第10話 未指定の仮面と流し弁当

「……あー、だる……」


 いつもの鑑定屋のカウンター裏。

 床に寝転がり、片腕でリモコンを探すのが、適見かなみの本日の業務開始だった。

 魔道TVからはいつものニュース。画面の中では、スタジオキャスター・山下が神妙な顔をして原稿を読んでいる。


『続いてのニュースです。市内の一角、私の自宅に何者かが侵入する事件が相次ぎ、ギルドが調査を始めたところ、その最中に地下から神殿らしき遺構が発見されました――』


「……は?」


 適見は半目のまま呟いた。

 勇者がかつて口走っていた「山下さんちの地下神殿」なる与太話。まさか本当に存在するとは思っていなかった。


『現場は現在、担当を変え封印班が調査中とのことです。私は引き続きスタジオからお伝えします』


「……いや、お前の家の地下なのに落ち着いてるな……」


 呆れ声をこぼした直後――。


 ――ちりん


 鑑定屋の不吉なベルが鳴った。

 差し込む光の中、元気すぎる声が飛び込んでくる。


「我こそは勇者ッ! 七光 勇!! ただいま地下神殿から、秘宝を持ち帰ったぞッ!!」


「毎回毎回、うっさいんじゃぼけぇええ!!!」

 適見の堪忍袋の緒が爆散した。


「ひいいぃぃぃ! とはいえ何時もとは違う反応! ちょっと初々しいですな!!」


「……クソが……。とりあえずギルド呼ぶから、山下さんちの物を返そうか……」


「……いや、タンスの剣は返したが、地下神殿のは知らんぞ!」


「……どう言うことよ……」


「入り口は山下さんちにあるのではなく、町外れの下水道だ」


「それもう強盗とやってる事が変わらんだろ……勇者なんだからダンジョン行けよ、ダンジョン……」


「まぁ、話を聞くが良い。ある日道に迷って下水道を進んでいたら、突然山下さんちに出たのだ」


「……は?」


「それで、持ち帰ったのが最初の剣と次の剣だ。だがそれは良いとして、そのまま下水道を進むと、開けた場所に巨大な地下神殿があったというわけだ」


「話が飛びすぎてるけど、そんな所と入口が繋がってたのね……」


「と、そういう訳で、真白がこれを見つけてきてな」


 勇者の背後から飛び込んできたのは、いつもの真白。両手で何かを抱えている。

 さらに、ため息混じりに続いてきたのは、黒髪のスレンダーな鑑定士、星河 紫織であった。


「はいはい、道中で拾ったものを何でも持ち込まないの。――って、それ……仮面?」


 真白が抱えていたのは、古びた石の仮面だった。灰色の石肌に、不気味な目鼻が彫られており、額には何かをはめ込めそうな穴が開いていた。


「うんっ! きっと勇者様のための秘宝に違いないの!!」


「……どっからどう見ても呪われてそうな石仮面ね……。材質は石灰質、古代の加工痕と乾いた血痕が残ってるわね……魔素反応は比較的弱いけど、これは……たぶん呪物100%よ。まぁ、一応観てみるけど、あまり期待しない方が良いわよ」


 紫織はすぐさま簡易鑑定器を取り出し、仮面に光を当てた。

 だがその横で――。


「……ふあぁ……」


 床に寝転がったままの適見は大きくあくびをし、青いコンソールを片手で呼び出した。

 そこでふと、見慣れないボタンに気付いた。


「……“RNG”? ……こんなのあったっけ……。……まあいいや、押しちゃえ……」


 タップした瞬間、仮面の上に鮮やかな文字が浮かび上がる。


〈[Mask of Unspecified Space(未指定空間の仮面)]確定しました〉


「……おお、スゴ……一瞬で勝手に判別しおった……」


「えっ!? ちょ、ちょっと待って! まだ鑑定終わってないのに、なんで勝手に名前が確定されるのよ!」

 紫織が声を上げる。


「……いや、あたし知らんし……」


「えっ。今のって適見が鑑定したの!? 入力する素振そぶりすら、感じなかったんだけど!」


 紫織が真剣に怒る横で、勇者は躊躇い無しに仮面を装着してしまった。


「ふはははは! 秘宝の力をいざ、この身にッ!!」


「ちょ、ちょっと! まだ効果の詳細を説明してないでしょ!!」

 紫織が慌てて止めようとするが、時既に遅かった。


 ――その瞬間。

 勇者の顔が、突如として紫織の足元に現れた。


「きゃあぁぁぁあぁ! 何すんのよ!!」

 反射的に蹴りを入れる紫織。


「目があぁぁぁぁああぁぁ!!?」

 勇者の顔は悲鳴とともに、煙のように掻き消えた。

 そして次の瞬間、今度は真白の目の前に勇者の顔がほぼゼロ距離で出現した。


「きゃっああ! 勇者様ぁぁぁ!!」

 真白は顔を真っ赤にしながら、フルパワーの拳を叩き込んだ。

〈ドゴォン!〉という轟音とともに顔が消え、代わりに仮面本体が勇者の顔から弾き飛ぶ。


「ぐっはああぁぁあ!!」


 勇者は顔を押さえのたうち回っている。飛ばされた仮面は窓を割ると、勢いそのままに店の外へと消えていった。

 真白と紫織が慌てて追いかけようとするが、仮面は街道を転がり、川へと落ちていった。


〈ぽちゃん……〉


「……落ちた……」

「まず……、追いかけなきゃ……!」


 そう二人が声を上げた瞬間。

 街の至る所――壁、窓、地面の隙間から、じわりと水が染み出してきた。


「……あー……やばいなぁ……」

 適見は床に寝転んだまま、天井から滴る冷水をぼんやり見上げていた。


――


 一方その頃、中央ギルド執務室。

 ハーゲンは机の前に座り、金箔のシールを丁寧に剥がしていた。


「ふふふ……。やっと食える……『Null越デパ地下限定弁当』。日々の番組をチェック、リーネの行動パターンを把握、そして念には念を入れドローンも使い上空から監視した甲斐があったというもの。今日だけは絶対に来ない!!」

 かつて鑑定屋監視用ドローン「レイス」は、度重なる改良で一人でも扱えるようになった。だがそのドローンは、いつの間にかハーゲンのリーネ監視用となっていた。


 蓋を開け、立ち上る香りに顔をほころばせる。

 炙り牛のロースト、艶やかな海老天、彩り豊かな小鉢。


 思わず、口元がふっとゆるむ。


「ふふ……いただき――」


 だがその言葉は最後まで続かなかった。

 机の引き出し、壁の隙間、割れた窓から大量の水が一斉に噴き出したのだ。

 弁当は瞬く間に水流にさらわれ、床を漂っていく。


「俺の昼飯がぁぁぁぁぁ!!!」

 ハーゲンの悲鳴が、執務室に轟いた。


〈ドバァァァァァァッ!!〉


 川に仮面が沈んだ瞬間、街の至る所から水が溢れだした。

 石畳の隙間から噴水のように水柱が立ち上がったかと思うと、建物の窓や扉の隙間から滝のように流れ出す。

 水流は至る所を水浸しにし、通りはあっという間に小川と化していた。


「ちょ、ちょっとこれ……やばいわよ!」

 紫織は足元まで迫った水に裾をかられ、鑑定器を頭上に掲げて叫ぶ。

「呪物の暴走!? いや、鑑定はまだ……! なんでこんなことに……!」


「勇者様ぁぁぁ!! 大丈夫ですかぁぁぁ!!」

 真白は水に流されそうになりながらも、必死に勇者を抱え込む。だが、勇者はというと。


「お、おれは……おれは……」

 水に流されながらも、自己紹介だけは欠かさない。

「勇者さましっかりしてー!!」真白が半泣きで殴った。


――


 その頃、街の別区画。

 商人たちが必死に商品を抱え、屋台を押し流されまいと叫んでいた。

 子どもたちは楽しそうに水しぶきを上げてはしゃぎ、親たちは悲鳴を上げながら我が子を抱え避難する。


 鐘が鳴り響き、緊急警戒が宣言される。

 街中の水晶放送から声が流れた。


『こちら中央ギルド! ただいま市内全域で原因不明の水害が発生中! 水流は現在、それほどではありませんが、念のため高台に避難してください!』


――


「はい! ただいま現場にやってまいりました!!」

 そんな混乱の中、水しぶきを割って登場したのは――リポーター・リーネ。

 カメラマンと音声スタッフを引き連れ、水浸しの通りを豪快に進んでくる。


「ご覧ください! ここはまるで街全体が大規模なプールと化しています! 泳ぐ人、流される人、そしてなぜか自己紹介する人! いやぁ、これは夏の特番を超える大イベントですね!」


「リーネさん! 後ろ! 後ろに流されてるの勇者さんじゃないですか!?」

 スタジオから声が飛ぶ。


「はいっ! 勇者さんが滝のような水に巻き込まれ、現在アヒルのオモチャと一緒に流されています! 非常に絵になりますね!」

 カメラは必死に勇者を追い、アヒルと並走する姿を映し出す。

 真白が叫ぶ声も、実況にかき消されていく。


――


 一方、中央ギルド執務室。

 豪華な弁当を流されたハーゲンは、濡れ鼠になりながら机にしがみついていた。


「俺の……俺の牛ロースがぁ……!」

 涙目で床を這う弁当箱を追うが、次々と押し寄せる水流に呑まれ、結局は廊下の奥へと流されていった。


「ギルド長! 避難を!」

 部下たちが肩を抱えようとする。


「避難も何も……! 俺は……俺は今日こそ食べるつもりだったんだぞぉぉ!!」

 ハーゲンの絶叫は、怒号と水音にかき消された。


――


 鑑定屋前。

 紫織は思いだしたかのように鑑定器を取り出した。


「そうだ、鑑定履歴からある程度辿れるかも……」と、歯を食いしばり真剣な眼差しで、鑑定器を見つめている。


「“未指定の空間”……? これは、どこにでも繋がってしまうとか、そういうことかしら。今までこんな「呪物」聞いたことないわ……!」


 だが隣で寝そべる適見は、やはり変わらない。


「……流れてくる弁当おいしそうだな……。紫織取ってきてよ……」

「そんなもの食える訳ないでしょ!!」


 紫織の怒声が響いた。

 そして二人の言い争いも、水流の轟音に掻き消されていく。


――


「はいっ! ただいまギルド本部にやってまいりました!」

 リーネの実況は止まらない。

「ご覧ください、廊下からも大量の水が溢れ出し、弁当が次々と流れていきます! これはでまるで灯籠流し――いや、“Null越デパ地下弁当の流し弁当大会”と呼んでもいいでしょう!」


「うわあぁぁ、なんでこうなるんだぁぁ!!」

 バシャバシャと音を立て弁当を追いかけるハーゲンが画面の端に映り込み、絶叫していた。


 その姿を見て、スタジオの山下キャスターが冷静にコメントした。

『弁当が流れる光景は大変珍しいですが、今回の水害は社会的にも大きな影響を与えるでしょうね』


「いや、珍しいで済ますな!!」

 ハーゲンの悲鳴が再び街中に中継された。


――


 通りは完全に川と化し、家屋は膝下まで浸水。

 子どもたちは浮かぶ木箱に乗って「海賊ごっこだー!」と遊び、母親たちは悲鳴を上げている。

 兵士たちは規制線バリアを張ろうと必死だが、次から次へと水が現れて追いつかない。


「対象の位置を特定しろ! 呪物反応は……!」

「駄目です、位置が乱れてます! 探ろうにも街全体が仮面と繋がっているような……!」


 封印班の叫びが飛び交う。


 水は止まらなかった。

 石畳の隙間から、壁の目地から、戸棚の合わせから、ありとあらゆる“空間”が川とつながっているかのように、だだ漏れである。


「対策班、展開急げ! 規制線を二重に張れ! 流れを南側へ誘導しろ!」

「封印班、仮面の座標が不安定です! 河口方向に向かっている反応と、時々“ここ”に跳びます!」


 惨状にしびれを切らした紫織が、颯爽と封印班の前に現れた。

「あなた封印班長ね、私は紫織、鑑定士よ。先ほど呪物と鑑定された物が訳あって川に落ちたの、たぶんその影響よ」


「鑑定士か……。呪物の大体の位置が完全に特定できれば何とか出来ようもんだが……お前が原因なのか?」


「……原因じゃないといえば嘘になるわ、でも今は急いで止めなければいけないの。あれがもし海にまで行ってしまったら……」


「今は緊急時だ。原因の追求は時間があるときにするとして、鑑定士・紫織よ……アレは一体どういった効果なのだ?」


「……あのアイテムは、Mask of Unspecified Space、つまり未指定空間の仮面よ。装着者の視界の先、つまり接地面をランダムでいずれかの空間に出現させるの。そして、それは今水の中で移動中……」


「それでは、一体どうしろと言うのだね?」


「そうね……。あれはランダムと言えど、原則として一箇所しか出現しないはずよ。だから出現している間に、武器でも物理魔法でもぶち込めば、仮面側からそれらが出現し、その位置である程度固定できるはず」


「なるほど、それならば鉄の針アイアン・ニードルをなどは有効と言うことだな」


「たぶんね……、うまくいけばの話だけど……」


「よし、使える魔術師を用意し一斉攻撃することにしよう」


 封印班長の周囲には数々の封印班、対策班が集まり紫織の話を一言漏らさず聞いていた。


「皆の者聞いたな! 魔術師を集め一斉掃射しろ! 封印班は対象が出現次第、規制線バリア張り、アイアン・ニードルが飛散しないように注意しろ、急げ!!」


 封印班と対策班の各個人がペアとなり走り、結界師と魔術師を誘導。印を結ぶ準備をする。対象は予測不能のため、街のあらゆる場所をカバーするため配置され、準備が始まろうとしている。


「三番隊アイアン・ニードル発射準備!」

「対象水流確認、結界師規制線バリア展開用意!」

「撃て――!!」


 漆黒の結界の中では、何が行われているかは分からない。だが確実に魔法が掃射され、そして仮面はその動きを鈍らせていく。

 一方、川の下流域では、別働隊が呪物レーダーを使い、複数人で捜索中であるとの情報が流れた。

 そして、程なくして水流は沈黙し、一応街には平和が戻った。


――


 中央ギルド・執務室。

 床に水たまり、机はずぶ濡れ。棚の帳簿は波打って、悲しい山なりになっていた。

 その真ん中で、ハーゲンは膝を抱えたまま呆然と天井を見上げている。


「……弁当……」

 彼の足元を、金箔のラベルだけがくるくる回って通り過ぎた。

 部下がそっと肩にタオルを掛ける。「ギルド長、弁当……、いえ仮面は回収できたそうです。水は収まりました」

「……弁当は?」

「……流されました」

 返事はなかった。彼はただ、乾いた机の上に両手を伸ばして、そこに“あったはずの何か”を包む仕草をしてから、静かに額を押さえた。


――


「はいっ! 現場のリーネです!」

 通りにはまだ水が残り、あちこちでバケツの水音が響く。

 リーネは膝下まで濡らしながらマイクを掲げ、封印箱の列を指し示した。


「ご覧ください! 街中の“漏れ口”は今、こちらの可愛い箱に集約されております! この箱からは時折“ぐるるる……”という、ちょっとお腹の減ったような音がします! おそらく水分と空間を一緒に吸い込んでいるからでしょう! すごいですね!」


 カメラの向こう、スタジオの山下キャスターが淡々と言葉を重ねる。


『封印班の皆さん、迅速な対応に感謝します。なお、我が家の地下神殿は、先ほどの水流が原因となり、床の一部が崩落し当面立ち入り禁止となってしまいました』


「そうですかー。次の“となりの飯が美味い”のコーナーで突撃取材をしようと思っただけに、非常に残念です!」


『そうなると次週はハーゲンさんですかね。それでは、お時間が来ましたので、この辺で番組の方は一旦終了したいと思います。本日はありがとうございました』


――

――――


 ♪チャララ~ン♪


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――――

――


 一方鑑定屋では。

 濡れた床に雑巾が広がり、真白は勇者のマントを絞っている。


「……やっぱり、あの確定はおかしい」

 呟きは小さく、でも真剣だ。「私、仮面を“石仮面”で確定しようとしたの。なのに、あなたが触った瞬間“Mask of Unspecified Space”に決まった。私の鑑定を挟んでないのに。こんなこと、普通は──」


「……自動鑑定よきっと……」

 適見はぺたりと座って、タオルで前髪を押さえる。


「いや、そんな事無いわ。私には見えたもの……本来の名が……」


 窓の外、鈴虫が鳴いた。

 街はようやく静けさを取り戻し、濡れた石畳が月を細く映している。


 その端っこで、ぽつり、とコンソールが小さく文字を切り替えた。


〈RNG:準備完了〉


 適見は寝返りを打ち、毛布を被った。

「……生きるって面倒……。自動的に弁当とかたべさせてくれないかなぁ……」


 眠気の底で、父の格言がぼんやりと浮かぶ。

“適当に付けるな、適当に付けろ”


 意味は分からない。

 けれど、それが明日の騒動に直結している気だけは、なぜかしていた。

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