番外編II.私の従弟 後編
キードゥル87年9月
「ごきげんよう。あまりいつもは関わりたがらないのに、どう言ったご要件かしら?」
そう言ったのはルイーゼ家当主夫人、ラネージュ・ルイーゼだ。今日は、シリウス、イリス、ユティーナの三人がルイーゼ家にやってきている。
それに対して、スティーネル家当主代理、イリス・スティーネルはニコリと微笑みを返す。
「あらぁ、そんなことを思われていましたの?そのように思われていたなんて……残念にもほどがございましてよ」
「果たして、本当にそうかしら?」
ラネージュは猫のような鋭い瞳で、ジィッとイリスを見つめる。
「そうですとも!これからは、是非仲良くさせていただきたいわ」
作り笑いでそう告げるイリス。
(猫かぶりが上手だ)
シリウスはそう思った。機嫌が良いように見えて、現在かなり機嫌が悪い。
「それで……マルティオ・ルイーゼ様のお部屋にご案内いただきたいのだけど……よろしいかしら?」
今度はイリスがラネージュを見つめる。そして、ラネージュの眉がピクリと動いたのを、見逃さなかった。
「介添えに案内させます。カーラを呼びなさい」
ラネージュの部屋にいた介添えがどこかへ行き、しばらくして、赤茶の髪の女性を連れて戻ってくる。赤茶の髪の女性――ヘルムート・カーラである。
「カーラ、お客人をマルティオのお部屋へ案内しなさい」
「……かしこりました」
カーラは少し黙った後、了承した。カーラは、あのルイーゼ家の息子という設定になっている子を、少し気にかけているのである。
「お客様、ついてきてくださいませ」
カーラは「失礼いたしました」と言って、ラネージュの部屋を出た。
真っ直ぐ、廊下を歩く。そして、そのままの向きで後ろにいるシリウスたちに問うた。
「お客様、お名前を伺っても?お客様がいらっしゃるという情報は存じているのですが、お名前は伺っていませんので」
カーラは全く後ろを振り返らない。傍から見れば、何も会話していないようにしか見えないだろう。
「あら、そうなの。……わたくしはイリス・スティーネル」
「私はシリウス・スティーネルです」
「えっと、わたくしはユティーナ・ヴリーネと申します」
それぞれが名前だけを言い放った。
イリスは少し怒っているようにも感じられる。
(……なんで、主の親戚の名前と顔が一致してないんだって思ってるんだろうな)
無論、カーラはイリスとシリウスの名前と顔もは一致している。ただ、今日がまだ二回目の訪問であるユティーナの名前が知りたかっただけなのだ。
「着きました」
そう言って、カーラが扉をノックする。
「マルティオ様、お客様でございます」
そう言った瞬間、扉の奥からドタバタとした物音が聞こえた。
しばらくして、音がシンと止まり、扉が開いた。
「……何か御用ですか?」
ルイーゼ家次男――ちらりと扉から少しだけ顔を覗かせた。無表情に見えなくもないが、警戒心に満ちた表情だ。いかにも、感情を隠すことをまだ完璧にはできない、子供である。
部屋の中を見せないように扉の隙間は体で覆っているつもりなのかもしれないが、マルティオの体は同年代と比べても小柄なので、シリウスたちには部屋の中が見えている。飾り気のない質素な棚やシンプルな机、椅子など生活に最低限の者しかおかれていないように見える。机の上には小さな木札と参考書のような本がおいてあった。勉強でもしていたのだろうか?よく見ると、扉を掴んでいるマルティオの小さな手には黒いインクが何か所もついている。
(……ルイーゼ家にしてはおかしい部屋だ)
ルイーゼ家は金だけはある家だ。実際、廊下やラネージュの部屋の中は装飾でよく飾られていた。
この違いはなんだろうか?
「お客様ですよ、マルティオ様。ご存じなかったのですか?」
「知ってたよ。でも、ぼ――私の部屋に来るなんて聞いてない」
「……そうでしたね」
カーラは思い出すように言った。
マルティオとカーラの会話を笑顔で聞いていたイリスが声をあげた。
「中に入ってもよろしいかしら?」
笑顔だ。だが、シリウスに似ている空色の目だけは笑っていない。
「……駄目です」
マルティオは少しだけ眉をピクリと動かした後、無表情に近しい顔でそう答えた。
その返答にイリスは益々不機嫌になる。ただえさえ、ラネージュとの会話でそれなりに不機嫌だったのに!
姉の不機嫌を察知したシリウスは焦り始めた。ユティーナも少しだけ不機嫌を察知したのか、オロオロし出す。
「マルティオ様、それはなぜですか?」
「片付けていないので」
マルティオはきっぱりとそう答えた。
「あら、全く構いませんわ。わたくしも、片付けは苦手ですから、よく部屋が散らかるのです。少しだけならば、良いでしょう?」
マルティオは眉を寄せて俯く。
「……分かりました。どうぞ」
マルティオは扉を少しだけ開けて、その後はカーラが扉を引き、ほぼ全開にまで開けた。
その瞬間、紙とインクの匂いがブワッと広がる。
「あっ、カーラ!開けすぎたら、怒られるから!」
そう言って、マルティオはカーラに扉を軽く閉めるように言った。カーラは片方の扉はそのままで、もう片方の扉だけを閉めた。
お客人三人とカーラはマルティオの部屋に入り、カーラは急いで扉を閉める。
「何も面白いものなんてあまりませんからね」
少しだけ、怒ったような声をあげるマルティオ。
「いぃえ、とても面白いわ」
イリスは本当に面白がるような声を出す。
嘘だろう。イリスに興味があることなんて少ないのだから。
「あの、マルティオ様」
「……お話を遮ってしまうようで悪いのですが」
「……?はい、何でしょう?」
ユティーナは首を傾げつつマルティオに問う。
「私のことは、マルティオと呼び捨てしてください。イリス様も、シリウス様も」
「何故ですか?同じ下級貴族ですし……」
ユティーナの言う通りだ。レッフィルシュット興国において、身分が同じ場合は、勝手に呼び捨てをしないのが礼儀である。
「……私が、貴方々と同じ身分ではないからです」
(……少し、考えていた。マルティオのことについて)
マルティオは、きっぱりと言い切った。ユティーナは少し考えた後、案を提示した。
「……でしたら、貴方もわたくしたちを呼び捨てにするべきです」
ルイーゼ家当主――イフェンス・ルイーゼはマルティオを息子だと言うが、生まれた時には親戚であるスティーネル家に何の連絡もなかったと聞いている。
これはおかしいことだ。
皇族や領主一族以外の出産は、基本公的に知らされることはない。だが、仲のいい友人や親戚には伝えるものだ。
「……お、お願い、です。お願いします……。
マルティオは顔を歪め、そう言った。苦しそうな表情だ。今にも泣きそうな表情にも見える。
(……何か、事情がありそうだな)
やはり、予想は正しいのかもしれない。
マルティオ・ルイーゼは、貴族の血をひくだけの平民である
――というその予想は。
◇◆◇
「やぁ、マルティオ」
「こんにちは」
「……」
マルティオは勉強の手を少し止め、シリウスたちをチラリと見つめた。
その水色の目は雄弁に語っている。
――また来たのですか。
呆れのような目だ。ちなみに、今回が三回目の訪問である。今回はイリスはおらず、シリウスとユティーナが訪問しに来ている。やはり、当主夫人――ラネージュには睨まれてしまったが。
チラリと少し見た後、また参考書に視線を戻す。
「何の用ですか?」
木札にペンを走らせながら、そう尋ねる。器用なことだ。
「何故、マルティオはずっと勉強をしているんだい?」
「……質問に質問で返すのですか?」
「マルティオさんと、お話がしたかったからですよ」
マルティオの問いにユティーナが答えた。
「じゃあ、次はマルティオの番だ」
「子供みたいなことを言うようで癪なのですが、それは私が答える必要がありますか、
(……質問を質問で返すなって、さっき言わなかったっけ?)
心の中でそう呟く。子供みたい、というのはそういうことなのかもしれない。それを言うのは可哀想なので、言わないであげた。
「あぁ、ある」
「ハァ……私が欲しいものを手に入れるためです」
ため息をつきつつ、マルティオはそう言えば、ユティーナは首を傾げる。
「欲しいものって、何ですか?」
「言えませんし、言いません」
マルティオはそう言った。
その表情は、どこか覚悟をしたかのような、そんな表情だ。
(頼ってくれたら――その日には、全力で力になりたいと思うのに)
それから、ルイーゼ家に何度か通った。マルティオは冷たかったけど、少しずつ心を開いてくれたのか、わずかな質問には答えてくれるようになったし、イフェンスやクロディスの愚痴を言うようになった。
(ただ、過去のことは、何も教えてくれない)
教えたくないなら、いい。イフェンスやラネージュ、クロディスとマルティオの関係を見ていると、養子であるのは間違いないだろう。でも、その前は分からない。
(……いつか、私に教えてくれるくらい信用してくれたらいいんだが)
シリウス・スティーネルはマルティオ・ルイーゼをちょっと兄に冷たい弟のように思っているのだから。
聖女の復讐~復讐のためだけに生きるつもりだったのに他のことが楽しくてたまりません~ 山内 琴華 @koto_0612
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