XIII.マルティオ・ルイーゼは生きることを諦めない 中編

キードゥル86年11月


僕は、今いる場所を見回す。

掃除はされていなくて、埃が溜まった部屋だけど、綺麗な造りをしていた。


「……ぇ、がみ」


僕は埃が被った椅子に腰を下ろし、手紙を開ける。



【この手紙を読んでいるとき、もう私は貴方と会い、話し、笑顔を見ることはできなくなっているのでしょう。】


思わず、バッと手紙を閉じてしまった。

母さんの字だ。とても美しい字だ。また、泣きそうになってしまう。

少し呼吸を整えてから、また手紙を開く。


読み進めていく。涙が溜まってきてしまった。でも、涙が紙に落ちれば、母さんの字が汚れてしまう。腕で、ごしごしと涙を拭いた。


いろいろな思い出が書いてあった。料理をした日。一日中ごろごろした日。

どんどん文字は弱くなっていく。文字が震えているのだ。



【最後に。いつも迷惑をかけてごめんね。今もかけていると思う。息子に迷惑をかけるだなんて、駄目な母親ね。

でも、私はマルティオと一緒に過ごせて嬉しかった。楽しかったよ。

ありがとう、マルティオ。私の元に生まれてきてくれて。こんな私と生きてくれて。あんなボロボロのお家で、笑ってくれて。

最愛の子 マルティオへ     貴方の母 パウラより】



何度も読み返した。涙は手紙が汚れないようにその度に拭いた。

しばらくして、コンコンと控え目なノックがなる。


「失礼いたします」


扉が開いた。目つきが悪い男の子だ。僕より少しだけ背が高い。僕よりは年上だろうか。


「お初にお目にかかります、マルティオ様」


そう言って、男の子が跪く。僕は「マルティオ様」と言われたことに固まってしまった。それでも、その男の子は言葉を続ける。


「リアムと申します。よろしくお願いいたします」

「……ぇ、あ、ぉ」

「……喉が枯れていらっしゃるのですか?」


男の子――リアム君は淡々と無表情なままに告げた。目つきは悪いけど、綺麗な顔立ちをしている。

僕はその問いにコクリと頷いた。


「……マルティオ様、少し待っていただけますか?喉にいいものを持って参ります」


そう言って、リアム君は出ていった。


「只今戻りました」


しばらくして、リアム君がお盆に何かを乗せて戻ってきた。金色の液体が入った瓶と白いお皿に乗った黄色いもの。そして、カップと白い石の丸いものだ。


(……固そう)


「こぇ、なぃ?」

「少しだけ声が出るようになりましたね。よい傾向です。これは蜂蜜。生姜です。そちらはティーカップとティーポットですよ」


リアム君がティーポットから飲み物をティーカップに入れる。それから、ティーカップにテキパキと蜂蜜や生姜を入れて、ゆっくりと混ぜた。


(……甘い匂いがする)


美味しくて、甘い匂い。果物のような甘さとはまた違った甘さだ。


「どうぞ、お飲みください」


リアム君がティーカップを僕に差し出す。緋色の液体だ。


「……飲まないのですか?」


リアム君が不思議そうにそう聞く。すると、リアム君はティーカップに口をつけた。


「…………この通り、毒はありませんよ」


どうやら、毒を警戒していると思われたらしい。


(……これは僕が飲んでいいのかな?)


お飲みください、とは言われているけれど、こんな高級なものは僕が飲んでいいものじゃないのだ。


「のんでぉ、おこぁなぃ?」

「貴方のために入れたのです。怒ったりなんていたしませんよ」

「じゃぁ、いただぃまふ」


そう言って、ティーカップを手に取り、一口飲む。


(……甘い)


甘い。やっぱり、果物じゃない感じの甘みだ。

喉のヒリヒリしていた感じが徐々に消えていく。声を出してみた。


「ぁ、ぁあ、あ。あー」

「声、でましたね」


リアム君が薄く微笑んでそう言った。綺麗な顔立ちをしているので、それを絵に描くだけで売れそうだ。


(……喉が治ったら、一番に言いたいことがあったんだ)


「あの、あの。リアム君。マルティオ様って言うの、やめてください」

「……なぜですか?」


先程の笑顔から一転して、リアム君は僕に目つきが悪い青緑色の瞳を向ける。


「僕は、平民だからです」

「それを言うならば、私は元孤児です。孤児院から、旦那様に拾われましたので」


リアム君は目を伏せてそう言った。それから「そうしなければ、私は旦那様からお叱りを受けるかもしれません」と付け加える。


(……僕のせいで!?)


「あ……じゃ、じゃあ、この部屋だけならばいいですか?」

「え、はぁっ……?」


リアム君が急に声をあげて、笑い出す。


「な、なんで!?」

「貴方は……いや、マルティオは突拍子もないことを考えるんだね」


リアム君は笑いすぎて涙が出てきている。その涙を拭った。


「じゃあ、マルティオも、僕のことはリアムって呼んでね」

「え?」

「この部屋の中だけの秘密のお友達だから。ね?」


リアム君は先程無表情だったとは考えられないほど表情豊かに笑っている。


「でも、リアム君の方が年上なんじゃ」

「え?いや、マルティオの方が年上だよ。僕は一か月前に四歳になったばかりだから」

「えぇ!?」


僕は再来月が五歳の誕生日だ。


(まさか、リアム君の方が年下だったなんて……)


「ね?いいでしょ~?」

「うん、分かったよ、リアム」


(……秘密の、この部屋だけの、お友達……)


そうして、僕とリアムの生活が始まった。

リアムからの説明によると、ここは僕の父親――アークラ家の屋敷らしい。僕の父親は貴族らしいのだ。まぁ、いろいろあったのだろう。

父親と呼ばれた人物とは、あの後一度だけ会話した。


「マルティオ。今日からはあの部屋で勉学に励め。分かったな?あと、私のことは旦那様と呼ぶように」


そう言われただけだ。会話とも呼べないかもしれない。


――でも、なぜここに連れてこられたのか。それだけが謎だった。



(……旦那様は僕のことを嫌っているっぽいのに。なんでなんだろう?ここに僕を置く理由がないんだよなぁ)


それに、旦那様の妻である奥様。旦那様以上に僕を嫌っている。それから、この家の子供の人は僕を見下している。リアムの話によると、僕の異母兄、らしい。父親は同じだけど、母親は違う兄弟のことなんだって。


「マルティオ様、考えごとですか?」

「あっ、リアム。うん、えっとね……」

「おーい、リアム!こちらへ来なさい!」


廊下の奥から声がした。介添え主任だろうか。


「マルティオ様、先にお部屋に戻っていてください。すぐ戻ります。……後で、話は聞くから。ね?」

「うん、分かった」


そう返す。リアムにランタンを手渡しされる。リアムは軽く手を振って、廊下の奥へ行った。

僕は自室に向かって歩き出す。


最近は、貴族になるための勉強なのか、丁寧な言葉遣い、というものをしている。リアムが「マルティオ様」に接するような感じだ。結構、難しい。


「……あなた、どういうことですの!?」


考え事をしながら歩いていると、扉の奥から大声が聞こえた。奥様の声だ。思わず立ち止まる。


「……うるさい。あの子に聞こえる」

「話をそらさないでくださいませ!どうして追い出したアレの息子が、この屋敷に出入りしているのです!?」

「仕方ないであろう。ルイーゼ家との賭けに負けた。息子が欲しいと言われれば、断れないであろう?それとも、あの子を売ればよいのか?」


(……意味が分からない)


息子が欲しい?その人は何を言っているんだ。

じゃあ、僕は売られるのか?

動揺して、持っていたランタンが震える。


「なっ、誰かいるのか?」


旦那様が声をあげた。僕は精一杯走って、自室まで戻った。


「僕は、売られる、のか、な……」


布団を被って、うずくまる。涙が出てきた。

別に、この場所が大好き、というわけじゃない。でも、リアムと離れたくない。ただ、それだけだ。売られることに関しては、死なないならば、どうでもいい。


「明日、リアムと話さないと……」


僕は、深い眠りについた。


◇◆◇


「眠ったか?」

「はい。しばらく起きることはありません」


彼――マルティオ・アークラの眠る部屋にいるのはアークラ家当主とその屋敷の介添えだった。


「馬車まで運べ」

「かしこまりました、旦那様」


淡い黄土色の髪をした少年――リアムはマルティオの体を抱き上げ、アークラ家当主についていく。

寂しそうな顔で、泣きそうな顔でマルティオは「かぁ、さん……」と呟く。リアムにはそれが羨ましくも、眩しくもあった。リアムには家族がわからないから。


「マルティオ様は、どうなるのですか?」

「……」

「あの」

「うるさい。黙れ!聞くなと言ったであろう」


アークラ家当主は怒鳴る。年の割にリアムの背は大きい方だが、まだまだ子供の体だ。体がビクンと跳ねる。


「いらぬことを、お聞きしました。申し訳、ありません」


そのまま、屋敷を出て、リアムは馬車に乗り込む。


「ここには、マルティオ様お一人で乗るのですか?」

「……いや。仮にも、売り物だ。護衛はつけている」


アークラ家当主は少し考えてから、そう答えた。


(……ごめんね、マルティオ。もう二度と、会えないと思うけど。願わくば、ルイーゼ家では元気に楽しく暮らせますように)


マルティオのためだけに雇われた少年――リアムは少しぼんやりしながら考えた。

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