XII.マルティオ・ルイーゼは生きることを諦めない 前編
キードゥル86年11月
僕はマルティオ。ケート・マルティオ。四歳。平民だ。
「おはよう、母さん」
「……うぅん、うん。おはよぉ、マルティオ。今日もごめんねぇ……」
母さんは流行り病にかかっちゃって、寝込んでいる。僕は前にかかっちゃったけど、母さんが病院に連れて行ってくれて無事に治った。
でも、お金がないから、母さんは病院で、お医者さんに診てもらえないんだって。
母さんは美人だ。街でも有名な商人の家の人だったらしいけど、いろいろあって、僕と一緒に貧民街の方面に住んでいる。
「母さん、大丈夫?僕がついているから大丈夫だから。ね?」
「……う、ん。そうねぇ、ありがと。……でもね、マルティオ。私がもし死んじゃったら、孤児院か、私の商会に行くのよ……」
「そんなこと言わないでっ!」
僕は必死にそう言った。それでも母さんはヘラリと気弱に微笑むだけで、肯定も否定もしてくれない。
(なんで……!や、だっ)
「うぅーん、ごめんねぇ、マルティオ。多分、無理か、なぁ……」
「やだっ!やだぁっ!!駄目だよっ、お母さんっ」
母さんはその綺麗な水色の瞳を瞼に隠す。
ひゅっ、と変な呼吸音がした。自分の息だ。震える手で、ゆっくり、ゆっくり脈を確認する。
(……あぁ、良かった)
弱いけれど、トクトクと心臓は動いている。その事実を頭が理解したとき、全身の力が抜けた。
しばらくして、お腹もすいてきたので、籠を持って森へ行った。
「よぉ、ティオ。久しぶりだなぁ」
「久しぶり。もうすぐ冬だけど木の実、まだあるかな?」
「あぁ、あるぜ。ちょっと隠し持ってるんだよ。ついてこい」
僕は「ありがとう」とお礼を言いつつ、彼――イェルスについていく。
イェルスは孤児だ。森に住んでいる。冬の間は僕の家に住んでいるが、森の方が落ち着くらしい。魔力っていうのを持っていないから、孤児院には入れなかったんだって。
魔力っていうのは、お貴族様のものらしい。母さんが言ってた。でも、時々そういう魔力を持った平民もいて……だから、孤児院なんてものもあるんだ。
イェルスから木の穴に隠した木の実をいくつかもらった。それから、キノコや果物を探しに行く。冬前なので、量は少ない。
「あっ、あそこにレモンが生ってる」
イェルスが指をさした。そこには小さいが三つほどレモンが生っていた。イェルスは軽々と木に登り、レモンを取る。
「ほらよっ」
「ありがとう」
イェルスに二つレモンを渡される。籠に入れた。
「二つもいいの?イェルスも食べ物には困っているんじゃ?」
貧しい者にとって、冬は地獄だ。夏は日陰に入れば、なんとか暑さをしのげるが、冬はそうもいかない。家がないものは落ち葉の山に体を突っ込んだりしている。僕たちみたいに家があっても、オンボロなので、隙間風は入ってくるし。
それに、食べ物が絶望的に少なくなるのが冬だ。他の季節は森に果物やら木の実やら、何かしら食べられるものの宝庫だ。でも、冬になると、ほとんどない。ほんの少ししかない貯めたお金では、ほんの少しの食料しか買えない。
「あぁ?いいよいいよ。母さんがいるんだろ?食わせてやれよ」
イェルスはさっきとったレモンをかじりながらそう言った。
「……ありがとう、イェルス」
イェルスと別れて、森から戻り、家に帰った。
扉を開けると、まだ母さんは寝ている。
(……こういうときは、無理して立っていることも多いんだけど)
起き上がれないほど辛いのか、そういうときに「無理しないで寝ていて!」という僕の言葉を聞いてくれたのか。後者であってほしいと願う。
少しだけ嫌な予感がし、脈を確認しに行った。
「ぇ」
脈が、ない。
触った首の当たりは生ぬるい感じがしたが、どんどん体温が失われていく。
「……ぅあ、あ、あ……!!」
(……やだぁ、やだぁっ!!)
母さんの上で頭を抱えて泣き叫んだ。
「か、ぁさ……」
あれから、どれだけの時間が経ったのだろう。泣き叫んだため、喉は枯れた。お腹は空いているし、喉も渇いた。でも、ここから立ち上がるような気力はない。
「ぁ……」
手に持っていた籠が、床に転がっていた。その反動で、中に入っていたレモンや木の実が籠の中から飛び出している。
僕はレモンを手に取って、カプリと齧った。
「……っう」
……なんでっ、美味しいんだよっ!
苦くあって欲しいと思った。この状況で、美味しいものを食べたいと思わなかった。でも、久しぶりに食べた食べ物は少し酸っぱいけど、美味しいのだ。
またボロボロと涙が溢れてくる。
そのときだった、カチャリと扉が開いたのは。
「君がマルティオだな。パウラは……死んだか」
久しぶりに見た光に目が眩む。そこにいたのは小綺麗な服を着た男がいた。茶色の髪に、赤い目をした男だ。
「……ぁ、ぇ」
誰、という声は口から出なかった。枯れた喉には声を出すことはできなかったらしい。
赤いくせに、氷のような冷たい目をした男は母さんをチラリと見た。その後、自分の方を見下して言った。
「ついてきなさい。大事なものだけを持ち、家を出ろ」
(……え?)
「早くしなさい。このまま何も持たせず出してもいいんだぞ」
男はそう言った。意味が分からない。なんで出て行かなくちゃならない。ここは、僕の家だ。
「……ぁな、で」
「いいのか?この後この家は燃やすぞ?」
それを脳が理解したとき、自然と足が立ち上がった。
(……やだ)
燃やされたくない。オンボロだろうと、ここは僕と母さんの家なのだ。
たくさんの思い出が、詰まってる。
「やぁ、だっ!」
母さんの前に立ち、守るように腕を広げた。
「……」
そんな僕を男は冷たい目のままで見つめる。右手を持ち上げ、人差し指を一本たてた。
そこには、赤い火がボゥッと出てくる。
この男は無言のまま、僕を脅しているのだ。ゾワリと背筋が凍った。
(……早くしないと、燃やされる)
諦めて、大事なものを探し始めた。形見となってしまった母さんのピアスだけだった。他に、大事なものなんてなかった。
(……あ、でも)
いつも母さんが「開けちゃ駄目よ」と言っていた棚だ。
「っ……!!」
中には手紙が入っていた。開けると、文字がびっしり書かれている。母さんの字だ。
でも、今読む時間などない。大事なものを持っていけ、と言った男は僕の大事なものを燃やすつもりなどないだろう。その、はずだ。
玄関の前に立って、しばらく経つと男が口を開いた。
「もういいか?」
「……ん」
軽く頷くと、男が家を出る。僕はそれについていった。
「乗りなさい」
そうやって、男に言われるがまま、僕は馬車に乗った。
それから、一時間くらい経っただろうか。馬車が止まった。
「降りなさい」
そこは、貴族の家だった。
(……なんで)
男はスタスタと中に入っていく。男は一度振り返ってから、また歩き出す。
(……入れってことだよね)
冬になる前だが、今のオンボロの服では寒い。僕は軽く走って、男についていった。
「ここが、お前の部屋だ」
そう言って、無理やり僕を中に押し込めると、男はどこかに行ってしまった。
(……なんなんだよ……?)
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