X.ヒサミトラールの領主一族
キードゥル88年4月
「フィルオーナ、ここは何に使われている場所なのですか?」
クリスティーネは書類の中に城の地図が書いてあるのを見て、そう言った。エミリエールにはなかった部屋だ。
「あぁ、ここですか?図書室ですよ。一階も同じように図書室です」
「図書室?」
……へぇ、エミリエールにはなかったなぁ。
「良ければ、行ってみますか?」
「はいっ」
クリスティーネは書類仕事を終わらせてから、レトルートに書類を提出し、図書室に向かった。
「わぁっ!」
図書室の三面の壁は全て本棚だった。大量に書物が並んでいる。
「ここにはヒサミトラールの歴史や地理が多いです。どちらも学んでおくべきでしょう。一階には物語などの本が多いです」
「そうですね……」
地理も歴史も自領の者ならば、絶対に知っておかなければならない、いわば常識だ。
「……ここの本って、借りることは可能ですか?」
「はい、手続きは必要ですが」
歴史書が並んでいる本棚を見る。
ヒサミトラールはレッフィルシュット皇国の中でも、歴史が深い。反対にエミリエールは皇国の中でも、最も新しい領地だ。元々はレスティニア王国、という小国だったからだ。そのため、反乱分子も多い。
話は戻るが、歴史の本は多分百冊くらいある。二十年単位で管理しているはずなので、二千年は歴史が残っているのだ。
……最近のものから読もうかな。
最新の本をとる。キードゥル70年から90年までのものだ。パラパラと捲ると、最後のほうはまだ空白である。
「……フィルオーナ、この本を借ります」
「かしこまりました。帰りにレトルート様に許可をもらいましょう」
クリスティーネとフィルオーナは図書室を出て、レトルートの執務室に立ち寄った。
「お父様、この本を借りてもよろしいでしょうか?」
「う?何の本だ?」
「【ヒサミトラールの歴史 キードゥル70年~90年】です」
本の表紙を見せて、読み上げると、レトルートは驚いた顔をする。その後、少し笑って、許可を出してくれた。
「そうか。良いぞ。許可を出そう」
「ありがとう存じます」
部屋に戻ると、フィリアーネがオロオロ涙目で考え事をしていた。「どうしよう……どうしよう……」と呟いているのがかすかに聞こえる。
「何かあったの、フィリアーネ?」
「クリスティーネ様、お母様。その、見てください、これ」
フィリアーネが指を指した方向には手紙の山があった。
「……これは、何通ほど?」
「えーと、三十五、いえ、三十六だったはずです」
「今日は一日中、分別して、お返事を返すことになりそうですね」
フィリアーネは「ですね……」と言って、クリスティーネたちは分別に取り掛かる。
まず、フィリアーネが分別。それをフィルオーナが確認。クリスティーネがお返事、という感じで分担した。
最初は良かったが、次々に手紙が溜まっていくので、手早く綺麗にお返事を書くのは大変であった、実に大変である。
◇◆◇
「ふぅ、お疲れ様です」
「そろそろ、夕食ですね」
フィルオーナの言葉にクリスティーネたちは「ハァ……」とため息をつく。それを見て、フィルオーナが呟いた。
「……疲れたのは分かりますが」
ゆっくりとした歩みで、食堂に向かう。すると、後ろから誰かに軽くクリスティーネの肩を叩く。
「わっ!」
いつもなら軽く揺れるくらいだったが、今は非常に疲れている。ふらつくのは当然だった。
そのまま、抵抗できるはずもなく、前に倒れていく。すると、バッと手が出てきた。クリスティーネはそこに倒れる。
……力強い手だなぁ。
「っ……よっと。大丈夫?」
「あー、お兄様……」
虚ろに視線を上げると、金髪を揺らしたミカエルが立っていた。とても焦ったような表情をしている。支えてくれたのはミカエルだったらしい。
クリスティーネはミカエルから離れ、軽くふらつく頭を抑える。
「だ、大丈夫です」
「ごめんね、クリスティーネ。そこまで疲れたとはしらず。……フィルオーナ、フィリアーネ、これはどうしたの?」
「お手紙のお返事を書いていただいておりました」
「なるほどね。社交デビューの後って大量の招待状が来るから……」
ミカエルがため息をついて、頷く。
そのとき、フワリと体が浮いた。
「へっ!?あ、ぁお兄様っ!?」
ミカエルがクリスティーネを抱き上げたのだ。顔が近い。クリスティーネは知らないが、いわゆるお姫様だっこ、というやつである。
……ヒサミトラールの領主一族は顔が綺麗で整ってるの!困るって!
「この方がいいでしょ?」
ミカエルは悪戯っ子のように笑った。
結局、クリスティーネはミカエルにそのまま食堂まで運ばれてしまった。
食堂にはアイリス、レトルート、リュードゥライナ、とすでに全員が揃っていた。
「ごきげんよう、二人共。遅かったのね」
「申し訳ありません」
「いいのよ。さ、食べましょう」
夕食を食べ始める。お返事を書いているときは休憩をあまりしていなかったので、夕食がすごく美味しい。
「クリスティーネ、招待状が大量に来たと思うが……部屋にはどれくらいの量が届いた?」
「えぇと、三十六枚、です」
「わぁ、多いね。私のときは二十八、いや、二十七くらいだったかな」
「クリスティーネは目立っていたからねぇ。それでも、元々の量よりは減っているのだけれど」
「え?」
衝撃発言である。それでは一体、元々どれくらいの量が届いていたのか。考えたくもない、頭の痛くなる話である。
「一応、わたくしが危険人物と判断した者は既に燃やしてあるのよ」
アイリスは笑顔で微笑んでいるが、少々物騒だ。
……そうは言っても、そこまで燃やされた量はないだろうけれど。
ヒサミトラールは至極平和だ。今のところ、大きな問題もない。とてもよい領地である。
早々に夕食を切り上げ、お部屋に戻った。湯浴みを済ませ、ベッドに入る。
「おやすみなさいませ、クリスティーネ様。〈夢の女神〉シュラーレゼヌのご加護がありますように」
「えぇ、貴女も」
フィリアーネがベッドカーテンを閉める。クリスティーネは隠して持ち込んだ歴史書を開いた。
開いたのは十四年前だ。
【ルネーメヌ・ミーティリジアがレトルート・ヒサミトラールの婚約者として、城に滞在する】
……ルネーメヌ……。
「前領主夫人、か」
アイシェとしては、一度見たことがある。ミーティリジアという島の領地の領主一族だ。確か、当時は第二領女だったはず。今は、当時の第一領子が領主であるため、領主の妹、といったところか。
そして――ミカエルの母。クリスティーネとミカエルは、異母兄妹なのである。
……頭では分かっていた。けれど、心が真実を突き付けることを拒んでいた。
「なんでだろ……?」
知ったところで、ミカエルとクリスティーネは何も変わらないのに。
なんとなく、少し落ち着いた気がする。
次を読み進めていく。事件やら、大きな貴族が亡くなったとか。そんなことが続く。そうして、十年前にまでなる。
【レトルート・ロード・ヒサミトラールとルネーメヌ・リエ・ヒサミトラールの子。第一領子、ミカエル・ヒサミトラールが生まれる】
ミカエルが生まれた年だ。
そうして、すらすらと――とは言えない文字があった。ミカエルが生まれてから、三年後。つまり、クリスティーネが生まれる一年前の話だ。
【ルネーメヌ・リエ・ヒサミトラールが亡くなる】
違う。その前。
――魔力で、塗りつぶされている。一見何も書かれていない不自然なだけの空白だ。でも、あの部分だけは手触りが違う。そうとう大きな魔力を使わなければ、ここまで自然にはならない。
……なんだろう?ア、アリ…シ、いや、ス…。アリス、かな?その後はもっと濃い魔力で消されている。これ以降は読めないな。
何が、書いてあるんだろう。知りたい。でも、公表もせず、この正式な歴史書をほとんどの人間が読めないレベルで消す。そうとうな機密情報だ。
……教えられるまでは、知らない方が得策だ。
クリスティーネは本を閉じ、眠りについた。
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