VI.フィルオーナ・シェジョルナは元我が儘主に絆される

キードゥル88年3月


「はぁっ、はぁっ……」


静かなお部屋に苦しそうな息の音だけが響きます。

高いベッドで寝ているのはヒサミトラールが第二領女、クリスティーネ・ヒサミトラール様。

わたくし――フィルオーナ・シェジョルナの仮の主です。


普段は高慢でわがままなのですが、寝ていると熱が出ている時ばかりはそれがなくなり、いつもホッとしている自分がいます。


しばらく窓を拭いたりしていると、クリスティーネ様が暑さで目を覚ましたようでした。


「フィルオーナ!水をっ、とってきなさい!あたくしが暑そうなのが見えま、せんのっ?」

「申し訳ございません。すぐに行って参ります」


淡々とそう返し、わたくしはお部屋を出ました。


(アイリス様が大切に育てていらしたのに、どうしてこうなったのでしょう?)


アイリス様はわたくしの主です。クリスティーネ様をお産みになったあと、ご自身の介添えからわたくしをクリスティーネ様の仮介添えとしてつけました。


「もう、嫌です」


水を取りに厨房へ行くと、昼食の準備をしている料理人たちがいました。

下級料理人の女性が話しかけてきます。


「あらまあ、フィルオーナ様。今日もクリスティーネ様の我儘かしら?」

「いえ、今日は熱を出しているので。お水を取りに」

「……我儘だと思いますけどね」


苦笑交じりに笑う料理人にお水を取ってもらい、クリスティーネ様の自室に戻りました。


それなりに熱が治まったのでしょう。

領主とアイリス様に似て綺麗な顔立ちに生まれた顔がスヤスヤと眠っています。


隠し持っていた本を手に取りました。時間の暇つぶしに使いたいところですが、何もしていなくても、難癖をつけてくるのがクリスティーネ様なので、こういうときにしか読みません。


その本も数時間立てば読み終えてしまい、移動している間にクリスティーネ様が起きてしまうと困るのでわたくしはボーッとしていました。


「ここ、どこ?」


そんな呑気なことをおっしゃって、こちらを見て怯えるような顔をするクリスティーネ様にわたくしは違う人間になったのかとすら思いました。前のような高慢さもわがままもなく、ただ怯えるようにこちらを見上げ、「フィルオーナ様」と呼ぶ彼女。


「……貴女は、以前とは全く異なる人間なのですね」



◇◆◇



「フィルオーナ、報告を」


クリスティーネ様が寝静まった頃。わたくしは主、アイリス様の自室にいました。


「はい。といっても、先程、夕食でご報告したことが全てですわ」

「そうなの。そういえば、あの子に書類仕事ができると、本当に思う?以前のクリスティーネと今のクリスティーネが違うことは認めましょう。あの性格の悪さ以前にクリスティーネは五歳の子供。できるはずがないわ」

「わたくしも、そう思います。ですが、クリスティーネ様には絶対的な自信があるように見受けられました」

「……よく観察して、報告は絶対よ。怯えているように見せかけているだけかも。あり得ない話ではないわ」

「かしこまりました」


わたくしはアイリス様の自室を出て、城から出ました。



◇◆◇



わたくしたちの予想とは裏腹にクリスティーネ様は貰っていた書類を完璧に仕上げました。

執務室に届けに行ったときも、領主やディーリト団長も凄く驚いていらっしゃる様子でした。

相変わらず、体力がないのは変わらないらしく、城内を歩くだけで息切れをしていました。

その後も花に魔力の付与を与えるという難しいことをやり遂げたり、予想外の出来事ばかり起こっていくのです。


(……あの時は本当に、驚きました)


でも、その頑張る姿に応援したくなるような、健気さを感じるのです。



◇◆◇



屋敷に戻ると、夫の姿はありません。本日は泊まりだと聞いていました。


「おかえりなさいませ!お母様」

「ただいま、フィリアーネ」


屋敷の中に入ると、可愛らしい娘が待っていました。クリスティーネ様と同い年の娘。


フィリアーネと手を繋いで、家族部屋にいくと、わたくしの息子――レオンが本を読んでいます。


「おかえりなさい、母上」

「ただいま、レオン。何の本を読んでいるの?」

「経済の本です」


まだ十歳になったばかりだというのに大人びた息子に驚きつつも、ソファーに座って、少し休憩をします。フィリアーネが真似をするように隣に座りました。そうすると、レオンがテーブルに本を置き、尋ねます。


「母上、クリスティーネ様はどういうことなんですか?」

「知っているでしょう?記憶喪失だって」

「領主から聞くと、書類仕事もこなしているそうじゃないですか。今までそんなことをするなんて、皆無だったのに。おかしいと、そう思わないんですか?」

「思うわ。けれど、それを知ったところで、別にどうにもならない。クリスティーネ様が変わってくださったなら、領地に利益を与えようと言うのならば、全力でサポートすることがわたくしの役目なのだから」

「……母上の考えていることは理解しました。でも、出し抜かれないようにしてください。本当に嘘をついていないか、なんて分かりませんから」

「そうね」


心配してくれているレオンと言っていることが分からずに困惑しているフィリアーネ。


「さ、二人共、もう寝なさい。明日に響くわよ」

「はい、母上。失礼いたします。〈夢の女神〉シュラーレゼヌの良き眠りと夢があらんことを」


レオンが自室に戻っていき、フィリアーネはわたくしの手を握って、子供部屋に向かいます。


「ねぇ、お母様。クリスティーネ様って、どんな人なんですか?」

「今は……優しい方よ」

「へぇ!会ってみたいです!」

「そのうち会わせてあげる」


飛び跳ねて「やった!」と喜ぶフィリアーネをわたくしは寝かしつけました。


(……どうか、これだけは嘘ではありませんように。わたくしは……クリスティーネ様に――彼女に絆されている)


馬鹿みたいでしょう。あれだけ、疎ましい存在だったのに。

それなのに、わたくしはいつの間にか、そんなことを思うようになっていました。


「そろそろ、フィリアーネと会わせるのも良いかもしれませんね」


今のクリスティーネ様とフィリアーネが仲良くなるところを想像して、クスリとわたくしは笑いました。

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