猫目先輩は飼われたい

よこすか なみ

第1章 わたしをキミのペットにしてよ

第1話 星空の約束

 僕は夜が嫌いだ。

 特に、今日みたいな、星が綺麗な夜が一番嫌いだ。


 塾が終わって、いつも通り、いつもの駅。

『急行列車が通過します。ご注意ください』

 しかし、ホームだけは、普段と様子が違った。


 猫目先輩がいたのだ。


 猫目ナツ先輩。

 僕の学校で知らない生徒はいない、と言っても過言ではないくらい有名な美少女。

 ホワイトカラーの肩につかないボブヘアと、猫耳のように跳ねた癖っ毛。

 体のどこを見ても、全体的に細いので、バランスが取れたスタイル。

 名字の『猫』に恥じないツリ目に八重歯。腕は夏なのに長袖で見えないが、スカートからは細い足がすらりと伸びている。

 他校にすらファンがいるとの噂の三年生。


 一年生の僕とは縁もゆかりもない、雲の上の存在。

 学校の最寄り駅だから、猫目先輩がいること自体はおかしくないが、夜の十時に鉢合わせたのは初めてだ。


 有名人だから僕は彼女を知っているけれど、向こうは僕を知らない。

 ジロジロ見るのも相手に悪いだろう。

 僕は踵を返そうとした。


「…………」


 しかし、方向転換は叶わなかった。

 猫目先輩が、大粒の涙を、静かに、ボロボロとこぼしていることに気づいてしまったから。


『急行列車が通過します。ご注意ください』


 さすがに見て見ぬふりをするのは……。

 僕が決心して、声をかけようとした瞬間──


 猫目先輩は、線路に飛び込もうとした。


「なにしてるんですか!?」

 僕はその細い腕を掴んで、ホームへと引っ張り戻した。


 ビュオオオオ──!


 急行の電車が眼前を通り過ぎていく。

 間一髪だ。

 激しい運動をしたわけでもないのに、動悸がすごい。

 心臓がどくどくと波打っているのが分かる。


「ひっく……、ひっく……」


 四つん這いになって息を整える僕の隣で、猫目先輩は座り込んだまま泣きじゃくっている。

「猫目先輩……、なにして……!? なんでこんな……!?」

 息も切れ切れに、混乱したままの頭で、僕は問いかける。


「だって……わたし……」

 返ってきたのは、衝撃の答えだった。


「誰にも愛されないんだもん……」


 ──なにを、言ってるんだ……?


 学校一の美少女が愛されないと泣いているなんて、一体どんな皮肉なんだ。

 学校中の男子生徒どころか、他校の生徒まで虜にしているというのに?

 聞くところによると、ファンクラブだってあるらしいじゃないか。


 どうして、そんな人が、誰からも愛されていないなんて言うんだ。

 愛されないっていうのは、僕みたいに、僕の母親みたいに──

 黙りこくってしまった僕に、猫目先輩は続ける。


「好きな人には好かれないし、どうでもいい人には好かれるし、悪口だってたくさん言われてきた。生きてるだけで、お金も労力も遣うし、迷惑もかける。点数だって付けられる。成功するのが当たり前で、失敗したら怒られる。いくら努力したって、ちょっとのミスで全部ダメになる」


 猫目先輩の綴る、一言一言は、納得できる言い分ばかりだった。

『成功するのが当たり前で、失敗したら怒られる』

 思い返される、母さんの言葉たち。


 ──「あんたにはもう、期待しないわ」


 中学受験で失敗した時の記憶。

 猫目先輩の涙が、僕の胸にグサグサと突き刺さる。

 ひぐひぐと泣いている猫目先輩と、呆然とする僕。


 二人の高校生がホームの地べたに座り込んで向かい合っている様子は、いささか異様な光景だった。

 異様すぎるが故に、誰も近づこうとしない。

 関わりたくないからだ。

 僕と猫目先輩だけの、夜の空間を、星空だけが照らしていて。


「ペットの猫ちゃんになりたい……」


 先輩が呟いた。


「ペットの猫ちゃんみたいに、生きているだけでお世話されて、大切にされて、粗相をしてもしょうがないなって、全部、全部許されたい……」


 ……ペットの猫ちゃん?


 話の流れに不釣り合いなワードに、僕は現実に引き戻される。

 飼い猫というものは、ご飯を食べたら偉くて、眠りについていたら可愛くて、生きているだけで尊い──と、何かのネットの記事に書いてあった。

 生まれ変わったら金持ちに飼われる猫になりたい、というコメントも見かけたことがある。

 たぶん、猫目先輩の言う『ペットの猫ちゃん』とは、そういう猫を指しているのだろう。


 猫目先輩の誰にも愛されないからという気持ちも、ペットの猫ちゃんみたいに無条件に愛されたいという気持ちも、僕は痛いほどわかってしまう。


 でも、猫目先輩の行動を全肯定はできない。

 ペットの猫ちゃんになれないからって、死んでいい理由にはならないとも思うからだ。

 だって……こんな僕だって、必死で生きている。


「……『ペットの猫ちゃん』になれなくても、死んじゃダメですよ」


 僕は猫目先輩の両肩を掴む。

 息もだいぶ整ってきた。


 なるべく落ち着かせるように、穏やかな声で、呼びかけるように努めた。少し屈んで、彼女と目を合わせる。

 猫目先輩のツリ目から、涙が一筋、こぼれ落ちた。


「……なら、……てよ」

「え?」


「そんなに言うなら、わたしをキミのペットにしてよ!」


 猫目先輩は叫んだ。

 なにを言われているのか理解するのに、時間がかかった。


「先輩が……、僕のペットに……?」

 猫目先輩の目からは大粒の涙が、次から次へと溢れていく。


「わたしを愛して! お世話して! 大切にして──わたしの全部を許してよ!!」


 それはきっと、心からの叫びだった。

 あまりに必死で、本気で。


 僕は頷くことしかできなかった。



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