第44話 涼香の憂鬱


 §香坂涼香

 俊樹さんに振られてから一ヶ月が経った。あれ以来金曜日の食事会は無くなった。振られたから当たり前。


 そしてお父様から俊樹さんに言った事も聞いた。私とのお付き合い、同棲、そして結婚を一人の親として彼に頼んだらしい。


 でも俊樹さんはいきなり決断出来る事ではない。待って欲しいとお父さんに言ったと聞いている。


 俊樹さんは、毎日夜遅くまで仕事をしている。私は特に指示がない限り定時には帰ってしまう。


 だから全く個人で会う事が無くなった。早く返事が欲しい。出来れば三つ目を選んでくれれば。でも最悪は、私との関りを失くされる事。そう振られて終わる事だ。


 後、気になるのは片桐専務から呼ばれた事だ。一介の部長が専務から直接呼ばれる事はない。指揮命令系統を無視した形になるからだ。


 本来は常務、本部長経由で部長に指示が出る。だから気になる。何を話していたのか。

 片桐専務は今の会長の甥にあたる。この会社の創業家に連なる人物だ。まさかは無いと思うのだけど。


 今も俊樹さん、いえ剣崎部長から資料作成を頼まれている。会議に使用するデータの収集だ。


 三日前に頼まれたのだけど、私には中々レポートとして剣崎部長に提出する形になっていない。


 部長から仕事を頼まれて褒められた事なんて一度もない。いつも叱責されるだけだ。やはりこのポジションは私には無理なのだろうか。


「香坂さん、データ収集終わりました?」

「いえ、まだです」

「いつまでに終わります?」

「後、二日有れば」

「二日も?…分かりました。収集したデータは生データでいいので俺に送って下さい」

「分かりました」


 全く、金子さんだったら二日で収集して一日でレポートにして俺の所に送って来る。それも修正箇所は微々たるものだ。


 でも香坂さんは三日かかっても収集出来ないでいる。後二日掛かるなんて。香坂常務の娘でなかったらとうにセクレタリの立場から外していたのに。


 また、怒られてしまった。でもこのポジションを失くしたら、本当に俊樹さんの姿も見れなくなってしまう。お父様に相談するしかない。



 私は、その週の土曜日、書斎で本を読んでいたお父様に声を掛けた。

「お父様、宜しいでしょうか?」

「なんだ、涼香?」

「…俊樹さんの事です」

「ああ、まだ返事はないぞ」

「いえ、仕事の事です」

「仕事の事?」


「はい、私は俊樹さん、いえ剣崎部長のセクレタリになってもう三年以上経ちますが、一度として依頼された資料を部長が満足出来る内容に仕上げた事が有りません。

 彼から見れば仕事が遅く内容も不満足な出来の悪いセクレタリと思われています」

「剣崎君が涼香にそう言ったのか?」

「いえ、私の想像です」

「何を言いたいんだ?」


「剣崎部長は私がお父様の娘である以上表立って私を移動させる事は出来ないと思っています。

 私はこのまま剣崎部長のセクレタリとして仕事をしていていいのでしょうか?」


「涼香は、剣崎君のセクレタリを辞めたいのか?」

「そんな事は絶対に有りません。もし彼のセクレタリを辞めたらもう二度と彼の姿を見る事が無くなってしまいそうで…」

「涼香、どうして欲しいんだ。お父さんは涼香の言っている意味が分からない?」


「私は、私は…。俊樹さんの妻になりたいのです。今の仕事を変えられても良いです。でも彼の傍に居たいのです」

「涼香…」


 私はだらしなくお父様の前で涙を流してしまった。直ぐにハンカチで拭いては見たものの目元の湿りは消えなかった。


「涼香、そんなに彼の事が好きなのか?」

「はい」

「そうか…。私も彼には色々お願いしたが、まだ色良い返事は貰えていない。もう一ヶ月にもなるが、彼としては早々に決められないのだろう」


「お父様、彼のマンションに行ってはいけないでしょうか?」

「彼の返事を待たずにそういう行動は、彼の性格からして反発を招くのではないか?もう少し我慢するのが良いと思うが。

 それに涼香の今のポジションを変える程、彼は冷たい判断を出来ない男だ。仕事は心配しなくて良いと思う」



 結局、お父様と話しても何の解決にもならなかった。私自身の不安を話しただけになった。お父様の立場からしても彼に強硬な態度は出来ないのだろう。


 お父様の言っている事は正しい。でも私の焦りと彼に対する気持ちは沸点を超えてしまっている。だから私には我慢出来なかった。


 いけないとは分かっていても次の日曜日、彼のマンションに行ってみる事にした。場所は立場上知っている。


 我が家の最寄り駅から二つ目で乗り換えて一度三軒茶屋に行ってそれから二子玉方向に行けばいいだけ。直ぐ近くだ。



 始めて来た。この街は我が家の町と同じ様な整備区画ではないけれど、昔からの地主が多い。街も整備されていて彼のマンションは直ぐに分かった。もう午後一時だけどマンションに彼はいるはず。


 マンションの傍まで行った時、えっ、誰?


 俊樹さんがとても綺麗な女性とマンションから出て来た。腰まで有るブロンズ色の髪、アイスブルーの瞳。彼と同じ位の高身長。スタイルも私より全然いい。その二人が駅の方に歩いて行った。どういう事?


 私も駅に戻る様に距離を置いて付けて行くと俊樹さんは彼女を見送る様にして別れた。俊樹さんのあんな笑顔、見た事無い。女性も嬉しそうに笑顔で手を振っている。


 私の頭が今、声を掛けては絶対に行けないと言っている。だから…結局、俊樹さんがマンションに帰って行く姿を見ながら私は改札に向かった。


 頭の中はあの女性の事で一杯だ。彼とはどんな関係なのだろう。日本人離れした容姿。彼の家族ではない。


 知人?偶々遊びに来ただけ?違う。じゃあ、恋人!そう考えるのが自然だ。今の時間は午後一時半。


 朝から遊びに来てこの時間で帰るのは不自然。という事は彼のマンションに泊ったという事だ。

 なんて事なの。俊樹さんには体の関係を持てる彼女がいたなんて。

 

 私はショックのあまり座り込んでしまった。駅員に声を掛けられる迄立てなかった。 


―――――

皆様の☆☆☆が投稿意欲のエネルギーになります。

感想や、誤字脱字のご指摘待っています。宜しくお願いします。

新作を投稿しました。

モテない俺の恋愛事情 彼女に振られた俺が静かにしていたら学校一の美少女が俺に近寄って来た」

https://kakuyomu.jp/works/822139838042275716

読んで頂けると嬉しいです。

宜しくお願いします。

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