XIV.マルティオ・ルイーゼは生きることを諦めない 後編
キードゥル86年11月
(なんだろ、なんか。揺れてる)
「ん……っ」
目が覚めると、そこは最近見慣れ出したベッドの上じゃなかった。
「へぅっ!?」
何か石にでも乗り出したのか、ドンと寝床が跳ねる。
「大丈夫ですか?」
低い声がした。声のする方向を見ると、黒髪の男性が無表情にこちらを見ている。
「えっと、誰……ですか?あと、ここは、どこ、でしょう?」
僕はできるだけ丁寧な言葉づかいで話しかけた。男性が大きくて豪華で強そうな人だったからだ。
「……貴方に私の名を教える義務はありません。ここは馬車です」
「ば、しゃ?」
「えぇ」
男性は短く、そう答える。
「あの、なんで、ぼ……私はここにいるん、ですか?」
「……その質問に答える義務もありません」
(……何なんだ……っ?)
「じゃ、じゃあ、リアム……は?」
「誰ですか、それは」
ヒッと変な呼吸音がした。
(……嫌だっ!!離れたくない!)
あの廊下で離れてから、まだ一度も話していないのに。旦那様と奥様のお話をリアムに話せていないのに。
「こちらに着替えてください」
男性が持っていた服を渡される。お貴族様が着るような、豪華な服だ。
(……一体誰が買ったんだろう?)
見られることに抵抗がないわけではないけど、馬車に個室のようなものがあるはずもないので、ここで脱いだ。
着替えつつ、男性に問う。
「もう、リアムとは、会えないんですか?」
「そのリアムという人物を私は、存じ上げません。ですが……無理でしょうね」
(……やだ!やだぁっ!!)
また涙がたまる。歯を食いしばって耐えたけど、最近は泣いてばかりだ。
「もうすぐ着きます」
着替えも終わる。涙をこらえるために、ズボンをぐしゃりと握った。でも、高級な生地でできたズボンは皺ひとつ残らない。
馬車が止まり、男性が立ち上がる。扉を開けた。
朝の光で、扉の外は眩しい。
「どうぞ。何も持たなくていいので、出てください」
男性が先に降り、自分に手を差し伸べる。僕は立って、馬車を降りようとした。
「えっと……?」
「お手を」
男性に手を置き、馬車を降りた。
降りた先には白髪交じりの男女とその前にいる男の子がいた。腰のあたりまで髪を伸びた髪を一つに結っている。僕よりはいくらか年上だろう。
「マルティオ・アークラ。今日からここが、其方の家だ。あとで、カーラからいろいろ聞きなさい」
初老の男性がそう言った。威厳があるような怖い目をしている。
男の子が僕を睨み付けて父親の方を見上げた。
(あと、マルティオ・アークラって僕のこと?僕はケート・マルティオなんだけど!)
「父上、こんなオンボロな奴を迎えるなんて聞いてないんですけど」
「……其方の好きにすればよかろう。ただ、ルイーゼ家に泥だけは塗らぬように」
「かしこまりましたぁー」
そう言うと、三人は屋敷に戻っていく。後ろにいる馬車の男性の方を振り向いた。
「あ、あの、僕はどうしたら……?」
「あの方たちについていってください。私の案内はここまでなので」
「分かり、ました。ありがとう存じました」
男性は軽く礼をすると、また馬車に乗り込んで、どこかに行ってしまった。
「……申し訳ありません。遅れました」
三人と入れ替わるようにして、また人がやってきた。赤茶の髪の女性だ。
「旦那様からお聞きしましたでしょうか?わたくしはカーラと申します。ご案内いたしますので、ついてきてくださいませ」
カーラさんについて行って、お屋敷に入った。
アークラ家より豪華な家だ。大きさも全然違うし、こっちの家は中の装飾がいっぱいある。
案内の途中で、カーラさん――じゃなくて、カーラと呼ぶように言われた。で、そのカーラからこの家について聞いた。
ここはルイーゼ家。僕はアークラ家当主と当主夫人の息子ということになっているらしい。で、今日からはルイーゼ家の養子、ではなく息子として生きることになる。彼らを実父母と同母兄と思わなければならない。
(……意味わからん!)
貴族の事情など、みんなそんなものなのだろうか。よく分からない。
でも、もう決まってしまったものは仕方がない。今の僕に、どうにかする力なんてないのだから。
さっきの初老の男性はルイーゼ家当主、イフェンス・ルイーゼ様。そして、その妻のラネージュ・ルイーゼ様。
僕を睨んでいたのはクロディス・ルイーゼ様だそうだ。十二歳で、貴族学院二年生らしい。あ、貴族学院っていうのは貴族の学校だ。平民にも学校というものはあるので、とくに違和感はない。
自分の部屋に案内され、中に入る。中は特に整えられていないが、家具はあるので、便利そうだ。
(それに、冬でも寒くない)
「これからは案内ができませんので、お部屋の場所は覚えてください。あと、マルティオ様は旦那様に呼ばれています。ご案内いたしますので、またついてきてください」
「あっ、はい」
またカーラについていく。イフェンス様のお部屋にいくのだ。
「失礼いたします、イフェンス様」
カーラがノックをして、お部屋に入った。
中は華美な廊下と違いシンプルな部屋だ。大きな机に大量の書類が乗っているが、整えられて置かれているので、あまり散らかっているとは感じない。
「あぁ、来たか。カーラ、下がれ」
「かしこまりました。失礼いたします」
カーラが扉から出ていく。二人きりなった。
イフェンス様は大量の書類たちとは分けられた場所から、一枚の紙を取り出す。
「これに記名を」
イフェンス様から紙を渡される。書類だ。
難しいことばかり書いているが、僕を息子にする、ということらしい。それも、養子ではなく、本物の息子として。
最後には〈規則の女神〉という名が書いているが、よく意味が分からなかった。
「其方はこれから、マルティオ・ルイーゼと名乗るように。これが絶対条件だ。アークラと名乗れば……生かしてはおけぬ。これは秘密裏に行っていることなのでな」
(……イフェンス様たちは僕が平民だったことを知ってる?)
知らない、というのが僕の予想だ。平民だと知っているのならば、もっと邪険に扱うだろうし、当主夫人であるラネージュ様も嫌そうな目をしていたものの、蔑み、殺気を出すほどの目ではなかった。奥様はそんな感じだったが。
(……知られたら、追い出される、かな)
旦那様によれば、あの家は燃やされてしまったらしいし、これからは本格的に冬になっていく。イェルスと森に住むのは難しいだろう。
(イェルス、元気かな……)
ペンを渡され、僕は【マルティオ・アークラ】と書いた。
その後に、イフェンス様が記入する。
「〈規則の女神〉シュタインレードゥへ告ぐ。イフェンス・ルイーゼと、マルティオ・ルイーゼはこれを誓う」
文字だけが赤い炎につつまれた。紙が燃える気配は一切ないけど。
「これで、其方は私の息子だ。私のことは父上と、ラネージュのことは母上と、クロディスのことは兄上と呼ぶように」
「……分かり、ました」
(絶対に……知られないようにしないと)
そうして、自室に戻った。
(……最近はいろいろなことがありすぎだ)
母さんが亡くなってから、いろんなことがありすぎた。
「あぁ、思い出したら、泣きたくなってきた」
アークラ家で、四六時中泣かずにいられたのはリアムのおかげなのだ。その支えがなくなった今、無性に泣きたい。
「失礼いたします」
カーラの声だ。予想通り、カーラが部屋に入ってきた。
「何ですか?」
「荷物を運ぶので、お知らせを、と」
(……せめて、リアムには、絶対に会いたい。もう一度、会っていっぱい、たくさん話がしたい)
「あの、カーラ!」
「何でしょう?」
僕は出て行こうとするカーラを引き留めた。
「他の屋敷に、雇いたい人がいるんですっ。どうにか、できませんか?」
僕の必死の訴えにカーラは少し考える。それから、口を開いた。
「……アークラ家で、“お世話になっていた”時のお話でしょうか?それでしたら、お金さえ積めばどうにかなると思いますが」
どうやら、僕は一度アークラ家に預けられていたことになっているらしい。
そんなことより、だ。
「お金さえ……?」
「はい。あの家はここより貧乏ですから。その雇われている人物より、お金の方に利益があると思わせることができれば、どうにかなるかと」
(……!!)
「ありがとう存じます、カーラ!」
「……お役に立てたなら、良かったです」
カーラの口角は、少しだけ上がっていた。
(……お金、貯める。貯めてみせる。頑張るから。待っててね、リアム)
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