番外編I.私の従弟 前編

キードゥル87年8月


「え?ルイーゼ家ですか?」

「あぁ、そうなのよぉ。シリウス、行ってきてくれなぁい?」

「え、なんでですか」


ここ、スティーネル家にいるのは、シリウス・スティーネル。六歳。スティーネル家の息子だ。姉が一人いる。

シリウスの前でソファーにで思い切りくつろいでいるのは、シリウスの姉、イリス・スティーネルだ。ゆったり蜂蜜なんか舐めている。


(なんて豪華な)


シリウスは規則やら慣例やら暗黙のルールやらを気にしすぎてしまう――だからか、自由気ままに生きている姉を心のどこかでは羨ましいと思っているのだ。


「えぇ~、だってぇ、クロディスって面倒くさいじゃない。あそこの当主夫妻も」

「シリウス、行ってあげてくれる~?」


そのとき、扉が開いた。やってきたのはシリウスの母、ローザ・スティーネル。シリウスが生まれた頃にシリウスの父は亡くなっているため、イリスかシリウスが成人するまでは現当主となっている。


「なんで私が」

「あ、そうそう。ユティーナちゃんも誘ってあるの。ヴリーネ家からは承諾してもらったし、シリウスも行くって言っちゃったのよ。だから、ね?」


(……二人共、グルじゃないか)


シリウスは深いため息をついた。



◇◆◇



「お、おはよう、シリウス」

「うん、おはよ、ユティーナ」


淡い桃色の髪の少女――ユティーナ・ヴリーネ。シリウスの幼馴染だ。オドオドしているが、とても優しい。


「……今日はルイーゼ家に招待されるだなんて、びっくりしたよ」

「あぁ〜、それは……巻き込んじゃってごめんな。母上と姉上に嵌められた。最悪だよ」


ユティーナはシリウスの言葉に少し目を瞬かせる。それから、俯きつつ、微笑んで言った。


「……でも、わたくしは……シリウスと一緒に入れて嬉しい、よ」

「そうだな。私もユティーナといるときはすごく楽しい」


その言葉にユティーナはパァ、と顔が綻んだ。

無論、ユティーナの嬉しい、とシリウスの楽しい、とでは意味が違うのだが。


「行こうか」


シリウスたちはルイーゼ家屋敷へと入って行った。


作り笑いを浮かべたルイーゼ家当主――イフェンス・ルイーゼに出迎えられる。本来、イフェンスは愛想の良い男ではない。親戚ではない、他の貴族が来ているから、まだましな方なのだろう。


「やぁ、久しぶりだな、シリウス殿。そして、ようこそ、ユティーナ・ヴリーネ嬢」

「お久しゅう存じます」

「は、初めまして。ユティーナ・ヴリーネと申します。よろしくお願いいたします」


ユティーナは緊張しつつ、挨拶の言葉を紡ぐ。

いつもの挨拶すらオドオドして怖がって逃げ回っていたのを見ていたシリウスからすると、ユティーナはかなり成長したように見える。


「今日は、ユティーナ嬢にクロディスを紹介しよう」

「はっ、はい。楽しみです」


ユティーナはそう言ってできる限り自然に微笑んだ。


「カーラ、案内してやれ」

「かしこまりました」


カーラと呼ばれた赤茶の髪の女性に案内され、お部屋へやってきた。


そこにいたのは、クロディス・ルイーゼ。そして――見知らぬ小さな男の子だった。


(……誰だ?)


シリウスの頭には疑問符が浮かぶ。クロディスの傲慢な立ち居振る舞いとは反対に、俯いて、何も言葉にしない姿は使用人と言っても遜色ない。

男の子は黄土色と茶色の中間のような髪に、水色の髪をしている。そして、男にはあまり見ないピアスが耳で揺れていた。


(……そういえば)


シリウスの姉、イリスがこんなことを言っていた気がする。


『そういえばねぇ、あの当主、養子をとったらしいわよぉ。誰から『買った』のかしらねぇ』


ルイーゼ家は金持ちだ。一般の中級貴族くらいは優に超える。ただ、魔力が少ないため、今まで、ずっと下級貴族なのだ。


(それで、この子がルイーゼ家の養子、ということかな?)


「やぁ、シリウス!それに、ヴリーネ家のユティーナ嬢であろう?今日はよく参ったな!」

「……え、と、あ、はい。ユティーナ・ヴリーネと申します。よろしくお願いいたします、クロディス様」

「あぁ。あぁ!私は嬉しいぞ!これだけ私が人気者なのだからなっ!はっはっはっ」


(……あぁ、うるさいな)


大笑いを始めるクロディス。口を大きく開け、唾を飛ばしてガハハと笑っている。

ユティーナは驚いて固まってしまった。シリウスは小声でユティーナに話しかける。


「ユティーナ、大丈夫か?体調が悪いことにして、帰ることもできるから、そのときは言ってくれ」

「……ううん、大丈夫。わたくしは、逃げ出したくないの」

「……そうか?」

「うん。シリウスの気持ちはとっても嬉しいよ……でも、怖くなったら、そのときは頼らせてね?」


ユティーナはシリウスを上目遣いで見上げた。それに、シリウスは優しく微笑む。


(……ユティーナは、強いな)


そんなことを考えているが、少女の小さな恋心に気付いていない、シリウスなのである。

そのとき、クロディスの息が切れたのか、笑い声が止まった。


「クロディス様、その後ろの少年は?」


(……あぁ、もう!もっと早く紹介をしてくれ!)


「ん?あぁ……」


クロディスは忘れていたと言わんばかりの視線を少年に向けた。その少年は俯いたまま何も言わない。


(……感情のない人形みたいだ)


「……私の、マルティオさ。マルティオ、挨拶をしろ」

「……」

「早くしろ!」


クロディスが大声を上げた。マルティオと呼ばれた少年は全く反応せず、少しだけ表情を動かした。

それから、シリウスたちに跪く。


(……え?なんで?)


シリウスとユティーナが疑問符を浮かべている間にマルティオが挨拶を始める。


「お初にお目にかかります、シリウス様、ユティーナ様。ルイーゼ家の次男、マルティオ・ルイーゼと申します。以後、お見知りおきを」


シリウスとユティーナは顔を見合わせた。本来、同じ身分の者は跪いて挨拶をするものではなく、身分が上の者に対して行うものだ。シリウスであれば、中級・上級貴族や領主一族などだ。

そして、マルティオが選んだ言葉もまた身分が上の者に対して行う言葉である。


「……よろしくお願いします」

「お願いします、マルティオ様」


シリウスとユティーナは礼をした。


(……なんか、おかしくないか?)


そう思いつつ、今日の面会は終わった。


「ユティーナ、マルティオ様のあれ、おかしくなかったか?」

「えぇ、わたくしもそう思ったわ。わたくしたちに最上級の礼をするだなんて……」

「だよなぁ……」


シリウスは考えるように馬車の天井を見た。そのとき、ユティーナが口を開く。


「シリウス、わたくし、マルティオ様とちゃんと話してみたい」


その目には、確かに何か、があった。


(……私も、同じ気持ちだ)


「あぁ、行こう。もう一度」

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