番外編I.リック・オルコットは話をする
キードゥル80年7月
私はリック・オルコット。貴族には珍しい一人っ子だった。
「リック!」
「父上!母上!」
私は自分を呼んでいる父上と母上に抱きつく。皆で笑う。幸せだ。“幸せだった”。
……いつまでも、この幸せが、続くと思っていたんだ。
◇◆◇
十一歳の頃だっただろうか。
イダニアは当時、次期領主を争っていた。第一領子と第二領子。熾烈な争いだった。オルコット家は第二領子派。第二領子派は中級貴族が多く、その中でもオルコット家は影響力の高い家だった。第二領子の中では唯一、上級貴族のグラント家。同い年に、レスティアーネという女の子がいたのは覚えている。
そんなとき、父が死んだ。第一領子派に殺されたのだ。父も母も私もあまり魔力は多くないし、強くないのだ。対抗できなかった。
なのに、父を殺したヤツはたった一年くらいの懲役だけだった。
父が死んだことで、第二領子派の影響力は落ち、次期領主は第一領子に決まった。
それから、私の生活はガラリと変化した。
家に帰っても、母しかいない。使用人は解雇した。雇えるほどのお金はもうないのだ。
母は一日中、家にいた。仕事は全てやめてきたらしい。母はお酒に溺れるようになってしまった。
母は、狂ってしまったんだ。
母が仕事をやめてから、生活費を賄うことが困難になった。だから私は計算仕事の手伝いで、ほんの少し貰える稼ぎを収入にした。それを始めても、二人分の生活費を全て払うのは難しかった。
「あの……レスティアーネ様、計算仕事って、今日もありますか?」
「あぁ、リック。あるわよ。お父様が、貴方の仕事ぶりは正確で凄いって褒めていたわ」
「え!?ありがとう存じます……!」
レスティアーネ様のお言葉は自分が認められたような気がして、とても嬉しかった。
「それとね、これ、事前報酬」
レスティアーネ様が私に封筒をくださる。少し厚い。開けてみると、お金が入っていた。それも、一日は食べ物に困らない量。ただ計算しただけで、これだけの量はおかしい。
「こんなにいただけませんっ!」
「ううん。投資だって、貴方の未来への」
「……ありがとう、存じます」
こうして、貴族学院にいる間もお金を稼ぎ、家に送っていた。母ならば、平気で食事を抜くと思ったからだ。
でも、貴族学院が夏季休みの間は問題だった。今までは、自室を出れば誰かしらの貴族に話しかけることができたけれど、夏季休みに入ると、そうもいかない。
「困ったなぁ……」
「何が?」
後ろから声をかけてきたのはレスティアーネ様だった。
「いえ、夏季休みに入ると、計算仕事のお手伝いが難しくなりそうだな、と思いまして」
「あぁ、確かにね。夏季休みって楽しいけれど、貴方にはそういう弊害もあるもの。……じゃあ、グラント家で働かない?」
「え?」
レスティアーネ様が「いいこと思いついた~。我ながらナイスよね!」といって笑う。
……『ないす』とはなんだろう?
それはともかく。
グラント家で働ける、というのはとても大きい。夏季休み期間、収入が皆無になるのは避けたいから。それ以外に働くとしたら、城くらいだけど、元第二領子派だった私たちはあまり第一領子派からはよく思われていない。行っても追い返されるか、低賃金で働くことになるだろう。
「お願いしてもよろしいでしょうか」
「えぇ!お父様にもお伝えしておくわ。夏季休みが始まったら、グラント家に来てね」
「分かりました」
こうして、夏季休み期間中はグラント家で働くことになったのだった。
夏季休み初日。私は乗合馬車でグラント家に行った。レスティアーネ様がいる。
「お、おはよう存じます、レスティアーネ様」
「おはよう、リック」
レスティアーネ様に案内され、屋敷に入る。豪華で清潔感に溢れた家だ。
……ちょっと緊張するなぁ。
「ふふ、緊張してるの?大丈夫よ、お父様は貴方のこと、結構気に入っているから」
「そ、そうですか」
レスティアーネ様が「ここよ」と言って足を止める。それから、ノックをして、「失礼いたします。レスティアーネです。リックをお連れしました」と話す。
「入れ」
後ろをついてきていたレスティアーネ様の介添えが扉を開け、中に入る。
中には男性が執務机に座って、スラスラと何かを書いていた。多分、レスティアーネ様の父君、オレール・グラント様だろう。レスティアーネ様は父親に似ているらしい。
……文官がいないな。なんでだろう?
ここにいるのはオレール様のみ。下級貴族ならともかく、上級貴族は文官を雇うものだ。
「よく来たな、リック」
「出会いを喜ばしく存じます、オレール様。リックです。これから、よろしくお願いいたします」
跪いて挨拶をする。オレール様は軽く笑った。
「堅苦しい挨拶はよい。其方は優秀だからな。私は認めた人間ならば、敬意を払う。其方にもだ」
「勿体なきお言葉、ありがとう存じます」
こうして、グラント家での仕事が始まった。
そうしてグラント家で仕事を続けてたある日だった。帰り際にオレール様に名を呼ばれる。
「リック」
「はい」
レスティアーネ様に封筒をもらう。大きい封筒だ。中には何枚かの紙が入っているのが手触りで分かった。
「これは……何ですか?」
「紙が入っているから、よく確認するのよ。家に帰ってから見て、母君に相談しなさい。答えは急がないわ。」
レスティアーネ様に見送られ、封筒を持って、屋敷を出た。
「じゃあ、また明日」
「はい、レスティアーネ様。また明日」
乗合馬車に乗って帰る。馬車にはほとんど人がいなかった。
……人はいないし、見てみようかな。
「何が書いてあるんだろう?」
封筒から一枚の紙を取り出す。その紙には……
「養子、縁組?」
グラント家と私の養子縁組をする書類だ。他の紙では養子縁組のことを説明している。
……母上は喜んでくださるのではないだろうか。
上級貴族との養子縁組だ。こちらにも利益があるような条件が多い。
「帰ったら、母上とご飯を食べよう」
平民街によって、食材を買う。母上が好物だったものだ。
家に帰って厨房に行った。レシピを思い出しつつ、鍋を混ぜたり、野菜を切ったり。ちょっと大変だったけど、頑張った。最近はご飯をまともに食べていない。これだったら、少しは食べてくれないかな。そんな淡い期待だった。
出来上がったのはあまり形がいいとは言えないものだった。野菜の大きさはバラバラ。場所によっては焦げている。これまで、料理は作ったことがなかった。平民街にあるすでに料理されたものを買っていたからだ。
……こんなので、食べてくれるのかな。
だが、できなかったものは仕方ない。これからはもっと
できた料理と養子縁組の書類を持って母上の部屋に行く。ノックをして、声を掛ける。
「母上、一緒に……ご飯を食べませんか?」
中からは何の声も聞こえてこない。私は言葉を続ける。
「母上の好物を作ったんです。一緒に食べてください」
そうして、何回か言葉を続けると、カチャリと扉がほんの少し、開いた。顔色のが悪く、随分とやつれた母上が顔を見せる。母上がポツリと呟くように話した。
「……入りなさい」
「はい、失礼します」
中はあまり綺麗と言えたものではなかった。ガラス製のものがたまに割れて破片になっているし、床は埃っぽい。
「……ここでいい?」
母上はぼそぼそと呟くように話す。でも、会話してくれることが、私を中に入れてくれたことが、嬉しいのだ。
私は頷く。母上の前に料理をおいた。
「〈料理の神〉ルーゴデアオに感謝を。いただきます」
私が食べ始めると、母上が細い指先を動かして、ほんの少しスープをすくう。
「……お、いしい」
「……!!良かったぁっ……」
それからも、少しずつだけど、食べていく母上に口角が上がっていくのを止められなかった。嬉しい、そんな感情が心を満たす。
食べ終わり、私は紙を取り出した。
「あの、母上。お話が」
「……何?」
紙を手渡し、説明する。
「グラント家から養子縁組の話です。こちらにとても優遇してくださってて、好条件なんです!駄目ですか?」
「……駄目」
「え!?」
予想外の答えだった。断るなんてあり得ないくらいに好条件なのに。
「なんでですか!」
「駄目といったら、駄目。貴方はわたくしの息子」
「そんなの、養子になったところで変りません!」
「そんなわけないでしょ!公の場では貴方を息子とは呼べないの。それは貴方もよ!」
「わかってます!それくらい我慢すれば、母上は楽に過ごせるんです!」
喧嘩。したくはなかった。でも、それがエスカレートしていくうちに、息が苦しくなりだした。
母上の瞳を見ると、いつものオレンジの瞳が赤色に変わっている。
「貴方はずっとここにいて!」
「ひゅっ」
息が苦しい。首を占められているような感覚だ。母上の魔力暴走だろうか。今までは魔力が暴走するなんてことなかったのに。母上の手元にはいつも嵌めている指輪がない。なくしたのかもしれない。
……もう、駄目。
倒れた。感覚が消えていく。母上が駆け寄ってきて涙を流す。
「リック、リックぅっ!!」
そう言われるたびに、少しずつ苦しさが増す。
「ははっ、うえ……」
キードゥル82年8月30日、私は死んだ。
……レスティアーネ様との約束、守れなかったなぁ。
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