番外編V.初恋の相手 ヤドハロート視点

キードゥル82年8月


「はぁー……やっと帰れる」

「お疲れ様、ヤドハロート」


ヤドハロートの母――ヴィルマが苦笑交じりにそういう。

今日まで一週間ほど、クルーズ家本邸の屋敷の近くにある村を視察しに行っていたのだ。エミリエール内では一番栄えている村らしい。貴族が住むかのような宿泊施設があったり、高い金額が必要にはなるが、平民学校というものもできていた。


……この調子で、他の村も栄えて行ってくれればいいのだが。


宿泊していた施設からチェックアウトをしようとしたときのことだった。

店員は片眼鏡をかけた白髪交じりの初老の男だ。


「あぁ、チェックアウトでございますね。分かりやした。手続しますんで、少々。……あぁ、あのお噂、お貴族様ならご存じですかい?」


ヴィルマは貴族的な笑みでニコリと微笑み、首を傾げた。


「何のお話かしら?」

「あんの忌まわしき〈呪われた子〉、処刑されるらしいんですわ」


……は?


ヤドハロートは一瞬、何を言われたのか理解できなかった。それは、ヴィルマも同じで、固まっている。


「……それは、本当か?」

「えぇ、はい。クルーズ家の近くのご当主様がおっしゃってましたんでねぇ。本当かと思いますよ。……あ、終わりましたで」

「……失礼する」


ヤドハロートとヴィルマは急いで、宿泊施設を出て、乗合馬車に飛び乗った。ちょうどこの辺りで降りて行く者が多かったらしく、中に人はいない。


「母上、これはどういうことですか!?アイシェが……アイシェが処刑されるなど!」


ヤドハロートは、こちらを見て眉を下げ笑うアイシェの姿を思い浮かべながら、怒鳴った。

ヴィルマは冷静にこちらを睨んで言い放つ。


「わたくしが知っているとでも?アイシェ様はメディナ様から託されたお方。貴方ほどでなくても、大切に想っている気持ちは大きいわ」


その言葉に、返す言葉が見つからなかった。


「すぐに帰るわよ。早く……早く」



それから、城付近の別邸に戻ったのは数刻後の夜のことだった。


「……母上、私は城に行ってきますが、よろしいですか?」

「えぇ、行ってきなさい。ローゼット様か、フェルーネ様からならば、まともな情報が得られるでしょう」


私は馬に乗り、急いで城に向かった。


「……はぁ、はぁっ」

「そこの者、そこで何をしている?」


馬を馬小屋に置くと、後ろから話しかけられた。振り向くといたのは仕事中であろう武官たちがいた。


「……あの、ローゼット・エーデルはどちらに?」

「ん?ローゼットか。屋敷に戻っていたと思うが……」

「ありがとう存じます!」


武官にそう言い残し、また馬に飛び乗って、ローゼットの屋敷――エーデル家に向かった。


エーデル家につくと、ローゼットが出迎えた。今日は非番なので、武官の格好ではない。


「……アイシェ様のことだろう?中に入りなさい」

「あ、あぁ


ローゼットは黙ったまま、自室にすたすたと歩いていく。ヤドハロートも黙ったままだった。

部屋につくと、ローゼットが扉を開け、中に入った。完全に窓も、扉も全てを締め切っている。話を外に聞かせないためだろう。


……あぁ、雨が降ってきたな。


外からザァーザァーと雨音がし始めた。馬は大丈夫だろうか?


「アイシェは、どうした?」


ヤドハロートはいきなり本題に入る。ローゼットは黙った。そのまま虚ろに城の方を見て、ポツリと呟くように話す。


「……噂は聞いたか?」

「あぁ」


そう前置いて、話し始める。

アイシェがマリナ様を殺そうとしたこと。それで、最も罪が重い地下牢にいたこと。もう処刑されてしまったことなどを知った。


……アイシェがそんなことをするわけがない!


理解できなかった。いや、したくなかったという方が正しい。


「フェルーネ様は?」

「フェルーネも抵抗はしていた。メディナ様からも頼まれていたらしいし。でも、領主もトール様も全く聞く耳を持たなかったらしい。……本当に、あの人たちはマリナ様ばかり贔屓にする」


……そうだ。マリナ様は美しいだけで、努力をしていない。アイシェはいつも努力していたし、仕事も頑張っていた。


どちらも、黙った。


「……」

「……」


……なんで、アイシェは、死んだんだ!あの子はそんなことをするはずがない!アイシェは優しくて、そんな愚かなことを考える子じゃない!


だんだんふつふつと怒りが湧いてきた。


……アイシェに全部、全部、頼っていたくせに!冤罪を吹っ掛けることができると知ったら、すぐに手のひらを返すなんて!


悔しい。あんな奴らに、あんな優しい少女が、殺されてしまったことが。

おかしい。こんな容姿だけで、勝手に決めつけられていることが。あの子は――アイシェはあんなにも綺麗なのに。〈カラスの子〉でも〈呪われた子〉でもないのに。


……真実を、知りたい。アイシェはこんなことをしない。絶対にだ。


「……どうする?」


ローゼットが静かに問う。


「とりあえず、帰る」

「は?こんな雨の中で?風邪をひくぞ」

「いい」


そう言って、部屋を出て行った。馬には申し訳ない。

雨の中、馬に乗って、領都の屋敷に戻った。


「……ヤドハロート!こんな雨の中帰ってきたの?すぐに湯浴みなさい」


玄関で待ってくださったヴィルマが心配してくれる。


「……母上、アイシェは、アイシェは……!!」

「いいの。言わないでいいわ」


ずぶぬれのヤドハロートをヴィルマがそっと抱きしめる。


「は、はうえ、ぬれます」

「いいの……いいのよ」


……あぁ、なんて私は母に恵まれたのだろう?


「とりあえず、湯浴みしてきます」

「えぇ、後でゆっくり、ゆっくり話しましょう」


介添えに湯浴みをさせてもらい、久しぶりにヴィルマの自室に向かった。

ヴィルマとヤドハロートが話すことは多かったが、仕事もあり忙しく、自室に入ることは少なかった。


「ヤドハロート」


最近ほとんど聞かなかった声が耳に届く。


「……父上」


ヤドハロートの父――アーロンだった。アーロンはヴィルマと違って、話すことが少なかった。なぜなら、アイシェを嫌っていたから。他の者と同じで、〈呪われた子〉などという噂を信じる人だ。


……その方が、クルーズ家にとって有益だから。


「……何でしょう?」

「そろそろ寝るのか?」

「いえ、母上の部屋に」


アーロンは「そうか」とだけ言って、来た廊下を戻って行った。


……なんだったんだ、今更。


ヤドハロートはヴィルマの部屋をノックする。


「来たのね。どうぞ」


ヴィルマが出迎えてくれる。ヴィルマも湯浴みを終えたようだった。


「これから、どうする?」

「……どう、とは?」


少し嫌な言い方になってしまったかもしれない。


「アイシェ様についてよ。亡くなった、という事実はもう覆らない。でも、何か――何かできることはあると思うの」


ヴィルマは懐かしむかのような、寂しい表情でそういった。


「……そうですね」


……ならば、私はアイシェが、マリナ様を殺そうとしたなんて言う冤罪を暴きたい。


「母上」

「なに?」



「……私――ヤドハロート・クルーズは、アイシェ・エミリエールが冤罪だったということを証明します」


ヴィルマは「そう」と微笑んで短く頷いた。


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