V.新しい日常 後編
キードゥル88年3月
「失礼いたします」
フィルオーナに扉を開けてもらい、クリスティーネたちは執務室に入った。
クリスティーネがここに来たことに驚く者が大半を占める。
「何の用だ?遊びに来たのではあるまい」
「しょ、書類を提出しに来ました……」
「随分と早いな。エットルトが言っていたことは本当だったのか……?まぁ、良い。ラシェル、確認を」
「かしこまりました」
レトルートに預けた書類をラシェルと呼ばれた文官が確認していく。
しばらく目を通すと、「完璧です」と言って、レトルートに書類を返した。
「……そうか。クリスティーネ、助かった。礼を言おう」
「へ、あ、いえっ。明日もやりますので、また書類を持ってきてくださるとありがたいです。確認も終わったようですし、わたくしは失礼いたしますねっ」
クリスティーネはレトルートに睨まれているような気がしてそそくさと執務室を出た。
自室につくと、クリスティーネはゆったりとベッドに沈み込む。
「お疲れ様です、クリスティーネ様」
フィルオーナが声をかけてくれる。こうして、書類仕事をしたことを褒められるのは嬉しい。
昼食を手早くいただく。やはり、ヒサミトラールの食事は美味しい。
「散歩に庭に出ようかと思ったのですが、どうなさいますか?お疲れでしょう」
「……いえ!頑張ります。決めた今日に終わるのでは三日坊主どころではありませんもの」
「無理はしませんように」
少し休憩したところでフィルオーナとお庭に出た。
花が咲き誇っていて、とても美しい。庭師が凄く頑張っているんだと思う。
「とても綺麗ですね……。それにとても広いです」
「そうでしょう?ヒサミトラールはレッフィルシュット一、城の庭が広いのです」
フィルオーナが自慢するように笑う。それにつられて、クリスティーネも笑った。
「あと、少し森を奥に進むと、花畑があるのです。今日はそこに行きませんか?」
「……お花畑。いいと思います」
森を進んでいく。途中で、猫のような魔物がでてきた。本来は狼ほどの大きさのはず。だが、馬くらいの大きさだ。
(……えっと、キャーティルド?)
アイシェが本で読んだときの記録とは大きさが全く違う。
「クリスティーネ様、下がってくださいませ」
フィルオーナが杖を出して、前に出る。
「マーギッシュカフ」
フィルオーナが攻撃を打ち出すと、キャーティルドはジャンプして避ける。キャーティルドの背後にあった木が代わりに大きな穴が空いた。
「ツィルーフリア」
出てきた木の枝がキャーティルドに刺さります。花の魔法です。
「キャシャーッ!」
キャーティルドは大きな声を上げて、森の奥に逃げていった。
逃げていくのを見届け、フィルオーナがフッと安堵の息をつく。
「大丈夫ですか、フィルオーナ?」
「わたくしは。キャーティルドが魔法を使わなくて良かったです。クリスティーネ様こそお怪我はありませんか?」
「はい。フィルオーナ、ありがとう存じます」
「お安い御用です。さ、花畑はこの先です。行きましょう。木に関しては後で領主に報告いたしますから、心配なさらなくて結構ですよ」
木々が植えられていない、開けた場所に出た。風が吹き、様々な色の花びらが舞う。
(わ、わぁ……っ!)
「綺麗、ですね」
足元を見ると、紫紺の百合が咲いているのが見えた。
(……アイリス様の瞳みたい)
しゃがんで、近くで見ると、尚更そう思う。アイリスのことをよく知っているであろう、フィルオーナに問う。
「フィルオーナ、アイリス様はお花、好きかしら?」
「……えぇ、とても」
フィルオーナが少し驚いたような悲しいような様子で答えます。
「……プレゼントしたら、喜んでくださるかしら」
(……魔力の付与を与えるのも良いかもしれません)
紫紺の百合を摘み、いくつか他の花も摘んだ。
「お部屋に戻ります」
「かしこまりました」
花が萎れたら無駄になってしまうので、早めに戻りたいところである。
「フィルオーナ、わたくしの属性って何なのですか?」
「……全属性です」
「ふぇ?」
花か水だと思っていたので、驚いて声が出なくなった。
(……ぜ、ぜん、全属性ということは、光、闇、水、花、土、火、風、雷……八つ全て、ということ!?)
当たり前のことを考えてしまい、よく分からなくなってきた。
(と、とりあえずは光の属性があるので、良しとします!!)
光の付与は幸運を与えやすい特徴がある。これが一番だろう。
クリスティーネは部屋に戻り、フィルオーナに花瓶とリボンを取りに行ってもらった。
「えっと、お祈りは……」
お祈りの言葉を思い出します。
「まずは練習ね。……〈光の女神〉シャルフェール。ヒサミトラールの第二領女、クリスティーネ・ヒサミトラールの名に答え、我が親愛なる者へギフトを届けよ。〈治癒の女神〉スティオレーナ、〈知識の女神〉メルネティアンネ、〈美の女神〉ルーティアン、〈時の女神〉ティンカの祝福を」
花に魔力を込めていくと、様々な色にキラキラと光る。
(……失敗)
光以外にも邪魔な魔力が混じってしまっている。魔力が二つ以上なければ、分ける必要がなかったのだが、慣れるまでには時間がかかりそうだ。
「只今戻りました」
「持ってきてくださってありがとう存じます」
「何をなさっているのですか?」
「魔力の付与です。魔力を分けるのは難しいです」
「……なるほど。魔石を使って練習しますか?」
フィルオーナが空の魔石を渡してくれる。クリスティーネは「ありがとう存じます」と言って魔石を受け取った。
花が枯れてはいけないので、花瓶に花を入れておく。
魔石に魔力を込めていくと、光を象徴する金の色に黒い粒のようなものが浮いています。これが、他の魔力が混ざっているということだ。
何回か魔石から魔力を抜いたり、込めたりしていると、やっと他の魔力の残滓がなくなった。これで、花への付与もできるようになるだろう。
紫紺の百合を手に取り、祈りをしていく。
祈りが終わると、百合が先程より美しくなっているように見えた。気のせいかもしれないが。
他にも摘んでいた花にも付与をつけていく。全部終わった頃には魔力がそれなりに減っていた。
「凄いですね。魔力数量はまだ測れていませんが……とても魔力が多いことだけは実感できますわ」
「ありがとう存じます」
確かに自分でもここまで魔力を使ったのにも関わらず、あまり魔力が減っている感じがしない。
リボンで花の茎の部分を括り付けた。
「完成っ!」
「可愛らしいですわね。アイリス様に届けますか?」
「はい、花が萎れてしまっては元も子もありませんもの」
同じ三階にあるアイリスのお部屋に向かいます。
「アイリス様、クリスティーネ様です」
フィルオーナがそう言うと、少しして、女性が出てくる。深い青の瞳をしていた。
(……誰かに似ている?)
「まぁ、ごきげんよう、クリスティーネ様、フィルオーナ。あぁ、自己紹介をしなければならないのでしたね。わたくしはマイナ・アレクサンドですわ」
「マイナ・アレクサンド?」
(……エットルト様と同じ名字――ということは)
「お、ばさま……?」
「まぁ、よく分かりましたわね。わたくしはレトルートの姉ですの。これからよろしくね、クリスティーネ」
「誰かに似ているのか、と思ったら、エットルト様とレトルート様のこと、だったのですね」
「まぁ、エットルトに会ったことがあって?あの子に困らされていないかしら?」
マイナがクスクスと笑いつつ、こちらを見つめる。エットルトの忠誠心のことをおっしゃっているのだろう。けれど、絶対的信頼があるので裏切られない、という自信があるだけでも、主にとっては心強いと思う。
「忠誠心が……大きいことは、れ、レトルート様にとって、とても心強い味方になると思います」
「ふふ、大人びた考え方だこと。あぁ、話がそれましたね。申し訳ないのですが、アイリス様はいらっしゃいませんの。急用がございまして。クリスティーネ様はどうなさったのですか?」
「え、えっと、お花をプレゼントしようと思いまして」
マイナに見えるように少し高い位置に花束を抱える。花束を見て驚いたようにマイナが軽く目を開いた。
「……何故、
「えっ?アイリス様の瞳の色に似ていたので……。もしかして、アイリス様は百合、嫌いだったでしょうか?それなら、他のお花を摘んできます」
「いえ。そのような必要はございません。アイリス様はお喜びになるでしょう」
「そうですか……。それなら、良かった」
マイナは笑って、「アイリス様にお渡ししておきましょう」と言ったので、クリスティーネは花束を預け、自室に戻った。
自室に入ると、緊張が解けたかのようにどっと疲れがのしかかる。
(……いつの間にか、この場所が安心できる場所になっていたのね)
フラフラと椅子に座り、羽ペンを握ろうとした。
頭がカクン、カクンと落ちてきて、瞼が落ちて行った。
◇◆◇
「――ませ。――くださいませ。起きてくださいませ」
「ふぁいっ!ごめんなさい、寝てしまって申し訳ございませんっ!今すぐに続きを――」
「何の続きですか?」
フィルオーナはおっとりしたお顔で首を傾げる。
(あ……ここ、ヒサミトラールでした)
「……ぁ、いえ、何でもありません」
「そうですか。もうすぐ夕食のお時間ですわ」
「分かりました」
フィルオーナに髪を軽く整えてもらい、食堂に向かう。
「クリスティーネ様」
「何ですか?」
クリスティーネはフィルオーナの方に振り向いた。
「身分が下の方に様付けをする必要はありません。あと、敬語もです」
「あ……で、でも」
「何か明確な理由でもおありなので?」
フィルオーナに笑顔で問い詰められ、反論ができない。フィルオーナの言う通り、明確な理由はないし、何となくでやっているだけのことだ。
「分かり、ました」
食堂に入ると、アイリスとミカエルがいる。クリスティーネは「ごきげんよう」と挨拶をして、席に座った。
「クリスティーネ」
アイリスに声をかけられます。
「はい、何でしょう?」
「あの花は?」
「えっと、あの、ご、ご迷惑だったでしょうか。アイリス様は、お花がお好きだと聞いたので」
「そ、そういうことを言っているわけではないのです。……その、ありがとう、クリスティーネ」
アイリスが優しく微笑みます。それを聞いて、嬉しくなる気持ちが大きくなる。
クリスティーネも笑った。
「……アイリス様が喜んでくださったなら、良かったです」
「その、アイリス様って呼ぶの、やめて」
「え?」
「貴女はわたくしの娘なのだから」
「……!!はい、お母様」
これで、少しは仲良くなれただろうか。嫌われていたところから少しでも仲良くなれただろうか。
(……アイリス様――いや、お母様が優しく微笑んでくれた。
――本当に、嬉しい)
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