VIII.図書館の隠し部屋

キードゥル93年4月


今日はノルシュットルの第一領子、ジェラルドとのお茶会だ。

ノルシュットルはレッフィルシュット皇国でも北の領地。北から、ノルシュットル、エミリエール、ヒサミトラールと続く、隣の隣の領地だ。

それにしても――


……お茶会をするのが、図書館だなんて。


そんなこと、アイシェの時に姉――フェルーネや妹――マリナからも聞いたことがない。図書館でお茶会などあり得ないことなのだろう。


「……あら、珍しいこと。ごきげんよう、クリスティーネ・ヒサミトラール様」


図書館に着くと、図書館の司書長、オリエッタが出迎えた。

五十代くらいで、ふわふわおっとりした女性だ。


「ごきげんよう、オリエッタ先生」

「図書館に領主一族がいらっしゃるだなんて……とても珍しいことですわ。……そういえば、本日はジェラルド・ノルシュットル様もいらっしゃっていますね」

「ジェラルド様とお茶会なのです」


そう言うと、オリエッタは「まぁ」と驚きの声をあげる。


「そうなのですね。どうぞ、楽しんでくださいましね」


オリエッタが何度かうんうんと頷く。

そのとき、図書館の奥からこつこつと足音が響いた。


「クリスティーネ・ヒサミトラール様でお間違いないでしょうか?」


ノルシュットルの色、紫色のローブを羽織った少年だ。

クリスティーネは問いに頷く。


「私はジェラルド様の側近です。ご案内いたします」

「はっはい」


少年はそう言って、ローブを翻し、踵を返す。

クリスティーネたちはオリエッタ先生に挨拶をして、その少年についていった。


「こちらです」


図書館の奥――物語が置いてあるコーナーまでやってくると、少年が足を止めた。


……ここ?


「どうぞ、こちらに」


少年が本棚の本をスッと押す。すると、扉のようにガチャリと開いた。


……わ、わぁ。すごい。


アイシェはそれなりに図書館に足を運んでいたのだが、こんな隠し扉があることなんて知らなった。


扉を持っている少年はクリスティーネの後ろを見て、咎めるかのようにそう言った。


「……側近はご遠慮いただきたいのですが」

「……!」

「主を守る側近として、まだ初対面の殿方と二人きりになることは許されません」


イディエッテは黙ったまま目を見開き、レニローネが厳しい顔で、反論する。

少年はレニローネが睨んでいても、平然としていた。


「……そうですか。では、武官一人の同行は認めましょう。どうぞ」

「イディエッテ、わたくしが行きます」


レニローネの言葉にイディエッテはコクリと頷き、クリスティーネたちは中に入った。


「……」


中には濃紺の髪に漆黒の瞳を持つ男性が本を読んでいた。

この部屋はとてもよく光が差し込んでいる。太陽の光だけで、部屋の中が明るいのだ。今日はよく晴れていて、ぽかぽかしている。少し大きめのテーブルがあり、四つの椅子があった。


「ごきげんよう、ジェラルド・ノルシュットル様」

「ようこそ、クリスティーネ・ヒサミトラール様」


ジェラルドは本をパタンと閉じ、漆黒の瞳をこちらに向ける。


「どうぞ」


レニローネに一瞬視線を向け、その後俯くように視線を下げた。

クリスティーネは座り、初対面の挨拶をする。


「出会いを喜ばしく存じます。わたくしはクリスティーネ・ヒサミトラールです。こうして出会えたことに感謝を。よろしくお願いいたします」

「出会いを喜ばしく思います。私はジェラルド・ノルシュットル。以後、よろしくお願いします」


どうやら、ジェラルドはニヤッと笑う人らしい。


「ここは、素晴らしい場所ですね。こんなに光が差し込む場所があるだなんて……。ジェラルド様はここについていつ知ったのですか?」

「お祖母様が司書なんです。幼い頃に話を聞かされて……それで知りました」

「そうなのですね」

「それで、入学してから、よくここに来るようになりました」


ジェラルドは懐かしむように微笑みながら語る。

面白いお話だ。


「ここは落ち着くでしょう?知っている方も少ないものですから」

「はい、お昼寝をしていても気付きませんね、ふふ」

「……っふ、そうですね」


クリスティーネがそう言って笑うと、ジェラルドは吹き出すように笑った。


「クリスティーネ様は本、お好きですか?」

「はい、本を読んでいる間はその中に没頭できますもの。……嫌なことから目を背けるには、ちょうどよかったんです」


思わず、口が動いてしまった。

アイシェ・エミリエールは本を読むのが好きだった。好き、というよりかはそれ以外にできる娯楽が少なかったというのが正しいかもしれない。でも、クリスティーネとなった今でも、本は好きだ。


――何からも目を背けて、その本の中に入ってしまえる。何も考えなくていい。何も聞かなくていい。


そう――思えたから。


「……そうですね。本を読んでいる間だけでも、何も考えなくていいのですから」


ジェラルドは自虐のような言葉にも応えてくれた。


「クリスティーネ様は物語をよくお読みになるので?」

「あぁ、はい。それ以外も読みますが、物語が一番好きですね」

「自分が主人公になったような気持ちになれますからね。私は、考えていたいので、物語の中でも、推理小説をよく読みます」


ぽつり、ぽつりと話すこの会話がとても楽しい。決して派手なわけでも、興奮するようなことでもないけれど、この落ち着いた空間が、とても好きだと思う。





「あぁ、そろそろ時間ですね」


日が傾き、差し込む光が赤く染まり始めたころ、ジェラルドはそう言った。


「〈時の女神〉ティンカは少し仕事を早く終えてしまったのかしら?時間がとても速く感じました」

「そうですね、私もです」


クリスティーネとジェラルドは目を合わせて、軽く笑い合う。


「わたくしもまた、ここに来てもよろしいでしょうか?」

「えぇ、もちろん」

「では、わたくしは失礼いたします。また、巡り合わせがよければお会いできるでしょう」


クリスティーネが立ちあがると、レニローネが先に扉の前に行く。


「クリスティーネ……ここのことは、秘密だよ?」

「……っ!?」

「ふふ」


……耳に何か、何かがっ……!?


耳の近くで低音が響いた。急いで、左手で耳を抑える。


「クリスティーネ様?」


後ろに振り向いたレニローネに不審そうな顔をされる。絶対に赤くなっているであろう熱い顔を抑え、レニローネに続いて、お部屋を出た。


◇◆◇


ジェラルド・ノルシュットルはクリスティーネ・ヒサミトラールが出て行った扉を見つめていた。


優しそうに見えた笑みは消え、無表情な顔をしている。冷酷な雰囲気にも見える顔だと、ジェラルドは知っていた。


「優秀な人間と聞いていたから、堅苦しい人間かと思っていたのだけど。あまりそういう感じでもなかったな」


……私は、父上の命令をこなさなければならないのだ。


父上――いや、ノルシュットルとエミリエールの望みのために。

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