだ。俺はこのままでも乗れるけど」


 ちらりと秋月を見る。秋月は目を閉じ、護穀の挑発を鼻で笑った。


「あくびが出るぜ」


 秋月は数歩の助走から八千代の手前で土を蹴って踏切り、高く跳躍した。首筋に片手を回し、振り子の要領で身を返す。空中でしゃがむように一瞬体を丸めると、その反動を利用してしなやかに身を伸ばし、ひょいと鞍の上に腰を落としてみせた。「余裕!」と手を打って拳を握る。


「さすが。小さい分、よく跳ぶね」


「よっ」と背後で軽口を添えつつ跨がる護穀を、秋月は心の短刀で突き刺し、手綱を打った。


***



「――良かった。今のところ、大丈夫そうですね」


 町から八千代を走らせて四半時(約三十分)ほどで、二人は村に向かう鈴芽に追いついた。十分に距離を取り、鈴芽に気付かれないようにその背を見守る。鈴芽は何度も顔をこすっていた。秋月は鞄から小型の双眼鏡を取り出し、覗き込む。


(あ〜……)


レンズ越しに見えたものに表情を曇らせ、ちらりと肩越しに護穀を見た。


「随分きつそうだな。せめて村まで、荷を持ってやったほうが」


 鈴芽の身を案じ、八千代から降りようとした護穀を秋月は慌てて制す。


「まあ、もう少し様子を見ましょう」


 八房川を越え、平原を抜ける。村近くの森に入ったところで、鈴芽がふいに路肩の棒を拾い上げ、隣の木をバシッ、バシッと叩きはじめた。


「何してるんだあれは」


 怪訝な顔で護穀が目を細める。


「あの木を護穀さんに見立てて、ぶちのめしてるんじゃないですかね。おれもよくやります」

「なんでよ」


 護穀は首を引き、釈然としない顔をする。その間にも鈴芽は歩き出したが、足取りがふらふらとして覚束ない。案の定、木のこぶに爪先を取られ、前のめりに倒れ込んだ。衝撃で籠が跳ね、芋や果物が四方に転がっていく。這いつくばり慌てて二つ、三つと拾い集めていたが、ふいにその手が止まり、しゃがみ込んだきり動かなくなった。


 護穀と秋月は慌てて八千代から飛び降り、鈴芽に駆け寄る。


「大丈夫か……?」


 呼びかけに振り返った鈴芽の頬は、涙に濡れてぐしゃぐしゃだった。護穀はぎょっとして後ずさり、秋月は黙って眉根に手を当てる。


「な、なんで、ここに」


 鈴芽の問いに、二人は気まずく顔を見合わせた。秋月はしゃがみこみ散らばった芋を籠へ戻しながら、申し訳なさそうに言う。


「やっぱり、少し心配で。様子だけ見に」


 鈴芽の視線が二人を巡る。護穀と目が合った瞬間、張り詰めていた糸がぷつりと切れたように表情が崩れ、そのまま地面へ突っ伏して泣き出した。


「どっ…、だ、大丈夫か——」


 護穀がおろおろと手を伸ばしかけるが、拒絶するような激しい嗚咽に阻まれた。


「悔しい……恥ずかしくて、腹が立つ!! あなたにも、自分にも!」


 はじけるような言葉に、護穀ははっと息をのみ、思わず背を反らせた。



「——え、二人がなぜここに。……何をしてるんですか」


 赤籾の回収を終えた葉鳥が、女性隊員たちを率いて拠点へ戻ろうとしていた。葉鳥は鞍上から三人を順になぞり、泣き崩れる鈴芽と、明らかに動揺している護穀を見てスッと目を細める。汚物を見るような絶対零度の眼差しが、護穀へと突き刺さった。背後の女性隊員たちも、口元を押さえて好奇と軽蔑がないまぜになった表情で顔を見合わせる。完全に誤解されている。秋月はその空気を払うように、慌てて両手を振った。


「葉鳥、ちがう。多分それは、誤解。えーと、どこから説明すれば……ちょっと整理させて」


 秋月の戸惑う声に、鈴芽は慌てて顔を上げ、涙の跡を残したまま笑顔を作った。


「すみません。あの、私が町で体調を崩したところを、お二人に助けていただいて」


 立ち上がって深く頭を下げる。


「村はすぐそこです。ご心配をおかけしてすみませんでした。もう大丈夫なので、ここで——」


 荷を取って足早に立ち去ろうとした鈴芽の手を、護穀が反射的に掴んだ。驚いて振り返る鈴芽を見て護穀はすぐに手を離し、その場で膝をついて深く頭を垂れる。


「……そこまで傷つけたとは思わなかった。すまなかった」


 ぬかるみを残した地面が、護穀の着流しの裾を汚す。鈴芽はその姿に一呼吸置くと、同じように膝をついた。


「恩人なのに、無礼な言い方をしてごめんなさい。あの、おもてなしとか全然できないんですけど。せめてお茶だけでも飲んでいってくれませんか」

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