松山 葉一 1
ポカポカのひだまり。
風も無く寒さは感じないが、空気はまだ冷たい。
子供のころに住んでいた、
土手の上には、そこから左に桜の木が並んで立つが、まだつぼみは開かない。
桜は冬の間、樹皮が段々と桜色に染まっていく。
幹の芯から外に向かって、沸き立つように染まっていく。
小学生の時、校内の写生大会で、桜の木の色をほんのりピンクに塗ってみたことがあった。
「お前にはそう見えているのか?」と、当時の担任には言われたが、今思うとあれは
大人になってから、草木染では桜色を出すとき、桜の花ではなく木の皮や枝を煮出すと知った。
・・・やっぱり・・・と思った。
桜の後ろは
向こう側の土手が南向きなので、こちら側は自分がいる土手の上だけが温かい。
この
そのまま住宅街が広がっている。
下を見ると日の当たらない斜面に、春の雪と枯れた
丸太を模したコンクリートのベンチには、隣に入社当時の咲子が座っている。
川下に目をやると、鉄橋の上を朱色と肌色のツートン、
ガチャンという連結器が接触する音が、掘られた深い土手の中で、劇場のように響いてここまで聞こえる。
鉄橋を渡ってすぐのところに
咲子の手を取り立ち上がろうとするが、その手が冷たくて、長く待たせてしまったのかと申し訳の無い気分になり、握る手に力を入れる。
子供のように、ただ守らなければならない者の愛おしい手だ。
土手のふちの踏まれた枯草のなかに、クローバーの葉が起きかかっているところを、咲子の手を取り鉄橋のほうに向かって歩き始めた。
枯草の上をゆくふかふかとした感じと、乾いた埃っぽい匂い、それに
早春の匂いだ。
歩いていると自分の体重が、いつものように感じられないのに気付く。
土手の斜面に向かってポーンと飛び出すと、着地することなく高さを保ったまま、どこまでも飛んでいく。
陰になり湿った葦の上を過ぎ、決してきれいではない川の水の流れを超え、それでも少しずつ下がっていっているようで、南側を向いた反対側の土手の、中段辺りに通った砂利道に着地した。
振り返ると咲子は、5メートルほど後ろをついてきていて、両手を広げてこちらに飛び込んでくる。
抱きしめると、失ったものへのいたたまれない感情が込み上げてきて、たまらなくなった。
この時には、これが夢の中の事なんだということは分かっていた。
夢の中での空の飛び方はいろいろだと思うが、私の場合は羽ばたいたりせずに、グライダーのように自然に飛ぶ感じだ。
曲がったり止まったりするときは、そうなるように何となく身体に力を入れる。
ただそのコントロールは正確ではなく、曲がり切れなくて建物の壁にぶつかったり、失速して地面に膝をこすったりする。
スーパーマンのように高速で飛ぶことはできなくて、自分自身で出せるスピードという感じ。
走ったり跳んだりする時の動きが限界だ。
非力なエンジンの軽い車で、峠道をトコトコ何処までも走っていくイメージ。
そんなだから上昇していくのは難しい。
一生懸命あがれーあがれーと念じて工夫して、やっとゆっくり上がっていく。
鉄橋の上を今度は、反対の
単線なので運河駅で交換したのだろう。
すぐ横を飛んで中を見るが、乗客はまばらだ。
こちらに気づく人間もいるが、特に驚いた顔をする者もいない。
4両編成の4両目、車掌が斜め前方を見て面白くもない顔をしている一番後ろの窓の、すぐ前の扉。
学生服を着た男の子が、窓に貼られた広告の透明なステッカーの脇からこちらを見て、何やら叫びながら両手の平をいっぱいに広げて扉を叩いている。
・・・どこで行き会ったのだろう知った顔だ・・・
男の子の必死さに対してそんなことしか思わなかったことに、はぐらかされたような違和感を覚える。
二人は手をつないでゆっくりゆっくり、トンビが上がっていく時のように、ゆっくり輪を描きながら上昇していった。
距離が開くと関係性は薄れる。
匂いがしなくなり、音が届かなくなり、やがて見えなくなる。
下に見える地上は、もはや自分とは関わりの無いものとなり客観している。
人と人もそうだ、遠く離れて関係を保つのは難しい。
心地よい圧迫感と共に急に温度が上がって、空という空間にふんわり包まれたような安心感が生まれる。
いつの間にか自分も咲子も上半身はそのままで、下半身は何も身に着けない状態になっていた。
咲子は、ほんの2メートルほど先を飛びながら、こちらをじっと見つめる。
咲子の部分は、ぴったりと合わさりほころびもなく、足が動くにつれ見え隠れしている。
自分のものは、ほかの生き物のように大きめの揺れで上下していて、そのたびに腹の皮が吊れる。
切なさがこみあげてきて咲子の左足を掴むと、両手で抱えて自分のものを近づけていった。
それが勝手に探り当てたように、ぴったりとしたものを押し開いて、後は若干の抵抗を感じながら吸い込まれるように入っていく。
咲子は顔を向こうに向けて足を閉じようとするが、構わず出し入れを繰り返す。
すぐ目の前の高圧電線が、ブーンと振動して音を出した。
地上と違い上空は、強い風が吹いている。
その風に乗って何処からか、警鐘が聴こえる。
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